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第99話「願いよ届け」




 私のパワーレベリングを目的としたこの長い長い戦いは急速に動き始めていた。

 激しい戦いの中で天丼くんが、ひーちゃんが、セバスチャンさんが、水竜・クリアテールさんに敗れ、この戦場から姿を消したのだ。


 ――ズキン。


 未だ鮮明なその時の記憶がフラッシュバックする度に胸の奥に鋭い痛みを覚えている。

 けど、俯く事は許されない。

 そんな事をしたとしても彼らは戻ってはこないし、望みもしない。

 だから今は、残してくれた私自身で出来る事をするんだと歯を食いしばってただ前を向く。


「囮はやるから、そっちはそっちでどうにかしなさいよね」


 その視線は遥か遠くに舞う青いドラゴンを眺め、隣にいるセレナは同じ相手を睨み固く決意を込めてそう言った。

 残ったのは私とセレナだけ。

 そしてセレナもまた私を守ろうとしてくれていたけど、そのまま送り出す事は出来なかった。


「待って。もう大地神の涙が切れてるでしょ。今半分渡すから」


 自動蘇生効果を持つアイテムを渡す為にシステムメニューを開き、アイテムトレードを申請する。

 どの道私1人じゃ生き残るのは難しい。攻撃をまともに避けられない私が1人で残っても最悪死に戻り、そうならない為には余裕のある内に降参する必要がある。

 ならばなるだけ降参までを長く取る必要がある。それはセレナがいてくれなきゃ不可能だ。


「ありがたい、けどそんなにはいらないわ。私の蘇生猶予カウント、後12秒しか無いからさ。5個でいいわ」

「――っ!」


 カウントの回数はログアウトしなければ回復しない。そしてもうそんな余裕は私たちには無いのだ。


「サンキュ、行ってくる。……掴み取るわよ、この戦い」


 トレード操作を終えたセレナが駆け出した。置き土産のような励ましに「うん」と渾身の気概をこめて応える。

 それに触発されたように得物の大鎌を実体化させ、迫るクリアテールさんへと刃を踊らせる。

 ――ギィンッ!

 火花すら散りそうな鋭い硬質の音、クリアテールさんの分厚い鱗が攻撃を受け流したのだ。

 ダメージなどそれでまともに与えられる筈も無い、進路を変えぬまま私へと迫り来る。


(――っ、狙いはそうそう変わらないか……!)


 私の攻撃だって弱い訳だけど、あれだけしこたま撃ち込めばヘイト値も溜まっているんだろう。

 〈ウォーターフロート〉を自身に掛けて逃げ出す。

 私の足では到底クリアテールさんの移動速度には対応出来ない。こんなのは雀の涙程の抵抗だ。

 それでも、セバスチャンさんが言ったのだ。私の単独行動も可能かもしれないと……セレナもまたその言葉を信じてくれている、なら私も私自身を信じる!


(やれるだけやるしかないんだから!)


 水の上を走りながらスペルを詠唱し、完了しては振り返る。


「“汝、虹のミスタリアの名の下に我は乞う”“我が意のままに形を成し、魔を討つ鋼の一欠を、この手の許に導きたまえ”。“其は、彼方を撃ち抜く一塊、尚も強く強く集まり集え”。“結合せよ、鋼の一撃”!」


 赤と橙の光球が1つに交わり、その中からギラリと硬質な輝きが生まれた。

 当たるかどうか、見届けないまま前を向く。



 ――戦いは、いよいよ佳境を迎えていた。



◇◇◇◇◇



『ぐ、うっ?!』

「セレナ!」


 クリアテールさんの尻尾がセレナをしたたかに打ち据える、HPは急速に減少して0となった。

 動かなくなったセレナを一瞥すらせずに、クリアテールさんがこちらを目指してやって来る……!


(4回目……もう4回目に!)


 逃げながら、数えていたセレナの戦闘不能回数を思い出す。さっき言っていた事が本当なら蘇生猶予カウントは残り4秒にまで減っている。

 大地神の涙の自動蘇生には2秒掛かる、戦闘不能になれるのは後1回……そうなればセレナはライフタウンにまで戻ってしまう。

 私1人だけが、残されてしまう。それが終了の合図だ。


 ――ドクン。


 心臓の音が一際高鳴った気がした。


(大丈夫……?)


