第101話「貴女と逢えるまでの距離」
…………太陽が中天に差し掛かっている。手の平で遮っても容赦はされずに湖畔に横たわる私の体を照らしている。
そんな中で視線が追うのはチカチカと明滅する視界内の横棒の1つ、睡眠度ゲージ。
それが徹夜によってとうとう底が見えた状態だ。
「はあ……」
今日はいよいよクラリスやみんなとオフィシャルイベントに参加する予定で集合は10時過ぎ。
そろそろログアウトすればそれまでには睡眠度は普通に活動するのに支障の無いくらいまで回復するだろうけど……。
(問題は私の方……)
現実の時間では既に深夜から早朝に移ろうとしていた。
これからログアウトしたとして、家族に怪しまれない程度の時間に起きるとすると眠れるのは2〜3時間くらい。
(いえ、眠れるだけマシか……睡眠度は常時ログインさせない為の措置でもあるんだからちゃんと役割を果たして……んう……)
現実の肉体から切り離されていても眠気は押し寄せるものなのか、頭はいよいよとぼんやりとし始めている。
(……潮時だね)
私は体を起こす。さらさらの砂がキシリと音を立てる。
『行くか?』
そう声を掛けてくれたのはクリアテールさんだ。
例のMPを回復してくれる水の玉は1時間程で消えたものの、その後残りの食料を全部あげると再度使ってくれたので大分助かった。
最後までは持たなかったものの、クリアテールさんはそれからも一緒にいてくれている(まあ、ひーちゃんは複雑そうだったけど)。
「いえ、ここをお暇するのは一旦休んでから……それからセレナと〈リターン〉でライフタウンまで戻る事、に――」
フッと視界が一瞬暗転する。
睡眠度が0になった事による警告、寝落ちだった。
(……急がなきゃ)
空腹度がお腹の虫を鳴らすと言う恥をかき捨てればどうにかなる程度の警告なのに比べ、こちらは実害がある。
寝落ちはその名の通り暗転した間は体が寝た状態になるのだ。
直立していれば膝から崩れるし、今の私は腕で体を起こしていて暗転した瞬間にその腕から力が抜けて肘が曲がった。
(もうあんまり時間が無い)
そしてそれは言葉を紡ぐ口だって例外じゃない。
寝落ちは時間経過によってその暗転の時間は増し、間隔は短くなる。
スペルを唱える途中に一定以上の間が開くとファンブル扱いとなってしまうので、いずれはスペルを唱えられなくなる。
(その前に、思いっきりコストの重いエキスパートスキルを使っておこう)
七星杖を支えに膝立ちの姿勢を取って詠唱を開始する。
使用するのはレイヤー系と《炎属性法術》エキスパートスキル〈バーニングインフェルノ〉。これならばひーちゃんの〈ファイアブースト〉を乗せられる。
「――”。“燃えろ、炎獄”。ひーちゃん!」
『キュイッ!』
火属性最強の攻撃力を誇るスキルは空に向けて放たれ、22本にも及ぶ極大の火柱が屹立する。
――グ、ォォォォォッ!!
