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第21話「この妹にして姉あり」




「私、昨日ユニオンに入会したの」

「なら昨日まで入会してなかったんだねー。さすがお姉ちゃん、スロ〜リィ〜……むにゃむにゃ」


 月曜の朝。花菜の寝癖で跳ねた髪をゆっくりととかしながら会話を交わす。

 もはや日課となりつつある花菜とのMSOトークタイム、と言っても、花菜に「独力でがんばる」と言った手前、主に私の進捗状況の報告になってるのだけど。


「ふわわ〜……それで、クエストは請けてみた?」

「うん、一応。時間無かったからまだユニオンに完了報告してないんだけどね」


 だから今日は忘れずにユニオンに寄らないといけない。それに『モンスターを○匹倒す』と言う依頼もあったのだからはじまりの丘陵に出向く前にその手の依頼も請けてみたい。まあ、資金面で。


「どんなクエスト?」

「え〜と……ドロップアイテムを集めて渡す依頼、かな」

「ピキーン。お姉ちゃんが言い淀んだ、あたしの妹センサーが何か隠してる気がすると告げている。聞きたい知りたいお姉ちゃんを丸裸にしたーい!」


 ……何言ってんのこの子。

 花菜の特技はいつから私をドン引きさせる事になったのか……いや、割と前からこんなか。


「まったく……別に隠し事なんてありません。ただ、その……」

「ただ、なーに?」

「花菜に話したらまた呆れられそうだなあ、と思って……」


 どうにも私は花菜が思い描き実践しているだろう効率的な選択とは縁遠い気がしている。例えるなら高速道路をかっ飛ばしている花菜と、一般道を通り信号でいちいち止まってる私、みたいな。

 だからそんな花菜からしたらどう言う感想を持たれているのか、聞きたいような聞きたくないような……。


「そんな事思わないよー。ホラホラ、言って言って。お姉ちゃんの活躍をこれでもかと聞かせてー、お願ーい」


 しかし、花菜の声はあっけらかんとしていた。むしろ楽しげな色を覗かせる、何故?


