第123話「vs天丼」
私自身はまったく眠らなかった睡眠度回復行為がようやく終わり、紡がれる歌声に誘われるまま目を開くと窓から弱々しく赤い光が漏れていた。
こちらの時刻ではそろそろ太陽か沈む頃合いであるらしい。丁度街の照明やイベント用のライトアップが始まったようで、暗さはすぐさま部屋の隅へと追いやられていく。
だけど突然の明るさは暗さに慣れていた目には辛く、身を捩ると続いていた歌声がぴたりと止んだ。
顔をそちらに向けるとそこにはテーブルがあって、うとうとと舟を漕ぐティファと、隣で彼女を支えるひーちゃんがいた。
「お目覚めですか、アリッサ」
「うん、おはよう」
身を起こすと2人はふらふらと頼り無くこちらへと飛んで来る。居眠り運転よろしく、ハラハラしながら見ていると2人は途中で失速してベッドへと落下した。
歌いっぱなしで疲れたのかひーちゃんはスライムの如くぐにゃりとだらけていて、ティファも目元を擦っている。
「ティファ、ひーちゃん、何時間もずっと歌っていたでしょ。ありがたかったけど、無理しちゃだめじゃない」
人の事まったく言えないけども。
『仕方無いではありませんか……アリッサがどうしてか消えなかったのですから終わるタイミングが……ふわわ』
(そう言えば、設定的にはPCは寝ると神様の身許に行く、ってなってたんだっけ……)
実際にはプレイヤーがログアウトして、キャラクターの体はデータとして保存されてるんだろうけど……ティファには説明出来ないなあ……。
「……ちょっと色々あってね」
『まさか具合が悪いのですか?』
「う」
現実での私自身は確かに具合が悪いのであながち間違いでもない辺り返答に困った。
「大丈夫大丈夫。次に寝る時には普通になってるから大丈夫」
そう言うとティファは眠気に負けたらしく大きくあくびをしながら『なら良いのですが……』と呟いて、そのままコテンと眠りに落ちてしまった。
ひーちゃんも、いつの間にやら可愛らしい寝息を立てている。
「……ごめんね。歌、とっても素敵だったよ。2人共、ありがとう」
返答は無い。聞こえているのかどうか、いやそれなら起きてからまた言えばいいと私はベッドから起き上がった。
「夜、か……昨日ログインした時はこっちはまだ明るかったのに、長いなあ……」
MSO内は36時間周期だから見た目はこんなものだけど、現実時間ではおおよそ12時間が過ぎ、連続ログイン時間としては凄まじい長さになりつつある。
……そしてその時間は間接的なものを除けばあの子からの直接的なアプローチが無い事をも示していた。
「……大丈夫、大丈夫……まだ半日だもの」
ふるふると頭を振るってネガティブな考えを追い出そうと試みる。
「そう大丈夫。だからいつまでもここにいる訳にもいかない」
宿屋さんの部屋は借りている側から招く事は可能だけど基本的に他者は入れない。
そもそも外を歩いているよりも発見される確率は圧倒的に低いのが問題だった。
現在あの子以外からは逃げ回りもするものの、あの子自体には見つけてほしがっていると言う面倒な状態の私は前者よりか後者を優先し、部屋を後にすべきだった。
しかし、である。
「どうしようね」
ベッドで可愛らしく寄り添いながら眠る2人に、ちょっと困ってしまった私だった。
◇◇◇◇◇
広い広い王都の片隅を延々と歩く。それによって視界内に表示されるマップは見える限り大分埋まっていた。
「……はあ」
こんな王都の奥地でも周囲は変わらずオフィシャルイベントであるハロウィン一色に染まっている。それに参加出来ない状況はそりゃ虚しくもなる。
「思ったより違うものだね……」
昨日はティファとひーちゃんが一緒にいてくれた。とかく歩き回るだけでもずいぶん救われていたのだなとぼんやり思う。
当の2人はと言えば、現在は私のポシェットで寝むっている。それはもう熟睡の域。可愛らしくはあるけど、虚しさはやまない。
一応、時間帯か、場所柄か、PCらしい人影は見当たらず、誘われるような事が無いのは有り難かったけど、それもマイナスがイーブンになっただけの話でしかない。
そしてそれも平日の早朝だから人が少ないと言う事実に行き当たり暗鬱とした気分が加算されている。
(……まこ、光子。どうしてるかなあ……)
平日の早朝と言う事実はログイン中はほぼ完全に無防備になる体の面倒を見てもらっている幼馴染みにも行き当たる。
時折【CAUTION】メッセージが表示されるのは、寝返りすら打てない私の体の床擦れを防ぐ為に定期的に動かしてくれているからだ。
それは深夜帯でも一定間隔で表示される。2人は交代で1日中私の世話を焼いてくれていて、更には2人は学校を休む予定でもある。
お礼も謝罪もいくら言っても言い足りない所だけど、ゲーム内からではメールでしか送れない。
お礼はきちんと自分の言葉で伝えたいから、すべてが終わってから良い結果と一緒に伝えよう。
(だから今は前だけ見て、いつ何が起こっても大丈夫なように……ん?)
