第121話「vsセレナ」
コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ、コッ。
規則正しくヒールが地面を叩く。
見上げた空は変わらず青く、白い雲が風の向くまま流れている。
時間の流れが穏やかなゲーム内だから変化は少ないものの、ログインより既に約8時間が経過しようとしていた。
が、私はそんな空を王都の片隅の路地でぼんやりと眺めているだけだった。
『何と言うか、不毛ですね』
「だから言ったのに……」
セバスチャンさんからのチャットからしばらくは何か動きでもあるのではと思っていたものだけど、気付けばこんな時間まで何も無い。
ただ王都中を歩き回り、マップを明るくしているばかり。徒歩にしてはずいぶんと凄まじい距離を歩いたものだと半ば感心していた。
(こんな時間までログインしてたの初めて……でもないか)
私は数日前にエキスパートスキルの練習で夜更かしをしている。今こんな無茶をする事になったそもそもの原因だった。
(それで色々あったのに、また同じ事を……いえ、余計に悪化してるなんて、本当……どうかしてる)
ただ……それでも譲れない何かがあるのだと今は思えている。
1日が終わろうとしているからだろうか、もやもやと走馬灯のように今日の出来事が途切れ途切れに頭をよぎっていた。
ぼけっと夢想するその様はお世辞にも人様に見せられるようなものではなかった筈だけど、ぼんやりな私は一向に気付く事も無く、変わらずに歩き回る。
「……何やってんのよ、アンタは」
空から振ってきた聞き慣れた声に、私の体がギシリと軋んだ。
不規則に揺れる視界、高鳴る心臓は掛けられた言葉の剣呑さ故か。
ゆっくりと仰ぎ見た先には逆光のシルエット。けどその髪型も服装も、何もかもに見覚えがあり過ぎた。
……それでも予想された事と気合いを入れて、彼女に相対する。
「……こんばんは、セレナ」
「……」
『セレナさん? あっ、本当です。ひーちゃんさん、セレナさんがいますよ!』
『キュイキュー!』
知った顔が現れた事をはしゃぐ2人だけど、無言のセレナは建築物の上から私たちを見下ろしたまま、動きを見せない。
……いえ、よくよく見れば肩は激しく上下している。私を探して王都中を走り回ったのかもと容易に想像がついた。
それにはどうしても胸が温かくなってしまう。
「……夜更かしはお肌に悪いよ」
「誰の所為だと……人に言えるようなセリフじゃないわね」
「……そうだね」
セレナの佇む屋根からは10メートル近くある筈だけど彼女は然したる躊躇いも無くふわりと飛び降りる。
建築物の突起やベランダを足場に次々飛び移り、数秒で私の目の前に着地した。
「何しに来たかは分かってるわね?」
「そんなに剣呑な雰囲気にさせるような事の心当たりが1つしか無いから」
傍で見る彼女の顔は険しく、嬉しそうにしていたティファとひーちゃんも戸惑い、オロオロと忙しなくしている。
私は2人に離れているように言うのだけど、不穏当さを感じたのか共に留まる事を選択する。
「じゃあ、せめてこのポシェットの中に入っていて」
アイテムを収納する為のリリウムポシェットだけど、アイテム以外なら普通のポシェットとしても使える。小さな2人なら十分余裕のあるサイズだ。
(もしも荒事になったら……そんなの2人には見せられないもんね)
そんな考えの下でポシェットを開いて2人を招いていると、不意にティファが動きを止めた。
『あの、喧嘩したりなんて、しませんよね?』
こちらを見上げたティファは不安そうにそう尋ねてくる。私は驚き、目を見開いた。
『貴女たちは星守、ですものね?』
……不安にならない訳がなかったのだろう。
ずっと私はただ街中を歩き回るばかりで、表情は暗く、出会ったセレナとはこんな空気を作り出している。
(当たり前だよね、こんなの嫌だものね)
改めて思う。先日みんなで楽しく遊び歩いた時の事が私にも彼女にもある。きっとひーちゃんにも、セレナにも。
誰だって思うのだ、あっちが良いって。
ティファにそんな事を思わせてしまったのは私の所為だ。
なら、きちんと収めなければいけない。また笑顔でいられるようにがんばらねばならない。
(……ありがとう)
感謝する他は無い。
