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第12話「戦え、私!」




「ああ、その手のイベントは結構あるね」


 翌日の朝、私は寝癖で頭がすごい事になっている花菜にノールさんのお店に行った事の報告(とは言っても、ノールさんからのメールで私の来店は知ってるんだけど)がてら、マーサさんの事を話していた。

 ちなみにキャタピラー関連は話していない。

 この子に虫の話などしたら最後「にゅにゃーー!?」だの「はぎゃーー?!」だのうるさくなるのは目に見えているのだし。


「その手の、って居候?」

「そ、MSOには空腹度と睡眠度って面倒なシステムがあるからね。最初の内は特に出費がすごくキツいでしょ?」

「……うん、確かに」


 深く頷く。

 それは昨日しみじみと実感した、もしマーサさんと出会わなければアリッサのお財布事情は物悲しい羽目になっていた事だろう、今も十分物悲しい気がするけども。


「で、その負担を軽減する方法の1つがNPCの家への居候って訳。条件はまちまちで、何かしらのアイテムを持ってくればとか、特定のモンスター退治とか、単純に好感度を上げるとか……そのマーサ、さん? の場合は好感度っぽいね」

「ふうん」


 好感度、か。確かに(出会いの仕方はともかくとして)、色々とあったけど。それによって条件が満たされて同居を勧めてきた、と言う事?


(まあ、実際がそうだとしても、ね)


 いきなりぶつかっても笑顔を向けてくれたり、丁寧に料理を教えてくれたり、息子さんの事を嬉しそうに話したり、私を案じてくれたり。

 それはもうNPCであろうとなかろうと関係ない、マーサさんはマーサさんだと思う事にした。

 その方がきっと楽しいから。


「花菜も居候とかしているの?」

「ううん、あたしの場合はほら、街にいるよりも外に出てるからその手のはあんまりこなさなかったし、野宿も多いから」

「懐には余裕があるの?」


 ああ、羨ましい。

 私も早くそれくらい稼げるようにならなきゃ。


「いやー、装備とかに使うから言う程は……」


 誤植でした。やっぱりなりたくないです。ノーサンキュー。

 笑みを引きつらせ目を逸らしながら頬を掻く、この様子では誰かしら注意されたのか、痛い目にでも遭ったのかもしれない。あれ、易々と目に浮かぶ。


「あのね、当たり前の事のような気もするけど無駄遣いはしても最低限困らないくらいは残さないといけないの。大体花菜は昔から……」

「いやいや、お姉ちゃんはもっと積極的に先行投資して、装備とか整えないと先に進めないよー」

「それは予算があれば、の話でしょ……」


 私の場合は今の状態では散財が即、死活問題になるからそもそもしないし出来ない。無い袖は振れない。逆立ちしたって出てこない。あぶく銭など無いのです。


「おか――」

「却下」

「……はい」


 「お金なら貸すよー」などと言おうとしたのだろう花菜に釘を刺す。こらこら「ちぇっ」とか言わない、懐事情云々と言ったばかりでしょうに。


「うう、お姉ちゃんの頑なさを嘆きたいのに、お姉ちゃんのツーカーさがちょっぴり嬉しい」


 と言いながら私のお腹に抱き着いてきた。頭をぐりぐりと擦り付けるはやめなさい。

 肩を掴んで引き剥がそうとするもがっしりと組み着かれていてびくともしない。


「や、マーキングだよマーキング。この前みたいに変な奴らが寄ってきたら困るもん!」

「今! まさに! 変な妹がお腹にしがみついてきて困ってるんですっ!」

「変なの扱い?! でも……あ、ヤバい! なんか興奮してきた! あたしマゾだよお姉ちゃん!」

「妙な性癖を開眼しないでよっ?!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ私たち。途中から諦めてげんなりとする私と違い、そのままの姿勢で二度寝に入った花菜の対比は、果たして第三者にはどう映ったのだろうか。

 あ、ちょっとお母さんなに笑ってるのよー。


 結局朝ごはんに至るまで、花菜は私のお腹から離れてくれなかった。くっ、仲直りからこっちスキンシップが激化の一途を辿っている……!



◇◇◇◇◇



 今日は土曜日。

 授業は4時限目までなのでいつもよりも早いお昼過ぎに帰宅した。MSOを再開して初めての週末と言う事もあり、私は気合いが入っている。

 その気合いたるや、誰かさんのハイテンションに対しては消し飛ぶ程度でしかなかった……おや?


「やったらああああっ!!!」

「うわあ」


 こんな感じ。


 お昼では割とパクパクと早めに食べていたのだけど、花菜が怒濤の勢いで食べ進めるので相対的にお母さんの「落ち着いて食べなさい」が横方向に逸れてくれて実に助かった。

 そして自室に帰還し、相も変わらずお腹を擦り唸りを上げる事数十秒。先に課題を済ませてしまえと机に向かう私だった。

 いっそ平日は晩ごはんの後に課題を済ませればお腹の心配も多少は減ってくれるのだろうか……。


(でも後回しにすると落ち着かないんだよねえ)




◆◆◆◆◆




 ようやくログインを果たしたMSO世界は丁度朝方。太陽は既に昇り、カーテンの隙間から室内をキラキラと照らしていた。

 チチチ、と小鳥が鳴き、小動物が駆け回る。清々しい朝、そんな感じ。


「ここは……ああ、ほんとにマーサさんの家なんだ」


 首を巡らし周囲を見れば、そこは小さな部屋の中。家具も間取りも昨日ログアウト前に見た物と同じであった。

 起き上がろうと体を動かせばギシッとベッドが軋む、そう言えばログインして横たわっているのは初めてだった。


「よっと……あれ? あっ、いけない」


 脱いだ靴をそのままに立ち上がってしまった事に気付き、ベッドに座り直して靴を履いていく。 この靴は足首部分を紐で縛るだけの簡素な物なのですぐに履ける、問題が無いか確認してから改めて立ち上がる。


「んん〜〜」


 寝転がっていたからだろうか、私はまず体をほぐしていた。いつもはこんな事はしないのだけど、まあ気分だし。

 杖は昨日立て掛けた位置のままだったので手に取り、私は部屋を後にする。


(マーサさんはどこかな。朝方なら台所かリビングか、あるいは私室か……出掛ける前に挨拶くらいはしたいんだけど)


