29「……好きですよ。決まってるじゃないですか」
寂しげに笑うアリサさんの顔を、僕は黙って見ていることしか出来なかった。
結婚する。
確かに、アリサさんはそう言ったのだ。今日は様子がおかしかったし、急にデートに誘うのも意外ではあったけど、まさかこれほどの――。
「……神奈月さんは、何か勘違いをなさっています」
僕の表情を察したのか、アリサさんは口を開いた。
「えっ、な、何が?」
「……今回の結婚は、親同士が決めたことなのですが、だからといって政略結婚ということでもないのですよ」
「なに言ってんの。政略結婚じゃん!」
僕は声を張った。
「アリサさんは納得してない。そうだろ?」
「……納得、ですか。そうですね。百%かと聞かれれば、確かにそうです」
アリサさんは、強張った笑いを浮かべた。
「……では、神奈月さんに聞きますけど、食べ物を長時間食べられず、飲み物も長時間飲めない状態で、目の前に食料と飲み水を出されたらどうしますか?」
「えっ。どうって、それは――」
「……欲しければ対価を差し出しなさい、と言われたら? それがどんなに嫌な人であったとしても、それでも断りますか? 今回の結婚は、それと同じようなものなのですよ」
「そんな例え話が聞きたいんじゃない」
僕はアリサさんをキッと睨みつけた。
「僕が聞きたいのは、アリサさんの本音だよ。今まで聞いた話だと、アリサさんはこの結婚自体には反対してるように思える。それなら、親がどうしようが、相手が何を言おうが、断るべきじゃないのかい?」
「……もう決まったことなんですよ」
「結婚するかどうかを決めるのはアリサさんじゃないか。親でも親戚でもない。それに、アリサさんはまだ十七歳じゃないか。結婚……というか、将来のことを考えるには、まだ早すぎるんじゃないか?」
「……神奈月さん」
僕がこれだけ言っても、アリサさんは眉一つ動かさなかった。なんだろう、望まない結婚を強いられているならば、どうして悲しい顔の一つも出来ないのだろうか。
「……神奈月さんは、子供ですね」
目の前を通り過ぎるパレードを眺めながら、アリサさんは言った。
「……これも、実家の家業を助ける為です。相手方は大手企業の社長の息子で、双方にとって利益のある話なんです。私の家は旧家ですし、お金がないわけではありませんが、将来を確固たるものとし、金銭的な不安を解消したい――ということで両親が縁談をまとめました」
「いやいや、だから、そういう話じゃなくって! アリサさんの意思はどうなんだよ! その人のこと好きなのか!? そもそも相手のことはちゃんと知ってるの!?」
知らず知らずの内に、僕は声を荒げていた。アリサさんが悲しむというより、諦めたような表情をしているからだ。デート中とか、そんなことはもうどうでもいい。僕は、アリサさんの真意が知りたかった。
「……一度お見合いをしました」
アリサさんはポツリと呟いた。
一度だけ? と思いはしたが、聞くのは止めにしておく。
今はただ、アリサさんからの話を聞きたい。
「……相手のお名前は、青木ヶ原さん。二十三歳。大手企業の社長の息子さんだそうです。会ってみたかぎりでは、ハンサムで、社交的で、真面目で、背も高くて。有名大学を出ているので学歴が高くて、頭も良い。まさに、世の女性の理想を体現したかのような男性でしたね」
「そう……なんだ……」
そこまで良い相手なら、止めておきなよとは言いづらい。
そういう古典的な政略結婚は、フィクションの中だけだと思ってたんだけどな。しかし、当人同士が納得しているのであれば、アリサさんの言うとおり政略結婚とも言えない。
「それで? アリサさんはその人のことが好きなの?」
「……何を、聞くんですか……」
訝しむように聞き返すアリサさん。
「いいから答えて。本当にその人のことが好きだから結婚するの?」
そうだ。
家柄がどうとか、お金がどうとか、両親がどうとか、全て関係ない。結婚は、好きな相手とするものなのだ。
僕は、アリサさんの返事を待った。
何時間でも、待ち続ける気だった。
「……ずいぶんと、おかしなことを聞くんですね、神奈月さんは」
やがて、観念したのかアリサさんは言葉を紡いだ。
また例の、寂しそうな笑顔で。
「……好きですよ。決まってるじゃないですか」
(……嫌い、です。結婚したくありません)