その思いを確かにしてくれて、背中を押してくれて。
私はティファの頭を指の腹で撫でる。安心出来るように、優しく。
「……うん、そうだね。星守は、みんなで力を合わせて星を目覚めさせるんだものね」
『そうですよ、分かってるならいいのです。……いいのです』
それだけを残して、ティファはすっぽりとポシェットの中へと入っていく。
「待ってくれてありがとう、セレナ」
「ふん」
後には私とセレナだけが残った。でも距離は縮まず、まっすぐに相対している。
「……1つ、聞いていいかな?」
「何よ」
「……情報はクラリスが報せたの?」
「まぁね、小間使い扱いされて胃が捻切れそうでしょうがないわ」
イライラとヒールが地面を叩く、その顔には苦々しい心境がそのまま表れている。
「それは災難だったね……あの子はなんて?」
「『お姉ちゃんがログインしたまま戻らない、中で捕まえてログアウトさせて』みたいなメールが来たのよ。色々問い詰めたかったけど返事を寄越しやしない」
「……そっか」
あの子がまだ私をお姉ちゃんと呼んだ事実に少し涙腺が緩みながらも話を続ける。
「半信半疑だったけどセバスチャンから粗方事情を聞いて、色々思う所はあったけど……ログアウトさせる為に方々探し回ったわ」
「……そう。王都は広いし、フレンドリストはパーティーを組んでないと大まかにしか場所を教えてくれないし、大変だったでしょ」
「そりゃね、あっちこっちを行ったり来たりだったわよ」
「チャットやメールで連絡してくれれば楽だったのに」
「ハ! バカ言わないでくれる? 私がどうやってログアウトさせるつもりだと思ってんのよ」
ログアウトする為の方法は突き詰めれば2つ。
1つ目は私の意識をゲーム世界へとフルダイブさせているリンクスに存在する緊急停止用のスイッチを直に押す事。
でもこちらは現在私の体がまこのお家にあり、幼馴染み2人が護衛してくれるので花菜であっても不可能。
2つ目は簡単、システムメニューからログアウトを選択すればいい。
問題は私自身にログアウトの意思が無い事。だとすれば……。
「力ずく」
「分かってんじゃない」
システムメニュー操作は必ずしも私の意思で行われなくても構わない。
例えば私の腕を掴んで無理矢理操作させてしまえばいいのだから。
「だからもし知れば、アンタ逃げるでしょ」
「……どうかな」
「ふん」
間違いとは言えなかった。
一度ログアウトしたらもうログインするなとセバスチャンさんに条件を出されていた。
それは他の誰かが私をログアウトさせる事を前提としたもの。
けど、私はあの子が来るまでログアウトはしない。する訳にはいかない。
その為には、逃げるのだって選択肢の1つだろうから。
でも、それは――。
「観念しなさい。こうして見つけてここまで近付いた以上、私の方が有利なんだから」
「自信満々だね」
「事実よ」
私の《古式法術》は瞬発力に欠けている。言われた通り接近戦スピード重視のセレナとは決定的に相性が悪い。
加えて様々なスキルを扱えても、プレイヤー間での戦闘を禁じているMSOではこの場面で使えるスキル自体少ない。
ずっとずーっと一緒にいた彼女にはその事がよく分かっているんだろう。
だからこそ、その瞳は揺らがない。
「だから大人しくログアウトしなさい。具合悪いままなんでしょ」
滲むのは案じる色。彼女はいつだって私を心配して、いつだって守ってきてくれた。今も、それは変わらないでいてくれているらしい。
有り難くて、嬉しくて……けど、私はその提案を破棄する。
「……ごめんね」
「っ! ……やっぱ、あの妹絡みならそうなるか」
「そうなるよ。だって私は……」
「シスコン」
「……うん、違いないね。でも――っ」
こちらが苦笑するとセレナは大きく息を吐き、雰囲気をガラリと変える。どこか弛緩していた瞳は鋭く細まり、体には力がこもる。
「言っとくけどね、アンタが大切にしてるから尊重してきたってだけで、私は妹の事なんか正直どうでもいいのよ。だから……私はアンタの体を優先する」
「ありがとう。私は、そんな優しい貴女の友達なのが誇らしい……けど」
じり、わずかに距離を開く。
「やっぱりごめんなさい。私は、私の気持ちをもう偽りたくない」
「この、大バカ……ッ!!」
――ゴウッ!
