39「……アリサの方が、ずっと綺麗だよ」
「あっ、見て見てあの魚。すごく綺麗じゃない?」
僕は巨大な水槽に両手を当て、かぶりつくように見入った。
「銀色の体に赤い背ビレってことは、あれはリュウグウノツカイか。初めて見たけど、意外と大きいんだね。体表もキラキラ光って綺麗」
「……はあ。そうですか」
(……お魚さんよりも、私の方を見てほしいんですけど)
と。
アリサは表面上はどうでもよさそうに、内心は寂しさいっぱいで答えた。
「あそこにいるのは、ヒゲハギかな? 本当にヒゲのような皮弁が全身にあるんだね。あれって食べられるらしいんだけど、美味しいのかな?」
「……さあ」
(……そんなにお魚さんが好きなら、お魚さんと結婚すればいいです)
もう返事が一言になっちゃってるよ。心の中では意味不明なことまで言ってるし、ここらで本当に行動を起こす時かな?
「ああ。あっちにもすっごい綺麗な魚がいるよ。――でもね、いいかい? アリサ」
「……なんでしょうか」
(……はいはい。またお魚さんですね)
アリサが不貞腐れながらも僕の方を見た――その時。
「……アリサの方が、ずっと綺麗だよ」
「……はいはい、どうせ私の方が……って、え?」
(……え、ふえぇっ?)
アリサは、目をいっぱい見開きながら、驚愕した。
ちなみに、綺麗と言ったのはお世辞ではない。
暗い空間、アクリルガラス越しに泳ぐ海洋生物、そして、目の前に立つアリサ。アクリルガラスに反射された光で青白く輝くその様子は、まるで海中にいる女神のようだった。上は白のノースリーブのニットに金色のブレスレット、下は白黒のギンガムチェックのスカートに、歩きやすそうな黒のショートブーツを着こなしていて。こんなに綺麗な女の子をほったらかしにしてたことを、心から申し訳なく思うぐらいだ。
「……透さん、今、なんと?」
(……もう一度言ってください、もう一度言ってください!)
表向きも裏の声も両方がっついてるアリサにコッソリ苦笑しつつ、僕は答える。
「綺麗だ、と言ったんだよ。その白い髪もちょっと頬が赤らんでる白い肌も。ブルーの照明に照らされて。すごく幻想的に見える」
「……いきなり、何言ってるんですか……」
(……ふぁあああ、透さんが何だか積極的ですううう)
「僕はね、本当にアリサとのデートを楽しみにしていたんだよ。今度またデートの申し込みをされたら、喜んで受けようと思ってるほどだ。だけど幾分舞い上がってる所もあって、それでアリサの気分を害してしまっていたなら、本当に申し訳ない」
「……別に、分かってもらえればそれでいいんですけど……」
(……透さんは悪くないです! 私の方こそ、すみませんでした!)
「許してくれて嬉しいよ。あと、言い忘れていたけど、その服装すごく似合っているね。ブラックライトが白い服に反射して、すごく神秘的だ。僕とのデートのためにそんな気合入れたコーデをしてくれて、本当にありがとう。僕も余計な雑念は忘れて、アリサとのデートに専念することを約束するよ」
「……わ、分かりました。分かりましたから……」
(……あわわ。急にそんな褒められたら、照れちゃいますよう)
計算どおり。
まあ僕も本心から言ってるわけだから、別に胡麻をすってるわけじゃないんだけどね。でも、ちょっと褒めるだけで面白いように態度ころころ変わるよなーアリサって。
だから、アリサをからかうのって止められないんだよな。
「……ま、まあ。そういうことなら、帰らなくてもいいですよ。あまりに愚鈍なようなら私の方から帰るつもりでしたが。少しは見込みがあるようなので」
「いや、本当にすまなかった。もしアリサに帰られて、置いてけぼりにされたら、僕はこの暗く冷たい空間で、一人寂しく弱り果てていただろうからね」
「……な、なにを言ってるんですか? そんな、大げさな……」
(……もしそんなことになったら、私泣いちゃいますよ。というか、私が透さんを見捨てることなんて未来永劫ありませんから、安心してください!)
「そうかい? もしそうなら嬉しいな。でもね……僕はね……」
「……さ、さあ。もう行きましょうか」
なおも歯の浮く台詞を言おうとした僕を制し、アリサはすっかり赤くなった顔を隠すように背を向けて、
「……何だかさっきから、全然見て回れてないですし。クラゲ見にいきましょう、クラゲ」
(……あんまり優しいこと言われると、私嬉しすぎて気を失いそうになるんです。でも、そんなみっともない姿、透さんに見せるわけにはいきませんから)
と言って、ダッと走り出そうとするアリサだったけど。
「……あ」
館内はとても暗く、すぐ先にある段差に気づかず、アリサは勢いよく転びそうになっていた。
「危ない!」
僕は、倒れそうになるアリサの背中を後ろから抱き寄せると、
「……ふぁっ?」
まあ、抱き寄せたわけだからね。
よくミュージカルで王子様がやってるお姫様だっこのように、僕はアリサの身体を抱きかかえてる状態だ。
その顔の距離、わずか五センチほど。
人形のように美しいその顔と、フローラルで清潔感のある爽やかな香り。かかる甘い吐息。そして、体にあちこち当たってる柔らかい部位。ムードとしては最高と言えるだろうけど。
「……す、すみません透さん!」
「え?」
先に体を離したのは、アリサだった。
一時間ほど茹でられた茹でタコのように顔を赤くしつつ、彼女はしまったという表情をして、
「……なんというかこう、つい急ぎすぎてしまいました。足元は濡れてますし照明は暗いですし、慎重に歩かなければなりませんね。私としたことが。反省します」
(……ああ……。つい恥ずかしさで、自分から体を離してしまいました……。せっかくいいムードだったのに……。まさかやり直しを要求するわけにもいきませんし……。ああ……どうして私ってこうバカなんでしょう)
まあ、これに関してはアリサだけの責任じゃないけど。
とはいえ、僕もまだ高校二年生の普通の男子だ。彼女を抱き止めた挙句そのムードで唇を奪い……なんてこと、咄嗟に出来るわけがない。
「……な、なんですか? その顔は。私は謝罪しましたよ? それとも、どさくさに紛れてキスでもしようと思ってたんですか? これだから男の人は単純ですねえ」
(……言ってしまいました。もうキスもらえません。自分が嫌になります)
「あ、あはは。別にそんなことはないけど」
表向き僕を批判し、内心では自分を責めるアリサにフォローを入れながら僕は、
「それよりもさ。そろそろお昼ご飯にしない? 何かお腹すいちゃったし。この近くに、美味しいレストランがあるんだ」
「……はい」
(……ご飯よりも、透さんのキスがほしかったんですけど)
照れ隠しの僕の提案に、白髪の親友は渋々ながら了承するのであった。