 昨日は睡眠度の事もあり、おやすみなさいもろくに言えずにログアウトしてしまった。

 せめておはようございますといってきますは言いたい。


 などと考えながら階段を下りると、トントンとリズミカルな音が耳朶を打つ。マーサさんは台所にいるらしい。

 キィ。

 ドアがかすかに音を立て、ふわりと良い匂いが漂う。


「おはようございます、マーサさん」


 マーサさんは調理中の手元から目を上げて挨拶をした私に顔を向ける。


「あらら、おはようアリッサちゃん。これからお出掛け?」

「はい、そのつもりです」

「あらら、じゃあ丁度いいわね」

「はい?」


 そう言うとマーサさんは再び調理に戻った。材料を見るにサンドイッチらしかった。


「いつアリッサちゃんが起きても大丈夫なようにサンドイッチを作って置いておこうと思ってね」

「え、そんな悪いですよ!」


 部屋をタダで借りてる上に食事の面倒まで見てもらうなんて、もはや至れり尽くせり状態である。申し訳ない事おびただしい。


「あらら、いいのよ? 私が好きでしている事なんだから」


 ニコニコと笑顔を浮かべてマーサさんはサンドイッチを仕上げると、お弁当箱に丁寧に詰めていく。


「うう、でも……やっぱり居候の身なのに貰ってばかりというのは……だからあの、せめて家賃くらいは出させてもらえませんか? そんなに手持ちがある訳でもないんですけど、ほらその方が働き甲斐がある、と言いましょうか……」


 昨夜はマーサさんのご厚意に甘えてしまったけど、やはりただで居座る訳にはいかない。申し訳無さで胃が痛くなる。


「あらら、そう? 私は楽しいから別にいい構わないけど……ううん、そうねぇ……じゃあこれでどうかしら?」



 ポーン。


『【契約】

 《ヘイゼル家の居候》

 家賃が0G⇒50Gへ変更されます。更新しますか?

 [Yes][No]』



 ウィンドウが表示され、家賃の変更を告げてくる。金額は50G、初心者ポーション1本分、昨日マーサさんが言っていた猫の額亭と同額だった。これなら今の私でも支払える額ではある。

 食事付きではまだ安いとも思えるけど、これもまたマーサさんの心遣いかと思い、私はYesを選択する。


(何か、いつかお礼をしたいな……)


 それでも感謝は尽きない、いつかマーサさんに何かしら……例えばプレゼントとか家事のお手伝いとか、何かしようとそれだけは心に留めておく。


 その後マーサさんに家賃を支払い、お弁当を受けとってアイテムポーチにしまう。

 左上のゲージを確認すると睡眠度は全快、空腹度はほぼ全快。お弁当を考えれば今日は大丈夫、の筈。これでダメなら改めて色々と考えよう。

 ともかくこれで準備は万端、マーサさんに挨拶をする。


「それじゃあマーサさん、いってきますね」

「あらら。アリッサちゃんがんばってね、いってらっしゃい」

「はい、がんばってきます!」


 玄関から手を振ってくれるマーサさんに私も手を振り返し、まずは大通りを目指して歩き出す。

 脇道やら裏道は結構入り組んでいるものの視界のマップを見れば昨日通ったルートのみが明るくなり道を示しているので、今日はそれを逆に辿って行けばいい。


「朝はやっぱり気持ちいいなあ」


 しばらく歩きながら、周囲の様子を観察する。

 基本的には大通り周辺と変わらない。建築物も、それに絡み付く木々も。

 違いがあるとすれば、PCの比率だろうか。ここは大通りに比べ圧倒的にPCが少ない、今まで数人と見掛けた程度。そして大通りではあまり見かけない光景が広がっている。

 それは井戸端会議に興じるおばさまたちであったり、何かしらの遊びで走り回る子供たちであったり、ボードゲームに唸るお年寄りであったりする。

 ここには大通りには無い、生活感とも呼べる物が色濃く感じ取れた。


「そうだよね、この街の元々の住人なんだから」


 一体どれだけの人がこの広い街に住んでいるんだろう?

 人口なんてどこのサイトにも見当たらなかったしなあ(私の見た範囲での話)。私の知っている人なんてそれこそマーサさんや夜の梟亭のマスター程度のものだけど、だからこそ知り合ってみたいとも思える。


(もしそうなれたら、仲良くなれるといいな)


 やがてそんな思索も終わり、ガヤガヤと賑やかな大通りが近付いてくる。

 さて、昨日は不甲斐なくも目標を立てたのに出来なかった。今日こそははじまりの森1層を突破して2層を覗くくらいはしてやるんだから!

 気合いを新たに、私は大通りへと一歩を踏み出し――――。



 あ、左右確認しておこう。と、一歩を引き戻したりした。



◇◇◇◇◇



「〈ソイルショット〉!」


 土塊が高速で飛び立ち、空中で針を撃つ為にホバリングしていた蜂に直撃する。


 ブ、ブ……ブ。


 ぽてっと地面に落ちた蜂は消え、戦闘終了と共に現れたウィンドウを閉じる。


 「ぷは」


 詰めていた息を吐き、体の緊張を解く。

 森に入った私は既に数度の戦闘を経ている。昨日の今日で劇的に変わるとも思えないけど、だからこそ緊張感を持って戦闘に挑むようになっていた。

 そしてようやく昨日の(あまり思い出したくもない)背の高い柴垣に到着していた。


「でも、なんだか昨日よりも着くの早かっ……ってああそっか、行きが昼間なのって初めてなんだっけ、やっぱり夜中じゃ慎重になってペース落ちてたのかな」


 すうっ、と息を吸い込めば木と土の、草と花の香りが胸を満たす。朝だからか、気分の差か、それは夜よりもなお軽やかで爽やかだった。


「ふうっ……なんか新鮮かも」


 この森の印象さえも昨日とはまた違って見える。

 ふわりと涼やかな風が吹き込き、青い梢が揺れて陽の光にきらめく。私を暗闇から遠ざけてくれた果実も、今は静かに光をその身に受けて木々を彩っている。

 無機質な壁のように感じた背の高い柴垣ですら、緑濃く生きる力強さに溢れて見える。

 問題があるとすれば……。


「この先……」


 ぞわり。

 粟立つ二の腕をギュッと掴む。


(先に進まないと2層には辿り着けないんだから、しっかりしなさいってば……)


 こつん。

 杖で頭を叩いてそびえる柴垣の隙間を睨む。


(さあ……リベンジ)



◇◇◇◇◇



 がさがさ、がさがさ。


 前と同じく杖で先をつつきながら四つん這いで進む。ただ、太陽のお陰で柴垣の中にいても相応に明るい。


 これなら前回のような悪夢は起こらない! 素敵過ぎる!