風が唸る。セレナが1歩を踏み出し、一気に距離が詰まった事で巻き起こる風が私を叩いたのだ。
その速度は明確に私の舌よりも速い――!!
「づっ!」
気付けば右手を掴まれている。あるいはフレンドでなければGMコールウィンドウが自動で表示されたかもしれない程に5本の指は力強く私の4本の指を掴んでいる。
それはまるで鋼の如く、もがこうが初めからそうした形ででもあるかのようにその形を崩しはしなかった。
私の力では抗う事など出来る筈も無く、ギリギリと私の意思に反して右手が動かされる。
右手の指を伸ばし上から下へと振るのがシステムメニューを開く規定動作、セレナは私にそれをさせようとしていた。
「呆気無くて悪いけど、これで終わりよ。リアルで頭冷やしてなさい」
「――嫌っ!」
私は咄嗟に残る左腕で口元を覆う。
唱えるのはスペル、その最後の1節。それはあらかじめスペルカットに登録しておいたビギナーズスキル。
「“樹の小盾”!」
「なっ?!」
《樹属性法術》〈ツリーシールド〉。
発動と同時に小さな種が私の右腕へと取り付き、芽を出し枝を伸ばす、それはあれだけ固かったセレナの手を弾き飛ばし、籠手のように腕を包む盾を形成する。
「いくら私でもこの事態は想定していたよ。シールドは地面に向ければ壁に、腕に向けて放てば盾として形成されるの……!」
同じPCであるセレナには炎や水、風などで盾を作っても意味は無い。
だからこそ物質、けど私の腕力では重すぎると身動きが取れなくなる。選択肢はこれしか無かったのが正直な所だった。
「なら盾ごと掴めばいいだけの事でしょうがっ!」
一瞬の驚きもすぐさま回復し、セレナは宣言通りに〈ツリーシールド〉を掴む……でも、それだって読んでいた!!
「キャンセルッ!!」
「なっ!」
一回り大きくなっていた私の右腕から樹の盾が光の粒となって消滅し、盾を掴んでいたセレナとの手にわずかな隙間が生じる。
その隙を逃さず一気に手を引くと、次の瞬間にまた新たなスキルを発動させる。
「〈セプタプル・レイヤー〉、“雷の加速”っ!!」
「ちょっ――」
――バシンッ!
乾いた破裂音が響き、景色が一足飛びに切り替わる。
《雷属性法術》の〈サンダーアクセル〉は次に行う挙動を、文字通り加速させる。走る事に用いれば数メートルを一気に進む事が可能となる。
さしものセレナでもこのスピードなら追い付けない。
(けど、それも後6歩だけ……再申請時間の都合上次に使えるようになるまで数分……それだけあればセレナなら簡単に追い付いてくる――!)
――バシンッ!
路地を進むも残り5歩、4歩と猶予が減っていく。
(一応考えはあるけど……間に合ってっ!)
残り2歩、曲がり角が視界に映る。1歩を使って曲がり角に差し掛かると最後の1歩を以前行ったように直角に移動する事に使う。
そして――。
「っ、いない?!」
数秒遅れてセレナが曲がり角から飛び込んでくる。私を探して左右に頭を振っている。
(どうにか唱え終われた……)
私はセレナのすぐ横で息を殺しながらじっと佇んでいた。
現在効果を発揮している〈ライトカモフラージュ〉は一定時間光を屈折させる事で姿を隠す《光属性法術》のエキスパートスキル。
私自身からは半透明になっているので戦々恐々だったけど、上手くいって良かった。
ただ、光を屈折させているだけなので声も音も普通に聞こえる為に、私は今まともに動けずにセレナの様子を窺っていた。
「まさか、転移したの……?! ちょっと天丼、そっちに行った!?」
どこにもいない天丼くんへと話し掛けるセレナ。どうやら受け答えもしているらしい。
あの様子からするとずっとパーティーチャットを繋ぎっぱなしにしていたんだろう。
(やっぱり……天丼くんも来てたんだ。あの様子じゃ、逃走手段として〈リターン〉を使うと踏んでポータルに待機させてたみたい……)
安易に〈リターン〉を使わくて良かったと安堵する。
広大な王都で〈リターン〉による転移は非常に有効な逃走手段となる反面、必ずポータルへと転移すると言う、今回に限ってのデメリットも内包する。