「……別に活躍なんてしてないよ。私がしたのはお父さんに料理を作ろうとしてる男の子に材料を渡しただけ」

「へー、報酬はどれくらい?」

「ぅ…………ぇと………………2G」


 これまでの買い物の値段からして1G=1円くらいの価値だと推測してる、なので儲けなんて本気で無い。むしろ売るより低く、子供のお駄賃にしても少ないかもしれない。

 喜んでくれたケントくんのお陰で嬉しいけど、それはあくまで私の認識と満足なので、さて花菜の反応は……。


「……わーお」

「ほら呆れたー」


 花菜は背を向けてるからどんな表情をしてるかは分からない。しかしその若干遅れた反応は何なのよぅ。


「あたしはお姉ちゃんの話で呆れたりなんてしないよー。今のはどっちかって言うと悶えてただけだよ、お姉ちゃん」

「悶……今の話のどこにそんな要素があったのよ」

「あたしはお姉ちゃんにメロメロだからね!」

「余計に訳が分からなくなった!」


 ん〜、と首を右に捻り左に捻り、考えをどう口に出そうかと思案しているらしい。そうしてしばらくすると……。


「やっぱ秘密!」


 ずるっと思わず膝から力が抜ける。


「待ちなさい……引っ張った挙げ句に何よそれは」

「んとね……きっと“向こう”でお姉ちゃんに会えたらあたしの中の気持ちに確信が持てると思うの。だからそれまでは秘密のままにさせてくださいな」

「なんだかよく分からない話だけど……まあ、普通に会うだけなら構わないわよ。ただ今日明日は慌ただしくなるから、会う時間取れるかな……」


 まだ花菜にはマーサさんへのプレゼントの話はしていない。お金稼ぎに奔走している事も。


「急がなくてもいいよ、ゆっくりしたいもん。でも、代わりに話をいっぱい聞かせてほしいな。あたしはお姉ちゃんの話が大好きで楽しみにしてるんだよー」


 くるりと振り向いた花菜は、にへーっと朗らかな笑みを浮かべていた。


「――わ、私の話のどこに楽しむ余地があるの?」


 そんな花菜の笑顔を直視出来ず、私は顔を逸らす。

 でも、そう言ってくれるのは少し嬉しくて、とても……照れる。


「えへへー、秘密」

「はいはい、でしょうね。一段落つけるように、がんばってみる」

「うん、応援してる。あー、楽しみがいっぱいだ」


 こうして、私のモチベーションはまた少し、上がったのでした。



◇◇◇◇◇



 あれから少し時間は進んで通学路での一幕。そこには途中まで通学路が一緒な為に並んで歩く私と花菜が姿があった。


「辛い、お姉ちゃんと一緒に歩けてメガハッピーなのに、この後別れなきゃいけない時が来る事が堪らなく辛い」

「だからと言って腕に巻き付くのは遠慮してもらえる? 重くて暑くて動きづらいんだけど」


 と、そんなやり取りを続けていると前方の曲がり角から背の高いシルエットが姿を現し、騒がしい花菜の声が届いたのか、こちらに振り返ると少しハスキーな声で話し掛けてきた。


「花菜、結花さん、おはようございます」

「あ、さやちゃんだ。おはよ〜」

「おはよう、彩夏(さやか)ちゃん」

「……えと、相変わらず仲良しですね?」


 小走りで近付いてくると当惑した顔で私たちを交互に見る。彼女の名前は山城(やましろ)彩夏ちゃん。凛とした雰囲気のある大人びた中学2年生。

 花菜の小学生の頃からの友達で、時折こうして通学路で合流する事もある。もっとも花菜と仲違いしていた頃は私が通学時間をずらしていたのでこうして会うのも1ヶ月近くぶりになるけど。


「お姉ちゃんと別れたくないよ〜、なんとかしてフィンえも〜ん」

「何度も言いますけどリアルでその名前を言わないでもらえます?」


 そしてもう1つの顔がMSO再開初日に会ったプレイヤーの1人、フィンリー……の筈。

 一度しか会った事は無かったし、花菜からは「クイズ本人に聞いてみよう」とか言われてたので確定してはいなかったけど、今の一言で決まったようなものだった。


「あの、見間違いだったら申し訳無いのですが……何だか今日は花菜がいつもより甘えん坊に見えますね」

「実際そうなの、いい加減頭と腕が痛くなってる所」


 べったりと張り付いてでもいるかのように私の右腕に寄生する花菜は手と手を恋人繋ぎにして一向に離れようとしない。

 土曜の登校まではここまで露骨じゃなかったと思うんだけどな……。


「花菜、何かあったのですか?」

 彩夏ちゃんの問いに、何故か花菜は頬をほんのりと染め、瞳はとろんと蕩けた。何事?!


「……うん。あのねあのね、昨日一昨日とお姉ちゃんがあたしと睦み合、もがっ!?」


 そ・れ・か……!