あまりの熱量に肌は炙られ目を開けてもいられない。それでも視界に映るMPゲージはあっと言う間にほぼ空となる。
『終わったか?』
「は、い……」
やがて炎が収まると徐々に涼やかな風も吹いてくるのだけど、ふっ、ふっと視界は暗転を繰り返す。
クリアテールさんは気遣わしげに私を見ているようだ。あまり心配を掛けても悪い、私はひーちゃんを送還し、さっさとテントへと戻る事にした。
「では、クリアテールさん……お休みなさい……」
『うむ。無茶をしたのだ、よく体を休めるのだぞ』
「はい、ありがとうございます……」
ふらふらと頼り無い足取りで、私はテントに歩いていった。
◆◆◆◆◆
眠い。眠い。眠い。
怠い。怠い。怠い。
そんな体からの素直な欲求が、ログアウトした私の頭を支配していた。ひどく億劫にリンクスを片付けてベッドに潜り込んだ。
次の瞬間には、もう――。
◇◇◇◇◇
「――ち――。お姉――ん」
泥のように、夢すら見ずに眠りの中に落ちていた私を誰かが揺り起こそうとしていた。
しかし頭は働かない。
ゆらゆらと前後に揺すられるのをむっとしながら感じているばかり。
「起ーきーてー」
顔のすぐ近くから声がする。
安眠を妨げるなと本能が訴える。ならそれを静かにするにはどうしたらいいのか。
思考は働かなくても体は対処の仕方に見当が付くのだろう、私の腕が半ばオートで動き出す。
「ほへ?」
間の抜けた声がした。私は眼前にいるらしい相手に両腕を伸ばし、両方を内側へと折る。
そしてそれをこちらに寄せると多分私が抱き付いた格好。
「おひょ?! うひょ!? あひゃひゃひゃひゃ?!?」
奇声を発する相手と頬が当たるまでに近付くとそっと小さく囁く。
「しー……」
それだけ、それだけで奇声は即座に停止し、気持ちのよい微睡みが私の中に戻ってきた。
「すー……」
◇◇◇◇◇
「…………」
息が詰まるような思いだった。
花菜が私を起こしに寄越されると言う前代未聞の事態が発生したらしいのだけど記憶に無い。
更にその花菜すら巻き込んで寝続けたらしく、現在時刻は午前9時になってしまっていた。
「…………」
普段ならばそんな私をお母さんが不審に思わない訳は無く、対面に座りながらじーっと私の様子を窺っているのだ。
「な、何かなー?」
「今日はずいぶん寝坊助だったわね」
「そ、そうだね……うん、ちょっと遅かったね」
ちょっと所の騒ぎではなく、髪はボサボサ、目元はショボショボ、パジャマはヨレヨレ、意識は霞み、体は恐ろしく怠い。
ほんの10分程前までぐーすかぴーといびきをかいていた私です。
「…………」
「…………」
ど、どうしよう。
どうやってごまかせばいいのか! 働かない頭をぐるぐると巡らせているとお母さんからボールが飛んできた。
「昨日戻って来たのはそう遅くもなかったと思うのだけど……」
「あ、あの、あれだよ、お休みでちょっと寝覚めが悪かっただけだよっ!?」
必要以上にトーンの高い言い訳が炸裂し、なんだか状況を悪化させた気がしないでもない。
が、
「お姉ちゃんは寝坊助さんでいいと思う」
そんな私に救いの手を差し伸べたのは誰あろう妹だった。
私とお母さんの視線が私の横の席に向かうと、そこにはぐったりとテーブルに身を投げ出している花菜がいる。
「あれは良いものです」
花菜は夢見心地でそう語る。
顔を赤らめ、目をハートマークに変えて、鼻血が出ていないのが不思議なレベルだった。
「決めた!! あたし明日から早起きする!! ほんでもってお姉ちゃん起こしに行って抱き枕になるの!!」
「本末転倒になっているでしょうがっ!」
「なーるーのー!! お姉ちゃんにギュッてしてもーらーうーのー!!」
「そうなるのが分かっていて行かせる訳が無いでしょう!」
駄々を捏ねる花菜とお母さんのやり取りがヒートアップし、最終的に「結花は明日からちゃんと起きなさいお願いだから!」と言うお母さんの切なる願いに首を縦に振って、ようやく騒ぎは収束した(花菜はぶーたれたけど)。
私の寝坊の理由はうやむやの内に流され、どうにかこうにか胸を撫で下ろす。
「ふう……」
そして遅めの朝食を摂っていたのだけど、動かす手は疲れからか鈍っていた。
どうにかそれらを胃に流し込み落ち込む花菜と一緒にリビングに向かうとお父さんが苦笑しながらこちらを見ていた。
「大変だったな」
「うん、まあ……」
本音を言えば現在進行形で大変だった。
数時間寝たと言うのに思考も体もむしろ悪くなったのではと思う。まるで寝起きが終わらない感じ。
しかも背中には花菜をおんぶしているので重くてキツい。
「お姉ちゃんの抱き枕になりたい……ぐすぐす」と未だに繰り返している花菜をそのままにソファーに座る。花菜の体重をソファーに預ける事が出来てほっと息を吐く。
「それにしても本当に大丈夫か? 少し具合が悪そうだぞ」
「……大丈夫、昨日は長丁場だったからちょっと疲れが出ただけだから。ゲームを始める前にお風呂に入って体を休めておくよ」
苦笑いで返す。
心配させているのに本当の事を言えないって辛い。
「ほら花菜、私お風呂に入るからいい加減離れて」
「一「休めないから遠慮してください」緒にはーいーらーせーてー……」
がっくりと肩を落とす花菜を振り切り、私は立ち上がる。
しかし、疲れが足に来ているのかかくりと一瞬膝が曲がる。
ふて腐れる花菜とそれを笑って見ているお父さんには気付かれずに済んだみたいだけど、あまり楽観出来ない気がした。
(お風呂に入れば少しはマシになるかなあ……?)
