40「ぁたしは、雪ノ宮ことり。久しぶりね。ぉ兄様」
僕とあすかは、屋敷の縁側に並んで腰掛けていた。
あすかの説明を受けながら僕は、燃えるような緋色のつつじが咲く庭、カコンという音を鳴らすししおどし、趣のある石灯籠などを眺めていた。
「先ほどは申し訳ありませんでした。母が失礼なことをして」
あすかが謝罪をすると、僕は微笑んで、
「いや、僕のほうこそ無愛想な態度をとって悪かったよ。どうやらまだ、わだかまりがあったらしい」
天然の敷石が並べられた先には、錦鯉がバシャバシャと泳ぐ池があった。夏の風情を感じる。大きな池を自由に泳ぎまわる鯉を見つめていると、ふいにあすかが、
「お母さまのこと、まだ許せませんか?」
と尋ねた。
「許すも許さないもないさ。僕の実父っていうのは本当に最低な奴でね。あんな家にいたら命がいくつあっても足りない。つばめさんじゃなくても、誰だって逃げ出すさ」
「お兄様の父親は、そんなに酷い方だったのですか?」
「ああ。悪酒に酔って、幼い僕にさえ乱暴の限りを尽くしてたよ。今生きてるのが不思議なくらい」
「そうだったのですか……。申し訳ありません。わたくしたちだけが良い暮らしをして」
「いいんだ。つばめさんが家を出ていってから、父さんがアルコール中毒で亡くなって、それから神奈月家の引き取られることになった。でも、母さんだってほみかだって、僕に良くしてくれる。僕は何ひとつ不自由してないよ」
「ほみかお姉さま……ですか」
あすかは一言そう漏らすと、悲しそうに目を伏せた。
(やはり、お兄様はほみかお姉さまの方が大切なのでしょうか。わたくしよりも)
僕は苦笑して、
「馬鹿だな。あすかは」
ポン、と頭に手を乗せながら言うと、あすかはきょとんとして、
「な、何がですか?」
「どっちが大切とかなんてないんだよ。ほみかは大事な妹で、あすかも大事な妹。それだけさ」
それは本音だった。そして出来れば、あすかの心の闇も払ってあげたい。そう思っていた。
「だからあすかも、何にも心配しなくていいんだ。僕はあすかのことも、大切な存在だと思っているから」
「お、お兄様……。そ、それは、まことでしょうか……?」
「本当さ。だからあすかにも、僕のことを信じてほしい。いいかな?」
「……は……い……」
その時だった。
あすかの様子が急変したのは。
「あすか……? どうしたの?」
あすかは返事をすることなく、ボーっとした目で、体を小刻みに震わせていた。
「あすか! 大丈夫!?」
「お……お兄様、助けて……」
「しっかりしろ! 気を強く保つんだ!」
「……ダ……メ……も……う」
あすかが僕の声に答えたのは、これが最後だった。
身震いが止まったかと思ったら、それきり彼女は俯き、黙り込んでしまった。
「あすか……? 君は、あすかなのか……?」
「違う」
彼女は顔を上げると、ギロリと僕を睨みつけながら言った。この表情、この態度。また例の症状が始まったのだろうか。僕はゴクリと唾を飲み込み尋ねた。
「君は……誰なんだ……?」
彼女は、虚無な視線を返しながら答えた。
「ぁたしは、雪ノ宮ことり。久しぶりね。ぉ兄様」




