30「私のこと、お嫁に貰ってくれますか?」
アリサさんの告白に、僕はかける言葉が見つからなかった。
「……私には、家を存続させる義務があるんです。将来は立派な人間の元に嫁ぎなさいと。小さい頃から、そればかり教えられてきました。お母様も、おばあさまも、白輝家は代々そうして繁栄してきたのだと。言い聞かせられました。それが今になって、私のワガママで親の顔を潰すわけにはいかないんです」
アリサさんは無理に口角を上げたような、不自然な笑みを浮かべた。
「……神奈月さん、あなたには分からないでしょうね。私のように財閥の娘に生まれてしまった者は、同じように資産家の息子と結婚するしかないんですよ。私一人のために、お父様やお母様にご迷惑をおかけするわけにはいかないんです」
次々と繰り出される正論に、僕は辟易とした。
「で――でもさ」
やっとのことで、僕は言葉を搾り出した。
「今時、政略結婚なんて無理があるよ。社会的地位とか、資産とか、そんな理由で結婚相手を選ぶなんてさ。それに、結婚するとしたら、学校だってやめなきゃいけない。それでもいいの!?」
僕は一体、何を喋っているのだろう。こんな理屈を言いたいわけじゃないのに。
分かっていながらも、言葉は止められなかった。
「それに、数回会っただけの人と結婚なんて、絶対おかしいよ。そういうのって普通、お互いのことをもっと知ってからじゃないの? 本当に、それで良いと思ってるの!?」
「……では、神奈月さんはどうすればいいと思うんですか?」
「そ、それは……。とにかく、一度よく考えて。自分自身のことを見つめ直そうよ。確かにお金も大事だけど、それ以上に愛情って大切じゃないか。愛のない結婚なんて、する必要ないよ」
詭弁だ。僕は詭弁を言っている。
こんなものは、論理を無理やりこじつけてるだけだ。
「……つまり、青木々原さんが私を不幸にすると言いたいんですか?」
「そうは言ってないよ。そもそも、その人がどんな人か分からないし」
「……会ったこともない人なのに、その人がダメだとどうして言えるんですか?」
「ダメだとは言ってない。よく考えてって言ってるんだ」
「……どれぐらい考えればいいんですか?」
「それは分からないけど。何年かかってでも、納得出来る答えを出すべきだと思う。それで結婚自体ご破算になったとしても、尊重するべきはアリサさんの気持ちだよ」
「……そうですか」
アリサさんは目を細めながら、言った。
「……要するに青木ヶ原さんとでは、幸せになれるか分からないから、結婚はよく考えてしろということですね? では、私が本気で好きな人となら、結婚してもいいと仰るんですか?」
アリサさんは、真っ直ぐ僕に視線をぶつけた。おそらく、僕の本心を見抜こうとしているのだろう。
「……たとえば神奈月さん。あなたはどうですか? そんなに言うんなら青木ヶ原さんの代わりに、私をお嫁にもらってくれますか?」
「……それは……今はそういう話をしてるんじゃないし……」
「……この程度のことにも即答できないで、人の結婚に対して偉そうに言ってたんですか? 女性を養う覚悟も甲斐性もないなら黙っていてください。もう一度聞きますけど、私のこと、お嫁に貰ってくれますか?」
アリサさんは射抜くような目で僕を見ている。正直、そんな目で見ないでほしかった。なぜなら、僕はアリサさんのことを……。
ふいに、ほみかの顔が頭に浮かんだ。眩しいくらいの笑顔、激しく怒った表情、そして、僕のために涙をなす姿も。それら全てが、胸を突き刺した。
「ごめん……」
それだけ言うのが、精一杯だった。
「……わかりました」
アリサさんは微笑んだ。
その顔は僕ではなく、僕の背後へと向けられたものだった。
「……だ、そうですよ。良かったですね。これで、私と神奈月さんはもう赤の他人です。嫉妬して跡をつけ回す必要もなくなりましたよ」
僕は後ろを振り返った。そこには、ほみかとりおんが立っていた。
何も言えなかった。誰も何も言えなかった。ただ華やかなパレードの音が流れるだけで。
「……それでは、私はこれで失礼します。神奈月さん。ほみかさん。一ノ瀬さん。さようなら。結婚式は三日後ですので、一応招待状は送りますよ」
アリサさんはそれぞれに一礼し、踵を返し去っていった。
僕にはその後ろ姿を、追いかけることが出来なかった。