ぼやける頭のまま、私は着替えを取りに急いでリビングを後にした。
◇◇◇◇◇
お風呂に入った私はそそくさと2階へと向かっていた。
体の怠さはあまり変わらないものの、多少目は冴えた。
「ふう……湯船の水温高くしすぎたかな……ちょっと熱いや」
今は手を団扇代わりに顔を扇ぐ。目を覚ますにはそれくらいはしなければと思ったのだけど、未だにじっとりと汗が浮かび、首に掛けたタオルケットが大活躍していた。
(でも、大丈夫かな……)
全感覚体感型ゲームハードであるリンクスにはいくつかの安全措置が講じられている。
例えば登録ユーザー識別の為に額の毛細血管を毎回スキャンしていたり、各種情報を保護者が自由に閲覧出来たり、そしてフルダイブ時には自動で簡単なチェックを行ったりしている。
そのチェックの1つに体温チェックがある。風邪などの病気で体温が平熱より高い場合、ログイン出来ない仕様なのだ(だから今まではなるだけ寝る前にお風呂に入っていた)。
少し悩むけどすぐに首を振る。
(ううん、昨日だって平気だったのだし大丈夫大丈夫。だめだったら少し間を開けて体を冷ませばいい話なんだから)
そうして納得した私は濡れた髪も完全に乾ききらない内に花菜の部屋を訪れる。
――コンコン、コンコン。
ノックを数回、ややあってからドアがそっと開かれた。そこには当然花菜がいる。
うずうずと体を揺らし、瞳を煌めかせるのはこの後の事が楽しみ過ぎるからだろう。
「うずうず、うずうず」
「ごめんね、もう少し我慢して」
きっと本音では今すぐログインして遊び倒したいんだろうけど、現在アリッサとセレナはブラネット高地に残っている。
それはセバスチャンさんからの指示なのでまずはライフタウンへ戻っていいかどうかを伺わないといけない。
その合流時間まではまだ少しあるので、花菜をどうどうと宥める。
「私はまだちょっと遠くにいて、まずはパーティーのみんなと合流する予定なの。それが済んだら連絡するからそれまで待ってて、ね」
こちらの用件が済んだらディドブラ村に来てもらうつもり。
以前、王都でクラリスと待ち合わせをした際にはパーティーの勧誘や物見遊山、単純にお近づきになりたいなど様々な人たちに囲まれていた。
平時でそれなのだから、オフィシャルイベントで人が溢れている今は人の多い所は避けるべきと思ったのだ。
ただ、それまではどこで待ち合わせるかは伏せておく。この様だとフライングしかねない。
(問題は花菜がそれを受け入れてくれるかどうかなんだけど……)
この調子ではログインしてすぐさま会えないと駄々を捏ねそうでちょっと心配だった。
と、そんな時の事。
不意に花菜の情報端末が軽快なメロディーと共にブルブルと振動した。
(今のは確か……MSOからのメールじゃなかったっけ?)