 最後にログアウトしたのは晩ごはんの時だ。その時は目標としていたレベルまで届いていなかった。

 あれからずいぶん長く戦っている。必要な経験値は得られただろうか? もう必要なレベルまで到達出来ただろうか?

 終わりが近付いた事で、不安が押し寄せる。


(もしも足りていなかったら……)


 背後から迫るクリアテールさんはその不安を具現化したかのようですらあった。ギュッと杖を握る手に力がこもる。


(もっと――時間が欲しい)


 この戦いがもっともっと、みんなの想いに応えられるまで、続けばいいのにと思ってしまう。


 ――ゴオウッ!


 しかし……頭上に落ちる巨影が、それを許してはくれない。


『オオオオオオォォォォォォッ!!』


 視界の端でクリアテールさんが振りかぶるのが見えた。爪で切り裂かれる私の姿を幻視する。

 だから、


「――“雷の加速”っ!」


 スペルカットに登録しておいたスキルを発動する!


 ――バシンッ!


 景色が変わる。開けた通りから、薄暗い路地へ。

 《雷属性法術》10レベルスキル〈サンダーアクセル〉。その効果は、1度だけ体の動きを加速させる事。

 剣を振るったり拳を繰り出したり……そう、1歩を踏み出すだけであっても。


「っ、はっ、はっ」


 そして振るわれた爪は……私の服をはためかせるだけにとどまった。

 踏み出した1歩が加速され、数メートル近く瞬間的に移動したのだ。


(上手くいった……っ)


 そして背後を(、、、)猛烈な勢いでクリアテールさんが通り過ぎた。

 ここは廃墟と廃墟の間の路地。私は先程の1歩を正面ではなく、横に向けて(、、、、、)踏み出し、直角に(、、、)移動して、爪とクリアテールさん自身を回避したのだ。

 現実ならば捻ってもおかしくないような足の出し方だったけど、そうなった様子は無い。まだ走れそうだと確認する。


(ぐずぐず、しないっ!)


 ――ダッ。

 ここは廃墟群の通りと通りを繋ぐ路地、奥へと向かえば建ち並ぶ廃墟があの勢いで低空飛行をしていたクリアテールさんに対しての障害物、直接的な攻撃から私を守る盾となる。


(それでも、時間はどれだけ稼げるか……!)


 ともかく廃墟を盾としたまま走り抜け反撃を試みられる場所へ……そう思い、しかし廃墟もあくまでクリアテールさん自身にとって()障害物、だと言うだけの話でしかなかったのだ。

 ――ザッ。

 足を濡らす水かさが上がる。


「津、波……!」


 PCを押し流す津波、タイダルウェイブ。

 このブラノーラは大穴を中心に放射状に広がっている。3重の円と8本の道が通っており、この路地も大穴へと真っ直ぐに通じている。

 〈ウォーターフロート〉があるとは言えこのままでは押し流され、逃げ場の無い開けた大穴に追い込まれる。それを防ぐ為には廃墟に逃げ込む必要がある。

 でもここは廃墟の間の路地、入り込めるような崩れた場所は見当たらず、大穴まで障害らしき物も無く、近くには横路も無い。

 このままでは――!


「なら!」


 〈プロテクション〉をすぐさま発動、ドーム状の光の壁が私の周囲に展開する。

 先程の拘束技が防げたように、“ダメージの発生しない攻撃”ならばこの津波も防げる。


 ――ザッ、バァンッ!


 そして一気に水量が増す。

 光の壁は確かに押し寄せる津波を防いでくれた。けど、問題が解決した訳ではなかった。


(〈アイスフリーズ〉じゃ対応出来ない……エキスパートスキルを今使う訳にも――)


 エキスパートスキルを使えば状態異常・封印となり5分近くスキルが使えない。

 5分間何も出来ないのは今の状況ではデメリットとして大きすぎる。

 アクアリウムのように頭上をたゆたう水は綺麗ではあっても、私にとっては逃げ場を奪う牢獄でしかなかった。


「……あ」


 やがて、来た道の向こうにずるりと青い尾が見えた。

 追って頭上を仰げばそこにはクリアテールさんの頭が、私をじっと見つめている。


(まるで、水槽の中の魚を覗いているみたい……いえ)