〈リターン〉と同様の効果を持つアイテムがあるらしいから追われたら事だし、人ごみの中では行動が制限されるから使わずにおいたんだけど、どうも正解だったらしい。
「いない?! ちょっと、ちゃんと探したんでしょうね?!」
どうやらポータル傍にいるらしい天丼くんが私が転移していないと結論付けたみたい。
訝しむセレナだったけど、システムメニューを開いて操作を始める。多分フレンドリストから私がどこにいるかの大まかな位置を確かめようとしてる。
(……)
私は1歩を踏み出した。
逃げ出そうと思えば出来たけど、セバスチャンさんに言ったセリフが、ティファに言われたセリフが、私の背中を押していた。
足音を、衣擦れの音すらも立てないように気を付けながら、私はセレナの背後へと回り込む。
システムメニューの操作に集中している背中は想像以上に無防備で、小さく小さく息を吐くと右手をピストルの形にしてその背中へと突き付けた。
「ばんっ」
「っ?!」
即座に振り向いたセレナの目がさ迷う。まだ〈ライトカモフラージュ〉の効果が続いている事に気付きキャンセルする。
「……なんで……?!」
姿を現した私を驚愕の眼差しで見つめていた。
「なんで、逃げなかったのよ……今、私完全にアンタを見失ってたのに……」
「そだね。でも、うん。やっぱり分かってほしいから。友達だもの……だから、話をさせてほしい。ちゃんと」
「……バカじゃないの?」
突き付けていた右手をまた掴まれ、ぐっと力が込められる。
幸いかどうか、今度は指を握り込んでいるからシステムメニューを強引に開かれる事は無さそうだった。
だから私はその体勢でも心を乱さずにセレナと相対する。
「うん、知ってる」
「…………ねぇ」
セレナが空に向かって声を上げる。きっと私ではなく、繋がっているもう1人へと向けたものと思う。
「明日、キツくなってもいいと思う? …………いいでしょ、そう言う気分だったのよ…………ちょっ! ……チッ」
大きく肩を落としたセレナ、私の手を握る力がまた強くなる。
「離すつもりは無いわよ。今でも早くログアウトさせたいってのは変わらないんだから」
「うん、それでいい。天丼くんは?」
「『ややこしいのはそっちに任す、俺はさっさとログアウトして寝る』、だってさ」
「そっか」
話せないのは残念な気持ちもあるけど、既に日を跨いでいる。無理強いを出来る立場ではないと頭を切り換える。
「なら、どこで話そうか」
「どこでも……と思ったけど、ずっとログインしっぱなしで、空腹度と睡眠度はどうなの?」
「実は……空腹度は少しずつ摘まみながら来たから平気なんだけど、睡眠度はそろそろキツい、かな」
あの子からのアプローチがあるかもしれないと思えば食事も睡眠も躊躇っていた。
食事は軽食でも回復は可能だけど、睡眠はベッドなどで横にならなければならず、そうした施設には第三者は基本的に入れないし探せもしないからだ。
「だったら宿屋に決まってんじゃないの、ホラさっさと行くわよ」
「あ、う、うん」
セレナに手を引かれながら、さすがにこの時間ならアプローチの可能性は低いかと思い大人しくついていく事にした。
「オラ! アンタらもいつまで隠れてんのよ!」
『だっ、誰の所為だと思っているのですかっ! こちらはこちらで気を使ったんですよ!?』
『キュー』
「ああ、ひーちゃんがポシェットの中を気に入ったみたい。出てこない」
……そんな、いつもみたいな空気がいつの間にか出来上がっていて、どうにも足取りが軽くて仕方無い。
◇◇◇◇◇
セレナは私を連れて手近な宿屋さんに入るや適当な部屋を取ってそこに押し込んだ。
そこは王都の片隅に位置する『蜥蜴の尻尾亭』と言う、あまり縁起の良いとは言えない安宿だったけど、長々と探してさ迷い歩くのは時間の無駄かと納得した。
そんな宿屋さんのあまり上等ではない一室。ベッドは2つあったけど、手を離さない事になっていたから片方のベッドに2人で座っている。
ティファとひーちゃんは部屋を見て回っていたけど、セレナはお構い無しに話を始めた。
「……なんか、前にもこんな事があったわね」
どこかぼんやりと、セレナが呟いた。
つられて思い返す。あれは《古式法術》を取得した日の夜。
