終話:次なる舞台へ
◇
キタノ天満宮の外に避難したイナバは、ひとり途方に暮れていた。
自分の師であるベガと、信頼できる大人であるところのライアス。このふたりから揃って「邪魔だから出ていけ」と言われたからだ。
確かに自分がいても邪魔になるだけだろう。反論などできるはずもなく、泣く泣く天満宮から出てきた。
しかし、だからといってどこか行くあてがあるわけでもない。
イナバは自分の無力を恥じながら、天満宮の門前で中から聞こえてくる音に耳を澄ませていた。
天満宮の中からは断続的に何かが壊れるような音が響いてきており、ときおり足元が揺れるような衝撃も伝わってくる。
ライアスとベガの戦いはいまだ終わらず、激しさは時が経つごとに増していくばかりだった。
それにしてもふたりとも、本当にどちらかが倒れるまで戦うつもりなのだろうか。
いや、少なくともライアスはそうではないだろう。ライアスがそういう人ではないということは、イナバだって知っている。
問題はイナバの師のベガのほうだ。
あの人は本当に、やると言ったことはやる人だ。あの人がライアスを許さないと言った以上、あの人がライアスを倒すか、ライアスがあの人に勝つまでは戦いは終わらないだろう。
そして、イナバが知る限り、ベガが誰かに負けたことは一度としてない。
いつもはその強さが本当に頼もしいし、弟子として誇らしくもあるのだが、このときばかりはなんとかならないものかと思う。
このままいけば、きっとライアスが負けてしまう。
そうなるのは、イナバとしても避けたいことであった。
しかし現実として、イナバにできることはないわけで。
こうしてひとり蚊帳の外で、祈ることしかできないわけだ。
そんなふうに、イナバが天満宮の門前でやきもきしていたところで。
「あれ? ひーちゃん、こんなところに小っちゃい子がいるよ?」
「あん? ……つーか、中でなんかあってるな」
後ろから聞こえてきた声に、イナバはハッとして振り返った。
天満宮の中庭。
ライアスに馬乗りになったベガは、右手の五指を伸ばして固めた。
「これで、……終わりよ!」
箒は遠くに弾き飛ばし、御守袋も先んじて左の貫手で押さえ込んでいる。
もはやライアスには打つ手がない。この距離からではベガのほうが速く、防御も間に合わないだろう。
ベガはライアスの、文字通り息の根を止めてやろうと。
のど元目掛けて右の貫手を突き込んだ。
「っ……!」
そしてそれは、突き刺さる直前でピタリと止まった。
ベガの右腕が何かに引っ掛かって動かせなくなったからだ。
いつの間にかベガの右腕には、これでもかといわんばかりの量のヒモが絡み付いていた。上下左右前後、どの方向からもヒモは伸びてきていて、どの方向に対して右腕を動かそうとしても引っ掛かって動かないようになっていた。
さらに。
「……誰かしら、アナタは?」
ベガの首筋に、冷たいものが触れていた。これは刃の感触だ。ベガの背後にいる誰かが、ベガの首筋に刀を押し当てていた。
「動かないで。それ以上ライ兄に何かしようとしたら、その首かっ捌くわよ」
ベガからは見えないが、少女のような若い声だった。声には怒りが籠っている。脅し、ではなさそうだ。
ベガの下から見上げているライアスには、それが誰か分かる。ライアスは、少女の名を呼んだ。
「カレン……? なんで、ここに……!?」
「ライ兄こそ、こんなところで何してるのよ」
イゾウの娘、カレン。ライアスの幼馴染であった。
カレンは、御命刀鬼斬丸をベガの首筋に当てたまま、背後に呼び掛けた。
「ひーちゃん! ほんとにライ兄だった!」
「そーか。どーやら、危機一髪ってやつだったわけだ」
ひーちゃん、と呼ばれた魔女は、わずかに安堵の息を吐いた。
まさか本当にライアスだったとは。しかも相手は。
「カレン! そいつは凶獣のベガだ。後ろ取ったぐらいで油断すんなよ! アタシのヒモなんて簡単に切り裂けるだろうからな!」
「この声……、それにこのヒモ……。ヒモドリの魔女さんもいるの……?」
ライアスは、なぜこのふたりがここにいるのだろうと思いつつ、ベガの顔に視線を戻す。
「……ベガさん」
「……まさかとは思うけど、ライアス。これで助かったなんて思ってないでしょうね?」