 そんな想像をしている場合ではないと周囲に視線を走らせる。

 ここは狭い路地、逃げ場は前後に伸びる道のみ。水が引くのを待てば水の刃なり水柱なりが襲うだろう、対処出来なくはないが動きは確実に制限される。

 この無駄に形を保った廃墟の間に飛び込んでしまったのは不幸としか言えない。

 ならばどうするか――思案の中で状況が変化する。


「! 水が――」


 若干だけど水かさが下がった気がする。結果的に私を守り、閉じ込めていた牢獄が消える。


「一か八か……それより先に!」


 私は走った。〈プロテクション〉はPCは素通り出来る。だから光の壁の向こう側へ飛び込んだ!

 どぷん。冷たい感触が全身を包む。弱くはなったけど流れはまだある、このまま流されれば水が引くのを待つよりも、引いてから走るよりもずっと速く、この路地から抜け出せる。

 どうかこの水のある間は攻撃されませんようにと思いながらぐるぐると流れに弄ばれ、やがて水量は何事も無かったかのように元に戻り、体が投げ出される。


「こほっ、ぜっ、はっ」


 喘ぐ。新鮮な空気を求めて肺が活発に動く。

 見ればどうにかあの底の知れない大穴に落ちるのは避けられたようだと安堵し、すぐさまクリアテールさんの羽ばたきが耳に届いて意識を引き戻す。


「っ。ま、ず――」


 ここは通りのほぼ真ん中。クリアテールさんが攻撃するのになんの不都合も無い開けた空間。

 そう向こうも思ったのか、羽ばたきを抑えて私の方へと降りて――。


「『アリッサ!』」


 横から聞こえてきたのはセレナの声。次の瞬間、私の視界がぶれる。抱きかかえられて移動させられたのだと分かったのは景色が強制スクロールしていると気付いた時の事。

 セレナはジグザグと小刻みに移動しながら私を安全圏まで送り届ける算段のようだった。


「『無事、よね? アイツ相手に1人で持たすとかホント、1人でもどうにかなるんじゃないのー?』」

「む、無茶言わないでっ!」


 恐ろしい事言うセレナのHPゲージは満タンではあったけど、その息は上がっていた。延々と走り続けていい加減スタミナ値が減少してしまっているのが分かる。

 蘇生猶予カウントと違い、ゆっくりと休めば回復するスタミナ値も、この状況では難しい。


「『後ちょい、か……』」


 セレナも終幕を感じているんだろう、悔しそうな笑みを浮かべた。


「『強い強い思ってたけど、マジで太刀打ち出来なかったわね』」


 視界に映るクリアテールさんのHPゲージは7本、しかし私たちは結局10時間以上の戦闘で1本目を削り切る事すら出来ていない。


「……セバスチャンさんが言うには、クリアテールさんが相手をしてくれるのは一度だけなんだよね」


 飛んでいく法術を目で追いながらそう呟く。

 始めはこんなの何度もしてたまるものかと心の底から思っていた筈なのに……いつの間にかあのHPゲージを見ては忸怩とした思いを感じていた。


「『誰も来ないのがよーく分かったわよ。あんだけ強いくせに1回こっきりだったらそりゃ『いつか強くなったら挑戦しよう』になるわよね。あああっ、もうっ、悔しいったら!』」

「そうだね……」


 素直に頷く……でも、私たちに取ってはこれきりの機会、愚痴を言っても仕方無い。


「……あっ! ブレスが来る!」


 後方から動かなかったクリアテールさんの口内からは眩い青の光が迸っている。


「『最後の最後で!』」


 スプラッシュブレス。この戦闘で幾度となく私たちのHPを奪い続けてきた激流。

 防御スキルなんて薄紙程にも役立たせず、下手な小細工などもろともに消し飛ばす破格の高威力攻撃。

 やり過ごすには、いくつもある廃墟を盾とする以外に無い。

 しかし、降り悪く廃墟と廃墟の間をジャンプし空中にいた私たちには回避する術が無い!

 ――ゴウッ!

 激流が一直線に迫る、必死に作った距離すら一気に詰められ――!