 そして幾ばくか、ようやく柴垣の終わりが見える。昨日の轍を踏むものか、とばかりに注意する。何もいない事を確認する為、先に杖を突き出してブンブン振り回す。

 何の反応も返ってこない、だけでは飽き足らずギリギリまで近寄って向こうを覗き込み、モンスターの影が無いのを確かめる。


「い、いない、よね」


 妙に汗ばむ手と、やけによく聞こえる鼓動に急き立てられるように柴垣からバッと飛び出し、片膝立ちの体勢になり周囲を警戒する。

 視線を走らせれば、その先は私の出てきた柴垣に囲まれているのを除けば木や藪が少なく公園のようにも見えた。

 見晴らしがいいのでそこここをうろつくモンスターが確認出来た、距離はそれなりにある。


「…………はあ」


 そうと分かって、やっと私は弛く細く息を吐き出せた。

 ちなみに、一番近くにいたのがスパイダーだったので、正直ホッと胸を撫で下ろした……まあ逆方向に1歩引くんだけど。

 とりあえずマップを埋めるの優先でモンスターは無視する方針で行こうと思う。


(いや、決して日和っている訳ではなく、ここは初めてだから慎重に行くのも間違いじゃないよね)


 そんな言い訳を考えながら、まずはまっすぐに歩き始めてみる。1歩目はおずおずと、2歩目は躊躇いがちに、3歩目はそ〜っと。要はへっぴり腰で。


「……なんだか雰囲気が違う気がする、ここ。んー……なんだろ、寂しい?」


 それが真っ先に私が抱いた感想だった。

 昼間ならばまだしも、もしも夜にこの場所を訪れていたら、その感想はより顕著になっていたかもしれない。

 柴垣の向こうの鬱蒼と繁る森に比べてこちらは見晴らしがいい。要は草木の数が少なかった、それは夜の重要な光源である光る果実と葉っぱの絶対数が少ないって事でもある。


「夜は暗いのかなあ。足下や草むらに注意しないと……でも、どうして柴垣1つ越えただけでこんなに違うんだろ……? 同じはじまりの森の同じ1層なのに」


 しかし、当然ながらその問いに対する答えが返ってくる事は無い。疑問は疑問のままに頭に居座る事になった。



 油断は命取りだと、昨日学んだばかりだって言うのに。



「ブシュゥゥッ!」


 ドッ!


「え?」


 間抜けた声が口から零れる。

 横合いからの突然の衝撃に、ぐらりと体が傾ぐ、支えようとしても片足に絡まる糸により動きは阻害されて、余計にバランスを失う結果に陥った。


「あぐっ……!」


 それでも咄嗟に右手を伸ばして近くの枝を掴めたのはどれ程の幸運だったろうか、けど細い枝は体重を支えきれずにベキリと折れてしまう。

 それでも、少なくとも一瞬は体勢を維持出来た。

 その瞬間に右足に力を込める。数歩たたらを踏むもののギリギリ倒れずにすんだ。


「キシャアアアアッ!」


 その鳴き声に顔を上げれば、前回私を死に追いやった(別の個体だろうけど)緑の芋虫・キャタピラーが私を威嚇していた。


「そ、んな……っ?!」


 その光景に私は絶句する。だって今まで私が攻撃するまで、例え眼前にいたとしてもモンスターは向こうから攻撃を仕掛けてくる事など無かったのだから。


(それが、どうして?)


 また杖でもぶつけてしまった? 気付かない内に踏んづけた?


(いいえ、そんな事は無かったって断言出来る、ちゃんと近付き過ぎないように注意してたんだから。でも、なら一体……?!)


 そんな刹那の逡巡すらも致命的な隙にしかならないとばかりに、目に飛び込むのは体を持ち上げるモーション。

 はち切れそうな心臓の鼓動の中でまたも糸を吐くつもりなのかと悟る。けど頭では次に来る攻撃が分かっているのに、糸に囚われた体は避けるのを間に合わせてくれない……!


(……っ、またっ)

「ブシュウゥゥッ!」

「く、うううっ……!」


 再びキャタピラーの口から白い糸が噴出する、苦し紛れに持ち上げた左腕と杖では防ぎ切れず、体までまとめて搦め捕られてしまう。

 糸を吐く攻撃は通常攻撃に比べれば威力自体は低い(私でも3、4回までなら耐えられる程度)のだけど、攻撃を受けたPCに『鈍足』と呼ばれる不利な効果、『バッドステータス』『鈍足』をもたらす。

 鈍足は体の動きが鈍くなるバッドステータス。糸は一定時間で綺麗に消滅するけど、それまではべとべとして動きづらくて気持ち悪いまま。

 私の動きが鈍くなったのを見て取ったか、キャタピラーは私に向けて前進を始めている。


(このままじゃ、昨日の二の舞に……!)


 足が竦み、涙が出そうになる。昨日と殆ど同じ場所で、同じ相手に、同じように糸に搦め捕られている自分が悔しくて……泣いてしまいそうだった。


(だめ……このままじゃだめっ!)


 奥歯を噛む。

 思い出す。

 昨日、敗れて落ち込んでいた私に『勇気はある』と言って励ましてくれた人がいた。

 昨日知り合ってばっかりで、でも私を『がんばって』と送り出してくれた人がいる。


(それに、今も楽しみに待っているあの子が……いるの……っ! 負けたらだめなの!)


 迫るキャタピラー。でも。

 嫌な想像も、苦い思い出も、今だけはいなくなれと心に言い聞かせる。

 体が自由に動かなくたって、私には出来る事があるのだから。


「こ、のっ! 〈ファイアマグナム〉!!」


 ギシギシと軋む糸に逆らい杖を掲げ、ターゲットサイトでキャタピラーを捉える、唱えるのは《火属性法術》が5レベルになった時に取得したスキル〈ファイアマグナム〉。〈ファイアショット〉の強化版で、MP消費と再申請時間は大きくても〈コール・ファイア〉と組み合わせた〈ファイアショット〉をも上回る威力を誇る。

 いつものよりも一回り大きな炎はじりじりと熱さすら覚えそう。ゴォッ! と火の粉を散らしながら突き進む火球はキャタピラーに直撃し、強烈な仰け反りが発生した!


「ギシャアッ?!」

「〈ウォーターショット〉! これで!」


 その隙を逃さず、続けて攻撃を繰り出す。残りのHPならこれで倒せる筈――!


 ボンッ!