自動でウィンドウが開く、また【CAUTION】メッセージかと思ったけど……。
「チャット……天丼くんから?!」
彼から連絡が来た事よりもこんな時間にそれが来た事に驚愕と困惑が溢れる。
昨夜はセレナと一緒にログインしていたけど、私がセレナと話し合いをする事になると一足先にログアウトしていった。
さっさと寝ると言っていたそうだけどそれでも現在はまだ午前5時前、そんな時間にわざわざログインして接触してくるなんて……。
(……いえ、きちんと話さなきゃいけないのは天丼くんも一緒だもの。接触してきてくれたのは感謝しなくちゃ)
それに今はポシェットでティファとひーちゃんが眠っているのだ。荒っぽい事態になんて出来る訳も無い。
深呼吸をしてからチャットを開くと聞き慣れた声が聞こえてくる。
「おはよう、天丼くん」
『よぉ。ホントにこの時間でもログインしっぱなしなんだな』
「うん、さっき起きた所だったんだけどね」
『起きて……? ああ、睡眠度を回復してたのか』
「そう……それで、天丼くんも私を止めに来たの……かな?」
そう問い掛ける私の声には若干の固さがあった気がするけど、天丼くんの声は驚く程軽く、あっけらかんとしたものだった。
『いや? 今もこうしてログインしっぱなしって事はアイツが止めなかったって事なんだろ。なら俺はその選択を尊重するさ』
「天丼くん……ありがとう」
意外な応援に心底安堵する。お礼の言葉にも彼は特に変わった様子も無く、『そんな事を言われるような事じゃない、ただぶっ飛ばされたくないだけさ』とだけ返した。
「セレナはどうしてる?」
『さぁな、昨日ログアウトしてからまだ会ってない。俺はさっさと寝たし、アイツはまだ寝てるだろうからな』
「そっか、そうだね……こっちが夜になったばかりってだけだもんね」
自分が今、現実とは切り離されているんだぞと言われたようで、少し背筋が寒い。
『ああ。だがまぁ、何にせよ認めはしたんなら二言は無いだろ、アイツの気概に応えられるようにやるだけやってみろよ』
「……うん、そうするよ」
『で、ここからが本題だ』
その言葉に私の思考が停止した。
『オイオイ、まさか俺がこれだけの為にログインして来たとでも思ってたのか?』
「そう、だよね……ちょ、ちょっとごめんね」
すーはーと深呼吸を何度かしてから「どうぞ」と先を促す。
『そこまで緊張するような話でもないさ。少し出張って来てくれないか? 直接会って話したいんだ』
「う、うん。分かった、どこに行けばいいの?」
◇◇◇◇◇
天丼くんに指定されたのは私のいた場所からそう遠くもない喫茶店だった。
住宅街の間にひっそりと佇むアットホームな雰囲気のお店には時間帯もあり、PCは天丼くん1人だけのようだった。
「おう、こっちだ」
カウンター席に1人腰掛けている天丼くんはマーサさん作のジャック・オ・ランタンどころか鎧含めて脱いでいて、普段よりも細い印象だった。
「マスター、彼女に何か軽い物を」
「い、いいよいいよ」
「ん、もう食ってたか?」
「まだだけど……」
「なら気にするなよ。これからもログインし続けなきゃいけないんだろ、空腹度もこまめに回復しとけ」
そう変わらず軽く話しながら薄茶色くなっているアイスコーヒーを直接グラスから飲んでいる。
私はそんな天丼くんの隣……の隣に座った。隣は、私が座るような場所じゃないと思うから。
ややあってから私の前に運ばれてきたのはトーストやスクランブルエッグなどが載ったメニュー、まるでモーニングプレートみたいと思いながらフォークを手に取った。
「話は食い終わってからでいい」とは言われながらも、天丼くんにだって普段通りの生活がある筈だ。
セレナは私より1つ下と聞いているけど、天丼くんの年齢は知らない。学生なのか社会人なのか、どちらにせよ平日の朝をそう長く束縛してはいられない。
私は以前に花菜がしていたように、2枚のトーストの間に詰め込めるだけ詰め込んだ朝食サンドを行儀悪く食べ始める。
「ぷ」
「もぐもぐ……何?」
「ああ、悪い。いや、アリッサでもそう言う、大雑把な真似するんだなって思ってよ。普段はもっと大人しくて、優等生な感じだからちょっと意外だったんだ」
