第16話「戦いを終えて」
「アリッサ?!」
「ふぁお!?」
小高い丘の上、声も無く肩を震わせポロポロと涙を流していた私に突然声がかけられた。しかも名前で。
「セ、レナ……?」
左側を向くと、下へと繋がる道から大鎌を携えたセレナが慌てた様子でこちらへと走って来る。
「どっ、どうしたのよ!? 何があったの?! ちょっ、服もこんな汚して!」
私が泣いていたので心配させてしまったらしい。傍に来ると空いている方の手で涙を拭ってくれた。
「あ、その、服はボス戦で……それで……この景色が、すごく綺麗で……そうしたらなんだか勝手に流れて」
「景色……? 確かに綺麗だと思うけど」
泣く程? と、首を傾げられてしまった。
「そうだね、何でだろうね……って言うか、セレナこそどうしてここに? ごはん食べにこの先の村に行ったんじゃないの?」
「…………は、腹ごなしよ」
目を逸らしてブンブンと大鎌を素振りし始めた。
「腹ごなし」
「ふうん、そっか」
なんとなーく、私を心配して迎えに来てくれたのかなー、なんて驕って……いえ、思ってみたり。
「そ、たまたまよたまたま。こんな所で会うなんてホント奇遇よね」
「うん、素敵な偶然だよね」
それは、私に気を使わせない為の配慮か、単に照れているだけか。どちらにしても、余計な野暮は挟まずにおこうと思う。
思いもよらない再会に、文句なんて無いのだから。
「所で天丼くんは?」
辺りをキョロキョロと見回してみても、それらしい影は無い。
「べっ、別にアイツとはいつも一緒なワケじゃ「えっ、違うの?!」なんでそんなトコで驚いてんのよ!?」
だってセレナ1人だけだとなんだか危なっかしいんだもん。
……とは口が裂けても言えない。
「……仲良さそうだから?」
「なんで疑問系……そ、それに仲良いとか、んなワケないし!」
ブンブンブンブンブンブン!
あ、素振りの勢いが増した。
「そう?」
「そ・う・よ!」
顔を照れか怒りか赤らめながら、セレナはガルルルと牙を剥き出して唸る。
「じゃあそうしておく」
「上から目線ってはなんかムカつくわね! ったく……大体なんで私があんな店屋物と……(ぶつぶつ)」
今度は大鎌の柄でゴリゴリと地面に『の』の字を書き始めてしまった。
「あのー。私この先の村に行くけど、セレナはまだ腹ごなし続けるの?」
「ハッ! い、いつまでも腹ごなしなんてしないっての。そろそろ頃合いだし、村に寄ってログアウトするつもり……ま、ついでだし? 道案内くらいしてあげてもいいけどね」
背中を向けて、何の気なしに語るセレナ。
そんな彼女に「最初からそのつもりでは?」、なんて言える筈も無い。今は実に素直な友達の好意に、私も素直に甘えよう。
「ありがとう。正直へとへとだから……」
「ま、初のエリアボス戦でソロ攻略したんだから疲れもするでしょ。ったく無茶なんだから」
「うん、痛感した……かな」
運に助けられた部分も多いけど、大変だった。何度ももうだめかも、なんて思いもした。二度とごめんだとも思う。
「でもその、あれよ。おめでと……アリッサ」
「! ……うん、ありがとう」
でも、そう言う言葉を貰えるなら、またがんばれそうとも思える。
(ああ。ほんとに、倒したんだなあ……)
そして、その言葉でようやく1つ、終わったんだと実感を得る。
(……でも)
後ろにはボスエリアを越えてきた道。他のエリアボスは知らないけど、ジャイアントモスは割と私と相性の良い相手だったような気もする。
直接攻撃は実質体当たりだけだったし、回転攻撃は近付かなければいい、鱗粉は〈キュア〉で対処出来るし、風起こしも1発1発の威力はそう高くなかった。
いずれ戦う予定の他の3ヵ所のはじまりのダンジョンのエリアボスに同じ戦法が通じるかは未知数、ジャイアントモスを撃破したとは言え楽観視もしていられないのかもしれない。
「あのさ、はじまりの森はクリアしたワケだけど……次はどこ行く気?」
「うーん。妹からははじまりのダンジョンは一通り済ませた方がいい、みたいな事を言われたから東南北のどれか、かな。まだどれにするかは決めてないけど」
取扱説明書によれば、東には池や沼、北には丘陵、南にはご存じ草原が広がっているとの事。
草原の向こうには王都とやらがあるようだけど……どこに行こうかなあ。
「……1人で?」
「1人で」
「ふーん、まだまだ先は長そうね」
「うん、そう思う」
3日。
はじまりの森を突破するまでにそれだけ掛かった。単純に4倍とはならないと思いたいけど、どうなるか。
(それでも)
越えられない訳じゃないと、それだけは忘れないで先へ進もう。
◇◇◇◇◇
「フッ!」
ズバン!