PC間でのメールは情報端末などへ転送する事が出来る。今のメロディーは何度か聞いた事があったので間違い無い筈。
しかし、花菜はきらきらとした瞳を一心に私へと向けていて、情報端末になど見向きもしない。
「うずうず、うずうず」
「うずうずしても早くなったりはしないから確認しなさい。何か重要な事かもしれないじゃない」
「えー、ぶー」
一転膨れっ面になる花菜をやはり宥めつつ、机の上に置かれていた情報端末を花菜に受け渡す。
仕方無しとばかりにダラダラと操作を始めた花菜なのだけど、次第にその顔色が変わり始める。
首を傾げる。
目の前にいる花菜はつぶらな瞳で私を見ていた。
けど、それは先程までの今日が超楽しみ過ぎて辛抱たまらんとです! と言った風では無く困ったように歪んでいる。
「どうかしたの……?」
上げかけた手に花菜の頭が頭突きをして結果として撫でるような格好になった。
「花菜?」
「……」
そうして黙りこくってしまう。理由は分からない、けど原因は分かる。その手に今も持つ情報端末、そこに送られてきたメールだろう。
私はだらんと下げられている手を取り、情報端末の――と、そこまでした所で勝手に見てもいいものか一瞬迷うけど、花菜は私がそうするのを止めようとはしない。
ならいいかと画面を見るとそこには当然メールが表示されていた。読んでみると花菜が変貌した理由にも得心がいった。
「……ああ、そう言う」
「……」
改めてそのメールに視線を移す。
『FROM:シエ
タイトル:新情報!
クラセンパイ! イベント限定らしいクエスト新発見デス!
なんとレギオン規模の大規模戦闘で今ギルドのメンバーでチャレンジしてきたデス!
でも完敗……正直クラセンパイがいないとキツいデス!
力を貸してほしいので連絡待ってるデス!』
(レギオンって確か最大6人のパーティーを6組合わせた単位だったっけ)
話に聞いただけだけど、36人も必要とするなんてどれだけの強敵なんだろう。
(クリアテールさんを相手にするようなものなのかな……そりゃなるだけ強い人を集めたいよね)
昨夜猛威を振るった水竜・クリアテールさんを思い出して、なんとなく納得する。
(さて、どうしたものかな)
まるで先程までが嘘のような花菜。そんな姿に私は小さく笑って花菜の胸に情報端末を押し当てる。
「……お姉ちゃん?」
不思議そうな顔で私を見返す花菜に、なるだけ安心させるように笑みを保ちながら告げる。
「行かなくていいの?」
「お姉、ちゃん?! な、何言ってるの!?」
心底驚き、ショックを隠さずに慌てふためく花菜はそう叫ぶ。
「やっと! やっとお姉ちゃんと遊べるのに!」
「うんそだね」
「他なんかどうでもいいの! あたしにとってお姉ちゃん以上なんか無いんだよ! だから――」
叫び続ける花菜の唇を人差し指で止める。
「だったら、そんな顔にはならないでしょ」
「……」
そう、花菜の顔は困ったように歪んでいるのだ。
「この、シエって人とは仲良しなの?」
「……うん」
「そんな人が力を貸してほしいって、助けてほしいって言ってる。ほんとは力になりたいし、助けてあげたいって思ってるんでしょ? 花菜は、優しい子だもんね」
「……」
沈黙は正解と見なします。
「でもそれを振り切って私を選んでくれようとしてる」
「だ、って……お姉ちゃん以上なんか、無いんだもん。だから、いいの」
さっき勢いで叫んだ事を今度ははにかみながら呟いた。
その様子は愛らしくて、抱き締めてしまいたくなる衝動に駆られもするのだけど、ぐっと堪える。
「ありがとう、花菜。でも――」
「私は、そんな顔をされたまま遊びたくないな」
花菜は笑顔が一番可愛い。私はそんな花菜が大好きで、いつもそうであってほしいと思っている。
でもこのままなら花菜はレギオンクエストやシエと言う子と私の板挟みになって、それを振り切ろうとすれば後ろ髪は引かれて、きっと笑顔は曇ってしまう。
……そんなのは嫌だ。
「私たち、やっと一緒に遊べるまでになったけど……だからこそ、最初に遊ぶなら思いっきりの、最高の笑顔で遊びたいんだもの」
「ふわ」
両手で無防備な頬をもてあそぶ、ふにふにと柔らかい頬は次第に赤みを帯びていく。
ようやく花菜らしくなってきたと思い、そこで私は少し意地の悪い顔をしてみる。