「ギシャ、ア……」


 火球をその身に受けた芋虫は力無く草を押し退けてどうっと倒れ、やがて色を失い消えていく。


「か、勝っ、た…………は、ぁああ……」


 傍の木に背を預けて脱力する。はじまりの森最弱のキャタピラーを相手にここまで無様な状態に陥るなんて、そう言う思いがある。けど、それ以上に勝てた事に安堵した。


(大丈夫……大丈夫、やれるよ)


 自信なんて程遠いけど、それでも出来ない訳じゃない事が分かったから。


 そうしていると一定時間が経過して搦まる糸が少しずつ薄れて消えていく。

 袖で拭って少しでもあの感触を払拭しようとする。当分忘れられそうもないけど……。

 そうしてキャタピラーが消えた場所を見つめる。


「……これって、やっぱり柴垣の向こうとじゃ違う……って事なのかな」


 今までとは違い、キャタピラーは向こうから攻撃を仕掛けてきた。これは今回だけの特異な出来事だった、なんて筈もない。

 そしてそれがキャタピラーだけだとも、思えなかった。


「もし他のモンスターも、同じように攻撃をしてくるとしたら……」


 ぶるり、背筋が振るえる。何だか猛獣の檻の中にでも入り込んでしまった気分だった。

 まさか、と言う思いもあるものの、楽観が許される状況じゃない。これからその猛獣の檻の中を進まなきゃいけないのだから。

 燦々と降り注ぐ陽光が厚い雲に遮られ、モンスターたちの鳴き声と羽音が妙に響く。

 ざざざ、とさっきまでの心地よい風はどこへやら。不吉に揺れる木の枝に私の不安はいや増した……。



◇◇◇◇◇



 その後、多少辺りを回ってみたのだけどやはりモンスターは全て同様に、ある程度近付くとこちらに感付き、大概の場合は距離が離れていても届く糸や針などで先制攻撃してくるようになっていた。

 ただ一定範囲(多分視界)の外ならモンスターは一切反応しないから、通り過ぎもできるし先に攻撃も出来るので一応はまだ対処は出来た。


 が。


「ギチィィッ!」


 ブブブンブーン!


「ううっ! こん、なの、って……〈ウォーターショット〉!!」


 2体同時に攻撃されるのはさすがに無理過ぎる!

 普通なら1体1体はそれなりに離れた位置にいるのだけど、戦闘で移動したりして他のモンスターに近付いたりすると、向こうから攻撃されてしまう。

 加えて、下手に移動してまた他のモンスターの感知範囲に入ってしまっては元も子も無いので動きが制限されていた。

 そんな中では、余裕なんてこの私にある筈もなく苦戦するのは当たり前。

 避けようとしても、防ごうとしても捌ききれずに何度も攻撃を受けてしまう。


「ギチィィッ!」

「ワ、〈ワンドガード〉!」


 スパイダーの体当たりを察知して詠唱すると杖が白く光り出す。

 《杖の心得》の防御用スキル〈ワンドガード〉。効果は1発に限り攻撃によるダメージを軽減出来る、せめてこれで……!


 ガッ!


「痛……っ、〈ヒール〉!」


 レベルアップにより以前に比べてわずかばかりマシになった防御力とHPも、波状攻撃に晒されればトイレットペーパーがティッシュペーパーになった程度の違いしかない。

 私はHPが減る度に〈ヒール〉による回復を行わねばならず、結果として攻撃回数は減り戦闘は想像を超えて長引く羽目に陥っていた。


 ブーーン!


「くうっ! 〈ライトショット〉!」


 パウッ!


 ブ、ブ……。


 光の球に当たったビーがポトリ、力無く地面へと落下する。ようやく1体倒す事が出来たと弛緩しそうになる気を、もう1体いるんだからと引き締める。

 ただ、今の一撃でMPがほぼ底を尽いてしまった。最初は半分程度は残っていたのだけど2体を相手にしていたらみるみる減っていった。


(タイミングを見計らってポーションを飲まないと……)


 ようやく1体倒したけど余裕があるとは言えない。MPが回復するまではこの手に握る杖が頼り…………頼りないなあ……。


(この状態で耐えられるかな……ううん、違う。耐えるなんて真似、私には難題過ぎる。相手をよく見て、出来る限り攻撃に当たらないように。残り1体、MPが回復するまでどうにか出来なきゃ、この先なんてやっていけない)


 杖を片手で構えてもう片手を腰のポーチに伸ばす、「ビギナーズMPポーション」と小さく呟けば手の中に硬い感触とわずかな重みが出現した。

 取り落としたら大変なのでポーチにそのまま手を入れた状態でジリジリとスパイダーから距離を取る。


「ギチギチィィ!」


 そのスパイダーは私が離れた事で糸を飛ばす体勢を取り、ぐぐぐっ、と体をたわませている。

 それを視認した私は傍にある木の影へと走る!

 スパイダーは私に合わせて脚を動かし、細かく照準を合わせてくる。けど、最初に体勢を取った位置からは動かないから隠れられれば防げる。


(ここなら、今の内にポーションを……!)


 ブシュウウッ!


 放たれた糸が木を叩く。視界の端に白い糸を捉えながらキュポンとコルク栓を抜き一気に煽る、栄養ドリンクサイズなので急ぐ場合には助かる。

 しかし、飲み終わるのとほぼ同時にスパイダーも糸を出すのを終え、木の向こうからはガサガサガサと言う8本脚が忙しなく動く音が聞こえている。

 私はポーションの空き瓶をアイテムポーチに突っ込み、「収納」と唱える。するとさっきとは逆しまに手の中から瓶が消える。


(どっちから来るの……? 右っ?!)


 ある程度近付いたスパイダーはバッ! と跳躍してこちらに迫る。私は慌てて木を盾とすべく左側へと回り込む。


(今の内に遠くへ行かなきゃ!)


 ポーションが効果を発揮してMPが回復し始めているものの、出来れば少しでも距離を離したい。

 スキルの詠唱中に攻撃を受ければファンブルする可能性もある、そうなれば更なる追撃を受けかねない。


(なのに、なんでこんなに遅いの私っ)


 現実でもさして足の速い方ではないけど、こちらでは輪を掛けている。けどどうにか、木の影からスパイダーが姿を見せた頃には数m程度は距離を離せていた。


「〈ダークマグナム〉!」


 振り返り杖を構えてスパイダーをターゲティングしつつスキルを唱える。すぐさま闇が集まり球となってスパイダーへと飛んでいく。

 飛び掛かろうとしていたスパイダーと丁度かち合い、ズパァンッと盛大な音と共に弾き飛ばす。仰向けになったスパイダーがジタジタと脚を動かす間に、私は次のスキルを詠唱する。


「〈ファイアショット〉……!」

 火球は起き上がろうと体をたわませていたスパイダーへと命中する、攻撃を受けた直後はもがいていたものの、HPがすべて無くなるとだらりと脱力して消えていった……。


「終わったあ…………疲れたあ」


 その一言に辿り着くまでずいぶん掛かった。加護もレベルアップしたようだけど、詳しく読む気にもならず、ウィンドウをさっさと閉じてしまう。

 とん。傍の木に体を預け、ずりり、と膝を折って体育座りに移行する。MPも全快した訳じゃないし〈森の民〉の効果が発揮される間に、少し気持ちを落ち着けるくらいは許されてもいいと思う。もちろん視線は周囲、右左前後へと順に向けるのは忘れないけど。


(……なんだかなあ、1体なら割りと戦えるようになったと思ったのに、2体になった途端にこの様だなんて……どう戦えばいいんだろ……)


 結果は勝利でも、内容は惨憺としたものだった。

 要はスキルを連発し続けただけだったし……まあそもそも私の戦い方って言ったらスキル使って、危なくなったら逃げて、くらいのものだけど。そうして、回復と防御にもスキルを使っていたらMPが底をついていた。


(危なかったよね、下手をしたらビーを倒す前にMPが切れてたかもしれなかったし)


 綱渡りな戦闘だったと改めて背筋が寒くなる。昨日の今日でその想像はあまりに生々しくそら恐ろしい。


(やっぱり1人じゃ無理なのかな)


 なんて考えもよぎるけど……頭を振って追い払う。弱気出てけ〜弱気出てけ〜、と頭をぐるぐる回す。


(……うう……何やってんの私)


 そんな醜態を晒している事に自ら呆れていると。


 ――ゴオウッ!!