セレナが襲ってきた大型犬サイズの狼、『ウルフ』を切り裂いた。
「ギャイン?!」
鋭く重いその一撃でHPの9割を奪い、後ろへと吹き飛ばす。木へと激突し、更にHPを失ったウルフはよろよろと懸命に四肢に力を込めている。瞳は未だ諦めると言う言葉とは無縁のようであり、その姿は万人の心に響く事だろう。
「トドメ!」
「ギャイイン?!」
……悪役かな私たち。
ウルフは逆立った灰色の毛皮、薄汚れた爪牙を持ち、鋭い眼光で睨んでくるモンスター。
動きが素早く、爪での引っ掻き攻撃はダメージも大きそうで、何より時たま2匹以上で現れる。一匹狼でいいのに。
(それを思えばセレナが来てくれて本当に助かった。1人なら早晩やられてアラスタに強制送還されてたかもしれない)
で、ボス戦を終えたばかりの私への負担を減らすべくセレナが殆どを相手どってくれている。
ただ先に述べたように複数体が現れた時にはセレナが1匹と戦い、私がもう他をチェインで拘束して倒す、と言う戦法を取っていた。
今はなんと3匹が同時に現れて四苦八苦。私は拘束に集中してセレナが1匹1匹順番に倒した所。
色を失い消えていくウルフ。ウィンドウが開いて獲得経験値とドロップアイテムが表示される。
『【経験値獲得】
《火属性法術》
[Lv.8]
《水属性法術》
[Lv.8]
《マナ強化》
[Lv.10]
《詠唱短縮》
[Lv.6]
《杖の心得》
[Lv.9]
【アイテムドロップ】
ウルフの毛皮[×2]
ウルフの牙[×1]
ウルフの爪[×2]
ウルフの肝[×1]』
こちらに来てから加護がずいぶんレベルアップしていて驚いた。何せボス戦の後にレベルアップを知らせていただろうウィンドウをだるくってろくに見もせずに閉じたから。
「大丈夫だった?」
顔を上げるとセレナが大鎌を肩に担いでやってくる。
「うん。的がそれなりに大きかったし、セレナが動きを止めていてくれたから、お世話になります」
「ま、まぁあれくらい楽勝よ。にしても……ホントに属性法術全部持ってんのね」
「……うん」
セレナは一緒に戦った際に6つのチェインを使ったのを見てる。戦闘でウルフに対してのスキルが毎回別属性なのでその事を思い出したんだろう。
「《火属性法術》と《水属性法術》と《風属性法術》と《土属性法術》と《光属性法術》と《闇属性法術》と《聖属性法術》を、最初に選んだの。妹にも呆れられちゃったけどね」
はあ、言うだけでも一苦労。セレナは額を押さえて渋面を作る。
「そりゃそうもなるでしょ。敵への対応はともかく法術にしたって武器にしたって、そんなに持ったらレベル上げが恐ろしく面倒じゃない」
「うん、そうなんだよね」
「思い切りが良いってゆーか、良過ぎってゆーか……なんでまたそんなピーキーな選択したの」
「フィーリング」
しばし間が開く。
「んー……ま、まぁプレイスタイルは人それぞれか。加護の空き枠は初期でも5はあるんだし、これからどうとでも――――なるの? コレ……」
「そんなに不安を煽らないでー……やっぱりどうにかしなきゃだめなのかなあ」
「あー、ゴメンゴメン。若い頃の苦労は買ってでもしろって言うし、前向きに。実際にそれでジャイアントモスも倒せてる訳だし、それにこのゲームって加護の組み合わせやらで別の加護が見つかる事もあるらしいし、案外化けるかもしれないからさ」
「はあ」
だといいな。
セレナに言われた通りになるにしても一朝一夕ではないのだろうし、やっぱり根気は必要かな。
「……ま、困ったら言いなさいよ。その……フレンド、だしさ。力になるし」
「うん、ありがとう」
まったくどうして。セレナと言う人は……優しい。
本当にありがたい。
◇◇◇◇◇
そして、私たちはメルタと言う名前の小村へと向かって歩きながらの戦闘と続けていた。
ウルフの他にも動く草むらの『ブッシュ』とかジャイアントモスを想起させる『バタフライ』とかが出現し、それらの大半はセレナが引き受けてくれていた。
「ごめんね、セレナにばかり負担を掛けちゃって」
「いいわよ。経験値もドロップも入るんだから今更そんな事一々気にしないし。それに……そろそろそれも終わりだしね」
「え?」
視線を森の奥へと向ける、すると今までずっと木と草しか無かったその先に別の何かがチラリと目に留まった。
「あれは……」
赤茶けた煉瓦、背の低い……壁?