 花菜が余計な事を言おうとしていたので、つい反射で舌を摘まんでしまった。いけないいけない。


何を、(だま)言おうと、(りな)したのかな(さい)?」

「はんへもはひはへん(ふるふる)」


 そんな私たちに戦々恐々としながらも、慌てて仲裁に入る優しい彩夏ちゃんである。


「通学路! 通学路ですから手荒なスキンシップは帰ってからにして下さい結花さん!」


 帰宅した後ならいいのかな、と私が言えた事でも無いけど、確かに人目もあるからここらで終わっておこう。指を離す。


「ふう」


 さすがに鞄を持った片手ではポケットに入れているハンカチを取り出せないので花菜を引き剥がして指に付いた花菜の唾液を拭く。なんだか朝から疲れる日だなあ。フキフキ。

 若干グロッキー気味の私を余所に隣を歩く2人は会話を弾ませていた。


「えへ、お姉ちゃんに舌を触ってもらっちゃった☆」

「良かったですね」

「うんっ!」


 ……懲りてない。


 そんな倒してもムクリと平気な顔で起き上がる起き上がり小法師の如き精神構造を持つ妹に愕然とした。

 この調子では追求されずともあれやそれやをペラペラと口から垂れ流しそうである。そんなのはごめんだった、恥ずか死ぬ。

 ならばとアプローチを変えてみる。情報端末を取り出し、素早く花菜へのメールを打って送信した。

 文面は――。



『私はあの事は2人だけの大切な想い出だと思ってた。でも、花菜は違うのね……少し、寂しいな』



 大分背中が痒くなる文だけど、『押して駄目なら引いてみろ』とも言うし、こう書けばむやみやたらと言い触らされる心配はあるまい。

 まずは一安し「愛のメモリーキタァァァァッ!!!」ん出来やしない。

 ……興奮のあまり奇声を発する妹を横目に、やはり慣れない事はしない方がいいと、私は学んだ。後悔は先には立たないものなんだな、とも。



◇◇◇◇◇



 私たちは3人に増えて歩みを再開する。話すのはやはりと言うか、MSOの事になった。


「どうです、結花さん。最近の調子は?」

「どう……なのかな。あまり成果は上がってないから」


 苦笑する。何かしら成果があるとすればセレナと天丼くんとフレンドになれた事なんだけど、「友達が出来ました」と自慢するのはどうにも気恥ずかしい。


「やだなー、はじまりの森を攻略したじゃない」

「それはおめでとうございます。じゃあデザルニア林道を攻略中なのですか?」

「ううん、今ははじまりの丘陵。花菜からはじまりのフィールドは一通り済ませた方がいいって教えられたから。だから攻略は4分の1しか終わってないの、まだまだ先は長いね」


 はじまりの森攻略に3日、単純計算は出来ないけど多分週末か週明けまでは掛かるんじゃないかと思う。


「でも、どうしてはじまりの丘陵にしたんですか? 飛行型のMobが出ますからはじまりのフィールドの中では難易度が高い方だと思うのですけど」

「モブ?」


 暴徒や野次馬を意味する英単語、では無さそうだけど……首を傾げていると花菜が擦り寄り解説してくれる。


「Moving object、略してMob。モンスターの事だよ、お姉ちゃん」

「ああ、そうなの。ありがと、花菜」

「褒められた!」


 小躍りする花菜を置き去りに、私と彩夏ちゃんの会話は続く。


「時計回りに攻略しようかな、って言うだけなんだけど。ああ、それに沼地のカエルが何だか気持ち悪そうで後に回した、って言うのはあるかも」


 ネットで見掛けただけだけどカエルの画像はあまりお近づきになりたくない類い。今ではキャタピラーも割とその分類だけども。


「成る程それで。確かに、リアル重視の弊害と言うかVRの(さが)と言うか、あの手合いは慣れないと正面から戦うのは厳しいかもしれませんね」


 彩夏ちゃんの眉間にはうっすらと縦線が入る。彼女にも何かしら同じような経験があるみたい。


「そう言えば……花菜もはじまりの森を攻略していた時は酷いものでしたね、“アレ”の相手」


 その時の事を思い出してか、口に手を当てて苦笑する彩夏ちゃん。それに釣られて私も頬が緩む。


「ああ、やっぱり? 多分そうだろうなって私も思ってたけど……今は大丈夫なの? 先に行けばもっとグロテスクなのだって出るんじゃない?」

「大丈夫……だと思います。はじまりの森の途中辺りでしょうか、吹っ切れたのか徐々に戦えるようになりましたから」

「えっ、あの子が?! 嘘ぉ!」


 てんとう虫一匹に大騒ぎするような虫嫌いだったのに、あの巨大虫を相手に出来るようになるなんて……ここ最近じゃ一番驚いた出来事かもしれない。


「いえでも、戦ってる間は無口無言無表情で、頼もしくはあるんですが……ちょっと怖いですね」

「え、あれ。ごめんなさい彩夏ちゃん、それほんっっとうに花菜の話?」

「凄い疑い方ですね、分かりますけれど」


 だってあの元気が人の皮を被ったような花菜がだよ? すぐには信じられない。


「はー、人間変われば変わるものね。まあ安心はしたけど……何かな、ちょっと心細いかも」

「ふふっ。結花さん、なんだかお姉さんよりもお母さんみたいですよ」

「ちょっとー、2人とも楽しそうに一体何の話してるのー?」


 小躍りが終了して追い付いた話題の人物が、タイミングが良いのか悪いのか分かりにくい発言をする。

 私と彩夏ちゃんは互いに顔を見て頷き合った。嘘はいけない、正直に話して……試してみようか。


「「虫の話」」

「ぎにゃーーーーっ!?」


 花菜は目をぐるぐると回して、何故か私の首に飛び付いてきた。

 うわっ、重い!?


