18「――もう、いらないよね、それ?」
四時限目が終わって、昼休み。
僕は隣の席のアリサさんに話しかけた。
「今日は屋上でほみか達とお弁当食べる約束してるんだけど、アリサさんもこない?」
アリサさんは涼しい眼を向けてきた。
「……遠慮しておきます。沢山人がいるとわずらわしいので」
(はうう……いっぱい人がいると緊張するんです……。神奈月さん一人だったらいいんですけど……。一ノ瀬さんとも顔を合わせづらいですし。だから、今日は堪忍してください。でも、また誘ってくださると嬉しいです)
「そっか。ごめんね。今度は二人でご飯食べようね」
「……はい」
(……絶対ですよ? 絶対誘ってくださいね?)
まあ、僕も人見知りするほうなので、アリサさんの気持ちはわかる。よく知らない人と一緒に食事をするのは、神経をすり減らすものだ。
僕は、もう一度アリサさんに断りを入れてから、弁当箱を持って屋上に向かった。今日は日差しが強く蒸し暑いので、屋上に向かう生徒も少ない。古びた鉄の扉を開けると、フェンスの下に腰掛けるほみかとりおんの姿があった。
「ごめん、遅れて」
僕は遅くなってしまったことを詫びると、ほみかとりおんの間に挟まれる形でフェンスの下に座った。そして、ほみかに作ってもらった弁当箱を広げた。
「えっ、これ何……?」
(これ本当に、人間が食べるものなの……? 豚のエサじゃなくて?)
僕の弁当箱の中身を見たりおんが、漏らした感想だった。
「あたしが作ったお弁当よ。ちょっと見た目は悪いかもしれないけど、味は確かなんだから」
「……そうかな。すごい匂いがするけど」
りおんはペットボトルに入ったお茶を飲みながら言った。
確かに、見た目は最悪と言ってよかった。ぼろぼろに崩れた出汁巻き卵、程よい焼き目とは正反対の焦げたハンバーグ、水っぽくなってふやけたポテトサラダ、型崩れしていびつにへこんだおにぎり三つ。そして匂いもきつい。しかし、ほみかが心を込めて、朝早くに起きて作ってくれたお弁当だ。どんなにまずくても、僕は完食する気だった。
「この出汁巻き卵、ちょっとお出汁の量多くない? ちゃんと油引いてる? ハンバーグはね、お酒やワインで香り付けをするといいんだよ。ポテトサラダは、じゃがいもに下味をつけるのがコツなんだけど、きちんとやってるの?」
「え、え……? そういうの、やんなきゃいけないの?」
りおんの詰問に、あたふたしながら答えるほみか。心を読まなくても、やっていないことは明白だ。
「まあまあ、いいじゃないか。せっかくほみかが作ってくれた料理なんだから。細かい技術なんかはこれからゆっくり覚えていけばいいんだし、ね?」
「さっすがバカ兄貴! たまにはいいこと言うわね!」
(お兄ちゃん……♡♡ 本当に優しくて心が広いよおっ……。もう、だいしゅきい♡♡♡♡)
僕がフォローを入れると、ほみかは満面の笑みを浮かべた。
対照的に、りおんは不愉快そうな顔をしている。まずい、と思った。またヤンデレ病が発症したのではないか。ヤンデレ病とは、好きな人が自分以外の異性と仲良くしている時に発症すると、母さんが言っていた。
三日間で、僕の気持ちを動かすとりおんは言っていた。どんなことをしても、僕を手に入れると。心配だった。僕だけならまだしも、ほみかに危害を加えるようなことがあったら……と。
そんなことを考えていた時だった。
「あっ!」
短い叫び声があがった、と思うと、りおんは手にしていたペットボトルを僕の弁当箱の上に落とした。
「うわっ!」
僕は急いでペットボトルをどかした。しかし、りおんの飲みかけのお茶は、すでに八割ほどお弁当の上にぶちまけられてしまった。水びたしならぬ、お茶びたしだ。こうなっては、もう食べられそうにない。
「ご、ごめんなさい! ほみかちゃん! 本当にごめんなさい!」
りおんが、床につきそうなほど頭をぶんぶんと下げる。
「あ……う……あたしの、手料理……」
ほみかは、ぼーっと放心しながら、台無しになった弁当箱を見下ろしていた。無理も無い。ほみかは朝の三時に起きて作ったと言っていた。僕のために、心を込めて作ったと言っていた。それがメチャクチャにされてしまったのだから。
「本当にごめんなさい……ってお詫びのしようもないけど。よかったら今度、りおん特製スペシャル☆レシピの作り方を教えるから……それで許してくれる?」
「あたしの……え、マジ? 料理教えてくれんの?」
しかし、ほみかは落ち込んでいた表情から破顔一笑した。
「もちろん、教えてあげるよお。可愛いほみかちゃんのためだもん♪」
りおんの言葉に、ついには目を輝かせるほみか。
「いやったああああっ。りお姉にレシピ教えてもらえる! 本当はあたしも料理に自信なかったのよね。だから、いっぱい教えてね、りお姉!」
そんなことを言いながら、ほみかはりおんの手をぎゅっと握り締める。変わったやつだ。どんな人間でも、自分が一生懸命作った料理を汚されたら怒るのが普通だというのに。ほみかはその逆だ。普段は僕にわがままばかり言って困らせてるくせに。人間が出来てるんだか出来てないんだか、よくわからないやつだ。
「――ということでさ」
りおんの言葉に、僕はハッとした。
「透ちゃんのお弁当、もう食べられないよね?」
(――もう、いらないよね、それ?)
「……ああ、うん。そうだね」
「じゃあ、わたしの食べて。いっぱい作ってきてあるから」
そう言って、りおんは自分の弁当箱を僕に差し出してきた。
ほみかのと違って、りおんの弁当は本格的だった。ほんのりと焼き色がついたジューシーなハンバーグ。均一な黄色の出汁巻き卵。サラダは、一寸の狂いなく千切りされたキャベツの上に、プチトマトが乗っている。他に美味しそうなおかずがよりどりみどり。
でも、待てよ? 一人分の弁当にしては量が多すぎないか? これじゃあ、始めからまるで……。
「よかったら、ほみかちゃんもどうぞ~」
「えっいいの? 食べる食べる~」
僕の心境も知らず、ほみかは嬉々としてりおんの弁当箱を覗きこんでいた。




