3「……軽くでいいって、バカ兄貴が言ったんじゃん」
「…………」
近づく顔。
唇には、ほみかの吐息がかかる。
ああ、本当にキスする気なんだな。
僕はそう思いながら、ゆっくり目を閉じると、
「――!」
「……え?」
僕が思ったとおり、ほみかはキスをしてきた。
僕のほっぺたに。
ほみかは、僕の頬に押し当てた唇を離すと、むくれながら、
「……軽くでいいって、バカ兄貴が言ったんじゃん」
(ご、ごめんなさい! だって、いざとなるとほみか恥ずかしくなっちゃったんだもん! もしかしたら誰か見てるかもしれないし、ディープキスは誰も見てないベッドの上でしようね!)
「ああ、なるほど。直前で怖くなったってことか」
ベッドの上なら恥ずかしくないというのも分からない話だが。
「な、なによ! 冴えなくて、みっともなくて、イケてないあんたに、このあたしがほっぺたとはいえキスしてあげたのよ!? 小躍りして町中を飛び跳ねるぐらいのことはしなさいよ! このダメ男!」
(ほっぺたとはいえ、世界で一番かっこいいお兄ちゃんにキスできてよかった。この夏最高の思い出だね!)
と、地団駄を踏むほみか。
僕はそんなほみかを見て苦笑しながら、
「まあ、ダメ男ってのは認めるけどね。それでも、今日は少し褒められることをしたと思うよ」
「はあ!? 何がよ!? 」
「以前のほみかなら」
僕は激昂するほみかの叫びを制して、
「僕が言っても、絶対キスなんてしてくれなかっただろうね。それが、ほっぺたとはいえキスしてくれた」
「……それがなんだっていうの?」
「わからない? ほみかは、少しずつだけど僕に対するツンが少なくなってきたってことだよ。つまりこのままいけば、ツンデレ病が治る日も近いんじゃないかってこと」
「う……。そ、そりゃあ。あたしだってそんな得体の知れない病気は嫌だから、治せるものなら治したいけど……」
「でしょ? 僕はね、ツンツンしてるほみかのことも好きだけど、できるだけ僕といる時は自然体でいてほしいんだ。その為には、僕と二人でいることに慣れないといけない。今日お祭りにほみかを誘ったのは、その練習でもあったのさ」
「ふ、ふん。あたしは別にバカ兄貴なんかと一緒にいたくないけどね。どうしてもって言うから、来てあげただけで。ちょっとはあたしに感謝しなさいよ?」
「そうだね」
僕は、ふくれっ面のほみかに笑顔で答えた。
「僕はね、会えなかった七年間の溝を埋めたかったんだ。この夏祭りでさ、今まで僕たちが過ごせるはずだった時間を。特別なことなんていらない。何の変哲も無い、普通のお喋りでよかったんだ。ただ、ほみかと一緒にいられれば」
「バカ兄貴……」
(お兄ちゃん……)
「だから、改めて礼を言わせてくれ。僕の妹でいてくれて、僕を信じてくれて、僕を好きになってくれて、ありがとうと」
「うううううううっ……っ」
見事なくらい顔を耳たぶまで真っ赤に火照らせて、窒息しかけてるのかと思うぐらい息をハアハアと荒くして、カメレオンのようにせわしなく目をグルグル回しながらうつむくほみか――いやあ、可愛いねえ。こっちも顔から火が出るのを我慢してくさい台詞を言った甲斐があるというものだ。
「あ、あの、バカ兄貴!」
ふいにほみかは顔を上げた。
「なに?」
「あ、あの! あたしも! あたしもね――」
ほみかがそこまで言いかけた時。
花火があがった。
どーんと華やかに。
ぱっと夜空に花を咲かせて。
大事な人と見る花火というのは、こんなにも気分を晴れやかにさせるのか。
「わあ……!」
ほみかも何と言うか、呆気にとられるというか、圧倒されたように口をポカンと開けながら、花火を見上げている。
離れ離れになっていたこの七年間。色々なことがありすぎて、あっという間の出来事みたいに思えるけど。でも七年ぶりに会ったほみかは、昔とちっとも変わっていなくて。生意気で乱暴でおてんばで、でも心の中では思わず引いてしまうほど僕にデレデレしてて。
そんなほみかと、今こうして二人で花火を見上げている。
なんだかそれが、凄く特別なことのように感じられたのだ。
僕はほみかの顔を見ないようにしつつ、彼女の手をそっと握った。
「――!?」
一瞬、ほみかの緊張と動揺が指先を通して伝わってきた。
でも。
「…………」
ほみかは僕の手をぎゅっと強く握り返した。
まるで、もう離すまいと言うように。
そして僕らは。
最後の花火が放つ、その光の一滴が消えるまで、無言で夜空を見上げていたのだった。




