26》生死の境目
ヴァルヴォルテが拳銃を無言で構える。釈明の余地などなく、即座に公開処刑するのは《惨禍の死神》。引き金が引かれると、銃口から発砲されたのは鉄の塊ではない。衝撃の塊のようなもの。つまりは視覚化できない銃弾。
フローラの花粉とはまた違って、常に不可視の特性を持つ銃弾。その強みは見えないことよりも、速さにある。銃弾の速度で発射される銃弾が見えようが見えないが避けることはほとんど不可能に近い。仮に銃の軌道を見切れたとしても、衝撃の塊を防ぐ方法は限られている。だから――
カナルは身を挺してエニスを庇う。
「――がはっ!!」
剣を振った風圧程度では衝撃の銃弾を掻き消すことなどできない。だから、エニスの前に立って盾となることしかできなかった。小さな銃口から発射された銃弾は膨張して、カナルの躰に被弾した。
「……なんで?」
疑問の声を上げるエニスは、瞳孔を開いて動揺する。
「これは困ったことになったみたいだね。その死神を庇い立するなら、こちらも民衆の命を背負っている身としては君も排除対象にしないとならない。残念だよ、ほんとうに」
そういうと、ヴァルヴォルテは二丁の拳銃で雨のような銃撃を浴びせてくる。ヴァルヴォルテの拳銃に弾切れという概念は存在しえない。いくらでも連射できるそれを、カナルは瓦礫を投射させてその身を保護する。瓦礫の投射は攻撃にすらなっていない。ヴァルヴォルテの身に届くまでに木っ端微塵に砕け散るからだ。
「今すぐカナルも私を攻撃してよ! そうすれば――」
ヴァルヴォルテもカナルのことを見逃してくれるかもしれない。一時的であろうが、共犯者は同罪。どうなろうがカナルもこの場で処刑する。……なんていかにもな台詞は儚いだろう。そんな勤勉に仕事をこなすような奴ではなく、ヴァルヴォルテは面白ければそれでいい。自分が楽しめればそれで満足する気紛れな性格の持ち主だ。だから、もしかしたらカナルのことも見逃してくれるかもしれない。
三年前に守れなかったエニスのことを裏切って。全ての責を彼女におしつけて、まるで自分が善人のように振る舞えばいい。罵詈雑言を撒き散らし。彼女の血で過去を洗い流せばいい。そうすれば、きっともっとカナルはもっと人間を逸脱できる。他人を傷つけている時がもっとも自分の脛の傷を忘れられる時だから。きっとそれはとても賢い方法なんだろう。
「安心していいよ、エニス。どんなことがあっても俺はお前を助けてみせるし、味方でいてみせる。もしもそれが叶わなくて、エニスが死んでしまったら――」
ツキミやフローラやアローンを傷つけてまで、カナルが守りたかったものがあるのだ。それを簡単に手放すことなどできないし、手放す理由も見当たらない。常に自分の心を切り捨てながら戦う自分はきっと、傷つくのに慣れている。だから、防ぎきれない弾丸が皮膚を突き破っても、退くつもりは毛頭ない。
「俺もちゃんと後を追って死ぬからさ」
死ぬことが。心肺停止することに恐怖心など小石の欠片ほども抱いていないといえば、嘘になる。カナルだって生きたい。でも、生きたいからこそ、本当の意味での自殺はしたくない。
「俺はこの三年間ずっと死んだように生きてきた。そしてもしもエニスがいなくなったら、俺は生きているように死ぬかもしれないなあ。そんなものは、死んでいるように死んでいるのと同じだ」
『グルマタの惨禍』からずっと、何かが心に引っかかっていた。何か違和感があって、まるでこの世界そのものが虚構のようだった。全てが嘘偽りのように思えていて、生きた心地がしなかった。だけど、ようやくその理由にたどり着いた。偽りの記憶のまま生きてきてきたカナルは、ようやく曇りなき瞳で守るべきものを正視できる。エニスのことを守ることで、きっと生きる意味を掴むことができる。
「だから俺は――生きているように生きたい!!」