そう言われれば、いつもなら急ぐにしても行儀悪く食べ散らかしたりはしなかったな、とぼんやり思う。
「もぐ……そうだね。もしかしたら……」
咀嚼する口も、サンドイッチを運ぶ手も止まる。
「これが私、なのかもしれないね」
もぐもぐ。また食べ始める。
片眉を上げる天丼くんから視線を逸らして説明じみた言い訳をしてみる。
「もぐもぐ……私とあの子が義理の姉妹だとは言ったよね。だから昔からね、私はお姉ちゃんになろうって躍起になってた。品行方正で、勉強も出来て、運動……は、あんまり出来が良くなかったけど……ともかく、絵に描いたような立派なお姉ちゃんになるんだって色々してきた」
そればかりに執心して、周りから浮いていた気さえする。
いや、実際に周りとは一線を画していたんだろう、悪い意味で。誰かと遊びに行く事も滅多に無く、周囲とは話題に著しい解離まであった。
だから例え同じクラスでもクラスメイト以上にはならなかった、友達と呼べる人なんて殆どいなかった。
「このゲームをプレイしていたのも究極的にはあの子の為だったから。そんなこんなで天丼くんの言うみたいな私の出来上がり……けど今私は、私の為に動いてるから……地が出たのかもね」
もぐもぐごっくんとモーニングプレートみたいな何かを完食した私はブラックのままだったホットコーヒーを煽る。
あからさまな苦さは、徐々に鈍り始めている私の思考をクリアに寄せてくれる。
「そうかい」
「うん」
短いやり取り、私の話を聞いた所で別に何かアドバイスなりをするでもなく、ただ聞くばかり。
でも、こちらの心情を静かに聞いてくれると言う行為は、詰め込んだ息を吐くように必要な事と思う。
そうして話の終わりと同時にコーヒーカップも底が見えた。
「……それで、話って何?」
「ああ、そうだったな。話自体は2つある。1つは俺の個人的な話、もう1つは……ちっと厄介な話だ。どっちからがいい?」
「天丼くんのお話からで」
「いいのか? ホントに個人的な話だぞ」
「友達のお話を厄介事の後に回したくないし、たった今個人的な事を聞いてもらったばかりじゃない」
「そう言うトコは変わってなさそうだ」
アイスコーヒーを飲み干したグラスに残る氷をカラカラと鳴らしながら、どこかへ視線を逸らす天丼くん。
時間は大丈夫かとも思うけど、自身の事を友達に話すには色々と踏ん切りがいる。それは理解していた。
だから、固く結ばれた口が堤防が決壊するように開くまで少し待ってみる。
「ふぅ……なぁアリッサ」
「うん」
「アイツは、納得したんだよな?」
「……うん?」
突然ポップアップした話題に思考が一時停止する。
「アイツ、ってセレナと……?」
「ああ…………何だよ、その顔」
「あ、いや、その……突然セレナが出てきたからびっくりして」
「……結果は尊重するとしても要は……俺も納得したいんだよ。ただ、それがアイツが前提に来てるってだけの話だ」
「……分かった」
それが何だかすとんと府に落ちた。多分、私の中にもそうした気持ちがあるから。
「……納得はしてくれたよ。全部が全部じゃないだろうけどそれでも、天丼くんが言ったみたいに私がこうしているのが証拠だよ」
「その、話の内容を教えてもらえるか?」
「……ん」
そうしてセレナとの事を話していく。
友達としてひたすら私を案じてくれた彼女が、女性として納得してくれた事までを。
気恥ずくないと言えば嘘だけど、それでも出来るだけと話していった。
「――それで、セレナを帰したの。話はここまで」
「そうか……」
聞き終えた天丼くんは吟味するように壁だけを見つめていたけど、やがてぽつりと呟いた。
「……これからもアイツと友達でいられるんだな」
「それは――」
セレナの選択は前者の答えでも後者の答えであっても私を慮ってくれた結果の結論だ。
そんな結論を出してくれる彼女に対して悪感情なんて抱く筈も無い。いつまでも友達でいたいと心の底から思っている。
「決まってるよ。今までみたいに遊びたい、今までみたいに仲良く、今までみたいに……みんなで」
「……そうか」
このひと月、私たちは毎日のように一緒にいた。この世界がゲームであるなら、毎日遊んでいたとも言えるだろう。