 ビクッ?! 突然、背後から轟音が響く。あわあわと慌て、何の音かと木の影から音のした方向を覗き見る。


「ええっ!? かっ、火事?! ひゃ、119ばん?!」


 そう、柴垣の一部分が激しく燃え上がっていた。ただ炎はどうしてか広がる様子も無く、すぐにその一角だけが燃え落ちていく……。


「えっ? えっ? えっ?」


 こんな現象は初めて目の当たりにした。私は混乱し、柴垣を首を傾げながら見つめ続けるくらいしか出来ない。


 ガサガサッ!


 柴垣からの音に再びビクッ、とすくんで更に木の影に身を隠す。少しすると何やら話し声が耳に届き、私はそろそろと木から顔を出して柴垣の方へと視線を向ける。


(あれは……PC?)


 パーティーらしきPCが4人、ガサガサと燃え落ちた柴垣を掻き分けて現れた。


(さっき柴垣が燃えたのって法術なのかな? 何か特別な……? それとも、柴垣って普通に燃やせる物なのかな……なら、私にもあんな風に燃やせ……って、あ。あれなら帰る時四つん這いで柴垣を潜らなくてすむんじゃ……よ、良かった。毎回毎回あんな通り抜け方じゃ心臓に悪いったらないもの)


 パーティーは(見た目は)クラリスたち程の装備ではなかったけど、それでも私とは比べ物にならない装備に身を包んでいる。

 4人は私に気付く事もなく、先へ先へと進んでいく。モンスターが何体か襲っても鎧袖一触、みたいな感じで剣や斧、時には法術を使い、一撃二撃で次々に倒してしまう。

 攻撃を受ける事も無く、奥へと消えていった。


(…………う、う〜ん?)


 正直何か参考になればいいな、程度に盗み見ていたのだけど……何の事も無い、私とは色々とレベルの差がありすぎて参考になんかならないと分かった。適当に攻撃してればいいとか無理だもん。


(自分の戦い方くらい自分で考えろー、って事なのかなあ。私なり、かー……)


 立ち上がり、パンパンと埃を叩く。

 すぐには見つからないかもしれない、とは思うのだけど、考えるのも試すのも誰に咎められる訳でもない。やるだけやって失敗したとして、何か得るものだってきっとある……といいなあ。


「うう……前向きさが微妙に足りない気がする」


 実に私らしいと思いつつ、4人の進んでいった奥地へと視線を向ける。多分あちらに1層の出口があるんじゃないかなと推測する。


「だったら……姿勢は前のめりくらいで丁度いいのかな、私の場合」


 足を前へ動かす。その足は普段よりも軽快だった。






 今なら敵少なそう、とか思ってないからね?



◇◇◇◇◇



(さて、後行ってないのはこの奥くらいなんだけど……う〜ん)


 私の目の前には黒ずんだ大木が2本、捻くれてそびえている。わずかなズレはあれど、それは左右対称であり人工物など無縁(いや、ここゲームの中だから人工物しかないんだけどね)なこの森の中においてはどうにも違和感を覚える場所だった。

 その違和感により踏み込めずにマップの他の場所をうろうろと埋めてしまったのだけど、どうにも道はこの先にしか続いていないらしい。

 と、すれば2層へと進むにはここを通らなければならないのだろう。


「この先に……フロアボス、がいるんだよね」


 フロアボス、それは1層と2層の間に鎮座すると言う強力なモンスター。中ボスとも書かれていた。2層への道を塞ぐフロアボスを打ち倒さなければ進む事は出来ないらしい。


(……中ボスがいるなら大ボスとか小ボスもいるのかなー)


 などとどうでもいい事に思考が向かうのは逃避の内に入るだろうか。

 コンコンと側頭部を軽く小突いて意識を切り換える。

 私が中ボスに対して戦えるのかどうかは、正直言って分からない。

 1層を歩き回りモンスターとの戦闘もそれなりにこなした、とは言っても戦ってきたのはあくまでも雑魚と区分されるモンスターでしかない。中ボスとまで言われるからにはその力は今までのモンスターとは一線を画するんだろう。

 そう思えば怖じ気が私の足を鈍らせる。

 負けたら私はアラスタに戻されてデスペナを受ける。上がったレベルがもしかしたら下がるかもしれない……けど別にこのアリッサが二度と使えなくなる訳でもない。

 ……痛い思いはするかもしれないけど……でも。


「ふう……前向きに、前のめりでがんばるんだから……ふんっ!」


 ぴしゃん、左手で頬を叩く。

 やっと1層の終わりまで来たんじゃない、と自分を叱咤する。ここが最初の正念場。これからボスとの戦いなんていくらでも、それこそごまんとある事なんだから!

 たかがゲーム、なんてもう思わないけど、怖がるのも恐れるのもお化け屋敷に入るみたいに楽しんでしまえ、と空元気を振り絞る。……お化け屋敷苦手だけど。


「よしっ、やってみる!」


 と、高らかに吼えた後、「周りに誰もいなかったよね?」とキョロキョロと首を忙しなく動かしたのは仕方ない事としておいてほしい。だって恥ずかしいもん。



 じっくりと見れば門よりもどちらかと言えばゲートと呼ぶ方がしっくりくる黒い2本の木の向こうには、普通に道が続いている。

 一見なんにもないように見えるけどこの向こうには2つの層を繋ぐ、戦闘の為の広場が設けられていると言う。

 そこに入るとフロアボスが出現し戦闘に突入する事になる。


 私は一度各種ゲージを確認する。HPとMPは何度か回復していたのでほぼフル状態を保っている。今一番減っているのは空腹度ゲージの7割だった。

 けど、流石にここでマーサさんお手製のお弁当を食べようなどとは思えない。出来る事なら陽の当たる景色のいい公園でシートを広げてゆっくりと食べたい。

 森の中に点在するモンスターが侵入してこないセーフティーエリアもあるけど、多少戻らなければならないし、何より折角入れた空元気の効果は有限で、時間を置けば萎えてしまう欠陥品でしかない。


「すーっ、ふーっ……んっ、行こう」


 私は一歩を踏み出した。

 それはプレイヤーにとっては当たり前の一歩だけど、私にとってはきっとそれなりに大きめの一歩だったかもしれない。


 ――スウッ。


(あれ? なんだろ、空気が……変わった……?)


