45「娘の気持ちを踏みにじってまで守る家柄に、何の価値があるんですか!」
青木ヶ原さんは僕に手を差し伸べて、
「よかったら、握手をしてくれないかな」
と、爽やかに微笑みかけてきた。
「ええ。喜んで」
僕が、がっしりとした手を握り返すと、
「……中々の好青年じゃないか。アリサさんを寝取られないように、僕も頑張らないとな」
彼は気持ちのいい笑顔を見せた。
「…………」
アリサさんは、そんな僕達のやり取りを無言で見つめている。
なんだかその表情は、どこか儚げで、寂しげにも見えた。
「アリサさんのお友達として。僕達の結婚を暖かく見守ってほしい」
青木ヶ原さんは、そう言った。
僕は、彼の手を離すと、
「でもそれは、アリサさんの意思じゃ――」
「神奈月さん」
クリスティーナさんが、僕の言葉を阻んだ。
「それは、今おっしゃることではないでしょう?」
「……でも!」
「――でも、なにか?」
そう言うクリスティーナさんの声は。
荒げているわけでもないのに、妙な圧迫感があった。
乱暴に上から押し付けるような威圧性はないが、ずしっと重くのしかかって来るようなプレッシャーがあった。
「まさか、アリサの結婚に反対、と申すのではないでしょうね?」
それは、確認というより、威喝に近かった。
絶対的な強者がする、弱者への脅迫。
だから僕は、こう答えた。
「ええ、反対です」
自分でも意外だった。
中立の立場に立とうとしたのは、誰よりも僕だったはずなのに。
「というか、逆に聞きたいんですけど、なぜですか?」
「なぜ、とは?」
丁寧に聞き返すクリスティーナさん。しかし、確実に静かな圧力をかけている。
「どうして……望まない娘の結婚を容認するんですか?」
「おほほ。何をお尋ねになるかと思いましたら、そのようなこと」
クリスティーナさんは、上品に笑った。
ただそれだけのことなのに、アリサさん、青木ヶ原さんの間にまで、緊張が走ったことが伝わった。
「名家の人間が良家の者に嫁ぐ。何か問題がおありかしら?」
「いえ、問題とかじゃなくて……」
「それとも、どこの馬の骨とも分からないような男の方が、アリサを幸せにできると。そうおっしゃるのかしら?」
「――!」
僕は、全身の毛が逆立ったように感じた。
彼女は、僕のことを言っている。
おそらく、僕の家の事情を全て調べさせているんだ。
だからこうして勝ち誇ったような顔をしているんだと思うと。
すごく、腹が立った。
「あなた、それでも母親なんですか?」
気がつくと、勝手に言葉は出ていた。
「……なんですって?」
「嫌がってる娘を無理やり結婚させるなんて、それでも母親なんですか!」
思えば僕は、アリサさんの身の上に、自分自身を重ね合わせていたのかもしれない。
だから、言葉は止まらなかった。
「娘の気持ちを踏みにじってまで守る家柄に、何の価値があるんですか!」
しんと、まわりは静まり返っていた。
青木ヶ原さんはポカンとした表情で口をつぐみ、アリサさんは頬を紅潮させながら無言で僕を見上げていた。
しかし、クリスティーナさんは――。
「おっしゃりたいことは、それだけですか?」
僕の言葉に、何ら揺らいではいなかった。
「それでは、アリサに聞いてみましょう」
そして、クリスティーナさんはアリサさんに向かって冷笑を浮かべると、
「アリサは、青木ヶ原さんと結婚したくないのですか?」
「……い、いいえ……」
アリサさんは、小さく首を横に振った。僕にはそれが、拳銃を突きつけられて「金を出せ」と脅されているのと、何ら変わらないように思えた。
クリスティーナさんは、ニッコリと笑いながら僕を見て、
「いかがでしょうか。アリサは、嫌がってなどおりませんわ」
「無理に言わせてるだけじゃないですか。アリサさんが断れないのを分かってて、わざとやってるんでしょう? アリサさんの意思を無視して」
「アリサの意思? ほんの十六歳の小娘に、どう正しい判断ができると言うのです? 我々のような良識ある大人が、正しい道に導いてやる。それもまた、親心だとは思いませんか?」
「そ、それは……」
「よしんばアリサが本心では嫌がっていたとして、何の問題があるのですか?」
「え?」
「青木ヶ原家は世界的な財閥で、彼自身も有名な経営大学を卒業見込です。見てのとおり相当な美男子でもあります。彼のお嫁になりたいという女性は数多くいるでしょう。そこに、何の問題があるのです? それとも、あなたが責任を持ってアリサを娶るとでもいうのですか? 白輝家の栄誉を背負って立つ覚悟が、あなたにはおありですか?」
「…………」
クリスティーナさんは、突き刺すような鋭い視線をぶつけてきた。
僕は、何も言い返すことができなかった。
それはそうだろう。最初から、住む世界が違いすぎたのだ。
クリスティーナさんは、モルモットを見るような目で僕を見下ろし、
「不愉快です。出て行きなさい」
その言葉は、静まり返った部屋に重く響いた。
こういうことなのだ。僕はあくまで部外者で。
出来ることといえば、アリサさんが幸せでいれるよう、願うことだけだったのだ――。
「……失礼します」
僕はそれだけ言うと、部屋から出て行こうとした。
その時。
「……神奈月さん」
アリサさんが、僕の腕をつかんだ。
アリサさんは、捨てられた子犬のような目で。
僕を――見上げていた。
助けてほしい。そう言ってるように思えた。
でも僕には、何にもしてあげられることがなくて。
アリサさんの腕を、そっと外そうとしたとき。
「神奈月くん。アリサさん」
青木ヶ原さんが、僕とアリサさんに声をかけてきた。
「君達の縁を裂くようで、僕としては大変申し訳ない」
そして、僕とアリサさんの肩を両手でつかむと、
「遠いところわざわざ来てくれたんだ。僕が車で送っていこう。アリサさんも、彼に最後のお別れをするといい」