もちろん、楽しいばかりではなかったけどそれも含めて私は大好きだった。
もし失うとしたらなんて想像は、なんて悲しいんだろうと目頭が熱くなる程に大好きで、大切な日々だった。
「……わがままな話だけどね」
「アン?」
空になったコーヒーカップにも底にはわずかに濃い茶色の液体が残っている。
それが、まるで自分の気持ちのようだと思った。飲み込みきれなかった気持ちのようだと。
それを話そうなんて思ったのはきっと、色々な事を話してしまった勢いだろう。
「だってほら、私は妹を一番に考えているじゃない。だからみんなの心配を無下にしてまで無茶をしてる」
「……そりゃ、誰にだって一番はいるだろ。優先したって、悪くはないさ」
「そうかな……なのに、みんなとの関係は続けたいなんて虫の良い事思ってる。……わがままだよ」
そんな事を私が望んでいいのかと、みんなの厚意に甘えていないかと思うのに、それでも積み重ねてきたひと月がそう願わせてやまず、結局自分はわがままだと自虐気味にため息を吐く。
「そう悪し様に思うなよ」
……けど、天丼くんは首を横に振っていた。
「そんなモンさ。俺だってそうだからな」
「天丼くんが、わがまま?」
「ああ」
氷をガリゴリと噛み砕きながら、天丼くんは頬を掻く。
「知ってるか? セレナをこのゲームに誘ったの、俺なんだぜ」
「そう、なの?」
「おお、貯めてたお年玉とさ、夏休みバイトして貯めた貯金はたいて、リンクスとMSO2個ずつ買った」
「ちょ、」
それらをまとめて買ったなら合計金額が20万近くする筈だと絶句する。
「ど、どうしてまた……」
私が驚くのも当然だろう。夏休みにバイトと言うなら天丼くんは多分学生なのだろうけど、20万と言うのは決して安い額じゃない。
その内の半額でも誰かの為に使うなんて何事か無ければ納得出来なかった。
「あー……あの頃な、アイツ色々と煮詰まっててよ。それでまぁ、気晴らしになれば御の字って感じでやったんだよ」
「そう言えば……セレナが、前に自分は普段は見栄張ってるって言ってた」
「おお、そうなんだよな。最近はずいぶんマシになって、俺の貯金も浮かばれるってモンだな」
カラカラと笑う天丼くんだけど、私は首を傾げる。話を聞く限り天丼くんはセレナの為に尽力している、とてもわがままとは思えない。
「そう不思議そうな顔するなよ。これは話を進める為の前提だ」
「どう言う事?」
「俺も、アリッサと同じって事さ」
わずかに皮肉げにそう語る天丼くんを私はただ黙って見つめていた。
「俺は…………アイツに惚れてる」
唐突に、彼方を見たまま天丼くんはそう告げた。とてもとても気持ちのこもった優しい声で、聞くだけで胸が熱くなるそんな声で。
「……」
「だからアイツが息苦しそうにしてんのが嫌で逃げ場を用意した。好きなだけ暴れられて、他からの文句なんざ気にしなくていい場所だ。ま、ホントの意味でそれが完成したのはアリッサと出会ったからだけどな」
それで、なんとなく私は天丼くんの言いたい事が分かったような気がした。
「貴方も、彼女の為ならなんでもするの?」
「ああ、するね」
天丼くんはうっすらと頬を染めながらも即座に返した。
「アイツを苦しめるような事があったら、原因なんざぶっ飛ばす。……正直言うとな、もしアリッサがアイツの気持ちを振り切ってログインし続けてたならぶっ飛ばしてでも止める気だったんだぜ」
「そうならなくて良かったがな」と私を見ずに天丼くんは語る。そのいずこかを映す瞳の冴えに私は薄ら寒くなる。
きっと、彼は本当にその時はそうするのだろうと半ば以上確信したから。
「ホラな、他人の都合なんざ省みない。身勝手な話だ。俺も十分わがままさ」
「そんな、それはセレナの為に――」
「そうだな。けど、アイツに楽しくやってほしいって俺のわがままでもある」
「っ」
言われて思い出すのは土曜日の夜更かし。
あれだって、花菜の為になるって思ったからしでかした事だった。でも結果は見ての通り。花菜が望んでいた訳ではない。
だとしたらあれは、私のわがままだろう。
「……結局な、探せば誰にだってわがままなトコがあるモンなんだよ。当たり前だ、わがままってのは自分が望むようにするって事なんだから、無い方がおかしい。だから自分はわがままだ、なんて悩むなよ」