「「『が』」」


 撃たれた。

 後少し、後少しで間に合ったのに。

 眼前にあった廃墟、私たちはスプラッシュブレスの勢いに薙ぎ払われ、その廃墟へと叩き付けられてしまう!

 凄まじい圧力が体を押し付け、指の1本すら動かせず、肺からも根こそぎ空気が奪われる。

 HPゲージは一瞬で0となり、視界には蘇生猶予カウントが現れた。


(やられ、)


 そう思うとキッカリ2秒が経過した時点で私の視界にキラキラとしたエフェクトが発生し、次の瞬間には廃墟に横たわる格好で蘇生する。大地神の涙の効果が発動したのだ。


「こほっ、かはっ……!」


 激流は既に収まっていた、蘇生直後に更に攻撃を受ける羽目にならなかった事は朗報か。

 しかし、青い巨体は既にこちらへ向けて飛び立ったのだろう、翼の音が徐々に近付いてくる。これでは時間の問題……。


(何、か……手を……っ)


 腕と足に力をこめた、その瞬間。



 ――バチャン。



 すぐ近くで水音。


「セ……レ――」


 ブレスにより廃墟の上も水浸し、それを踏み鳴らし隣でセレナが立ち上がっていた。

 セレナは一瞥も無く、1歩、2歩とふらつく足取りで進んでいく。


「――ナ……!?」


 見上げた先からは、青い巨体がすぐそこにまで迫っていた。

 最早HP残量が1の私たちに全力を出す気も無いのか、悠々と舞い降りる。

 ……だが、私を驚愕させたのはそんな事ではなかった。


「『はぁ……はぁ……っ、はぁ』」


 セレナが、それから私を守るように重々しく両腕を横に広げていた。


(っ、また(、、)……!!)


 その身を盾に――私を守る為に。


「『こっち、よ……青蜥蜴……!』」

『グルル……』

「『アリッサを、どう、にか……したい、なら……私を、どうにか、してみろって……のよっ!』」


 挑発的なその言葉に一瞬動きを止めたクリアテールさんは、その腕を振りかぶりセレナを――――。


(――だめ!!)


 その華奢な背中を見た頭にそうよぎる。

 だが私に何が出来るだろう?

 攻撃をしても無駄。

 防げもしない。

 そもそも大概間に合わない。

 なら、えっと――。


 瞬間、私の口は動いていた。



 ――バシンッ!



 弾けるような乾いた音がした。数メートルを移動する力は容易く、ふらついていた彼女の体を押し出した。

 だから代わりに、私がその場に(、、、、、、)残っていた(、、、、、)


 ――ゴドン。


 鈍い音、鈍い衝撃が2回続いた。何だろう? と思ったけどなんて事は無い。ただ叩かれて、ただ飛ばされて、ただ他の廃墟に叩き付けられただけだった。

 ずるりと体がずり落ちる、地面に落ちる間に1だったHPは楽々0になったから戦闘不能になってまた蘇生した。

 気付けば空を見上げていて……それが人影に遮られた。


「『……バッ、カ……! なんで、こんな真似……!』」


 抱き起こされ、揺さぶられた。


「『なんで出てきちゃうのよ! あのタイミングなら後1発くらいあの青蜥蜴にぶちかませたでしょうがぁーっ!!』」

「ふわー?! ふわわー?!」


 先程までふらついていたとは思えないくらいに元気よく私を締め上げるセレナがいた。


「『1発でどんだけ経験値入ると思ってんのよ?! バッカじゃないの?!』」

「し、知らない〜……」

「『私だって知らないわよ! でも貰えるモン貰っとかないでどーうーすーるー!!』」


 怒りのあまりにヒートアップし掛けていたセレナに、私は話し掛ける。


「ご、め……なんか、やだ、から」

「『は……?』」

「もう、誰かがいなくなるの……嫌、で」


 本当にそれだけだった。

 本当にそれしか咄嗟に浮かばなかった。


 天丼くんがやられた時も、ひーちゃんがやられた時も、セバスチャンさんがやられた時も、私は守られていた。

 そして、助けられなかった。

 何も出来なかった。

 どうしようも無かった。

 別に本当に死んでしまう訳ではないと、私自身が経験して知っている。

 けど初めてだった。

 私以外の誰かが死に戻りしてしまう光景を見るのは初めてだった。

 目の前で体が光の粒に変わり、HP・MPゲージが消えるのを見て、浮かんだ感情は辛く、切なく、寂しく、悲しく、受け止める心はひどく痛くて……泣きもした。

 もし出来る事があるなら手を伸ばしたかった。

 けどそれは無理だった。私は色々な法術を扱えるけど、それは瞬時にじゃない。長い長いスペル詠唱を伴わなければ何も起こらない。ずっと思っていた、瞬発力の無さが私の弱点と。

