第138話「再会を誓って」
私は現在近くの総合病院を訪れていた。原因は当たり前ながら丸1日以上ログインしっぱなしだったから。
そして目の前には眉をひそめた女医さんがいて、診断の結果を告げようとしている。
これ如何では今日のログインに問題が出てくるのでどうにも緊張する。
「診断の結果ですが、多少の疲労を除けば体に顕著な異常は見られませんでした」
「そうですか……」
ほっと安堵したのは後ろに控えるお母さんだ。
ただ、女医さんの表情からそれだけで済む筈も無いと私の緊張は続いている。
「ですが……野々原結花さん」
「……はい」
「表面上は表れなかっただけで、貴女の体には疲労以外にも相応の負担が掛かっています。今回異常が見られなかったと言っても次もそれで済む保証はありません」
厳しい口調の女医さんは鋭い視線で私を射竦め、リンクスの使用上の注意の様々を語る。
「VRゲームハードのプレイ許可証発効には医療機関も関わる為、医師にも場合により利用停止を申請する権限が与えられています。長時間に渡るプレイはその対象となる程危険な行為です。今後こうした事は絶対になさらないよう、ご家族さま含めよくご理解ください」
「……はい、分かっています」
私としてももうあんな真似をする気は無い。お母さんも神妙に頷き、「二度とこうした事が無いようにします」と力強く宣言し、今回はどうにかおとがめも無しとなったのだった。
◇◇◇◇◇
『そうか……大丈夫だったか……』
家に帰り、お父さんに診断結果を伝えるとあからさまに安堵した様子がありありと浮かんで見えた。
「うん、先生に注意はされたけどね」
『それは当然だ。しっかり反省しなさい』
「はい……でも、体調もいいし、これでログインしてもいいよね?」
『……お母さんの言う事を聞いて、お父さんが帰るまで大人しく出来たらな』
「うん、分かってる。じゃあね」
通話を切って一息、リビングでお母さんに見守られながらの通話を終え、情報端末をテーブルに置く。
「どうだった?」
「安心してた。後、お母さんの言う事ちゃんと聞きなさいだって」
「そう、ならお昼食べたら今度はしっかり休んでもらいますからね」
病院に行くまで寝付けなかったのがバレているらしく、じろっと睨まれてしまった。
「……はーい」
ぐったりと背もたれに体を預ける。窓からは燦々と降り注ぐ陽光が眩しく、まだまだ太陽は高い。
「……早く沈まないかなあ……」
一日千秋と言うけど、今私は丁度そんな気分を味わっていた。
◇◇◇◇◇
「やっほーただいまお姉ちゃん!」
「……ん……?」
午後、元気の良い声がバッタンと言うドアをけたたましく開ける音と共に飛び込んで来た。
そんな騒音がすれば、気持ち良く寝ていようともたちどころに目覚めてしまうのは仕方の無い所だった。
「花菜……帰ってきたの?」
「ダ、ダメですよ、そんな大声出すから結花さん起きちゃったじゃないですか!」
「ハッ! しまったお姉ちゃんの寝顔を見損ねた! なんたる失策あたしはバカか!」
「え、今まで気付いてなかったのですか?」
そして聞き馴染みのある声が2つ続く。
「彩夏ちゃんに、みなもちゃん……!」
そこには花菜のお友達である2人が制服姿で部屋の前にいて、私へとお辞儀をしていた。
「いらっしゃい。え、と……とりあえず中に入って」
寝起きでひどい顔をしているんだろうなあ、とは思いつつ、いつまでもお客様を立たせている訳にもいかないので招き入れる。
