7話:追跡、村外れの猫と悪ガキ・4
「さて、どこから話したものかな」
魚を食べ終えたミケが、そのように話し始める。
ライアスは適当なところに突っ立ったまま、その話を聞いていた。
「まず、僕がタマヒコと出会った時のことからにしようか。とはいえ、それほど変わった出会いをしたわけでもなく、ごくごく普通の出会い方なんだけどね」
「どんな感じだったの?」
「簡単に言えば、腹を空かせていたタマヒコが、道行く僕を食べ物と間違えて食べようとしてきたんだ」
『普通とは……?』
早くもウルスラは首を傾げているが、ライアスは「あるある」とか思っていた。タマヒコは恥ずかしそうにうつむいている。
「あの時は暑い夏の盛りの時期だったから、暑さでぼうっとしていたこともあったんだろうけどね。僕も黙って食べられる訳にはいかないし、そもそも妖魔である僕を食べたらタマヒコがお腹を壊すだろうから、僕は必死で抵抗した」
「まぁそうなるよね」
『お腹を壊すとかいう問題ではない気が……』
「どたばたと揉み合いになった末、最後は僕の必殺拳でタマヒコを気絶させた。あの時の僕は、この体に見合わぬ俊敏さを発揮してしまっていたよ」
その時の様子を真似してみせたミケの動きを見て、ウルスラは「可愛い猫パンチですわ」と評した。当時のタマヒコはこれに負けたのか。
「で、目覚めたタマヒコから改めてお腹が空いて倒れそうだということを聞いた僕は、近くの町から食べ物をいただいてきて、分け合って食べた」
「いただいてきたって、こっそりと?」
「こっそりとだね。なにぶん僕は人間のお金を持ってはいなかったから、致し方ない」
「なるほど。タマヒコ君、食べようとした猫が喋ったのには驚いた?」
いきなり話を振られたタマヒコは、少し考えてからライアスに答える。
「……あんまり。その時はそれどころじゃなかったし、お腹が膨れて落ち着いてきた時にはもう今更だったから」
「僕が妖魔だと気付いたのも、ふたりで分け合って食べてからしばらくあとの事だったものね」
「そのときに食べたご飯、美味しかった?」
今度は迷うことなく答えた。
「うん、とても。オレが今まで食べたどんな飯より美味しかった」
ライアスは「そっか」と頷く。
少し照れたようにして、ミケが話を続けた。
「まぁ、そんなことがあってからというもの、僕とタマヒコは友達となった。お互い、ひとりでいるのが寂しかったというのもあるかもしれない。町や村を渡り歩くとき、隣に誰かがいて話ができるというのは、僕にとっても新鮮な楽しさがあった」
「オレ、……兄さんが言ったように、父さんも母さんもとっくにいないからさ、ミケがオレの話を聞いてくれて、一緒にいてくれるの、本当に嬉しかったんだ」
「タマヒコ君のご両親は、どうして死んだの?」
ライアスの訊き方に、ウルスラが「ちょっとライアス」と諌めようとしたが、タマヒコは気にした様子もなく答えてくれた。
「流行り病にかかったんだよ。父さん母さんだけじゃなくて、オレの暮らしてた集落全体で病が広がって、みんなバタバタ倒れていった。落ち着いたころには人が半分ぐらいになってて、助かった奴らもみんな他のところに出ていったから、オレもそうしたんだ」
「なるほどねー。どこか行くあてはあったの? なかったから、ここにいるんだとは思うけども」
案の定、タマヒコは首を横に振った。
「ま、そうだよね。それで、今までずっと今みたいに過ごしてきたというわけか」
「そういうことだよ。僕はともかく、タマヒコがお腹を空かせている姿を見るのは忍びなくてね。いけないことだとは承知の上で、食べる物を失敬させてもらったりしているんだ」
「お腹が空くのは仕方のないことだし、食べなきゃいけないのも分かるんだけど……、こういう生活をずっと続けるのも難しいとは思うよ。俺が言うのもなんだろうけどさ」
ライアスもわりと年季の入った放浪者なので、お金がなくてご飯を食べられない苦しみは十二分に知っている。そういうときにライアスは、ひたすら頭を下げて恵んでもらったりするタイプなので、盗んだり奪ったりしたことはないのだが。
「改めて聞くけど、タマヒコ君は今のままの生活でいいの? これからもずっとこんな生活を続けるつもり?」
「……良くは、ないよ。けど、いまさらどうしようもないし」
「そんなことはないと思うけどなぁ。他の人と一緒に暮らしたりするの、嫌い?」