「それに……そのクエストにも興味あるんでしょ」
「……無いもん」
「嘘。だって花菜だもの、楽しそうな事に興味を持たない訳が無いじゃない」
「むいー」
顔を押し潰す。
この子は私の妹であるけど所謂ゲーマー、と言う奴でもある。私と遊ぶ事を楽しみにしてくれているのとは別の部分で、面白そうなイベントに興味を引かれてもいるんだろう。
「だから、行ってきて。花菜が納得するまでがんばって、楽しんできて」
それが最善。私はそう確信し、花菜に微笑んだ。
「でも! でも……レギオン規模ってそんな簡単に終わんないよ。今日が潰れちゃうかも……」
相手がどうあれ36人もの人数が必要とするらしい。それだけの強敵なら、確かにそうそう勝負は着かないのかもしれない。
でも、と私は思う。
「もし潰れちゃっても、オフィシャルイベントは今日で終わる訳じゃないもの。残りが4日もあれば飽きるくらい遊べるよ、だから花菜はがんばってそのクエストをクリアして憂い無く明日から思いっきり遊ぼ」
「お姉ちゃんは、それでいいの? だってようやくここまで来て、なのに……あたしの都合で……」
「こらこら、そんな顔しない」
所在無く縮こまっているけど、私は花菜が思うよりも穏やかな気持ちだった。自分でも少し、驚くくらいに。
「勘違いしないで。今日まで花菜を待たせちゃったのは私の都合、謝るなら私じゃない。だから花菜はそんな顔しないで、仕返しと思って私を待ちぼうけさせればいいんだよ」
花菜はポカンとした後に、俯いてぷるぷると震え出す。
どんな顔をしているかは興味があったけど、今は髪を撫でるだけにしておいた。
「ファイト。お姉ちゃんはどんな時だって花菜を応援してるよ」
「むー」
「ひゃっ」
唸った花菜が抱き付いてきた。顔を胸にうずませてきてちょっとくすぐったい。
「……お姉ちゃんが大好き過ぎて生きるのが辛い」
「こら。花菜が死んじゃったら私が辛いんですけど?」
「そんなだから大好きになっちゃうんだ」
なんて、ぐだぐだとしたやり取りが少しの間続いたのでした。
◆◆◆◆◆
ログインすると辺りはとっぷりと闇に沈んでいた。
ブラノーラは廃墟と化しているし、ブラネット高地には光る果実のような光源となる物も無い為、夜はひたすらに暗い。
もちろん空には星が輝いているけど、この暗闇にはささやか過ぎる数しかない。それは寂しく切ない光景だ。
私は視線をずらし、〈ライトアップ〉を複数灯すとぼんやりと周囲が照らされる……ものの、見えるのは光を透過する湖と綺麗な砂浜、後は石とか瓦礫やまばらな芝生くらいのもの。
人の営みから隔絶された地に1人と言うのはなかなか堪えるものがあるのでぶるりと体を震わせる。
「サ、〈サモンスピリット〉“ひ、ひーちゃんおいで〜”」
『キュイッ!』
ポン! (良い意味で)所構わず現れてくれるひーちゃんを人恋しさから抱き締めつつ、[フレンドリスト]から天丼くんかセバスチャンさんがログインしていないかを確認する。
「あ、良かったセバスチャンさんがログインしてる」
ほっとしつつ、チャットで連絡すると優しげな声が応えてくれた。
『ご機嫌ようアリッサさん。昨日の結果はセレナさんから聞き及んでおりますよ、おめでとうございます』
「ありがとうございます、セバスチャンさんのお力添えのお陰です、昨日は連絡もせずにすみません」
『いえいえ、昨日一番長く戦闘をしておられたのはアリッサさんですからな。お疲れであったのは承知しておりますよ、お気になさらず』
「そう言って頂けると助かります。それで、なんですが……昨夜『まだ戻って来なくていい』って仰ったってセレナから聞いたんですけど、それってまだ有効なんでしょうか?」
昨夜はセバスチャンさんの言う事だからと納得したし、エキスパートスキルの練習には都合が良かったけど、いつまでもここにいる訳にもいかない。
今日はさすがにオフィシャルイベントに参加したいからブラネット高地から降りないといけない。
『ふむ、その事ですか……』
そう聞くと途端にセバスチャンさんの口が鈍った。
「あの……?」
『ああいえ、降りる事自体は問題ありません。ディドブラ村でお待ちしておりますので転移する際にはご連絡下さい』