せめて髪くらいはと手櫛で整えて、立ち上がろうとするのだけど、事情を知るだけに「そのままで」と言われてしまった。
「調子はどうなのですか?」
「大丈夫、病院にも行ってお墨付きを貰ってきたよ。叱られちゃったんだけどね」
「良かった……じゃあ今日はログイン出来るんですね」
「ああ、花菜から聞いたんだ。まあお父さん次第だから楽観は出来ないんだけど、でもそのつもりだよ」
「そうですか……」
あからさまにほっと安堵した様子で、彩夏ちゃんは自分とみなもちゃんを示して話し出す。
「私たちはログイン出来ませんから、今日はお見舞いがてらお見送りをってお邪魔させてもらったんです」
「! じゃあ、セバスチャンさんはもうリンクスを……?」
「じいじはそこら辺カッチリしてるですからね。それに、仕方無いと言えば仕方無いのですよ。大衆の前でああも啖呵を切った以上、これでのうのうとログインしたら一気に弛緩した空気が炎上しかねないのです。今日は大人しくするのが吉なのです」
「ただ」と隣に座る彩夏ちゃんに視線を送る。
「よせばいいのにみんな付き合うそうで……人が被害を抑えたって言うのに無駄にして、まったくお人好しばかりなのです」
「みなも1人にだけ責任は負わせられませんからね。みんなで話し合って決めた事ですから文句は言わせませんよ」
「はいはいなのです」
照れてそっぽを向くみなもちゃんを、軽い調子で彩夏ちゃんが説き伏せる。
みんなお友達想いの良い子たちだなと思いながら、少し俯いてしまう。
「……私も、それは今朝花菜から聞いたよ。ごめんね。私たちの問題なのに巻き込んで、しかもログインまで制限させる事になってしまって……」
「正確には自分たちから飛び込んでるのです。結花姉はそこまで悩まないでほしいのです」
「それに、その問題を拡大した上に嘘まで付いてしまいましたから、こちらこそ……昨日はすみませんでした」
「なのです」
互いに謝罪し合い、動きが無くなる。
「……じゃあ、あれだね。どっちも迷惑を掛けたからこれでおあいこ、なのかな?」
2人は互いを見て頷き合う。
「結花姉がそれでいいなら」
「私たちも結花さんとは今までみたいに接したいですから、その提案はすごくありがたいです」
「そっか。ならそうしよう。で」
「「――え?」」
その言葉に安堵し、私は彩夏ちゃんとみなもちゃんの手を取ってぎゅっと握り締める。
「昨日は、ありがとう。2人のお陰で花菜と仲直り出来たよ。大変だったけど、あれが無かったらって想像も出来ない。だからありがとう。これはごめんと違って私の専売特許だから、沢山言わせてね」
そう言うと2人は顔に朱をさしてしどろもどろと頭を右往左往させていたのだけど、やがてみなもちゃんが苦笑混じりにぽつりと呟く。
「彩夏はともかく、私はもう昨日言われてるのですよ?」
「昨日はミリィに、今日はみなもちゃんに言ってるんだよ。でも実はまだ言いたいな」
「……結花姉はアレなのです。頭の中身がお花畑製なのですね」
「ひどい事言われた!?」
けど、みなもちゃんは首を左右に振る。
「とっても綺麗だって事なのです」
「なるほど」と頷かなくていいです彩夏ちゃん。
そんな事を言われてはさすがに顔が熱くなってしまうもので、みんなからの生暖かい視線の集中砲火に居心地は悪くなってしまう。そんなに言われる程かなあ……?