ベガは、先程よりもさらに戦意をみなぎらせた目で、ライアスを見下ろしていた。ゾッとするほど冷たく、燃え盛るように熱い。
「たかだか二人助太刀が来たぐらいで、ワタシをどうにかできるだなんて、本気で思っているのかしら……!?」
「……ちょっとオバサン。言っとくけど、わたしは本気で、っ……!」
次の瞬間、御守を縫い止めていたベガの左手がはね上がった。腕や肩の関節が不自然な方向に動き、可動域の限界を無視した軌道で貫手がカレンに迫る。
首を切っても相打ちになる、とカレンは瞬時に判断した。
くるりと刃を反すと、後方に飛びながら腰を切って刀を外に払う。貫手を躱しつつ、ベガの左腕を肘の辺りで切り飛ばした。
「フフフッ……!」
ベガはそれに構わず、がんじ絡めにされた右腕をヒモの間から抜き取ろうとする。関節を外し、筋肉を瞬間的に細らせて隙間を作っている。
それに気付いたカレンは着地と同時に踏み込み、ベガの首を再度狙った。
「待っ……!」
ライアスが止める間もない。だが、ベガのほうが速かった。
ベガは右腕を引き抜いて自由にすると、大きく飛び逃げてカレンの刀を躱した。切っ先がわずかに首をかすめたが、薄皮を切った程度である。
「いい太刀筋ね……!」
ベガはさらに間合いを取りながら、切り飛ばされた左腕を回収して切り口に押し当てる。
カレンは起き上がろうとしているライアスを庇うように、ベガとの間に入った。
「切れ味が良すぎたおかげで簡単にくっついたわ。ほら、このとおり」
「……もう指が動かせてるね」
「ライアス! ホウキだ!」
起き上がったライアスに向けて、ヒモドリの魔女が箒を弾き飛ばした。飛んできた箒をキャッチしたライアスは、カレンの横に並ぶ。
「カレン、色々棚上げして言うけど、ちょっと待って」
「何を待つのよライ兄」
「あの人は戦ってるけど敵じゃあないんだ。鬼斬丸を向けるのは止めてほしい」
「あっちはもうその気みたいだけど? それに、もう左腕も治っちゃったし手加減できる相手じゃなさそうだけど」
それはライアスにも分かっている。けれど、そのあたりも棚上げしたうえで言うのだ。
「止めてほしい。カレン、お願いだから」
ライアスの言葉に、カレンはムッとした表情を浮かべつつもそれ以上反論はしなかった。
しかし、それならどうするつもりなのか、と思っているに違いない。
ライアスもどうしようかと考えている。本当にどうしよう。
「ベガせんせー!!!」
「うおっと」
ここに、イナバもやってきた。後ろから大声を出されて、魔女が思わず耳を押さえる。
イナバはたたっと中庭に降りると、左腕の動きを確かめているベガの正面に立ちふさがった。
「ベガ先生!」
「……外に出ていなさい、と言ったはずだけど?」
「帰りましょう! 今日はもうダメです!」
イナバの言葉に、ベガがピクリと眉を動かした。
「イナバ……?」
「ダメったらダメです! たまには僕の言うことだって聞いてください!」
みるみるうちに不機嫌そうになるベガを見て、カレンがライアスに目配せした。
このままだとイナバが危ないのではないか、という意味だ。
後ろでは、いつでもイナバを後方に弾けるようにヒモドリの魔女が準備を終えている。
しかしライアスは、首を横に振った。
「大丈夫だよ。……ベガさんは、立派な退魔師だから」
「……?」
どういう意味かとカレンが問う前に、イナバがさらに叫んだ。
「僕は、先生にこんなことしてほしくないです! ライアスさんとも仲良くしてほしいです!」
「…………」
「今は仲良くできない気分なら、また日を改めましょう! 僕は、これ以上ベガ先生とライアスさんに戦ってほしくないです!」
「……いいから退きなさい、イナバ」
ベガがイナバを押し退けようとして手を伸ばす。が。
「い、嫌です! ……嫌だ、イヤだ! ヤですー!」
「ちょっと、イナバ」
「ヤだー!! やめてー! 先生のバカー! う、……うあぁぁああぁあん!」
イナバはベガの手を押し返して、わんわんと泣き出してしまった。
ベガが、なんともいえない表情を浮かべて言葉に詰まる。
「……おいおい、凶獣のやつ戸惑ってんぞ」
一番離れたところで成り行きを見ていたヒモドリの魔女も、思わぬベガの反応に驚きを隠せないでいた。
「…………」
ベガは、イナバに何か言おうとして、しかし言葉にならず。
やがて諦めたみたいに大きくため息を吐いた。