「か、花菜?! 落ち着いて下さい、Mobの話ですよ」

「もぶなんてむしはしらないよぉ(ガタガタ)」


 花菜はブルブルと涙声で怯えている。待って、虫嫌いは克服したんじゃなかったの?

 なのにこの覿面過ぎる効果……。


「結花さんこれって、もしかして……」

「ゲーム内限定……だったみたいね」


 あくまでバーチャルリアリティだから虫嫌いのこの子でもなんとか対応出来たけど、現実ではこの通り、と言う事らしい。

 そして、そんな私たちを見る周囲の目が痛い。


(でも仕方無いか。話を振ったのはこっちなんだから、怯えさせちゃった責任は取らないと)


 ふう、本当に今日は朝から色々と……。


「ごめん彩夏ちゃん、ちょっと鞄持っていてもらえる?」

「あ、はい」


 彩夏ちゃんも、花菜のあまりの反応に驚いているらしく慌てたように私の鞄を受け取った。


「まったくもう、この子は……」


 空いた両手で花菜の体を強く抱き締める。


「花菜、花ー菜。さっきのはMSOの話よ。ほら、虫なんてどこにもいないでしょう?」

「ぐすん、ほんと?」

「お姉ちゃんは花菜に嘘なんか付かないでしょ。もし虫が出てもお姉ちゃんが花菜を守ってあげるから、怖がらなくても大丈夫。だから花菜、そんなに泣かないで」


 花菜の耳に息を感じる程身を寄せて囁き掛ける。

 ぽんぽんと背中を叩いていると、次第に花菜の震えが収まるのを感じる。


「花菜、もう平気?」

「……ぅん」


 涙を指で拭ってゆっくりと抱き付いていた花菜を地面に降ろすと、その顔はトマトもかくやな赤ら顔に染まっていた。冷静になって恥ずかしさが噴き出したのかな。


「……ごめんなさい、お姉ちゃん」

「私こそごめんね。花菜が苦手だって分かってたのに」


 俯いて蚊の鳴くような声で囁く花菜の頭を優しく撫でる。そうするとますます赤ら顔は進行して、耳まで赤くなった。


「鞄ありがとうね、彩夏ちゃん」

「あ、その、はい」


 鞄を渡してくれた彩夏ちゃんは、どうしてか花菜の赤みが感染(うつ)ったようにほんのりと頬を染めていた。


「彩夏ちゃん顔が赤いけど、どうしたの? 大丈夫?」

「い、いえ何と言いましょうか……花菜がいつも話す結花さんの片鱗を見たもので、少し衝撃を受けていまして」

「……どんな風に語られているのよ私」

「聞きます?」


 えー……う、うう〜ん。聞いたら花菜を張り倒してしまいそうだから自制しましょう。人には知らなくていい事だってあるものだし……多分これも、その類いに違いない。


「聞かなかった事にしましょう。ほら、花菜もいい加減しゃっきりして。彩夏ちゃん、途中から花菜の事お願いね、この有り様じゃ心配だから」

「任されました」


 もじもじとしている花菜の手を取り、彩夏ちゃんへ先を促す。

 こうしてとある日の登校風景は慌ただしく過ぎていった。



◇◇◇◇◇




「貴女って度胸が座ってるのか、単に頭が回ってないだけなのか時々分からなくなるわ」

「私も教えてほしいです」


 お昼休みも中盤が過ぎ、お弁当を食べ終わって喉の渇きを覚えた私は、校舎脇にある自販機スペースへやって来ていた。

 自販機スペースは校内に3ヵ所あるのだけど、一番品揃えと立地の悪いここにしかお気に入りの緑茶がラインナップされていない。

 場所が場所だけに時間に余裕がある時にだけちょくちょく訪れている。


 そして、今日はそこでばったりと馴染みの顔に出会っていた。


「前書記が通学路で中学生とハグしてた、なんて聞かされた時は驚いたものよ?」

「私も、まさかそんな噂が飛び交ってるとは、正直驚いてます」


 チビチビと緑茶で唇を湿らせながら、コーヒー片手に隣に居座る春日野先輩と話を続ける。

 現在、面白可笑しく脚色されて流れる噂は先程の他に「路上でキスしてた」「三角関係らしい」「おい、そこを代われ」……最後のは違うか。と、まあクラスのみんなには事情を話したけど、落ち着くかどうか。