その向こうにはいくつかの建物が見える。もしかしてあれが?
「あれがメルタ村。アリッサはアラスタ以外のライフタウンは初めてでしょ?」
「うん。村とは聞いてたけど、やっぱりアラスタとは随分違うみたい」
「アラスタクラスが珍しいのよ、大半の村なんてあんなモンよ」
ゆっくりと近付けば、確かにそこには集落があった。そう大きくはないようだけど。
村の周りをぐるりと囲んでいる壁と同じ煉瓦を用いた家々は大分くたびれている。
あ、馬小屋。嘶きに目を向ければ手綱に繋がれた栗毛の馬が3、4頭見え隠れしてる。乗れるのかな?
「メルタ村はいくつもある小村の1つで基本的な施設は揃ってるわ、ショボいけど」
宿屋、アイテムショップ、武器防具店、ユニオン、食事処、教会、etcetc。
大まかに村の施設を案内される、どれもアラスタとは比べ物にならないささやかさ。家屋にしても数十そこそこ。
「あのね、多分こういう穏やかな雰囲気はショボいじゃなくて牧歌的と表現するんじゃないかな?」
「そう言うもんなの? あぁ、天丼も『微妙に落ち着く』とか言ってたっけ。分っかんないわね、もっと色々便利な方が良くない?」
首を捻っている。セレナはメルタ村のような場所よりも都会的な場所を好むのかもしれない。
「分からなくも無いけど、感じ方は人によりけりだから」
「ふーん、アリッサはアイツとおんなじ感性なワケねー」
あ、頬を膨らませてる。気分を害してしまったみたい、どうしよう……あ、そうだ。
「だったら良かったね」
「はぁ? 何がよ」
「私、セレナと一緒だとすごく楽しくて安心するの。感性が同じなら、天丼くんもきっとそう思ってるんだね」
「ばっ!?!??」
茹でたタコはきっとこうなんだろうな、と思える程に紅潮し、固まってしまったセレナを前に、これはこれでどうしようと途方に暮れてしまう私だった。
◇◇◇◇◇
そんなやり取りの果て、最後に到着したのはポータルポイント。ここのオブジェは丸い金属球が木製の祭壇に奉られていて、アラスタの物とは全然違っていた。
祭壇に触れるとウィンドウが自動で開く。
『新たな星の廻廊[メルタ]が開放されました』
「星の廻廊……?」
何だっけ。取扱説明書に書かれていたような……えーと。
「ポータルを使って他のライフタウンに転移する事を“星の廻廊を通る”って表現してんのよ。ホントこのゲームって回りくどい表現多いんだから」
やれやれと首を竦めている。『メルタへのタウン間転移が可能になりました』でもいいんだろうけど、そこは情緒って事なんだと思うよ。
「さってと、おざなりで悪いけどメルタ村案内ツアーはこれでオシマイ。私はログアウトするけど……?」
「うん、私もアラスタに戻って休むつもり」
そろそろ晩ごはんも近くなってきた。まず無い、とは思うのだけど。もし遅くなって花菜に起こしに来られたら、と思うと……身の危険を感じてしまうので。
「ああ、下宿あるんだっけ。あ、あのさ……」
「うん?」
くるくるとツーテールの先っぽを弄び、視線を泳がせながらそんな事を言ってくる。
「さっき食べちゃったお弁当のお礼とかお詫びとかが必要だと思うワケよ、私的に」
「? 私が自分から言い出した事だし気にしてないけど……?」
「そ、そうじゃなくって、あ、いやそれもあるんだけど……っ、そ、その大屋さん、大屋さんよ。大屋さんによ」
「マーサさん?」
「そっ、そう。お弁当のお陰で助かったんだからちゃんとお礼と、食べちゃったお詫びをしなきゃなのよ……だっ、だだだだから……こ、今度紹介してよ……その人」
「じゃあ、遊びに来てくれるの!?」
パッと喜びが顔に出る。
が、対するセレナの顔は苦み走る。
「だあっ! 人がオブラートに包んで言ったのにその場で開封しないでよ恥ずかしいっ!」
「でも、遊びに来てくれるんでしょ? マーサさんもきっとすっごく喜んでくれるよ」
