42「……それでね。ほみかちゃんに、大事なお話があるの」
「このお魚、美味しいですね」
それから少し時間は戻り。
雪ノ宮邸のお座敷にて。
虹鱒の焼き物に舌鼓を打つほみかに対し、つばめは相好を崩した。
「虹鱒はね。下処理が大事なの。はらわたを取り出してお腹の中を洗って切れ目を入れて……。後は多めに飾り塩をかけて、炭火で焼くだけ。しっかりと内臓を取ることがコツね」
「ほえ……」
調理の説明をするつばめに、ほみかは感嘆の声を漏らすと、
「ええと、これも食べていいですか? このアサリみたいなのが入ったお味噌汁的なもの」
「蛤の吸い物ね……。どうぞ、召し上がれ」
つばめの指摘に顔を赤くしながらも、ほみかは椀に持ち上げ顔に近づけた。濃厚かつ澄んだ湯気の香りに、思わず箸を強く握りしめてしまう。味わいも甘味と塩味の塩梅がちょうどよく、上品な磯の風味が、舌いっぱいに広がった。
「あ……お、美味しい」
「ありがとう、ほみかちゃん。でも、お箸を握りしめるのは止めてね。お行儀が悪いから」
「あ……ご、ごめんなさい……」
つばめに窘められ、恥ずかしげに縮こまるほみか。
つばめは、そんなほみかに対してくすりと笑うと、
「でも嬉しいわ。そんなに美味しいって言ってもらえて。あすかも美味しそうに食べてくれるけど、あの子はここまで表情豊かじゃないから。元気いっぱいなほみかちゃんを見てると、何だかこっちまで嬉しくなるの」
「そ……そうですか? よく分からないですけど」
「ほみかちゃんだって、大人になれば分かるわよ。自分の子供と、愛する夫と、みんなで食べるご飯が、どれだけ美味しいのかを。それが、どれだけ幸せなことなのかを」
「……そうですね」
目を細めて嬉しそうに語るつばめとは対照的に、ほみかは苦い顔をして答えるのだった。
「ほみかちゃんもお酒、ちょっとぐらいは飲めるでしょ?」
あらかた食事を食べ終え、机の上を綺麗に片づけられると、つばめはそんなことを言い出した。
ほみかはつばめの発言に目を丸くする。
「……飲めません。飲んだこともないし。だって、お酒って苦いし臭いでしょ?」
「それは違うわほみかちゃん」
手を半襟に置きしなを作りながら、つばめは言った。
「本当にいいお酒というものはね、臭みなどないの。それでいて、お酒の風味を殺すことなく、爽やかで上品な味わいを楽しめるものなのよ。若い内からでも、銘酒には出会っておくべきだと思うわ」
「そ……そんなに美味しいんですか……? それなら、ちょっとだけ、飲んでみようかな……?」
「そうこなくちゃ。それでは、今からお持ちいたしますわね」
数分後、つばめは盆に晩酌セットを乗せて持ってきた。酒を入れる容器は徳利の形をした冷酒器で、氷を入れる為のくぼみがあり、横に魚や波や花びらの絵が描かれている。つばめは徳利を手に取ると、ほみかの前に置かれた、ガラス製の琥珀色をした盃に注いだ。つばめの前にも、同様のグラスが置かれている。
「それでは、乾杯といきましょうか」
つばめが盃を掲げた。ほみかもそれに倣い、おずおずとグラスを挙げた。そして、ちびちびと少量の酒を喉の奥に流し込む。
「あ……美味しい」
ほみかは短く呟いた。
「そう、よかったわ」
つばめは、嬉しそうに相槌を打つ。
「まるで果実酒みたいで、飲みやすいでしょう?」
「意外。お酒ってもっと臭いのかと思ったけど。これ、全然フルーティ」
「気に入っていただけたようで、嬉しいわ」
つばめは自分が褒められたように、表情を明るくした。
「熊本の蔵元さんから届いたの。良いお酒が入りましたってね」
「そうなんですか」
ほみかは頷きながら、今度はもっと大胆に口をつけた。
…………。
……………………。
……………………。……………………。
「――ほみかちゃん、少し飲みすぎじゃないかしら」
「え、そうれふか?」
そう聞き返すほみかの顔は真っ赤だった。
呂律も怪しく、脈は上がり体温は高くなり、ふらつきもしていた。
少しは心を許したとはいえ、つばめは愛する兄、透を捨てた罪人。そのつばめを前にして、泥酔状態を見せるなどという恥ずかしい真似は避けたいところだが。
「……それでね。ほみかちゃんに、大事なお話があるの」
つばめは盃をテーブルの上に置くと言った。
「……大事な、話?」
「ええ。あなたは昨夜、どうして私が透を捨てたのか? と聞いたわよね? その話の続きよ」
両手を衽の上に置き、真剣な表情でつばめは言った。
「全部話すわ。私がどうして、あんなひどい人と家庭を持ったのか。どうして、可愛い一人息子である透を捨てて家を出たのか。だからほみかちゃんも、落ち着いて最後まで聞いてちょうだい」