ともあれ話は一段落し、後はもうみんなで軽くおしゃべりをして、私の体調に何かあったら大変と早々に解散する事となった。
「結花さん、お大事に」
「なのです」
「うん、2人も気を付けて。セバスチャンさんにもよろしく伝えておいてね」
そうして2人は部屋を後にする。出来れば玄関くらいまでは見送りたかったものだけど、2人の思いやりを無下にも出来ず、ベッドから手を振るに留めた。
「ほら、いつまでもベッドに頭突っ込んでいないで、彩夏ちゃんとみなもちゃんを私の分まで見送ってきなさい」
「うごうご、お姉ちゃんの温もり……離れがたい」
などと言いながら、ずーっとベッドでぐだぐだしていた駄妹を部屋から追い出し、私は再びベッドに横になるのだった。
◇◇◇◇◇
「お父さんが部屋まで持って行こうか?」
「大丈夫だよ。昼間はちゃんと休んだもの」
夜になり、お父さんが帰宅すると預けていたリンクスが私の許へと返却された。
1日と経っていない筈なのに、その重さが今はとても愛おしい。……もっともまたすぐに預けなきゃいけないのだけど。
「お姉ちゃんお姉ちゃん! 早くログインしよ! ね、ね! イベント今日の9時までだからもうそんなに時間無いよう!」
待ちきれないとばかりに周りをぐるぐると子犬のように駆け回る花菜をどうにか宥めて2階へと促す。
「結花、1時間だけだぞ。1時間経っても戻らなかったら強制的に終了させるからな」
「うん、分かってる。ちゃんと時間は守るよ。それじゃあ行ってきます」
「まーす! 行っくぞー!」
「ちょ、花菜、押さないでよ」
花菜は私の背中を押して自室にまでやって来ると、恐るべきスピードでリンクスのセッティングを整えていく。
「……なんだか懐かしいね」
「むゆ?」
「ほら、初めてリンクスを使った時もこんな感じに花菜がセッティングしてくれたじゃない」
それからは自分でしていたから殊更そう思う。
「最初と最後が同じなんて、ちょっと可笑しいなって「ヤ!」え?」
いきなり花菜が私へと詰め寄ってガクガクと体を揺する。
「最後なんて言っちゃヤーだー!! また遊ぶのー!! ちょっとだけお休みするだけなのー!!」
「わ、わわ、分かった、から、揺すらない、でー」
くすんくすんと涙を滲ませる花菜に「ごめんごめん」と頭を撫でる。
「そうだね……ちょっとだけお休みして、また一緒に遊ぶんだもんね。だから、今日は思いっきり楽しんで、また遊びたいなって思っておくんだもんね」
「ん!」
ようやく落ち着いた花菜は自分の部屋へと(渋りながら)戻り、私はベッドに横になる。
リンクスを被って情報端末を手にする。
「……」
アプリは既に親指1つで起動出来る状態なのだけど、それをすぐにタップはしなかった。
アプリは10秒後にリンクスを起動する物だけど、同時に1時間後にしばらくリンクスを使えなくするカウントダウンを始める事でもある。
だからちょっとだけ勇気が必要だった。
――それでも、呼吸を1つ。私は画面をタップする。
(だって終わりじゃないんだもんね)
◆◆◆◆◆
――体が変わる。結花からアリッサへと。
五感が復帰すると耳に音が届く。1日ぶりに聞く数え切れない声や足音は私を圧倒する。
弛く息を吐き出してそろりそろりと瞼を開けるとそこは王都北区のポータルポイント、人の行き来はゲーム中でも5本の指に入る。
それがオフィシャルイベント最終日、それももうすぐ終わる時間帯ともなれば最早人の流れは嵐か洪水のよう。
それだけの数が居るなら昨夜の一幕に心当たりがあるPCもいるのだろう。私をチラチラと見てはコソコソと話しているみたいだった。
お世辞にも居心地が良いとは言えないそんな場で、自業自得だと自嘲気味に笑う。
『まったく、何をぼうっとしているのですか?』
「! ティファ……」
私の肩には、もう大分見慣れた小さな妖精さんがちょこんと座っている。
『もう隠れたりしなくていいのですよね?』
「うん……でもちょっと、逃げたい、かも」
そう言うとティファは呆れ気味に、けどちょっぴり偉そうに、私に語り掛ける。
『いいですよ。ここまで来たのです。いくらでも付き合ってあげましょう。何せホラ、私ってば貴女付きの導きの妖精ですから』