「はぁ、……気分じゃなくなったわ」
そしてギロリとライアスを睨み付けた。
「ライアス! ……次に会ったときは最後までやるわ。覚悟なさい」
そう言うと、泣きじゃくるイナバをひょいと担ぎ上げてライアスたちに背を向けた。
たまには東に遠征に行こうかしら、と言い残し、ライアスたちの前から姿を消す。
しばらく待って、ベガたちが戻ってこないことが分かると。
「……はぁぁ、助かった」
ライアスが、安堵の息を吐いてしゃがみ込んだ。
「カレン、ありがとね。ヒモドリの魔女さんも、よく分からないけど来てくれて助かったよ」
「どういたしましてだけど、ライ兄、ほんとに大丈夫?」
「お礼ならあのボウズに言いな。アタシたちがたまたま通りかかったところで、手を貸してくれって頼まれたんだから」
近寄ってきた魔女にそう言われ、ライアスは心の中でイナバに頭を下げた。
「ほんとびっくりしたよー、ライ兄の名前が出てくるとは思わなかったし」
「それを聞いたカレンが駆け出すから、アタシも慌てて来たわけだがな。……しかし、あの凶獣が退くとはな。アタシはてっきりここが死地になるかと思っていたが」
「やっぱり、大切な弟子に泣かれたらベガさんも辛いんじゃないかな」
「子供に泣かれたぐらいでか?」
魔女は解せないという様子である。
「うん、退魔師っていうのはね、師弟の関係を大切にするんだ。弟子をちゃんと育てるのは師の役目だし、師の最期を看取るのが弟子の務め、っていうふうに。ベガさんも、イナバ君のことは大切にしてるし、普段のイナバ君はベガさんの言うことを素直に聞く良い子なんだよ」
「それで、戸惑ってたのか?」
「さっきは一度言うことを聞いて外に出ていったわけだから、余計にじゃないかな。以前にもイナバ君が泣いちゃったときは、それなりに配慮をしたらしいし」
カレンが、なるほど、と頷く。
「つまり、泣く子と地蔵には勝てぬ、ってやつなのね」
「地蔵じゃなくて地頭だったと思うけど、まぁ、そういうこと。泣いてたのが他の子供だったら、ベガさんも気にしないと思うけどね。……痛てて」
気が緩むと、ライアスは自分が身体中ボロボロであることを思い出した。全身を打っているし、どこもかしこも痛い。
「やっぱり大丈夫じゃないんじゃん! ほら腰を下ろして、手当てしたげるから」
「いや、折れてはないし大丈夫だよ」
「またそんなこと言って! だいたいライ兄、骨折なんてしたことないでしょ! 大丈夫の基準にならないわよ!」
「痛い」
ポカっと頭を叩かれた。
それから、カレンがどこからともなく取り出した塗り薬をライアスの身体に塗りつけていく。けっこうしみるが、ライアスは我慢した。
「ところで、なんでカレンとヒモドリの魔女さんが一緒にいるの?」
「ん? 話すとしょーもないことなんだが」
「ちょっと前に戦って負けたから、わたしのこと鍛えてもらおうと思って付いてってたの」
「……戦った? なんで?」
「わたし、地元を出てからぶらぶらしてる間に武者修行の楽しさに目覚めてね。この町には春前ごろに着いたんだけど、ここでもちょくちょく良さげな人を見つけては戦いを挑んだりしてたのよ。それで、とうとう負けちゃったから、改めて鍛えようかなー、って」
それを聞いたライアスは、ふと思い出したことがあった。
「その、ちょくちょく戦ったって人の中に、高そうな羽織を着たお侍さんっていなかった?」
「え? ……あー、いたわね、そんな人も。太刀筋はきれいだったけど、そんなに強くはなかったかな」
「なるほど」
「なに、ライ兄の知り合いだったの?」
「いや、別に知り合いでもなかったんだけど」
まさか自分たちの弟弟子になっているとは夢にも思うまい。
今日もタマヒコと一緒に元気にシゴかれていることだろう。
「アタシは別に鍛えるなんて言ってねーけどな」
「えー!? いいでしょ! わたしももっと強くなりたいんだから!」
「どうしてもと言うならママのところに連れていってもいいが、アタシが教えるのはゴメンだ」
カレンはふくれっ面を作るが、ヒモドリの魔女は自分の言葉を曲げる気はないようだ。
「ヒモドリの魔女さんの、」
「ヒモドリ、でいいぞ」
「わたしはひーちゃんって呼んでるよ」
「……ヒモドリさんのママさんって、どこに住んでるの?」