「そっ……そのうちね」
「うんっ!」
話が終わり、とうとう帰路に着く時が来た。今日出会って、早くも2度目のお別れ。
私はポータルの前に立って、セレナからポータルの使用法のレクチャーを受けていた。
「ま、ポータルオブジェクトに触って『ムーブ・アラスタ』って唱えるか、ある程度近付いてメニューに新しく増えてる『タウン』から選べば転移出来るから」
「了解」
一歩進み出て祭壇に触れる。
「それじゃあ2度目だけど、またねセレナ」
「ん。じゃね」
お互いに手を振り合い、祭壇へと向き直る。
「ムーブ・アラスタ」
唱えた直後、足下から光の粒が溢れて私を包み込み視界は白く白く染まっていく。ふと後ろへ視線を送ったけど、既にセレナの姿は白の中に埋もれていた。
やがて――――。
◇◇◇◇◇
――――ザワザワ、ザワザワ。
――――ガヤガヤ、ガヤガヤ。
喧騒が耳に届いた。
光が途切れ始め、その隙間から見える風景は白と、緑と、茶色。白亜の建物と繁る木々。はじまりの街に、私は帰ってきた。
「はあ、なんかどっと疲れが……」
見慣れた……訳でもないのだけど、少なくともここがホームだと言う感覚はあるのかもしれない。
セレナが一緒にいてくれたから表面上は気が張っていて、アラスタに戻った事で緩んだらしい。ボス戦の精神的な疲労がぶり返していた。
「帰ろ」
一路マーサさんの家へと歩き出す。唯一の救いは脚が棒やら鉛やらから多少ではあっても回復している事だろうか。
(……“帰ろ”、か)
少し中身も、復調したかな。
◇◇◇◇◇
ガチャ。
「ただいま帰りましたー」
「あらら、お帰りなさいアリッサちゃん」
ドアを開け帰宅を告げると、奥からマーサさんの声が響きパタパタとこちらに靴音が近付く。
「お疲れ様、大丈夫だった?」
心配そうにそう言うマーサさん。ダメですよそんな顔されたら泣き言なんて言えなくなっちゃうんですから。
「すこぶる好調です、マーサさん。今日ようやくメルタ村まで行けました」
ポーチから空になったお弁当箱を取り出す。
「お弁当ありがとうございました、凄く助かりました」
「あらら、お粗末様でした。お口に合ったかしら」
「あ、えっと……その事で少し言わないといけなくて……」
私はセレナと天丼くんにお弁当をお裾分けした事をかいつまんで話す。もちろん2人も美味しって言っていた事も。効果については通じるか分からないので話題には上げてないけど。
「その、すみません。せっかく作って頂いたのに」
「あらら、それは違うわアリッサちゃん。困ってる人がいたなら助けなきゃいけないわ、だって困ってるんだもの。もしも何もしなかったなら叱ってる所よ」
にっこりと心が温かくなるような笑顔を向けてくれる。
「あらら。だからね、私のお弁当で誰かが助かったならとっても嬉しいわ」
「……そうだったら、私も嬉しいです」
……気にするしないどころか、喜ばれてしまった。ほんとにもう、マーサさんいい人過ぎますよー。
「あらら、そうだわ今度からお弁当多めに作った方がいいのかしら?」
「いやいや、あんなのはそうそう起こらないですからっ!」
今になって2人との出会いを思い出しても、二度はあるまい、と素直に言える。それ程に衝撃的な出来事ではあった。
「あらら、そう?」
「はい、と言うかこれからも作ってくれるだけで十分過ぎます……っと、いけない。すみませんマーサさん、私ちょっと休ませてもらいますね」
さすがにそろそろ時間に余裕が無くなってきた。お礼もそこそこにこの場を辞する事にした。
「あらら、そうよね。引き留めちゃってごめんなさいね」
「いえ、報告はしたかったですから気になさらないでください。では、お休みなさいマーサさん」
「あらら、ちょっと待ってアリッサちゃん!」
この場を去ろうとした私をマーサさんが呼び止めた。若干慌てた様子だけど……?