ふん、と小馬鹿にしたようにヴァルヴォルテは銃弾を放つ。こちらの事情なんて知ったことではないだろうが、カナルは立っているのも限界だ。エニスはまだ死のうとしているのか、それとも生きようとしているのか。棒立ちになって迷っている。少しでも動いたら、また能力が暴走してしまうと慄いているのか。
鎧の《バク》や蟹の《バク》が暴走したのも、きっとエニスの能力が不安定だったからだろう。だから今すぐにでも暴発して、カナルをも巻き込むやもしれない。だから、手詰まりなのだ。どうしようもなくその銃弾をカナルはその身で――
木の根が眼下の地面から突如として生えて、銃弾から守る防護壁となる。
散々口では言っておきながら、一人ではエニスの盾にすらなれなかったカナル。助けて欲しいと懇願された者を助けきれずに、炎の刃で肉体が傷つくのを止められなかった。そんなどうしようもないカナルの助け舟を出してくれたのは、カナルが助けるべき相手だった。
「君は……どちらかというと僕側の人間だと思ってたんだけどね。どうやら買いかぶりすぎたかな」
「俺もだよ。俺もこんなもの似合わねぇって分かってるさ。どうしてってあんたのやってることの方が正しい。でもな、正しいだけで人の心が量れるかよ! そんなもの如きで、俺の家族を見捨てられるわけねぇだろうが!!」
木の根を生やしてヴァルヴォルテを攻撃するアローンと挟み撃ちをするようにして、カナルも瓦礫を投射する。それを一度に相殺するのは苦なはず。だが、ヴァルヴォルテは銃撃を撃つつもりすらない。引き金を引かずに、ただ拳銃を突き出すだけで――アローンの発現した木の根を吸収した。
カナルが投射した瓦礫は吸収されはしなかったが、銃に当たるとピタリと制止する。すると、カナルが能力で投射した速度よりも数倍速い速度で瓦礫が返ってくる。もう片方の銃口からは木の根が生えて、やはり銃撃のように加速してアローンの身体に被弾する。
「僕の能力は他人の能力を強奪する能力。しかも強奪するだけじゃなくて、僕は他人から奪った能力に銃の速度と威力を付け足すことができる。訊いておきたいことがあるんだけど。僕より強い《デバイサー》なんて存在するのかな?」
蟹の《バク》の能力は、攻撃反射能力だった。しかしあれは、物体の衝撃の威力をそのまま反射させるというものだった。もしもあの時エニスが炎の能力を使っていたら、きっとまだ楽に勝てていただろう。
しかし、ヴァルヴォルテの能力が吸収するのは衝撃だけではない。能力を吸収し、それを銃弾として撃ちこむことができるのだ。しかも、威力と速度はオリジナルよりも数段上だ。能力で攻撃してきた《デバイサー》よりも、絶対強い能力をしっぺ返しとして使えるヴァルヴォルテに勝てる《デバイサー》が存在するのだろうか。それどころか、引き分けにすら持ち込めない。
ヴァルヴォルテと共に地下道に潜ってきた《灰かぶりの銃弾》の隊員たちは、なにも隊長の命令がないからという理由だけで動いていないのではない。ヴァルヴォルテが苦戦することが想像できないから、加勢に入るまでもないのだ。一人や二人が増えたところで、圧倒的劣勢が覆るわけもないことも分かっている。
「くそっ!」
攻撃が一切きかない。それどころか倍返しされるとなると、防御一辺倒になってしまう。だが、アローンの木の根の壁も、カナルの瓦礫による盾も通用する相手ではない。
ヴァルヴォルテは動く的を当てるため。それに、複数の相手を効率よく一撃で仕留めるために、銃弾の加害領域を広げている。拡散している銃弾を一点集中すれば、貫通力のある一撃となる。その一撃はいともたやすい二人の壁と盾を貫き、標的であるエニスを銃殺した。……はずだったのに――
貫通力を最大にまで上げた銃撃を、たった独りで受け止めた奴がいた。
「な――!!」
横から入ったそいつは、何か特殊な能力で防いだわけではない。仮にフローラが花粉で防護壁を築いたとしても、なんの時間稼ぎにもならなかった。一瞬で貫通させるほどの銃弾だったはずだ。