 こうなると先輩と鉢合わせたのが人気の無いこの場所で良かったと思える。何故なら――。


「知ってる? 私と貴女は付き合ってるそうよ?」

「私が今期生徒会に入らなかったのは先輩がいなくなったかららしいですね、初耳でしたが」


 その話を聞いた時は呆れを通り越して憤りを覚えたものだ。いくらなんでもそれは無い。


「私にも選ぶ権利くらいはあると言うのに失礼な話ですよね」

「何気に私に対して失礼よね、今の」


 頬を引きつらせる先輩をしれっと無視する。嘘偽り無い感想なのだから撤回なんてしませんとも。


「で? 実際の所はどうなのかしら、その子は恋人だったりするの?」

「妹です」

「でしょうね、そんなオチだと思ってたわ」


 先輩は先程の仕返しとばかりにカラカラ笑う、分かってたなら聞かないでほしいものなのだけど……この人相手に言ってもムダか。


「はあ……それにしてもどうしてこんな噂になっているんでしょうね」


 そこまでこの学校の生徒は話題に飢えているの?


「ねぇ書記子」

「はい?」


 パシャリ。


 振り向いた私を、先輩が構えたスマート端末のカメラが撮影した。


「なんですか、藪から棒に」

「私から見て貴女の容姿は目立つ方じゃないわ。大概の個性の中に埋没するタイプ」

「はい、そう思います」


 特徴の無い顔、とは思う。花菜やお母さんはメリハリの聞いた美人だから余計にそう思うのかもしれない。

 まあ、私の顔立ちはお母さん……縁お母さん譲りだからむしろ好きなのだけど。


「けど、整ってはいるから表現方法を変えれば映えるのよ。例えば書記子を中心にしたこの写真みたいに、じっくり見られるなら感じ取れるわ。普段は目立たないけど、って奴よ」

「……そうですか?」


 スマート端末をこちらに向ける。画面には何の事も無い、振り向いた私が写っていた。

 映えると言うのは先輩の主観なので、私としては別にどうとも思わない。


「反応悪いわね、褒めているんだからもう少し可愛らしいリアクションが欲しいわ。貴女らしいけど」

「……あまりそう言う評価には慣れていないので、どう反応すればいいか分からないんです」

「ほんと、貴女らしいわ。ま、実際の所書記子は一応知名度もあるし、写メで見た相手の子も随分と可愛いらしかったもの そんな2人が抱き合っていればそれなりに騒がれもするでしょ」

「……待って下さい、写メ?」

「画像添付メールが回ってたわ、さすがに見える範囲では止めさせたけど拡散してしまったから諦めなさいとしか言えないわね」

「何て役立たずな肖像権……」


 そんなものまで撮られてたなんて……噂の回りがやけに早かった原因はそれか。

 その写真をどんな風に見られるのかと思うと頭が痛くなりそうだった。


「本当に困ったらいつでも来なさい、手くらいならいつで「お断りします」」


 そう即答すると先輩はきょとんと目を見開いた。


「何を驚いているんですか。10月の3年生(受験生)なんですからちゃんと受験勉強に集中してほしいんです」


 この先輩はとても優秀で、どんな大学にも受かりそうではあるけど、物事に絶対なんて無いから、既に9月終わりから心配をさせてしまってるしこれ以上面倒を掛けさせたくはない。

 頼りにはなるけど、助けてもらってばかりではだめだろう。


「……ふふ、可愛い事言ってくれちゃって。でもそうね、そう言えばわたし受験生だものね。人の噂も七十五日って言うしせいぜい早めに過ぎ去る事を祈るだけにしてあげるわ」

「2ヶ月半も鮮度が持つようなネタでも無いと信じて、それまでは大人しく過ごします」


 その辺りは得意分野なので問題無い。


 コインッ。


 互いの缶を静かに打ち合わせて、別々にその場を後にした。



 教室に戻るまで、好奇の視線をそれなりに感じながら、花菜の方は大丈夫だろうかとそんな事を考えていた。

 通学路では花菜の中学の生徒もそれなりにいたのだから。

(もし中学でも似たような噂が流れてたら……いえ、あの子ならむしろ喜ぶか)


