29「……ありがとう」
鉛のように重くなった足を引きずるようにして、僕は家に帰った。空はかなり暗くなっていて、夜というよりは早朝といった方がいい時間帯だった。
家に入るなり、あすかが出迎えてくれた。そのままリビングまで通される。
「お帰りなさいませ、お兄様、その……どうでしたか?」
「ただいま。駄目だったよ。ほみかは見つからなかった」
僕は沈んだ声で答えた。一人で帰ってきた時点で答える必要は無かったかもしれないけど。あすかにはキチンと答える必要があると思った。
僕の返事を聞いて、あすかは無言で目を瞑った。心の声が聞こえてこないので、何を考えてるかは分からないけど。ほみかのことを心配してるようだった。
僕が走り回ってる間、あすかもずっと夜遅くまで起きていたそうだから。
「かしこまりました」
あすかが言った。
「ひとまず、今日の捜索はもうお止めくださいませ。ほみかお姉さまのことは、明日考えましょう」
あすかの言うとおりだった。僕は頷く。
「それでは何か、お夜食でもお作りいたしましょうか?」
「……いや、いい」
「夜通しずっと探し続けていたのでしょう? 軽く何か食べてはいかがですか?」
「いいんだ。お腹減ってないから」
僕は静かに首を振った。
空腹を感じていないというよりは、むしろ空腹だからこそ何も食べたくなかった。今もまだ、ほみかは一人寂しく街をさまよっているのだ。お腹も空かしてるかもしれない。僕だけご飯を食べることには、どうも気が引けた。
そんな僕を見かねたように、あすかが優しく囁きかけた。
「ではせめて、熱いお茶でも淹れてきましょうか。少しお話したいこともございますし」
「……ありがとう」
あすかの心遣いが嬉しい。無意識に感謝の言葉が出た。
あすかはキッチンに向かうと、沸かしたお湯とお茶っ葉を急須に入れ、レモン汁と一緒に茶碗に入れた。
戻ってきたあすかとテーブルに向かい合わせになり、お茶を啜る。温かさとほのかな苦み、レモンを入れたことによる爽やかさが、優しく胸に染み渡った。
「……僕のせいだ」
僕は呟いた。
「僕の能力のことも、ほみかにはずっと秘密にしていたんだ。ほみかには、隠し事ばっかりしてきた。見限られたってしょうがないんだ」
「お兄様……そのようなことは」
「でも、言えなかった。義父さんも死んでしまったばかりだし。ほみかにショックを出来るだけ与えたくなかった」
「お父様は、いつ頃亡くなられたのですか?」
「今年の三月」
「では、お兄様の判断は間違っておりませんわ。肉親が亡くなったばかりのほみかお姉さまに、そのような事実を打ち明けることこそ、無神経かと存じます」
「違うんだ」
僕は、あすかのフォローを否定する。そして、茶碗の中でゆらゆらと揺れるお茶の波を見つめながら、
「僕はただ、ほみかに嫌われることが怖かっただけなんだ。自分のことしか考えてない、勝手な男なんだ。今言えばほみかを傷つけるとか、時期を考慮してとか、そんなのは全部言い訳だ。僕はどれだけ自惚れていたんだ? ほみかからすれば、僕はほみかの気持ちを弄んでるだけだ。実際に僕は、虚栄心と自己保身の固まりだった。ほみかのことを本当に考えるなら、己が傷つくことなんて恐れずに、真実を話すべきだったんだ。
でも僕は、それをしようとすらしなかった」
淡々と話したつもりだったが、自分でも驚くぐらい声は暗く沈んでいた。あすかは終始無言で聞いていたが、僕の話が終わると口を開いた。
「お兄様。ご自分を責めないでくださいまし。真実を全て話すことこそが正解ではありませんわ。しかも、お兄様だけが一方的に非難を受けようだなどと。よいではないですか。いずれ、話さなくてはならないことだったのです。もっと早くに言えていたとしても、結果は変わらなかったことでしょう。正しいことなど、誰にも分りませんわ。例え家族相手でも。例え打算ずくであったとしても、お兄様がほみかお姉さまを思いやっての沈黙なのですから。お兄様は何も悪くありませんわ」
「良い悪いの問題じゃないさ。僕がほみかの心を深く傷つけた。それだけが問題なんだ」
「であれば、お姉さまを見つけ出せばよいのです。そして、それからゆっくりと話し合い、誤解を解いていくのです。それが、普通の兄妹なのではないですか?」
優しく諭すあすかの口調に、少しではあるが叱咤の感情が混じっていた。
「お兄様。大丈夫です。ほみかお姉さまは、必ず見つかります。お母さまにご連絡をして、雪ノ宮家の力を総動員し、お姉さまの捜索に当たっております。捜索願を出す必要もありませんし、警察よりも捜査は滞りなく当たれるはずですわ」
「あすか……」
「ですから今は、ゆっくりお休みになってください。これでもしお兄様まで倒れてしまったら、ほみかお姉さまはさらに傷つきます。無論、このわたくしも。それは、お兄様の本意ではないでしょう? であるならば捜索は雪ノ宮の者に任せるとして、お兄様はもうグッスリと就寝されることですわ」
「……ありがとう」
あすかの励ましの言葉に、僕は笑った。
かなり、無理をした微笑みだった。