弱くなって落ち込んだ私を連れて、セレナはアラスタでも一番大きなホテルのロイヤルスイートを借りた事があった。
部屋を眺めて私もぽつりと呟く。
「あの時とはずいぶんランクが下がってるけどね」
「人の金で取った部屋に文句なんて偉くなったモンね」
セレナがギシリとベッドに体重を掛ける。返事は求めていないのか、続けて言葉を投げてくる。
「変わったんだか、変わってないんだか……あん時もそうだったわよね、妹の為にぴーぴー喚いてさ。そう言うトコは変わってない……」
「そんな事もあったね……」
あの夜も私は妹の為と諦めるのを拒否した、泣いて喚いて、あの子の事を想っていた。
あれもまた“ブレーキが壊れた”事の発露だったろう。
「あれから色々あって、アンタの事をちょっとは分かったと思ってた。でも、なんでこんな事してんのよ」
「……セバスチャンさんから聞いたんでしょ?」
そう言うやセレナはダン! と壁を叩く。
「聞いたわよ! でもどうしてアンタがそんなバカげた結論に至るのか、そんなの人伝に聞くだけで分かるワケ無いじゃん! 私に分かったのは――分かったのはこんな方法じゃ、アンタが体を壊すって事だけよ」
「そんなのほっとけないじゃない」と徐々に弱くなる声。
顔は合わせていない、互いにただ壁だけを見つめている。それでも、それでもセレナが苦しそうにしているのは分かる。
「……そう……」
「私を止めたいって言うなら説得してみなさいよ。全部、全部話して。けど、納得出来なかったら今度こそ……」
それは未だ私の手を握り締めるセレナの手の温かさと力強さが教えていた。説得出来なければそれこそ力ずくでシステムメニューからログアウトさせるつもりなんだ、って。
「……うん」
説得したかった。分かってほしかった。
このままだとどこか痼を残してしまう気がして、出来るなら花菜との事が済んでも友達でいたいと心から願ってるから。
だから事の始まりからを話す。夜更かしをした時からを訥々と。セバスチャンさんからの又聞きではなく、私の言葉として話していく。
そうして終わりに近付くけど、それまでセレナは一言だって口にしないでただじっと聞き続けていた。
顔を窺うと、多分まだ納得はしていなかった。なら――私は握る手に力をこめる。
「……セレナは…………セレナには……いつも一緒にいるのが当たり前な人はいる?」
「……さあね」
「私にはいるよ。一緒にいるのが当たり前で、当たり前過ぎて、それがずっと続くんだって思ってた」
「でもそんな事無くて、呆気無く崩れるって知った。当たり前だよね、始まったなら終わりだってある筈だもの」
「今のまま進めば私たちの関係は致命的に終わる、そんな予感がある。体裁は整えられても中身の無い空っぽの関係になる予感」
「それはある意味では正しいかもしれない。相手を思えばどちらも傷付かないように距離を離すのは間違いじゃないのかもしれない」
「……でも、そんなの私は嫌」
「今も離れてしまったあの子との距離を思うと胸が張り裂けそうに痛い。無くして改めて分かった、私はあの子がいなきゃだめだって」
「私は……私はあの子が欲しい。腕の中で抱き締めたい」
「あの子のいない未来なんていらない。だからあの子を連れ戻す」
「その為なら手段なんていとわない。自分を釣り餌にでもする。私の身を案じてくれるあの子ならきっと、迎えに来てくれる。そうしたらようやく真正面からぶつかれる。それまでは……」
そこまで話すと、私は横に顔を向ける。するとそこには目を見開いたセレナがいる。
「……だから、ごめんなさい。私はそれまでログアウトしない。したら、そこで終わってしまう気がするから……貴女の優しさには……応えられません」
……独白が終わり、私は瞳を閉じて結果を待つ。だらりとベッドに身を預けると殊更に柔らかさに沈みそうになる。
想いばかりを込めた独白は果たして彼女に届いたのかどうか。届けばいいとは思うのだけど、場にはひたすらに沈黙が続き、。
やがて、
「……じゃ……の」
細い呟きが耳に届く。
「バカじゃないの」
再び同じセリフ。それ自体は時折言われるものだったけど、今までのものとは違うように思えた。