 だから結局は見送るばかり。唇を噛むのが精々。


 ……でも、さっきは違った。


 唯一、スペルカットに登録していた〈サンダーアクセル〉だけはすぐに使えて、もしかしたらセレナを助けられるかもと思ったら、口は動いて、体は走り出していた。



「勝手をして、ごめんなさい」



 この戦闘が死に戻りを前提としていると分かっていたのに、私が死んだらそれこそみんなの努力を水泡に帰す事になるのに。

 それでも、心の求めに体は素直に動いてしまった。


「『――っ。……ホントに、アンタは……! この手のゲーム、向いてない……!』」


 まったくです。

 そう失笑していると上から別の声が掛けられた。


『奇妙な娘だ』


 それはずいぶん久し振りに聞く澄んだ声。その声にハッと我に返り、あわあわと言葉にならない言葉を発する。


「ク、クリ、クリア――」


 そうクリアテールさんが、私たちを見下ろしているのだ! マズイマズイ! これではまとめて攻撃されて――そんな風にパニクっているとセレナから申し訳無さそうな言葉が発せられた。



「『でも……あたしも、ゴメン。……降参した』」



「え?」


 ……降参?


「『アリッサが吹っ飛ばされて、青蜥蜴が追撃しようとしてたの……もう私じゃ何も出来なくて、下手したらアリッサが死ぬまで殺され続けると思ったから……』」

「…………そっ、か……」


 そうしてセレナの説明も終わる頃になって、ようやく私の頭にも理解が染み込む。


「そっか……終わったんだね」


 頷くセレナと、すっかり大人しくなったクリアテールさんを交互に見ていると不意にファンファーレが鳴り響く。


「あうっ?!」


 同時に私とセレナを区切るように、宙に見慣れたウィンドウが現れたのだ。

 私は一瞬鋭く息を吸い、目を伏せる。吸った息を弛く吐き出しながら……目を開く。



『【経験値獲得】

『《マナ強化》

  [Lv.36⇒38]

 《詠唱短縮》

  [Lv.27⇒30]

 《古式法術》

  [Lv.27⇒31]

 《知力強化》

  [Lv.28⇒34]

 《多層詠唱》

  [Lv.21⇒26]

