42「お兄様……逃げて。『彼女』が、出てこない内に……」
ことりは女の子とは思えない腕力で、僕の腰から胴回りにかけてを締め付けた。
「や……やめろ。死ぬ……」
「そのまま死んじゃェば? 亡くなったお父さんの元へ行ってきなよ」
「ぐわあ!」
ギリギリという音と共に激痛がしたので、僕は背中を大きくのけぞらせた。それでも、ことりの拘束は外れない。背骨が折れてしまったのではないかというレベルの痛さだった。
「……ぼ、僕を殺しても、何にもならないぞ……」
「意味はぁるわ。あすかは、ぁなたのことを心の底から愛してぃるから。あすかが一番大切にしてる人間を壊すことで、彼女の魂を踏みにじることが出来るのよ」
「……子供だな、君は……」
「ぁら、ぁ兄様に何が分かるの?」
「……前に裸を見たけど、発育が少し遅かった……」
バキッ!! ……と、僕は腹部に、ことりの膝蹴りを入れられた。
「げほっ! ごほっ! 何、するんだ……」
ことりは僕の質問には答えず、うずくまって背中を丸めていた。
「う……! うう……」
そして、苦しそうに頭を抱えている。一体どうしたというのだろうか。今の拍子に、どこか怪我でもしたのか。それとも……。
「ことり? どうした?」
「……ち……がう。わたくしは……雪ノ宮あすか……」
彼女は苦悶の表情を浮かべながら、大きく何度も呼吸を繰り返した。
額には汗がにじみ出ていて、噛んだ下唇からは血が流れ出していた。
「やめろ……。ぁたしは、ことり……。体を、奪ぅな……」
苦悶の表情は憤怒の形相へと変わった。
まさか、人格が交代しようとしているのか?
「お、おい……。大丈夫なのか……?」
「お兄様……逃げて。『彼女』が、出てこない内に……」
――彼女? ことりのことか? だとしたら、今の人格はあすか……?
僕は呆然と、目の前にいる女性を見つめていた。すると、彼女が、
「早く! このままでは、わたくし……。早く!」
「あ、ああ……」
彼女の叫びに押されるように。
僕は屋敷から走り去った。