「あらら、アリッサちゃん随分汚れたままじゃない! 代わりの服を持ってきますからお風呂に入ったらどうかしら?」
「お風呂!」
思えばこの1ヶ月、アリッサは入浴した事が無い。大半は眠っていたけど、今日などは走り回って汗だくの埃まみれになっている。
ただし時間は無い、無いのだけど、もし入れるのなら……入りたいかも。
「お借りしてもいいんですか?!」
「あらら、もちろんよ。この家に住んでいるんだから、台所もお風呂も好きに使っていいのよ」
「そ、それじゃあ……お言葉に甘えさせてもらいます」
お風呂に入れる……♪
ウキウキと心が踊る。
「あらら、アリッサちゃんお風呂場の場所は分かるわよね?」
「はい、昨日案内してもらいましたから」
「あらら、じゃあ大丈夫ね。ごゆっくり〜」
て着替えてちょうだいね」
そう言うと、マーサさんは廊下の奥へとぱたぱたと小走りで消えていった。
私は「?」と思いながらも、お風呂場へと向かった。まさか昨日の今日で使う事になるとは思わなかったなあ。
ぽてぽて。
家の奥まった位置にあるお風呂場の脱衣所にドアを開けて入る。中には棚があり脱衣籠とバスタオルが何枚も用意されていた。
帰宅は突然だった筈だけど、お湯は張られているのだろうか? そんなふとした疑問はあったけど、どちらにせよ時間との兼ね合いがある以上長湯はしないのだし、その時はシャワーだけでも浴びようと服を脱ぎにかかる。
いそいそと服に手をかけるも脱ぐのは、と言うかそもそも着てはいても着衣自体未体験と言うゲームならではの事態に四苦八苦、初めてなものだから手間取ってしまう。
「……すんすん」
ふと気になって匂いを嗅ぐ。土や草の臭いが大半、でもやっぱり私自身ちょっと臭う……?
(ボス戦で汗みどろだったもんね)
そして脱いだ服を大まかに畳んで脱衣籠に入れる。
下着は……上は飾り気の無い腰丈のキャミソールのみ。そっと触れてみるけど触り心地はあまり良くない。が、問題はそこでなく……その下。
ふにふに。
「………………」
服の上からでは気にならなかったけど、触れたバストのサイズはずいぶんと……ささやかだった。現実での私だってそう大きな物ではないけど……アリッサの胸はそれよりも更に下回っていた。
実際に目減りした訳じゃないけど、小さくなってしまったようで切ない。
下に着ているのはショーツ……ではなくなんとドロワーズと言う下着、所謂かぼちゃパンツとか言われる類いの物だった。それも膝上丈まで覆うくらいのタイプであり、キャミソールとの組み合せで妙なマッチング具合になっていた。
(…………脱ご)
もそもそと下着を脱いでいく。そうして全裸になってみると、アリッサの体の細さを実感する。鏡が無いので見下ろすしかなかったけど、普段の自分の体と比べて明らかに違う。
痩せぎすな訳じゃない。
肉が薄いのだ。筋肉にしても、贅肉にしても、無駄を廃するように薄く、細い。私と同じ身体バランスの筈なのに一回り小さく感じる程。それでいてあばらや筋が浮かんだりはせずにある、キュッ、と締まってる。
……締まってる。
(ダイエット、しようかな……私の体所々ぷにってるし……食後にはMSOするし……)
うんうんと唸りながら、キャミソールとドロワーズを脱いで畳んだ服の下に入れる。
ガラッ。
引き戸を開いて浴室へ。
三畳程度の広さの室内を見回すと、脚を伸ばせそうな西洋風な足付きのバスタブにはなみなみとお湯が張られている。
シャワーノズルは無く、キッチンにあったような蛇口がバスタブに直接注げるように取り付けられているのみ。
淡い青のタイルのめじにはカビの1つも無い。洗剤はあるのか無いのか……無いとしたら掃除が恐ろしく大変な気が……。