「そう、ですか。イベントには参加したかったので良かったです」
『オフィシャルイベントについてもある程度情報を得ておりますのでご一緒に頑張りましょう』
「はい! じゃあセレナが来たらチャットで連絡しますね」
『はい、かしこまりました』
そうしてチャットを切ろうとしたのだけどその寸前、セバスチャンさんが付け加えた。
『繰り返しますが、転移なさる際にはご連絡をお忘れなきよう』
念を押され「は、はあ……」と曖昧に返事をしてチャットを終了した。
「……あ」
そして終了してからまだ戻るなと言う指示の理由を聞きそびれていた事に気付いた。
「……まあ、会った時に聞けばいっか」
そう納得し、私はセレナが来るまでまた練習をする事にした。
◇◇◇◇◇
あれからしばらく練習を続けていると、どこからともなく三度クリアテールさん(竜人)が現れた。
『あれだけへばっておったと言うに、よくやるものだ』
「まだまだ、完全に使いこなすには回数を重ねなきゃいけませんから」
昨夜は夜更かしした訳だけど、その間ずっと一緒にいてくれたクリアテールさんとはずいぶんと打ち解けたように思う。
様々なスキルを使う手前喧しくする事を謝罪すると『ここは静か過ぎる、それぐらいならば丁度良かろう。むしろどうせなのだもっと派手なのは無いのか?』などと返してくれるくらい。
『もう食い物は無いのかの?』と物欲しそうにされるのは少し困るけどね。
『ほれ、小さき精霊よ、もっと近くに来ぬか』
『キュキュキュキュキュキュキュキュ……』
ちなみにひーちゃんは最後の最後まで慣れる事はありませんでした。
そしてそれから少しするとセレナがログインしてきた。
昨日の長期に渡る戦闘による疲れは無いらしくはつらつとした様子でテントから出てきた。
「こんにちはセレナ」
「やっほ、アリッサ……ん?」
当然私と一緒にいるクリアテールさんにも気付き、目を擦ったりしている。
「セレナ、セレナ。ほんとに本物のクリアテールさんだよ。話し相手になってくれていたの」
『ふむ、息災か竜の娘・セレナよ』
胸を張って仰々しくそう尋ねるクリアテールさんに、セレナは負けじと胸を張って応じている。
「当然じゃない、私を誰だと思ってんのよ青蜥蜴。アンタのヘボい攻撃なんか100回食らおうが1回寝ればこれこの通りってね」
まあPCならHP・MPは簡単に回復出来るし、精神的な疲労だって心地よい達成感の後なら回復も早いかもしれない。
挑戦的なセレナの態度に、しかしクリアテールさんは堪えもせずにからりと笑んだ。
『ふっ、吐くではないか。だがそれで良い、汝も竜の末席に連なりし者なのだからな。その豪胆さが有ってこその竜よ!』
そうセレナを評すると今度は体を仰け反らせるくらいに大笑する。
どうやらクリアテールさんはセレナをいたく気に入っているらしい。
確かに、桃に近い髪と真っ赤な装備を身にまとうセレナと青空を切り取ったような髪と青い鱗を散りばめたようなマーメイドドレスを着こなすクリアテールさんは対照的ではあるのだけど、どこか似た雰囲気を持って見えた。
「ったく調子狂う……」
セレナはそんなクリアテールさんから顔を背けながらも、背けた口許にはほのかに笑っていた。
どんな形であれ自分を肯定してくれた存在に悪い気はしないんだろう。
そんな2人の様子を嬉しく思いながらテントを片付ける作業を始める。
セバスチャンさんからは「最後に残るのはアリッサさんですからな」と、所有権を私に預けてもらっていたのでポシェットにも入れられる。
それが一段落すると、視界の中から封印状態を示す×マークアイコンが丁度消えた。
これで自由にスキルが使えるようになった(正確には今しがた使った属性は再申請時間がまだ残っているので使えないけど)。
私は約束通りセバスチャンさんに連絡を取ってからセレナへと話し掛ける。
「セレナ、封印状態が自然浄化されたからいつでも行けるよ」
「え、ああ了解。じゃ、私らは行くわ」
『キューキュー!』
「クリアテールさん、本当にお世話になりました」
『うむ。今に満足する事無く励むがよい』
「はい」
私たちは握手を交わし、〈リターン〉を使ってディドブラ村まで転移する。
クリアテールさんは光に包まれる私たちに最後まで手を振ってくれていた。