天丼くんはここでは明るく軽くそう言った。簡単な話だと伝えるように。
「それに、何よりそのわがまま、多分セレナも俺も、きっとセバさんも望んでる。否定するとアイツがむくれそうだぜ。しっかり肯定しておいてくれ」
それは励ましだったのか。天丼くんは片肘をカウンターに突いて、当たり前の事だろ、とでも言っているようにこちらを見ていた。
「…………うん。ありがとう」
軽く頷き、心は安堵する。
心のどこかで疼いていた悩みをぶっ飛ばされたようなそんな気分だった。
◇◇◇◇◇
先の話が思ったよりもヘビーになった事もあり、私たちはそれぞれに飲み物を注文し、それを飲むまで2つ目の話はお預けとなっていた。
そして互いに温かいミルクが唇を湿らせると自然と空気が変わっていくのを感じる。
「ちょっと気になる事があった。アリッサが噂にでもなってないかと掲示板を洗ってたら別の話題が持ち上がってた」
「それは?」
「ヴァルキリーズ・エールってギルドが騒がしい、ってな」
「え」
ヴァルキリーズ・エール、それはあの子が所属するギルド。
数の少ない女性PCを応援したり、他とは少し異なる視点からの情報をサイトに掲載したり、先日はギルドを上げてレギオンクエストと呼ばれる大規模なクエストに挑戦しているなど様々な面を持つ。
そのヴァルキリーズ・エールが一体どうしたんだろう……?
「ギルドを上げて街中を回ってるらしい。誰かを探してな」
「まさか……」
「金髪のエルフ、とびきりの美人、ドレスみたいな装備を着ている。断片的に上がってた情報だとそんな感じだったな。さすがに名前は伏せられているみたいだったが……」
ホットミルクをまた口に含む天丼くん。話が止まり、思考する余裕が生まれる。
「あの子が……?」
セバスチャンさんやセレナに私がログアウトしていない旨を伝えたあの子だ。
鳴深さんやエリザベートさんに報せたとしても不思議ではない、かも。
そしてあのエリザベートさんが知ったならばどうするだろう、ギルドを動かしもするのではなかろうか。
「なら人の少ない場所ばかり移動してたのが幸いしたのかな」
「その格好もな」
ハロウィンの賑々しい風景と、お祭り特有の熱気から逃げるように路地の奥を行き来していれば人目には触れにくい。
そして今はルルちゃん作のハロウィン装備を身に付けている。ドレス、と言う表現とはそぐわない。
それはこの装備を着ているのをクラリスを始めとしたヴァルキリーズ・エールの人たちは見ていないからだろう。
……それも時間の問題かもしれないけど。
「まあ、時間帯が時間帯だから今参加している人数はたかがしれてるだろうが午後になれば状況も変わるぞ」
「そうだね……」
セバスチャンさんとの約束で、おおよそ今日の午後6時がタイムリミットとなる。
それを過ぎれば現実で私の両親に連絡を取る、そうなれば保護者権限で強制的にログアウトさせられる。
それまでにあの子が接触してくれなければ私の敗北だ。セバスチャンさんは話してはいない筈だけど……。
「……どうにかしなきゃ、ヴァルキリーズ・エールが動いていたらあの子も接触してこないかもしれない……」
あの子が自分で直接接触しなきゃ、私を止められないと思うように仕向ける……その為にヴァルキリーズ・エールを止める事が必要だと言うなら、やってみよう。
「天丼くん、教えてくれてありがとう」
「気にするなよ。もしもの場合は黙ってて、さっさとログアウトさせようと思ってたからな」
そう言うと天丼くんは喫茶店のマスターに代金を支払って立ち上がる。
「俺はログアウトさせてもらうぜ、そろそろ準備しねぇと学校に遅刻しちまうからな」
「そっか……」
「アリッサはずる休みか」
「うん、そうなるね」
「不良め」
「言わないでよ」
後悔なんてしない。これは学業なんかよりもずっとずっと大切な事なんだから。
言われたように、わがままに、私はそう改めて思う。
「そうかい。ま、精々がんばってみろよ」
「うん、ばいばい天丼くん」
「ああ、あばよ不良娘」
そうして天丼くんもまた私の前から去っていったのだった。
直後の事。食べ物か飲み物か、匂いによってか、ポシェットがごそりと動いた。