「嫌いじゃないよ、寂しいほうが嫌だもん」
「だったら、今からでも住むところを探して、ちゃんとしたご飯を食べられるような生活をしない? なんなら俺、住めるところ紹介するよ?」
『え』
ウルスラは聞き間違いかと思ったが、聞き間違いではなかった。
「俺が今向かってる町に昔からの知り合いとか色々いるからさ、その人たちに頼んでみれば、君ひとりと猫一匹ぐらいなら住むところは見つかると思うよ」
「おや、僕も一緒で構わないのかな?」
「大丈夫でしょ。ミケさん、黙ってれば普通の猫とかわらないし。それに君たち、友達なんだから」
その言葉を聞いて、タマヒコはぐっと唇を噛んだ。
ミケが眩しいものを見るように目を細めて、ライアスを見つめている。
「ライアス殿は、変わった人だね」
「よく言われるよ。それで、どう?」
「提案はとてもありがたい。しかし、やはりそれはできないだろうな」
「それはなぜ?」
「…………」
ミケはしばし押し黙ると、やがて静かに口を開いた。
「それは、見てもらうのが一番早いと思う。……タマヒコ」
「…………うん」
タマヒコが意を決したように頷いた。そして、額に鉢巻きのように巻いていた手拭いを外してみせた。
ウルスラが、息を呑む。
「…………なるほどね、そういうことか」
『タマヒコの額に、ツノが……!』
手拭いで隠されていた額には、ツノが生えてきていた。
今はまだ、手拭いを巻いて隠せる程度の小ささだが、これは間違いなく、
「鬼になりかけてるね。タマヒコ君、これはいつ頃から?」
「一年、ぐらい前から。だんだん大きくなってきてる」
「ここみたいに、まわりより瘴気の多い場所にいるのは、君もそうしたほうが居心地が良いから?」
妖魔は、普通の生き物と違って瘴気の濃いところを好むようになる。
もしそうなっているなら、危ない。
「居心地は別に良くないけど、こういうところなら追っ掛けてくる人も少ないし、ミケが妖術を使うから。……それに、」
「……それに?」
タマヒコは、悲しそうな目をしてうつむいた。
「前にいた村で、食べ物盗んだのがバレて袋叩きにあった時に、鬼になるような奴が人のいるところに入ってくるな、って言われたから」
「…………」
「……ねぇ、これ見たら、やっぱりオレはこういうところにいて、こういう生活をしたほうがいいって、」
「思わない」
「っ……!!」
「むしろ逆だよ。君はこんなところにいちゃダメだ。こんな生活をしていたら、本当に鬼になってしまう。一刻も早く、人の中で生活をするべきだと思う」
「でも、また……、それにオレ、一度鬼になりかけたら、もう治らないって言われたよ……!」
ライアスはウルスラに頼んで、箒を渡してもらった。
「さっきも言ったようにこのホウキは、瘴気を祓って清めることができるんだ。瘴気の毒で病気になってる人を元気にすることもできたし、君の身体に溜まっている瘴気を全部追い出したら、それも治せるかもしれない」
「……!」
「ライアス殿、本当にそんなことが……?」
「やってみないと分からない。けど、可能性は低くないと思う」
シンタロウの腹に溜まった瘴気を祓ったとき、瘴気とともにその悪効も消え失せた。瘴気を取り込みすぎた人が鬼(妖魔)になるというのも同じような悪効であるならば、できないことはないはずだ。
と、ライアスは考えているのだ。
そしてそれは、ウルスラも同様である。
おそらく大丈夫、とライアスの言葉に頷く。
「だからほら、タマヒコ君。ひとまずは俺と一緒に来なよ。俺も話を聞いた以上は、やれることはやるからさ」
「…………で、でも」
「……タマヒコ」
いまだ決めかねるタマヒコに、ミケが何か言おうとする。
しかしそれは、叶わなかった。
「――そこのアナタ、危ないから離れてなさい」
「っ!」
声に振り返ったライアスの鼻先を、風の刃が通りすぎていった。
「ニャッ――!?」
ミケの胴体が切り裂かれ、吹き飛ぶ。
「…………え?」
一拍遅れてタマヒコが、血を流して倒れるミケを見た。
ライアスは、突然のことに言葉を失っている。
「半信半疑だったけど本当にいたわね。猫の妖魔と、鬼のなりかけ」
「はい、先生」
ミケを斬りつけた人間は、悠々とその姿を現し、
「一匹は斬った。次は――――」
呆然とするタマヒコに襲いかかった。