 それはもう諸手を上げて肯定の意を示すような気すらする。


(いっそ私もそうすれば下手な弁解より効果的だったりして……なんてね)


 花菜が心配無用と思い至れば、自分の事は置き去りになんだか足取りが軽くなる私であった。




◆◆◆◆◆




 家に帰りもろもろを済ませると、すっかりと生活の一部となったMSOにログインした。


 私が目を開けると、カーテンの隙間から光が差し込んでいる。今日は夕方、手で西陽を遮っても肌が炙られる。

 寝ぼける事も無く体をほぐし、ベッドから立ち上がって借りているパジャマを脱いでいく。


 昨夜の事(こちらの時間で言えば今朝になるけど)、帰宅した私にマーサさんが洗濯したこのパジャマと……その、下着一式、を小さな籠に入れて渡してくれた。しかも上着の左胸の辺りには以前は無かった刺繍が施されていて、文字みたいだったから《言語翻訳》を使ってみると『アリッサ』と、丁寧に縫われていて、不覚にも少しクラッときてしまった。

 マーサさん曰く「あらら。だってアリッサちゃん用ですもの。後、洗濯してほしい物はこの籠にいれておいてね」だそうで、実際籠の中には洗濯された初期装備がきちんと畳まれて入っていた。あの、ほんとにすみません。


 またもやお世話になりまくり、感謝の念が加速度的に増加する今日この頃。


(でも、恩返しのプレゼントは見つけてある。まだ買えてないけど、手が届かない額じゃないんだから、これからいっぱいお金を稼がなきゃ)


 シロネ工房のブローチ。

 優しいマーサさんに、あの穏やかな緑色のブローチはきっと似合うと思うから。

 喜んでくれるといいなあ。


「うんっ、今日もがんばるぞーっ!!」


 おーっ、と気合い一発。上着のボタンをすべて外した所で、私は気合い一発、天井に拳を振り上げ決意と共に叫び、そしてそんな自分に気づくと急に照れが顔を覗かせていそいそと着替えに戻る。


 着ていたすべての衣服を脱ぎ、今度は籠の初期装備に手を伸ばす、とそう言えば昨日思い付いたけどこの着替えと言うのは、実はメニューの『装備』から簡単に出来るんじゃないかなー、と今更思う。


(昨日新緑の外套や耐毒の指輪を装備した時は一瞬で着れていたし……使わないけどね)


 少なくとも今、この服には。

 だってお日様の匂いがしてる、マーサさんが洗って、干して、取り込んで、丁寧に畳んで、わざわざ私の部屋まで運んでくれた服だもの。だから私もこの手でちゃんと着たいなって思ったんだ。

 袖を通して、紐を結ぶと身が引き締まる。そうして、昨日よりも一昨日よりも、見栄えのしないこの服に愛着が湧いている実感がある。

 そうする度に、私はこれからもアナクロな、理に適わず機能を活かさないこだわりは増えるんだろうな、と思う。けどそれを面倒とは思わない。きっとその時にはまた私に大切なものが出来たり、楽しんだりしてるのだろうから。



 初期装備に身を包んだ後はパジャマと下着を畳んで籠に入れて……刺繍をなぞる。

 いくつかの文字の組み合わせ。カタカナでも英語でもないこの世界での私の名前を私はようやく知る事が出来た。


「これで、アリッサ……えへへ」


 気恥ずかしさを押し込めながら、最後に帽子を被り杖を持ってドアに向かう。


 ガチャ。


 ドアを開いて廊下に一歩を踏み出し、部屋を後にした。


 パタン。


 1階に降りた私は玄関ではなく台所に向かった。マーサさんはいるだろうか。


「これ……手紙?」


 でも台所にマーサさんの姿は無く、私室かと思っているとテーブルにはいつものお弁当箱と、メモ書きらしい紙がその上に置かれていた。《言語翻訳》のレベルが足りるかと少し不安になりながら文字に目を走らせる。