 《法術特化》

  [Lv.22⇒27]』



 そこには長い長い戦いの成果がずらりと並んでいた。その内容を見て私は自分の顔が茹で上がっていくのを感じていて――。


「……どう?」


 そんな調子で凝視していたウィンドウから視線を転じれば神妙な様子でこちらを見るセレナの顔があった。

 目標レベルに達したか否か、それを聞きたいのだとは一目で分かった。

 私はウィンドウを私以外にも見えるように可視状態に変え、端を持ってくるりと回転させた。

 セレナの視線がウィンドウに注がれ、事実を確認すると同時に喜色を満面に振り撒きながら、再度私へと視線を向ける。

 そして、それは私も同じ。開いた口から出た言葉も、やはり同じ。



「『「やっ、た…………っ!!」』」



 震える喉から出た声に勢いは無い、けどその言葉には力があった。掛けた時間と、想いのこもった言葉を互いに体に受け、私たちは互いに抱き合い、喜びを分かち合う。


 《古式法術》31レベル。

 《多層詠唱》26レベル。


 今日この時までずっとずっと続けてきたがんばりがとうとう報われた瞬間だった。



◇◇◇◇◇



 しこたま喜び、しまいには涙腺が弛み掛けた私を引き戻したのは頭上から掛けられた声だった。


『星との結び付きが強まったか』


 唸りを上げていたさっきからは想像も出来ない程涼やかな、そして穏やかな声。

 振り向けばクリアテールさんは大通りに伏せてこちらに首を伸ばして様子を窺っている。

 構造的にどうすれば人と同じように声を出せるのか、巨大なアゴをわずかずつ動かしながら言葉を紡ぎ続ける。


『目的は果たせたようだな』

「あ、はいお陰さまで。クリアテールさん、ありがとうございました」


 腰を折るとクリアテールさんは口を歪ませ微笑を浮かべた(気がする)。


『構わぬ。どれ、喜ぶにもそれでは格好が付かぬだろう』


 “それ”が何であるかを考える間も無く、周囲の水がざわめいた。噴水のように立ち上るも落ちる事は無く、空中に〈ウォーターショット〉の何十倍もある水の玉となる。


「『ちょ、アンタ! もう降参したでしょっ?! 戦闘は終わりだっつの!』」

『悪くはせぬ、案ずるな』


 セレナが私を抱えて逃げようとするも、既に四方八方水の玉に囲まれてしまっている。

 そして水の玉が一斉に私たちに向かって殺到する!


「『何をっ!?』」

「ひう……って、あれ?」


 水の玉は1つに合わさった、私たちはその中に飲み込まれた……筈なんだけど……?


「『〜〜〜〜〜っ!?』」

「セ、セレナセレナ。息が出来るよ?」

「『へ?』」


 息が出来る。口からは細かな気泡がぷくぷくと零れていく、肌には確かに水の感触も冷たさも感じている、視界もわずかに揺れている、なのに。

 空気を思いっきり頬に確保していたセレナにそう伝える、伝わる。自分の声には妙にエコーが掛かっているみたいだけど……。


「『何これ……ん?』」


 セレナの視線が逸れる。

 同じ方向に私も視線を向ける、そこあるのは4本の横棒。私たちの命脈、HP・MPゲージ。

 左端に1と言う最小単位が残るばかりだった残量は急速に右側へと増加している。


「HPとMPが、回復していく……?」


 秒単位で回復するゲージは赤・黄・青と移り変わり、端まで到達した瞬間――パァンッ、水の玉は弾け、小雨なってサヤサヤと降りしきる。

 その無数に舞う雨粒に叩かれながら、私たちはそれを成したクリアテールさんを見る。


「『アンタこれって……何よ、アフターサービスだったりするの?』」

『どうと言う事も無い。単なる気紛れに過ぎぬ』


 その言葉とは裏腹に、目を細め首を傾げるさまは、戦い続けた十数時間はもちろん、戦いの前に会話を交わした時ともまるで違う、温かさや優しさに溢れて見えた。

 慈しむ、そんな言葉が自然と浮かぶ。


『どうだ、我は汝らの役には立ったか?』

「そ、それはもう!」

『そうか』


 ふるりふるり、ゆっくりと尻尾を揺らしている。機嫌がいいんだろうか。でも、どうしてそんなに?