 ゲートを潜る時、私はそんな感想を抱いた。

 お店に設置されたエアカーテンなんかとは違う、流れがある訳じゃない。

 ゲートを境界にして、そこから先は温度というか密度というか、あるいは質が違った、それはもう明確に。

 別物に変わると言う意味では静かに水の中に浸かる感覚、と表現した方が近いのかもしれない。

 そうした違和感もゲートから少し歩くとゆっくりと薄れて気にならなくなり、やがてそれなりに広い空間に出た。


「ここが、フロアボスエリア……なんか、何にも無い……」


 円形で体育館の横幅くらいはあるかな。周囲はみっちりと木々に囲まれているのに、ここだけには木の1本すらもない。

 そして。


「……あれ、かな?」


 エリアの端にいる私の丁度反対側、2層への道と思われる場所の手前に黒い靄が空中に渦を巻いていた。

 あの靄がフロアボスなの? と首を捻っていると、黒い霧は急激にその濃度を増し、一定まで達すると今度は拡がり始めた。

 咄嗟に身構えるも、攻撃の気配は無い。先制するべきかとも思い、踏み出――。


「えっ!?」


 どうした事か、広場に入ってすぐの位置に見えない壁が立ちはだかってでもいるかのように、そこから前に進めない……!?


「あれっ、何これっ?!」


 いくら体を前に出そうとしても、努力虚しく一向に変化は訪れない。

 そうしている間にも靄はぼんやりとした形から、次第次第に輪郭を形成しながら集束していく。


 胴体から生えるのは太く強靭そうな8本の脚。

 胴体より大きな臀部はギザギサと突起だらけ。

 ゆっくりと開き閉じる鉤爪じみた鋭い牙。

 明滅する複眼は濃厚な血をどろりと垂らしたような赤色。


 それは、蜘蛛だった。

 でも、“それ”は明らかに違う。今まで見てきたスパイダーは私の腰にも満たない大きさだったけど、目の前に現れたのは私の胸近くに迫ろうかという大きな化け物蜘蛛。体長に至っては果たしてどれだけになるのか……この位置からでは推し量れない。

 毒々しい黒と黄色の配色に、危険だと警告されている気分になる。その姿は全体的に刺々しく触れただけでも傷付きそうな攻撃的な印象だった。

 太い8本の脚でズシンと音を立てて地面に降り立つ。血のように赤い複眼がギラリと光を放つ。ギチッ、牙が蠢き――。



『ゴォシャアアアアァァッ!!!』



 咆哮と共に見えない壁はすうっと溶けるように消え失せ、私は前につんのめって2、3歩たたらを踏む。

 どうやらあの化け物蜘蛛の準備が整うまでは攻撃などが出来ない仕様だったみたい。うわあ、そう思ったらさっきまでのが恥ずかしくなってきちゃった……。


「だ、だめだめ、集中しなきゃ……! 〈ライトバレット〉〈ダークバレット〉!!」


 私は攻撃を開始した。まだ距離があるけど、私は下手に近付けないのでここから動かずにいる。ただ確実に当てられるかは分からない、なので今は手数重視で攻めてみる事にした。

 〈バレット〉は小さい球を3つ生み出す属性法術が3レベルになった時に修得したスキル。威力自体は低いものの、代わりにMP消費や再申請時間が少ないと言う利点もある。


 パンパンパン、パンパンパン!


 連続して発射された計6発は化け物蜘蛛に無事に命中した。ただ元々低威力であり、HPも高いのかゲージの端がわずかに削れただけだった。

 しかしそれでもご立腹なのか、化け物蜘蛛は身を沈ませて力を溜め、8本の脚を器用に使って一気に私との距離を詰めてきた。


 ダダダダダダダダダ!!


『ゴシャア!』

「ちょ、ちょ、ちょっ!」


 私はその迫力に攻撃するのも忘れて左方向に全力ダッシュで逃げ出した。あ、いや、ほんとあのサイズの蜘蛛が突進してきたら誰でも逃げるからね?

 私が位置を変えたからか、化け物蜘蛛は急ブレーキをかけている。突進中は方向転換が出来ないのかもしれない。

 ともあれ、止まってくれたならこれ幸い。正面より面積が大きい側面から攻撃出来るのなら外す心配も少なくてすむかも。


「〈コール・ファイア〉〈ファイアマグナム〉!」


 これが今の私の最も威力の高い攻撃。果たしてこの組み合わせでどこまでダメージを与えられるかでこの戦闘の難易度は大きく変わってくる。

 通常の〈ファイアマグナム〉に比べて更に強く燃え盛り、中心からも赤い光が輝いている。見るからに威力が増していた。


「行って!」


 ゴオゥ!!


 猛々しい轟音を響かせながら、方向転換中だった大蜘蛛へと狙い過たず、ズドンッ! と命中し、大蜘蛛を少しだけ後方へと押し退ける。

 HPゲージの減少はまだ1割にも満たない、さっきの組み合わせでも後どれだけ必要なのか……しかも〈ファイア・コール〉の再申請時間は1分間。連続使用は出来ない。


『ギシュッ?!』

「質が追い付かないなら、数で! 〈ウォーターマグナム〉〈ウィンドマグナム〉〈ソイルマグナム〉!」


 ギュインとMPゲージが減少する、まだ余裕があるとはいっても、化け物蜘蛛の攻撃は今までの比ではないだろうから、防御スキルとその後の回復スキル(回復させてもらえる程残るか不安だけども)も使えば先刻のような戦闘中でのポーション回復もありえる。

 しかも攻撃に回す分が減れば長期化するんだからほんとうに、やりくりが難しい……。


 バシャッ、バシュウッ、バゴンッ!!


 放たれた3つの球は化け物蜘蛛へと吸い込まれるように当たった、がダメージを受けた筈の化け物蜘蛛は体をざしざしっと脚を動かし、お尻を私に向け、る――?!


(あ、あれも蜘蛛だから糸使うのっ!?)


 それも結構な距離があるのに発射体勢に入ったなら私にまで届くって事なんじゃ!?

 私は急いでその直線上から避難する、糸に絡め取られたらあの突進に対応出来る気がしない!

 そして化け物蜘蛛は糸を……え?!


 バシュッバシュッバシュッバシュッ!


 化け物蜘蛛は私ではなく上方、空に向かって何かの塊を4つポーンと打ち上げた。


(え、え? 何、何したの!?)