いつもは私がバカであるか問うていたけど、今はバカだと断定しているようだった。
「ホンット……バカ」
途切れ途切れのセリフだったけど、わずかな震えがあった。
「セレナ?」
「……」
振り向くとそこには、顔を真っ赤くして、逃げるように視線を逸らしているセレナがいた。
「アンタ……自分が何をほざいたか、分かってんの? “ソレ”は、それじゃあまるで――」
途中で言葉が途切れた。
復帰する様子は無くて、セレナ自身言葉を探しあぐねているみたいに瞳が右往左往している。
「……うん。どうなんだろうね、“これ”は……」
気持ちは分かる。私だって“これ”に名前なんて付けられそうにない(名前を付けられそうになったら逃げたけど)。
「けど、分からなくたってぶつけようと思うんだ。私は私の気持ちを偽らない。そうじゃなきゃ、きっとあの子まで届かないから」
その言葉が部屋に響く。
「……はあ」
嘆息と同時、ずっと手を包んでいた温もりがするりと消えた。
自由になった右手、それは説得が上手くいったと言う事なのか、私はセレナを見る。
「本気、なのよね」
「うん」
「……そ」
セレナはぐったりと疲れたように項垂れる。
「……いいの?」
「いいワケあるかっ!」
「ご、ごめん……」
怒りを浮かべて叫ぶセレナに体を縮こまらせる。
「アンタ自分でも分かってんでしょ?! こんな無茶したら体を壊す、していい事じゃないって!」
「……うん。実はね、夜更かししたのお父さんにバレて、叱られたんだ。こんな事したら私の大切な人がどう思うか考えなさいって。それくらいいけない事なんだよね」
セバスチャンさんやセレナに対して申し訳無い思いはある。
だってこんなにも心配して、止めようとしてくれているのだから。
それを無下にする自分は、ひどい人間だと理解している。
「……でも、続けるんでしょ。アンタにとって、妹以上なんか無いから」
「うん」
「そ。……なら」
ガッと襟を積み掛かられる。鼻の頭が触れる程近くにセレナの顔がある。
「……そんな景気の悪い顔をいつまでもすんじゃないわよ」
ぐいっと口角を無理矢理に上げられる。それはきっと不細工な笑顔。
けど、まだ私は自力では笑えないみたいでセレナは呆れている。
「欲しい未来があるなら胸張って、笑うくらいしなさいよ」
互いの瞳だけを映している瞳、それには私を止めようとしていた時とは違う色に強く輝いている。
「私を、説き伏せたんだから……そんな顔、合ってないっての」
「分かって、くれたの……?」
セレナは小さく、けどしっかりと頷いてくれた。
「……姉妹喧嘩なら正直ダメだったけどね。でも、問題の本質が違ったのよね、なら……まぁ……」
「え?」
「だからさ、シスコンだけじゃなかったんでしょ。アリッサは」
名前を呼ばれた。ずいぶん久し振りだなと場違いにも頭を占めた。
「そうよ。女には引いちゃいけない時があんのよ。例え友達だろうが仲間だろうが蹴落としてでも引いちゃいけない時が。間違いだろうが必要な時が。アリッサにはそれが今って事なんでしょ。なら今が一世一代の正念場じゃない」
セレナの言葉は静かだった。そこに含まれる何かが淡々と、深く、しかし激しく私の心に流れ込んでくるよう。
「セ、レ――」
「私には、まだそんな経験は無いけど……けど、誰にだっていつか来るのよ、きっと。私も女だから、貫かなきゃいけないものがあるってのは分かるから……ホントバカだって思うのは変わらないけど……納得してあげる」
「――っ!!」
「それにその時が来たら私だって……応援してほしいだろうしね。だから――」
ギシリ。スプリングを軋ませながら彼女は起き上がっていつもの、いつも通りの笑顔を向けてくれる。
「だから、ま、そう言う事にしといてあげるわ」
「あ、」
喉が詰まる。また見れたって、胸がいっぱいになるくらい嬉しくて、どうしようもなく嬉しくて、苦しいくらい嬉しいから、私は――。
「でも」
セレナの額が、ぽすんと寝転がる私の胸元を叩いた。
「次からは最初から、私も混ぜろ。バカ」
「っ――ありが、と……っ」
――泣いた。
顔を歪めて、ひたすらに。
「……バーカ」