胸を張りまくるティファの言葉に励まされる私、そして――。
「……アレはまたぞろ重めに考えてそうね」
「ま、気持ちは分からんでもないがな。そんなに気負ってちゃ楽しめるモンも楽しめなくなっちまうぜ?」
「――あ」
セレナが、天丼くんがいた……いつもみたいに、何事も無かったかのように。それにその隣にも知った顔がある。
「1日ぶりですわねッ!! お元気そうで何よりですわッ!!」
「エリー、リアルでの体調はPCには反映されないと思うのだけど……」
「アリッサ、お姉、さん……!」
『やぁ、思ったよりも元気そうじゃないか』
「みんな……」
エリザベートさんに鳴深さん、ルルちゃんにケイちゃん……昨日一昨日とお世話になった人たちにここに来ると連絡しておいたのだ。
(本当なら他にも来てほしい人たちはいたけど……)
思い出すのはセバスチャンさんとクラリスのパーティーメンバーたち。だけどみなもちゃんがログイン出来ないならセバスチャンさんだってしないだろう。
残念だけど諦める他無い。
と、そこでようやく視界の隅っこをチラチラとうろつく存在に辿り着く。
「クラリス。待たせてごめんね」
「……にゃ」
私たちが話し終わるまで待ってくれていたんだろう。クラリスはポータルの影からひょっこりと顔を出す。
「おいで」
「ん!」
手を差し出せば嬉々としてその手を握り返す。そしてクラリスと2人、並んで立ってみんなに向き直る。
「えっと……今日からしばらくはミリィやセバスチャンさんと同じくMSOにはログイン出来なくなるので……みんなと会っておきたくて呼び出させてもらいました。時間を作ってくださってありがとうございます」
「すー」
「……メールにも書いてあったけど、ホントにそうなのね」
その言葉に真っ先に反応したセレナは顔を伏せて、声は少し沈んで聞こえた。
他のみんなは押し黙り、私たちの会話を待っているようだった。
「セレナ……うん。本当だよ」
「じゃあ、しばらくはお別れ……か」
「……うん」
この1ヶ月の大半を一緒に過ごした私の友達はそれきり言葉を無くしてしまう。
セレナは何度も何か言い掛けては小さく口が開くのだけど、言葉にはならず……沈黙が痛い。
「言いたい事があるならさっさと言え、時間が無いって話だろうが!」
「んなっ?!」
スパーン、と小気味の良い音が響く。天丼くんが平手でセレナの頭を叩いたのだ。
「アッ、アンタねぇ!?」
「こっちじゃねぇよ。向こうだ向こう」
「ぐっ……お、覚えてなさいよね!」
セレナの捨て台詞に「ヤなこった」と返した天丼くんはすたこらと距離を取って追撃を逃れる。
セレナは恨みがましく天丼くんを睨んでいたけど、私はそんな様子が可笑しくてくすくすと笑ってしまった。
「わ、笑ってんじゃないわよ!」
「あ、ああごめんね。何だかいつも通りだなあって思ったら気が弛んじゃって」
「ぐ……あ〜っ、もうっ!」
ぐしゃぐしゃと髪を掻くと深呼吸して、ようやく普段の調子に近付いたらしい。
「……妹のパーティーメンバーが仲良くログイン自粛するってのは、あの喧しいのから聞いたわ」
「お話し致しまし「黙っていましょうかエリー」もごもご!?」
後ろでのひと悶着を黙殺し、セレナは深くため息を吐き、ぴしりと私に指を突き付ける。
「生憎と私はそんな事に付き合うつもりは無いからね!」
「うん、了解」
それで構わないと思った。無理に付き合わせる気も無い。これ以上誰かの楽しみを奪いたくはない。
何より、大人しくしている姿は彼女には似合わない、とも。
「しばらく会えないけど、元気で。私の分までMSOを楽しんでね」
「……また簡単に……」
肩を落とすセレナだった。言葉足らずだったらしい。
「と、ともかく! そう言う事だから、次に会った時には……分かんない事があったら力になれるようにしとくから……安心して、いつでも……その、だから……」
「セレ…………うん、了解」
ああ、やっぱり彼女も優しい人なのだ。こうして誰かの為に歩いていく事が出来るのだから。
「ああッ!! 友情とはなんて素晴らしいのでしょうかあッッ!!」
「このタイミングで叫んではいけないわエリー」