「銃口を絞った僕の銃弾を生身で受けて立っていられる……!?」
それなのに、防いだのは。そしてなによりジリ貧だったカナルたちのことを守ろうとするものなど、きっとそいつしかいなかった。
「そうか。君が《フルハートファミリー》の――」
戦闘してからそんなに時間は立っていない。まだまともに動ける身体ではないというのに、こうして駆けつけてくれた。
「《無心機》か」
駆けつけてきたであろうツキミは、私は……といいながら俯いているエニスのことを見やって、こくん、と頷く。もしかしたら自動修復機能で破損していた記憶のデータが蘇ったのかもしれない。事情を把握しているかのように振る舞っている。ヴァルヴォルテに敵対するように立ち塞がるが、だが、それでもヴァルヴォルテの相手にはならない。
ツキミはオイルの能力をつかったはずだった。しかし、それは通用しなかった。貫通力を極限にまで引き上げたあの銃弾は、ツキミの身体まで届いた。カナルが小細工を何度も弄してようやく打ち破ったツキミの能力を、ヴァルヴォルテは正面から克服してみせた。こんなの、勝てるわけがない。
「スクラップ寸前の《無心機》が何をしにきたのかな?」
「私の《ファミリー》の涙を流させないために――ここまで来た」
肘がガコンと開閉すると、そこから炎が勢いよく噴射する。推進力を伴った拳は地下の石床を割って、ヴァルヴォルテを浮かせる。割れた瓦礫をふん! と気合を入れて持ち上げると、重量などおかまいなしにヴァルヴォルテにぶん投げる。それを、くっ、と奥歯を噛みしめたヴァルヴォルテが銃撃で粉砕させる。やはり、意味などない。どんな攻撃であろうと――。
いや、どうしてヴァルヴォルテは即座に反撃しなかったのか。能力を倍返できたはずなのに、それをしなかった。偶然。違う。そうではない。しなかったのではなく、できなかったのだ。
ヴァルヴォルテが強奪できるのは能力の性能だけだ。アローンの木の根を呑み込んだように、カナルの投射した瓦礫も、その物体ごと取り込んでしまえばよかった。それなのに、ヴァルヴォルテはカナルの操作能力だけを強奪し、そのまま反射させた。
しかし、だからといって、ヴァルヴォルテに能力なしで対抗できるとは思えない。対抗できるものはきっと、能力なしでもあの銃弾とまともにやりあえるような者だけだ。そんなやつ、きっと広いグルマタを探しても、たったの一人しかいないかもしれない。そして、ヴァルヴォルテにとって唯一の天敵というべきそいつは今ここにいる。
「もう……やめて……」
絞り出すような声を出したエニスは、顔を両手で覆ってへたりこんでいた。泣いているのかもしれない彼女の声は湿っていた。
「私はここまでされても、まだのうのうと生きていたいとなんて思えないっ……。そんな権利私にはない……」
エニスを救いたいと思っているのは、もうカナルだけではない。アローンやツキミ。それからきっと、姿を見せないフローラだってそのはずだ。その気になればアローンの身体の所有権は彼女にあるのだから、いつでも制止できるはず。それなのに黙殺しているのは、きっとエニスのことを《ファミリー》の一員だと認めているからだ。
「言い忘れるわけがないって思ってた。でもずっと前から記憶になくて。だから、すっかり忘れてしまったのかと思った。でも、やっぱり俺はまだエニスに大事なことを伝えてなかったんだなあ」
記憶を捏造されたことによって、何が正しいのか間違っているのか。エニスという人間が本当にエニスなのか。カナルでさえも自分が自分なのかという確証もない。でも、それでも生きていてはいけない理由なんてならない。エニスが死んでしまっていい理屈なんてどこにもない。
「お前がどこの誰だってかまわない。なにをしてきたかなんてどうでもいい。過去にどんなに辛いことがあっても、これから理想の自分になれるし、きっとなんでもできるさ。だから――」
「俺の家族になってくれないか?」