(椅子、桶、スポンジ……あれ、どれが何のボトルだろ)
隅には陶器製のボトルが数種置かれ、ラベルにはこちらの言語とイラストが描かれている。
「えっと、洗顔料にボディソープ、髪に泡だからシャンプーで、これは……コンディショナーかな?」
《言語翻訳》で読めるかもしれないけど、時間も無いので予想が当たってる事を祈ろう。
桶でバスタブのお湯を掬って、まずは頭から被る。
ザバー。
お風呂では上から順番に洗う派の私はまず洗髪に取り掛かる。
現実では肩口で揃えてるけど、アリッサは膝くらいまでの長髪なので勝手は大分違うけど、何せ昔は花菜のロングヘアを何度となく洗ってきた身(最近はあの子の視線に不吉なモノを感じてあまり一緒に入ってない)なので不都合は無い。
シャンプー(仮)のキャップを外してボトルを傾けると、トロリとした液体が手に落ちる。
ふわっ。
(これは……何かの花の香り?)
液体からはほのかに甘く爽やかな芳香が立ち上り、鼻孔をくすぐる。洗髪中、そしてお湯で流した後も私の髪には花の香りが残っていた。
続いてコンディショナー(仮)を使い、洗顔料(仮)で顔を洗う。やっぱり汗や埃が付いてたのかさっぱりする〜。
最後に柔らかめのスポンジにボディソープ(仮)を垂らし、握って開いてを繰り返すともこもこと真っ白な泡が出来上がる。
「♪〜」
鼻歌なんか歌いながら、汗だくでべとべとになった体を余す所無く泡で包んでいく。ふわ〜、気持ちいい〜。
と、カタリ、不意に物音、脱衣所に人の気配が。
ビクッと反射的に体を腕で隠すっ。
(えっ?! 何、人!? ちょっ、今はだ――――)
「あらら、アリッサちゃん、ちゃんと体を洗っているかしら?」
「――――マ、マーサさん?」
そそ、そりゃそうだよね。ここマーサさんの家で、お風呂勧めたのもマーサさんなんだから。あー、びっくりした。あー、びっくりした。
「あらら、アリッサちゃんのお洋服汚れちゃっているから洗おうと思うのだけど、いいかしら? 着替えも私のお古だけど用意しているわよ」
「えぅっ?! そ、それはとても助かるのですが、またマーサさんにご迷惑をお掛けするのは……」
心苦しい。昨日出会ったばかりなのに、ほんとどれだけお世話になるのか私。
「あらら、アリッサちゃんは奥ゆかしいわねぇ。でも、私は迷惑だなんて思ってないわよ?」
「自分が甘え過ぎないかが不安なんですが……」
……いや、甘えたと思ったなら、その分をありがとうの気持ちを上乗せして返していけばいい。それがどんな形になるかはまだ分からなくても、そう心に決めておこう。
「うん、そうだよね……洗濯お願いします、マーサさん」
「あらら、はいはいお願いされましたよ〜」
そう言ってマーサさんは脱衣所から出ていった。
(それにしても恩返しかあ。ボスのドロップアイテムを今日明日にでも換金してマーサさんに何か買おうかなあ……)
考え事に頭を悩ませながら体の泡を洗い流し、爪先からそっとバスタブに浸かる。適温のお湯は疲れた体に染み渡る、全身が浸かる頃には心まで蕩けてしまいそうになった。
「はあぁぁぁぁ〜〜〜〜……幸せ〜」
きっと私は今、酷くだらしのない顔をしているんだろうと思うけど、だからなんだーと言う気分だった。
体から徐々に力が抜け、しばらくするとうつら……うつら……と、瞼も休息を欲し始める。
「すぅ……すぅ……」
ぴちょん。そんな時、天井から雫が落ちて鼻の頭に当たる。
「――ハッ! 落ちかけた?!」
バシャン! バスタブの縁を掴んで頭を左右に振る。危ない危ない、例えゲームでも入浴中にうたた寝は危ない……気がする。
「う〜ん……じゃあそろそろ上がろっか、名残惜しいけど」