 打ち上げられた塊と化け物蜘蛛を交互に見ながらも、思考は大混乱中。何かの攻撃? そう考えていると、突然パンッ! という音と共に塊が蜘蛛の巣状に展開する……あ、マズイ。

 私は駆け出した。あの蜘蛛の巣は私の位置を囲うように四方に広がってる。今までの蜘蛛の糸と違って直線的に発射するのじゃなく面を覆ってくる、その範囲はかなり広い。

 次第に地面に影が差す、まだ端には辿り着けない。ああ、全力で走っても遅く感じる、実際問題能力の低さが直結してる。焦燥感が背中から沸き上がる……!


「もう、ちょっと……!」


 でももう蜘蛛の巣はすぐそこまで迫っている、私はラストスパートとばかりに足の回転を加速させて思い切って前方に飛び込んだ!


 ずしゃーーっ。

 バフンッ!


 ぶわっと土煙が舞い上がる、恐る恐る後ろを向くと両足の先、そのほんの少し先に白い糸が見える。

 どうにかギリギリで巻き込まれずにすんだらしい。良かったあ、もうべとべとは嫌。


「ま、間に合った……」


 息が荒い、心臓がドクンドクンと喧しい。


『ゴシャアアアアッ!』


 っ!

 化け物蜘蛛が体を沈ませた、また突進の体勢になっている。

 蜘蛛の巣で動きを鈍らせて突進、が攻撃パターン?


 ダダダダダダダダダ!!


「っ、もう! 落ち着けもしないっ」


 起き上がる間も惜しく、クラウチングスタートの要領でダッシュする。

 でも1度目よりも化け物蜘蛛との距離が近い上に、倒れ込んでいたものだからなんとか逃れても、私との距離は大幅に詰められてしまった。


『ゴシャアッ!』


 化け物蜘蛛は近付いたのをいい事に前脚を振り上げガシガシガシと前進しながら連続して攻撃を繰り出してくる。


「ワ、〈ワンドガード〉……っきゃ!?」


 1撃目、2撃目はなんとか避けられたのだけど、3撃目を右腕に受けて横に吹っ飛ばされる。打たれた右腕も打ち付けた体も痛い、うう……。


「う、ぐ……!」


 仕返しとばかりに、倒れた状態のまま上体を起こして化け物蜘蛛に杖を向ける。


「〈ライト、マグナム〉!!」

『ゴッ?!』


 至近から光球をぶつけられて仰け反っている間に私は全力で立ち上がって猛ダッシュで距離を取る!

 寸前に〈ワンドガード〉を使ったと言うのに1発でHPゲージが6割も減ってる、またあれが来たら運が悪ければ1発で……ゲームオーバーになっちゃう。全部避けるとか私が出来るだろうか?


「ヒ、〈ヒール〉!」


 全速力で走りながら大慌てで回復、なんてした事が無かったから上手くいくか不安だったけど、なんとか成功したみたい。体が淡く白い光に包まれ、ほんわりと温かくなる。


(〈ワンドガード〉じゃだめ? アレ(、、)を使った方がいいのかな。でも、アレは……)

『ゴシャア!』

「きゃああっ?! こっ、来ないでっ!」


 走るスピード自体は化け物蜘蛛が勝る、一定まで近付くとさっきの連続攻撃を繰り出し、その隙に私が距離を開く、そんな事を数度繰り返す。

 もちろん無傷なんて事は無く、何度か攻撃が背中に掠りHPもガリガリと削れていく。


『ゴシャアッ!』

「ひうっ?! はっ、はっ、ひっ、〈ヒール〉……ぜっは」


 その度に〈ヒール〉を使うけど、いい加減いたちごっこになっている。正直に言って……すごく恐い、でもがんばるって決めたから……だから、化け物蜘蛛の連続攻撃に乗じて反撃する事にした。

 このタイミングで失敗したら即死だろうけど、どの道いつかは攻撃が当たる気がするから、何もしない選択肢は無い。


『ゴアッ!』


 連続攻撃は少しずつ前進しながらの大振りが左右3回ずつ襲ってくる。そこで……仕掛ける。


(恐くない、恐くない、当たらなければ……恐くなんてないからっ)


 なけなしの勇気を振り絞る。1回、金色の髪が吹き荒れる風に舞う。2回、轟音を伴う連続攻撃を前方への全力ダッシュでわずかでも距離を開き、すぐさま振り向く。3回目の攻撃を振り下ろした瞬間に私は叫ぶ。


「〈コール・ソイル(、、、)〉〈ダークシールド(、、、、)〉!」


 4回目が振り下ろされようとした時、私の杖から飛んだ紫色の光が化け物蜘蛛との中間で弾けて相手の攻撃を防ぐ盾となる!


 シールドはそれぞれの属性の盾を生み出す防御用スキル。そして防御用スキルの効果を高める〈コール・ソイル〉の組み合わせは化け物蜘蛛の攻撃をも防いでくれる。

 ただし、盾を生成するポイントをターゲットサイトで指定するか、モンスターにターゲティングして互いの中間にするか、どちらにしろ向かい合わなければならず一歩間違えば危険ではあった。


(それでも……今回は上手くいった。続けて攻撃を……!)


 5回目の攻撃がその盾を叩く。闇の盾は2回の攻撃で大分薄れていた、シールドが消えるまで時間が無い。


「っ、〈コール・ファイア〉〈ファイアマグナム〉!」


 バオンッ!


『シャッ?!』


 攻撃を受けた化け物蜘蛛のHPが残り4割を切った。


(……や、やれる? まだ先は長いけどがんばればやってやれない訳じゃない……!)


 結果が伴い、疲労感が和らぐ。化け物蜘蛛が一瞬動きを止めている間に、私は再度距離を取るべく走り出す、のだけど。


「え?」


 化け物蜘蛛は最後の6回目の攻撃で盾を散らしてもその場所から動いていなかった。脚を動かして方向転換を行っている。お尻を向けるなら蜘蛛の巣を打ち出すつもり?

 今までだと、距離が離れていると蜘蛛の巣からの突進、このぐらい近ければ前脚での攻撃が来ると思ってた。

 でも考えてみれば蜘蛛の巣が使われたのは1回だけ、パターンなんて言えないか、と考えを改めて蜘蛛の巣を打ち出すならその間は無防備になる筈と杖を構える。

 でも、予想なんて裏切られる。


「〈コール――」


 ブシュウウウッ!


「なっ?!」


 化け物蜘蛛は上ではなく前方、私のいる方へスパイダー同様の蜘蛛の糸を放ってきた!?