などとまたしてもひと悶着がありながらもひと段落ついた頃、不意にパンパンと手を叩く音が響いた。
「さて、ではこの辺りでお邪魔虫は退散するとしましょう、使える時間も少ないと聞くし……」
鳴深さんの一言にみんなが頷き、ようやく少しは復調したらしいセレナが唯一頭に疑問符を浮かべるティファをむんずと捕まえた。
『……セレナさん? 何をするのですか、動けませんよ』
「……だから、ここから先は関係者以外立ち入り禁止だっつの。馬に蹴られたかないでしょ。OK?」
『待ちなさい待ちなさい、前にそんな事言った矢先にアリッサがドカーンだったじゃないですか。放っておけません離しなさい離しなさい』
わたわたと更に激しく暴れるティファをその手に、セレナはしっしっと私とクラリスを追い払う。
「ホラ、これ以上ややっこしくならない内に行きなさいよ」
「……うん。でも、その前に……」
今も『離しなさい』と奮闘するティファに顔を寄せる。
「ティファ」
『アリッサからも説得してください。まったく、私はアリッサと――』
「ごめんね、今日は……この子と一緒に遊ぼうって約束しているの」
『む、むう……そう言われては仕方ありませんね』
しょんぼりと項垂れるティファの頭を撫でる。
(ティファはこのオフィシャルイベントの間だけ遊びに来れているんだもんね……)
残念だと言う思いは拭えないのだけど……そんな私を見たティファが顔色を変え、あわあわと慌てて取り繕っている。
『わ、分かりました。大丈夫です!』
「え?」
『私は導きの妖精なのです、アリッサを困らせるような真似はしません。こちらはこちらで楽しみますから、そんな顔はしないでください』
「分かってんじゃない」
「ありがとう……ティファ、貴女のお陰で私すごく助かったよ。この事は絶対に忘れないから……」
『い、いえそんな、私は導きの妖精として当たり前の事をですね……』
「私、また会いに行くから、その時までにはティファに心配させないようになってるから……元気でね」
『は? え、あ?』
「ホラホラ、しんみりするのはそこら辺で終わりにしとけ。ホントに時間無くなるぞ、さっさと行く」
『ぐえ』
「うん、じゃあ行くね」
「行ってきまーす」
みんなに手を振って、私たちは歩き出した。さすがにこの人の多さではみんなの姿はすぐに見えなくなっていった。
◇◇◇◇◇
「どこ行こうか。行きたい所とかクエストとかある?」
「にゃい!」
「……無いの?」
「にゃい。このイベントの間は大概自暴自棄だったから頭から情報が吹っ飛んだし、昨日はお姉ちゃんと仲直り出来たので頭空っぽになっちゃったし、今日は楽しみ過ぎて想像するだけで悶えてたので調べる隙がありませんでしたー。てーへー」
「……さいですか」
「さいでーす」
「でも困ったなあ……クラリスがやりたいのにしようと思ってて特に調べてないんだよね……まあ今から始めてもクエストクリアまで漕ぎ着けられるかも不安が残るんだけど」
「慣例だと時間になったら強制終了になっちゃうからねー」
そう言いながらも繋いだ手を振りながら特に何にも考えていないらしい。楽しそうなのでいいけど……折角だしハロウィンらしい事しておきたかったなあ。
「……ん?」
視界の隅に気になるものが移り足を止める。
「どったにょん?」
「いえ、今あそこの路地に……」
戻ってみるとそこには、1人の女の子がいた。半透明のその子には見覚えがある。
昨日追い掛け回されていた時にぶつかりそうになった女の子だ。その子は壁に寄り掛かっていて、どこか寂しそうに手に持っている何かを見つめている様子だった。
「どうしたのかな?」
『あ、昨日のお姉ちゃんだ』
「お姉ちゃん、だと……?!」
「変な対抗意識燃やさないの」
顔を歪めるクラリスを後ろに隠しながら、私は女の子に相対する。
「あ、それ……」
手に持っていたのは私があげたクッキーの包装紙だった。中身は食べたのか無くなっている。
私が気付いた事を向こうも分かったらしいのだけど、どうしてかそれを背中に隠してしまう。
「えと、美味しかったかな?」
『……ごめんなさい。欲しがってる子たちがいたからあげちゃったの……』
「そっか……」
自分の食べる分まであげちゃったから寂しそうだった、のかな?