『アリッサちゃんへ。

 すこしでかけてきます。

 おでかけするならけがをしないようにきをつけてね。

 マーサ』



 以前加護のレベルが低い事をマーサさんの前で言ったのを覚えていてくれたのか、メモにはひらがなばかりでそう書かれていた。


「……はい、マーサさん」


 その気遣いに感謝しつつメモをポーチに入れて外に出る。


「いってきます」


 自然と、私は家に手を振っていた。

 愛着が湧いているのはどうも服だけではないらしい。



◇◇◇◇◇



 人の波の中を歩きながらまず向かったのは東大通りにそびえるユニオン・アラスタ支部。

 私は前回とは別の受付嬢さんと相対していた。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」

「えと、依頼を完了したので依頼書の引き渡しと地図の返却に来ました」


 メニューから依頼書と地図、そしてメダリオンを実体化して受付嬢さんに差し出す。


「かしこまりました、お預かりいたします。少々お待ちください」


 そう言うと受付嬢さんは依頼書にメダリオンを乗せる。前に言われた通りメダリオンは青く光り、それを確認すると今度は複雑な紋様の彫り込まれた15cmくらいの大きさの金属製の板を取り出した。

 それを依頼書の上に乗せ、更に板の上にメダリオンを乗せると、紋様に淡く光が走り始め、メダリオンがわずかに宙に浮く。

 やがて光がメダリオンに吸い込まれるように移り、その光も完全に消え去ると同時にメダリオンはゆっくりと板の上に降りてきた。


「はー」


 何だかよく分からないけど、不思議な光景に私は目をしばたたかせる。


「今の、金属の板で何をしていたんですか?」

「メダリオンへポイントの加算を行いました。依頼書にはあらかじめ特殊な加工が施されており、それをこの『星法陣』の描かれた板が読み取り、メダリオンへと書き込みを行うのです」


 私の不意の質問にも微笑みを崩す事無く、受付嬢さんは丁寧に対応してくれる。

 けど……むむ、何やら新しい用語が。


(セイホウジン……ホウジンって言うなら、もしかして魔法陣みたいな物かな? あの紋様もずいぶん複雑だったけどそれっぽかったし、この世界じゃ魔法は悪い物らしいから、代わりの用語を使ってる、とか?)


 自分なりに結論を出し、意識を目の前に戻す。

 すると説明を終えた受付嬢さんは金属板と依頼書を仕舞っていて、代わりにトレイに2枚の黒っぽい硬貨をメダリオンと共に私の前に置いた。


「お待たせいたしました。依頼内容の達成が確認されましたので報酬として2Gをお支払いいたします」

「はい」


 じゃあこれが1G硬貨? 10円玉と同じくらいの大きさに2枚を重ねたくらいの厚さ。

 これを1000枚2000枚と私は持ってた事になる……訳無いか、きっとこれは1円玉くらいの物でもっと価値の高い硬貨かお札かがあるんでしょう。

 アイテムポーチに2枚の硬貨を仕舞い、再び受付嬢さんに向かい合う。


「メダリオンには依頼達成により2ポイントが加算されました。ランク・ブロンズへの昇格まで残り4998ポイントです。頑張って下さいね(にこっ)」

「多っ?!」


 驚愕の数字に声がひっくり返る。

 え、最低ランクでこれですか? たった1つランクを上げるだけでなんて苦行……。


「あ、あの、依頼1回で2ポイントにしかならないんですか?」

「いいえ、そんな事はたまにしかありませんよ」


 その“たまに”を引いたのね私。


「ポイントは依頼内容の難易度によって変わります。今回の依頼はクロウの肉を5つと量が少なく収集自体も容易であり、街の近辺でも出没するので危険性は低く、依頼内容からも重要性は高くないとの判断で特別低く設定されたのでしょう」


 淀みの無い受付嬢さんの説明を聞く……えっと、ローリスクでハイリターンな話なんて無い、と言うのは分かった。当たり前だけど簡単な依頼なら少なく、難しければ多くなる、と。

 まあ私の目的はお金を稼ぐ一点に尽きるからあまり関係は無い。そりゃランクが上がれば高収入な依頼も請けられるようになるんだろうけど、あくまでいつかはそうなるかも、なレベルの話。


(だったら今考えても仕方無いよね、まずは今日明日どう稼ぐか……)