 完全に思惑を外された私は蜘蛛の糸に搦め捕られてしまう。

 ズーン、と効果音が鳴ると同時にバッドステータスを受けた事が視界内のHP・MPゲージ近くに表示されたアイコンが知らせている。その上HPも4割以上減ってしまっていた。


「う、わ……?!」


 しかも、この糸はスパイダーの物とは違う。スパイダーの物は鈍くなるものの動けはした。でもこの糸は私の動きをほぼ完全に封じられてしまっている。ぎちぎちと糸を軋ませるばかりの私とは対照的に、化け物蜘蛛は脚を器用に動かして方向転換に勤しんでいる。


 このまま化け物蜘蛛に近付かれて、後1撃でも攻撃を受ければHPは簡単に0になる。その前に回復と、せめて一定時間で糸が消えると信じて時間を稼がなきゃ……!


「〈ヒール〉……! 〈コール・ファイア〉〈ウォーターマグナム〉!!」


 杖の先に青い光が輝き、水をまとう。ザアッ! と化け物蜘蛛目掛けて宙を飛んでいく。


 バッシャアンッ!


『ゴッシャ!?』


 方向転換中だった化け物蜘蛛は盛大にバランスを損ない、8本の脚に力を込めて踏み留まっている。赤い目がギラギラと光るのは怒りにでも燃えているからか。

 でも、怯んでいる暇なんて欠片も無い。2発目を放たないと!


「〈ウィンドマグナム〉〈ソイルマグナム〉〈ライトマグナム〉〈ダークマグナム〉〈ファイアマグナム〉!」


 化け物蜘蛛はもう方向転換をすませている、ぐぐぐっと体を沈ませているのはやっぱり突進攻撃をする為か、あれは受けた事が無いのでどれだけのダメージが来るか分からないのに……!

 頼みの綱である5つの球はそんな化け物蜘蛛に正面からぶつかった、爆音が連続する……ただし今度は仰け反りもしない、若干押し退けられたくらい。姿勢を低くしていたから堪えたらしい。

 でも、そのHPは既にレッドゾーンに突入している。


(後少し、後少しで倒せる!)


 でも連続で使ったからマグナム系の再申請時間30秒が経過してない。また〈コール・ファイア〉は使えない。MPもそろそろ危うい。三重苦だった。


 ダダダ!


 そんな時、化け物蜘蛛はついに突進攻撃を開始した、この距離と糸に絡まっていては逃げる事もままならない……ここまで来たら迷ってもいられない!


「〈ウォーターショット〉!!」


 〈ウォーターショット〉が発動した。マグナムとショットは別のスキルなので片方が再申請時間中だとしても問題無く使える。


(威力は低くなるけど、お願い間に合って!)


 パァンッ!


『ギギィ!』


 ダダダダダダッ!


 しかし、〈ファイアショット〉が命中しても、最早化け物蜘蛛はスピードを弛めすらしない。


「っ! 〈ウィンドショット〉〈ソイルショット〉〈ライトショット〉〈ダークショット〉〈ファイアショット〉っ!!」


 デタラメに乱射、は出来ないターゲットサイトで捉えなければスキルは発射されないから。だから私はずっと凝視していた、化け物蜘蛛が急速にこちらへ接近してくるのを、ずっとずっと。


(お願い、お願いだからっ……!)


 次々に生み出される球が完成する度に飛んでいくのだけど、その時には既に化け物蜘蛛はもうすぐそこまで迫っていた。そして……そして。


 バォンッ!


 至近で炸裂した風によろめき思わず後ろへと倒れ込む。驚いて閉じた目を開けたそこには――。


「ひっ!」


 口を大きく開き、私へと向かってきた姿勢のままに停止している化け物蜘蛛がそこにいた。

 距離にすれば30mにも満たない。

 私はそのグロテスクさに鳥肌を総動員してしまい、両手両足をガサガサと動かしてせめて距離を取ろうと後退る。

 すると。


 ボウッ。


「なっ、何っ?!」


 突如として化け物蜘蛛の体全体が一斉に真っ黒な炎に包まれ、燃え盛っている。


(え、さっきのスキルの所為? でも今までこんな事は……)


 考えている間にも焦げ臭い臭いが漂い、徐々に焼き尽くされて全身が黒焦げになっていき、そして最後にはホロホロと端から崩れては壊れ、やがて化け物蜘蛛は跡形も残さずに消え去った。

 その光景に呆然としていると聞き慣れてきた効果音が耳に届く。



 タタンターン♪


『【経験値獲得】

 《火属性法術》

  [Lv.6⇒7]

 《水属性法術》

  [Lv.6⇒7]

 《風属性法術》

  [Lv.6⇒7]

 《土属性法術》

  [Lv.6⇒7]

 《光属性法術》

  [Lv.6⇒7]

 《闇属性法術》

  [Lv.6⇒7]

 《聖属性法術》

  [Lv.6⇒7]

 《マナ強化》

  [Lv.8⇒9]

 《詠唱短縮》

  [Lv.5⇒6]

 《杖の心得》

  [Lv.7⇒8]


 【アイテムドロップ】

 ビッグスパイダーの唾液[×1]

 ビッグスパイダーの牙[×1]

 瘴気の欠片[×1]』


『NEW!』


 ジャンジャーン♪


『【スキル修得】


 《火属性法術》:〈ファイアアロー〉

 《水属性法術》:〈ウォーターアロー〉

 《風属性法術》:〈ウィンドアロー〉

 《土属性法術》:〈ソイルアロー〉

 《光属性法術》:〈ライトアロー〉

 《闇属性法術》:〈ダークアロー〉

 《聖属性法術》:〈キュア〉

 《杖の心得》:〈コール・ダーク〉』



 レベルアップした……のに、疲れ果てて喜びが湧いてこない。


(…………………………つかれた)


 その一言に尽きる。

 ウィンドウを閉じて、ああどうしようと悩む。いつまでもここで呆けていては迷惑かな? 2層へはここを通らなければならない訳だし後ろがつかえては申し訳無い。

 ただこの疲労感のままに2層へ行くのは酷く億劫だった……。

 一度撃破したボスエリアは通過も再挑戦も自由になると言うし、2層へは行かずにアラスタに帰ろうかなあ……。

 それでどこかで飲み物買って公園ででもマーサさんのお弁当を食べる? ああそれはすごく楽しみ。


「……って、出来る訳ないでしょそんな真似。なんだってそう易々と弱気になるかな私は。強く、ならなきゃいけないの……立ち止まっていられないの」


 こうしてのんびりしている間にもあの子は更に先へ進んでいるんだろう。

 なら、とヨロヨロと立ち上がって、杖の本分を発揮させながら、私は初めてのボス戦を終えて新たな戦場へと向かう。


「私も進まなきゃ」


 土曜日の午後はまだ長い。



 ようやくアリッサが(息も絶え絶えに)最初の最初を越えました。やったね!

 ……ただでさえ1話が長いのにもう12話ですが。

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