(優しい子なんだ)
私はシステムメニューを開いてアイテムを実体化する。
「じゃあはい、新しいクッキー」
『いいのっ?!』
「うん、沢山作って余ってるから大丈夫。自分も食べたかったのに我慢したんでしょ? 優しい貴女にご褒美だよ」
『うわぁいっ! ありがとうお姉ちゃん!』
クッキーを受け取った女の子は満面の笑みを浮かべ、いずこかへと去っていった。
私はそれを手を振って見送ったのだけど、背後からクラリスが恨めしそうな声を発した。
「……お姉ちゃん、あれはお姉ちゃんの手作りですか」
「そう、とも言えるかなあ。パーティーのみんなで作った物だから、私のもあるし他のみんなのも混ざってるよ」
「食べたい頂戴」
「いいけど、私が作った物かは分からないからね」
クッキーを新たに実体化するとやにわにクラリスはその匂いを嗅ぎ始める。
(そう言えば、《嗅覚探査》の加護持ってたんだっけ)
「くんかくんか。お姉ちゃん以外の匂いがする。別のがいい」
「もう……」
そうして3つ目でようやくお目当てのクッキーに行き当たったらしく、満足げに口に放り込んでいる。
「美味ーい♪」
まぐまぐと次から次に食べていき、クッキーは瞬く間に無くなった。
「おかわりー!」
「あのねえ……こんな事してたらほんとに時間無くなっちゃうよ?」
「ぶう……でも、じゃあ何するの? あたし的にはお姉ちゃんにあたしの戦うカックイー姿を見せてメロメロにしたい所」
「メロ……はともかく、戦闘……ハロウィンらしい戦闘ってあるのかなあ」
「むう、その手のは難しいし、時間掛かりそうなのが多いんだよねえ。ぺろぺろ」
「包装紙を舐めないの……包装紙……あ」
閃く物があった。折角のハロウィンイベントなのだからハロウィンらしい事をしよう。
「クラリス」
「んあ?」
「クッキー配ろう」
◇◇◇◇◇
「クッキーです、どうぞー」
『おやありがとう』
『ありがたやーありがたやー』
私は大量にある手作りクッキーを道すがら半透明の人たち、つまりはハロウィンで帰省している魂たちに配っていく。
ハロウィンなんだから貰うばかりじゃなくてあげる事もしなきゃ、だって私たちは魂たちを迎える側で、そして送る側なんだもの。
星型のクッキーを受け取った誰も彼もがそれに笑顔で応えてくれて、私はニコニコと笑顔になっていく。
「おろろ〜ん、おろろ〜ん、おろろ〜ん……」
……反面クラリスは私の作ったクッキーが誰かに渡るのが悲しくてしかたないらしく、さっきからめそめそと力無く泣き濡れているのだった。
「もう……いい加減諦めなさい。レシピならあるからその内作ってあげます」
「でも……しばらく来ないじゃん」
「それを言わないでよ、寂しくなっちゃうじゃない」
ため息が出る。
道を歩いて、クッキーを渡していく中で街を見渡せばそこはオレンジや紫にライトアップされ、ハロウィン一色に染まっている。
それだけなら現実でも探せばテーマパークなりで似たような景色は見つかるかもしれない。
けどここにあるのは人も魂もサーバントもファミリアも一緒に闊歩する不思議な景色。現実では決して見る事の出来ない別世界。
(後……20分くらいかな……)
時間が迫っているからだろう。走馬灯のように、色んな事を思い出す。
2ヶ月前の初プレイも、1ヶ月前の再開も、それからの事も。
色々な事があって、きっとどれだけ経っても色褪せずに、だけどだからこそ離れたらきっと寂しさが胸を締め付けもする思い出たち。
……今ですらチクリと胸を刺すのだから、間違いない。
でも、だからこそ私は確信と共に告げられる。
「……そうだね。しばらくは来れない。けど、絶対に私はまた来るよ。1日でも、1時間でも早く」
「……ホント?」
「嘘なんて付かないよ。……きっとその頃にはまた周りとはレベルが離れちゃって、足手まといで、へっぽこになっちゃっているかもしれないけど……またがんばるよ。がんばって強くなって……何でもいい、どこでもいい……何もかもを取り戻すくらい思いっきり、遊ぶんだ」
最初はただの意地だった。
妹に情けない姿は見せられないと言う意地。
だけどそれが素敵な出会いをくれた。素晴らしい旅路と思い出をくれた。