 少しだけ黙考して、微笑む受付嬢さんに声を掛ける。


「あの、依頼を請けようと思うんですが」

「はい。どのような依頼をご希望でしょうか?」

「えっと、場所ははじまりの丘陵で、内容は討伐、くらいかな」


 採集アイテムは戦闘の合間に探すから必要量を確保出来るか分からないし、ドロップアイテムはノールさんのお店で換金したい、欲張るのもアレだから、今回は討伐依頼に絞ってみた。


「では……こちらの11件などはいかがでしょうか?」


 差し出された依頼書を受け取りしげしげと読む。

 マーサさんの手紙を読む為に《言語翻訳》をセットしたままなので一応は依頼書を読める。もちろん大半の文字は翻訳出来てないけど、モンスター名とその横の数字は何匹討伐するか、かな。それに金額くらいは何とか分かった。


「依頼はいくつまで同時に請けられるんですか?」

「最大で5件までと規定されています。これはランクがアップしても変わりません」


 5件、かー……この中から半分だけ選ばないと、さてどれがいいかな?


「う〜ん……同じモンスターの討伐依頼を請けた場合、必要な討伐数はその合計ですか?」

「はい、そうなります」


 やっぱり、ならなるべく討伐対象はバラした方がいい。同じモンスターばかりを探すのは逆に時間が掛かりそうだもの。


(後は、基本的にはモンスターを何体か倒す訳だから、討伐する数と報酬の兼ね合いになるよね。えっと、こっちよりこっちの方が……あ、れ……んー、これはちょっと毛色が違う)


 手にした1枚の依頼書には凶暴そうな犬らしき絵。文章からまともに読み取れるのは『はじまりの』『ジャイアントドッグ』『1』『500G』くらい。


(ジャイアントドッグ、って多分はじまりの丘陵のエリアボスだよね。上手く進められれば今日中に戦う事になる相手……勝てるかはまた別なんだけど、でも…………500G)


 目は自然、その文字に吸い寄せられる。他の依頼書が10匹以上モンスターを倒してもようやく3桁の報酬なのに……なんて魅力的な数字なのでしょう。


(……お金に目が眩んでるなあ……)


 と、頭の冷静な部分では思いもするけど、請けるだけならタダ(の筈)なんだから、これを外す理由も無い。


「すみません、この依頼書にはなんて書かれているんですか?」

「はい。『勇気ある者求む。はじまりの丘陵の頂に巣食うジャイアントドッグの定期討伐を依頼したい、討伐数は1体。報酬として500Gを用意した』との事です」

「定期討伐、と言うのは?」

「モンスターの中には出現から時間が経過しますと凶暴性が増す、と言う事例が報告されています。ですので(ぬし)などに代表される強力なモンスターに対しては周辺地域の安全の為に定期的に討伐を行うのが通例となっているのです」

(う、そんな事があるんだ……そんなのに出くわしたら一も二も無く逃げよう、うん)


 そんな決意の元、聞かされた内容を反芻する。それ以外の内容は予想通りだし、これなら請けても問題無いかな。


「じゃあその1枚と、この4枚の依頼を請けます」

「かしこまりました」


 4枚の内訳はドッグ10匹+8匹で合わせて170G。クロウ8匹で80G。バット8匹で70Gとした。

 やっぱり空を飛ぶモンスターは倒すのに時間が掛かると思うのでドッグが多めになっている。

 クエスト発生ウィンドウが立て続けに5つ表示され、流れ作業で[Yes]を連打していく。


「では依頼達成条件を満たした後、当施設へ再度ご足労願います」

「依頼した人のサインとかは?」

「討伐依頼に関しましては必要ありません。直接こちらへお越しくださって結構です」

「分かりました」


 それは楽……でも、昨日のケントくんみたいな出会いも無いのは少し残念でもあった。


 そんな事をぼんやりと思いながらユニオンを後にし、私は北大通りに向かう。

 晩ごはんまで2時間半、これは下手をすると時間不足で〈リターン〉で戻らないといけないかも。

それではまたアラスタからはじまりの丘陵を越えるハイキングを行わねばならない……。

 よし、時間を節約する為にもフロアボスエリアまではモンスターは相手にせずに駆け抜けよう。

 その先、はじまりの森と同じならモンスターの量が上がる筈なので討伐依頼分のノルマは達成出来ると思う。


「〈ウィンドステップ〉!」


 せわしく街を駆け抜けて、私は再びはじまりの丘陵へと突入していくのだった。


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