ザバン。立ち上がって脱衣所にバスタオルを取りに行く。脱衣所にはバスマットも敷かれてるけど、なるべく濡らしたくはないので浴室で体を拭く。
ふんわり真っ白なバスタオルからはお日様の匂いがする、洗濯洗剤のCMみたい。
予想してたものの、一番面倒なのは髪だった。花菜の髪ならある程度乱雑にも出来る(だってあの子それでも何故か喜ぶし)けど、この金髪に対してそんな真似はしたくない。慌てずに、でも急いで、かつ丁寧に拭いていく。
「着替え着替えっと……これ?」
私が服を入れていた脱衣籠には代わりにマーサさんが用意した別の服が入っている。
手に取って広げてみるとどうもパジャマらしい。薄桃色の上下で上着にはボタンがいくつか、ズボンは紐で縛るタイプ。
また、脱衣籠の下に置いていた靴もスリッパに変わっていた……デザインはデフォルメされたうさぎ、すこぶる可愛い。
「お古、には見えないですマーサさん」
丁寧に畳まれていたパジャマは新品かと見紛う程に綺麗だった。
(でも、私とマーサさんに身長差があるけどサイズはどうなんだろ……でも他に着る物も無いし、まさか裸で出歩いてマーサさんに、他の服は無いんですかと聞く訳にもいかないし……ん?)
ファサッ。
しげしげと見つめていると何やら小さな布がパジャマの間からこぼれ落ちた。
「あれ、何だ、ろ…………ぐっ?!」
拾い上げてみれば三角形の……ええー……ショーツだった。当然ながら脱いだドロワーズとは別の、もっと上等な物。ちなみにキャミソールとは別のブラもあった、デザイン自体はシンプルな物だったけど。
脱衣籠を漁ってみても、元々の私の下着は見当たらない。どうやらマーサさんが服と一緒に持っていったらしい。
「……サイズ合うのかな……」
改めて思う。パジャマどころでは無いレベルでそう思う。
私の下着は洗濯されてしまったと思うので、こちらの下着を着けるしかない。着けない、なんて選択肢はそもそも存在し無い。
他人の下着を使う事に少々、どころではない葛藤もあるのだけど、悩む暇も無い。
私は意を決して下着、そしてパジャマに袖を通した。どうしてかブラはジャストサイズで不思議だった。
「うわーうわー、やっぱり初期装備とは全然違う、肌触り超気持ちいい」
ごわごわとした質感だった初期装備。このパジャマを知ってしまってはあの服に不満を抱きそう。これは借り物だけど、いつかは自前の寝巻きを買おうと思った瞬間だった。
◇◇◇◇◇
その後、使い終わったバスタオルを洗濯籠の中に置き、お風呂場を後にした。
お礼を言うべくマーサさんを探して右往左往し、私室前までやってきた私はどきまぎしながらコンコンと控えめにノックした。
「あらら、はいはい」
キィ。ドアをゆっくりと開けてマーサさんが出迎えてくれる。しかし、その顔には見慣れない(そもそも会って2日目ですが)メガネがあった、本でも読んでたのかな。
「あらら、アリッサちゃん上がったのね」
「はい。お風呂と洗濯とお着替え、ありがとうございました」
「あらら、どういたしまさて。アリッサちゃんはパジャマも似合うわね〜。うふふ、とっても可愛らしいわよ〜」
「ど、どうも」
褒められた。照れる。
「じゃあ私そろそろ休ませてもらいますね」
「あらら、今日はお疲れ様アリッサちゃん、お休みなさいね」
「はい、お休みなさいマーサさん」
私はマーサさんと別れ、2階のまだまだ殺風景な自室へと引っ込む。
本当ならしばらくぼけーっとしていたい所なんだけど……唯一脱衣所に残されていた杖を机に立て掛けてうさぎスリッパを脱いでベッドに飛び込む。
ばふんっ!
スプリングに弾かれ体がぽよんと跳ねる。息を吐く間も無く、眼前に現れるウィンドウから睡眠を選択する。
私はようやく、長い長い戦いに幕を閉じた。




