8「立派なことだから恥じる必要なんてないよ」
僕は彼女――雪ノ宮あすかを、リビングに上げた。今日はたまたま母さんも、ほみかも家を留守にしていたことは幸いだった。もし二人がこの場にいたら、大騒ぎになっていただろう。そんなことを考えながら僕は彼女をソファに座らせると、向かい合わせに座ってから声をかけた。
「――まず、いくつか説明してもらいたいことがあるんだけど。その前に。歳を聞いてもいいかな?」
僕は顎の前で指を組み合わせながら尋ねた。しまった。これではまるで、刑事が容疑者を尋問してるようではないか、と思ったが、時既に遅かった。
あすかは背筋をピンと張って、姿勢のいい座り方でソファに腰掛けていたが、僕の無作法を気にする様子もなく、口を開いた。
「その前に一つよろしいでしょうか。今、この家にはわたくしとお兄様の二人しかいない、ということでよろしいのでしょうか?」
「あ……うん。そりゃ、もちろんだよ……」
僕はやたらと言葉を詰まらせながら答えた。
しまった。そう言えばりおんのことをすっかり忘れていた。もうたっぷり十分は部屋で待たせている。もしかしたら、痺れを切らしてリビングまで乗り込んでくるかもしれない。
「それでは、お話しします。わたくしの年齢は十五歳。通っている学校は『繚乱学院』というのをご存知でしょうか?」
僕は思わずソファからずり落ちそうになった。
「り、繚乱学院だって?」
「はい……恥ずかしながら」
「いや……何を恥ずかしがってるのか分からないけど。むしろ繚乱って言えば、全国でも指折りの進学校じゃないか」
僕は彼女の言い様に唖然とした。
繚乱学院中学校というのは、お嬢様ばかりが通う超難関校である。
繚乱が有名な理由はもう一つある。それは、女子高であることと、かなりハイレベルな美少女が多いということだ。しかもお金持ちばかりが通う私立中学ともなれば、人気が高いのも納得だ。
僕の驚きが表情に出てしまっていたのか、あすかは言いづらそうに、
「も、申し訳ありません。わたくしのような卑賤なる者が、お兄様を差し置いて図々しくも名門校に通うなどと」
(お兄様が望むのであれば、この場で自害いたします)
と、悲壮感たっぷりの顔で言った。いや、別に卑賤とも図々しいとも思ってないんだけども。ただ、はえー、すごいなあと感心しただけで。
何だかこの子は、少し悲観的というか、ネガティブすぎるところがある。今まで聞いたところだと、低級どころか、むしろ僕なんか及びもつかないほど上流階級の人間なのに。
いや、そんなことよりも。心の中とはいえ、平気で「自害する」と言うのはどうだろう。僕は心の中の懸念を悟らせないように、「そんなことないよ」と優しく声をかけた。
「立派なことだから恥じる必要なんてないよ」
「そ、そうでしょうか。流石お兄様ですわ。なんという広大で慈悲深いお心の持ち主でしょう」
(しかし、わたくしは自分のことが許せませんわ。妹でありながら、お兄様よりも裕福な暮らしをするどころか、お兄様を差し置いて有名校に通うなどとは。
やはり、わたくしのような下賎な人間は生きていてはいけないのでしょうか。お兄様が今までお辛い目にあってた時も、わたくしだけ何一つ不自由ない生活を送っていたなどと。
これは、万死に値することですわ。しかも、お兄様の優しさに甘えて、のうのうと許されようなどと……。やはり、わたくしは死ぬべき……)
僕は今まで、色々な人間の心を読んできたが、これほどまでにネガティブな思考をする人間は初めてだった。
というか、異常なまでの自己評価の低さは何なんだ。
僕は、とてもじゃないけど居たたまれず、席を立った。
「そういえば、お茶も出してなかったね。今入れてくるよ」
「はい? あの……いえ、お構いなく……」
あすかは遠慮がちに手を振りながら言った。
「いいから。ちょっと待ってて。お湯沸かしてくる」
「あ……。本当に。お気遣いなさらずに……」
(わたくしのような矮小な存在の為に、お兄様みずからもてなしをされるなど、あってはならないことです! このようなご配慮をさせてしまうなど、やはりわたくしは死……)
「あー違う! 僕が飲みたいの! 僕が飲みたいからお茶を入れに行くんだ! 君のはそのついで! わかった?」
「は……はい。それならば、致し方ありませんね……。お兄様の、良きように」
あすかは口ごもりながらも、僕の意見を受け入れた。
何だかこの子と話してると、どっと疲れる。
僕は疲弊しながらもリビングへと向かった。