「シュラ之国、クルメナンの森の中だ。そこに、魔女の里がある」
シュラ之国は、ヤマト之国からずっと西のほうにある国だ。
トサ之国よりもさらに西、海を渡ったところにある。
東に行く、と言っていたベガが来ることはまずないだろう。
「魔女の里……」
「ああ。アタシもそこで修行して魔女になった」
「なに、じゃあわたしもそこで修行したら魔女になれるの!?」
「いや、魔女になるには才能がいるから誰でもなれるわけじゃねーよ」
「でも才能があったらなれるんでしょ! いいなー、わたしも魔法とか使ってみたいなー!」
カレンの勢いに、ヒモドリの魔女はうんざりしたようにしている。
「分かった分かった、もうメンドくせーから連れてってやるよ。それとライアス、オマエも来るか? ここに残って凶獣と鉢合わせしたらヤベーんだろ?」
「あ、うん。良かったらお願い」
ちょっと待ってろ、と言い残してヒモドリの魔女は一本のヒモを張る。それを何度か弾くと、ヒモに向かって何事か話し始めた。
「ところでライ兄」
「なに?」
「なんでさっきのオバサンと戦ってたの?」
「……ベガさんのこと? 話すとちょっと長くなるんだけど……」
ライアスは、ベガと戦うことになった経緯をカレンに話した。
ついでに、自分が浄神の使徒をしていることやイゾウに鍛えてもらったことなども。
カレンはベガの主張を聞いて鼻を鳴らした。
「意味分っかんないの。他人の親切なんて素直に受け取ればいいのに」
「どうにも、そのへんの考え方が俺たちとは違うみたい」
「まぁいいわ。もしまた次に襲ってきたら今度こそ叩きのめしてやるから」
「いやぁ、ベガさんが怒ってるのは俺に対してだから、カレンが戦うことはないんだけど」
カレンは驚いたような表情をした。
「なーに言ってるのよ! ライ兄のこと傷付けようとしてるの、わたしが見過ごすわけないでしょ! ライ兄だって、わたしが逆の立場だったら見放したりできるの!?」
「いや、それは無理だけどさ」
「じゃあそういうことよ!」
そういうことなのか、とライアスは思う。
『……うぅ、いつの間にか戦いが終わってますわ』
ウルスラが苦しそうな声を出した。
「あ、神様。全然声がしてなかったけど、大丈夫?」
『お腹を突かれて苦しんでました……。まだ痛いです……』
ベガの貫手を御守袋で受け止めたのが効いていたようだ。ライアスがつけている御守袋はウルスラの五感と繋がっているため、当然痛覚もある。
直接喰らったわけではないとはいえ、しばらくは呼吸もままならなかったことだろう。
「ごめんね。おかげで助かったよ」
『はい……、状況はよく分かりませんが、無事でなによりです。あの、そちらの少女は』
「えっと、イゾウさんの娘で、俺の幼馴染になるのかな。名前は、」
「カレンよ」
「そう、カレン……。あれ?」
「ついでに言うけど、単なる幼馴染じゃないわ。将来を誓い合った、いわゆる許嫁ってやつよ」
『……え?』
「よろしくね? お腹の痛い女神様」
ウルスラとライアスが言葉を失っているところに、ヒモドリの魔女が話し掛けてくる。
「おい、話がついたから今から行くぞ」
そう言うと、ライアスたちの目の前に突然木製の門が現れた。なにもない空間に一瞬で。外枠と門扉だけが存在し、裏側を見ても何もない。
門が開くと、中から女性が顔を出した。女性の背後には、鉛色の波打つ海面のような光景が広がっており、明らかに現実の景色ではない。
「お待たせー、ヒモドリの。連れていくのはこの二人?」
「悪いな、カイモンの。そうだ、この二人を魔女の里に連れていく」
カイモンの、と呼ばれた魔女は、ライアスとカレンの手を引いて門の中へと引っ張り込んだ。門をくぐったとたん周囲の景色が一変する。
天満宮の中庭から、緑深い森の中へ。
周囲を背の高い木々に囲まれていて、少し先には一際高い巨木も見えた。
巨木の根本には大きなレンガ造りの家が建っていて、煙突からはゆらゆらと煙が立ち上っている。
家の横には広い庭があり、小さな女の子たちが元気に走り回っている。
カイモンの魔女は、にっこり笑ってこう言った。
「ようこそ魔女の里へ」
ヒモドリの魔女がくぐると同時にパタンと門が閉まり、そして、消えた。
これにて第二章終了です。
ここまでお読みいただき、まことにありがとうございました。