「な、何か変わり身が凄すぎてちょっと引くんですけど……」

「ちょ、セレナ失礼だよ」

「だって今まであれだけ情け容赦無く私ら殺しまくったのよ。それが手の平返しまくったら警戒するでしょうが」

「あれは私たちの方からお願いした事だし、全力なのも最初から分かってた事でしょ。言い過ぎだってば」

『構わぬ』


 私とセレナの言い合いを止めたのは当のクリアテールさんだった。セレナがああも言ったにも関わらず彼女は憤る気配を見せず……細く笑っていた。


『我は今久方ぶりに気分が良い。その程度、気にはせぬ』

「気分がって、だからどうしてそんなにご機嫌なのよ。私らボコりまくるのはそんなに楽しかったワケ?」

「だからどうしてそう険悪な方に寄せて言うかな……」

「そう言う性分なのよ。で、何か理由があるんでしょ?」


 少々眉を寄せたセレナがクリアテールさんと向き合う。彼女はどうしたのか喉の奥からかすかに笑い声を漏らす。

 それがまたセレナ口をへの字にしてしまうのだけど……。


『何、ただの懐古よ。汝らの姿が、カビの生えた記憶を思い出させた』


 そう語るクリアテールさんの視線が大穴へと向いた。

 そこには水の聖女さま、クリアテールさんのお友達が眠っている筈だ。懐古、と言うならもしかして……。


『……四苦八苦と森の娘を守る竜の娘、何が出来るでも無しに竜の娘を助けた森の娘。かつて我らにもあのような時代があったと思い出していた。故に心地よく、気分が良い』

「『アンタも苦労してたワケ?』」


 させてますか苦労。


『あれは、どうにも奔放であったからな……だが吹けば飛ぶか弱き人の娘でもある。それでも無理を通そうとするあれの尻拭いをするのは友である我の役目であろうよ』


 目を伏せ、空を仰ぐクリアテールさんをセレナはじっと見つめている。


「それでずーっとここにいるワケ? よくもまぁこんなトコに延々……」


 確かに、ブラノーラは廃墟ばかりが並んで朝靄に煙る様は物悲しく、クリアテールさん以外にはあの大穴の底にいる水の聖女さまを除いて誰もいない。

 長く過ごすには寂しい場所だった。

 でも、当のクリアテールさんは気にした風も無く笑い飛ばす。


『気にはならぬさ。我にはあれと交わした約束があるのだからな』

「……約束、ですか?」

『うむ。あれは、いつの日かまた会おうと最後に言ったのだ。故に我はその時を夢に見ながら、誰より近くで待っておる』


 そう語るクリアテールさんは目を細めている。

 ……“その時”、かあ……どれくらい昔からクリアテールさんは待っているんだろう。そしてどれくらい待たねばならないんだろう。

 私はその言葉を受けてセレナに肩を寄せて囁く。


「何かのクエスト、かな?」

「さぁね。でも、今もこうしてるってなら発見されてないんだろうし……こんだけの強敵だから、その内公式イベントで出るかもね」

「そっか……」


 お月様と一緒、どうにかしたくてもどうにかする方法がそもそも用意されていない。

 そして私たちには方法を作る事は出来ない。それはゲームのプレイヤーの域を超えているから。

 だからせめてと、私はクリアテールさんに向き直る。


「その時が早く来るよう願っています」

『何、竜の寿命はそうそう尽きはせぬ、気長に待つさ。あれに語る愚痴を考えるならば、月日などどうと言う事も無い。時折汝らのような命知らずが喧嘩を売りに来る故、退屈もせぬからな』

「何よ、やっぱアンタ私らをボコって楽しんでんじゃないのよ」

『ふん、否定した覚えは無いが?』

「ずっこい」


 私は小さく、セレナは面白そうに、クリアテールさんは穏やかに、3人(?)でそれぞれに笑う。先程まで戦っていたのが嘘のように。

 しばらくそうしていると、不意にセレナがハッと顔を上げる。


「あ、いっけない! 天丼とセバスチャン待たせてるんだった!」

「あ、そうか」


 それで私も思い出す。

 戦闘で死んでしまいライフタウンへと戻っていった2人。死に戻りした時点でパーティーからは外れてしまう(経験値などは入るが)。

 今私とセレナを繋ぐパーティーチャットも2人には通じておらず、戦闘が終了した事は伝わっていない。向こうで待っていてくれるなら早く報せなければ。


「ちょっと連絡だけしてくるわ」


 セレナはそう言うと少し離れ、システムメニューを開いた。通常のチャットかメールで状況を説明するつもりだろう。


『ふむ。人の翁と小兎か』

「はい、2人はこちらの様子は分かりませんから」

『あれらもよく戦った。友を待たせるものではないぞ、早よう下界へ行かぬか』

「ああいえ、湖畔に張ったテントを畳んでいかないといけないので……」


 あれはセバスチャンさんの持ち物なので置きっぱなしにはしていけない。きちんと持ち帰らないと。


「連絡ついたわよ。暇してたから2人でオフィシャルイベントの情報収集中だってさ」

「結構時間掛かったもんね」


 今日からMSOでは10月のオフィシャルイベントが開催中、らしい。

 らしいと言うのは私たちは昨日からこの霧により隔離されたブラノーラにこもっているので外の様子は一切分からないのだ。


「じゃあ私たちも急がないとね。もうログアウトするような時間帯だけど……」


 時刻表示を確認すると既に午後11時に近い。普段なら既にベッドに潜っている所だ(PCは)。


「あ、それなんだけどさ……」

「何?」


 どうしてだか私を止めたセレナの方が首を傾げている。


「セバスチャンがさ、まだ戻って来なくていいって言ってたのよ」


 ……はい?


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