そう、置いてきぼりにされるのだって悪いばかりじゃない。
それはきっとまた奇跡みたいな冒険の日々に繋がるから、この感情もその為のスパイスにだってなるだろう。
だから、寂しいし辛いけど、悲しくは無い。
「お姉ちゃん……」
「楽しみだね……今度はどんな事が起こるのかな、どんな人と出会えるのかな」
そう言うと、クラリスは鼻をすすって俯いてしまった。
「……不思議」
クラリスの小さな手がキュッと握る力を強くして、少し空を見た。
「置いてきぼりになっちゃうかもしんないけど……うん、お姉ちゃんを見てたから、きっとそれだって楽しくなる気がする」
「……うん、保証するよ」
「にししっ。でも、いつかまた来れたらいっぱい強くなってさ、そんでいつか、2人だけでみんながびっくりする事やってやるんだ」
空いている手が空に伸びる。そこには街明かりにも負けずに輝く星がある。
「それがあたしの目標です!」
きっと、クラリスの願いも何にも負けずに叶うだろうと当たり前のように信じられる。
「そっか」
「そーだ」
「そっかそっか」
「そーだそーだ」
私たちは笑顔だった。
時計の針は止まる事も無く、1歩進む度に別れの時は近付いているのに、今はもう未来を夢見る事が出来ているから。
◇◇◇◇◇
『ありがとう、嬉しいよ』
『大切にするわね』
最後のクッキーを渡し終える。仲睦まじい男女はそれらを大事そうに抱えながら雑踏へと消えていく。
「ふう。どうにか9時までには間に合ったね」
「お姉ちゃんどんだけ作ってたの」
「これでもセレナと天丼くんとセバスチャンさんとシスターロサで分けたから5分の1くらいなんだけどね」
「また知らない名前がががが……」
などと人心地ついたのも束の間、突然鈴のような音が響き始めた。
――リーン、リーン、リーン。
それらがどこから鳴るのか、周りのPCたちは右に左に頭を振っていたけど、それとは対象的に魂たちは総じて空を見上げていた。
誰もがそれに気付き同じように見上げると、星々が音色に合わせてわずかに瞬いている。
「うわっ!」「えっ?」「きゃっ!?」
そうやって上ばかり見ているとそこここから戸惑いの声が聞こえ、慌ただしく視線を下げると――。
「お、おわっ、お姉ちゃん、魂たちが光ってるよ?!」
「な、何が……あ」
半透明だった魂たちは強い光を放ちながら徐々にその輪郭をぼかしていく。やがて人の形すら留めなくなり、サッカーボールくらいの球体にまでなってしまう。
そして、それらはゆっくりと空へと昇っていく。
「そっか。ハロウィンが終わるから空に、星の元に帰るんだ……」
この世界の人は亡くなったら空に昇ると言う。そしてハロウィンの間だけ帰省して、終わればまた帰っていく。
「……綺麗……」
その姿はさながら地上から空へと帰る流星群。
幾千か幾万か、数え切れない程の幻想的な光景に、私たちは感嘆の声を漏らし、感動と共に送り出す。
「……お姉ちゃん」
クラリスが手を握る。強く強く。
「また見よう、これと同じじゃなくていい、もっといっぱい、もっと沢山、すごい景色をまた一緒に見よう」
「……うん、うん。見よう、いつか……必ず……また、一緒に」
――手を離し、指を絡め、約束を交わす。
――煌めく星空の下、私たちはまた未来への夢を抱く。
――叶える為に、夢を見る。
――だからひとまずは、
「またね、マイスターズ・オンライン」
「またね……もう1人の私」
「また、いつか――会おうね」
どうも、047です。
いつも拙著『そして、少女は星を見る』をお読み下さりありがとうございます。
しかし、読者様方には申し訳無いのですが、しばらくの間更新を停止する旨をご報告せねばなりません。
理由としましては、情けない話ながらストックが無くなってきた事。次に他の作品も書きたくなり時間が欲しくなった事です。
ですので一度切りの良い場面で小休止する事としました。
更新はストックをある程度増やしてから再開するつもりですが、いつになるかは明言出来ません。
再開の暁にはまた読んで頂ける様、より良い作品を目指して執筆していきますので、その時までどうか時間を置く事をどうかお許し下さい。
では皆様ひとまず、またいつかm(__)m




