8「ありがとう、ほみか。これ、おいしいよ」
……と、ここらでちょっと回想。
それは今から十年前。父さんもまだ健在で母さんと離婚していなく、ほみかとも普通に暮らしていた頃の話だ。
「バカ兄貴が風邪ひくなんて、めずらしいこともあるもんね」
その日の僕は、風邪を引いて寝込んでいた。父も母も間が悪いことに仕事が忙しくて。
それでほみかが、つきっきりで僕の面倒を見ることになっていた。
なっていたんだけども。
「ねえ、ほみか」
「ん? なによ? バカ兄貴」
「僕さ。ちょっとお腹すいちゃったんだけど」
「はあ?」
するとほみかは、耳たぶまで顔を赤くして、
「だ、だから何よ? あたしにどうしろって言うのよ?」
「どうしろ、っていうか。僕には何も出来ないわけだし。出来ればほみかに作ってもらえないかなーって」
「な、なななんでよ。どうしてあたしがそんなことしなきゃいけないのよ、めんどくさい。あ、言っとくけど。別に料理が作れないからってわけじゃないんだからね!」
明らかにきょどってる妹を見て、僕は静かに首をふった。
「いやいや違うよ。別に手料理を作れとは言ってないよ」
「は? なによそれ」
「インスタントラーメンでもいいから、作ってきてくれないかな。お湯を沸かすだけだし、簡単だろ? そりゃあ、出来たらほみかの手料理を食べてみたいけど。でも大した材料も冷蔵庫に入ってないし、ほみかにも面倒かけたくないからね」
「…………」
僕がそう言うとほみかはしばらく無言のまま俯いていたけど、
「ねえ。ちょっとしたものなら、あたし今から作ってあげるわよ?」
「……え? いや、だから僕はカップ麺でいいって……」
「うるさいわね! このあたしが作ってあげるって言ってんだから、文句言わずに食べなさいよ! バカ兄貴が!」
そう言うとほみかはすくっと立ち上がって、部屋から出ようとしたが、途中で振り返り僕の方を見ると、
「言っとくけど。料理が出来上がるまで、何があっても見にこないでね。来たら殺すわよ」
「え? 何で? 別にいいじゃん見るくらい」
「だって、バカ兄貴がいたら邪魔なんだもん。病人は大人しく寝ときなさいよ」
「いや、心配なのはほみかの方なんだけど。だってほみか、本当は料理メチャクチャ下手じゃ――」
「とにかく、ダメって言ったらダメなの! あたしがいいって言うまで、ここから出るな!」
そう言い残すと、ほみかはキッチンへと消えていった。
そこからは地獄絵図だった。いや、見ていたわけじゃないから分からないけど。
皿の割れる音や油がはねるような音にほみかの悲鳴――本当に、料理を作ってるとは思えないほどの。しかし、それほどおかしなことでもない。ほみかは元々不器用だし、当時はまだ六歳だったし、普段の家事は母さんが全部やってくれていたから。むしろ料理なんて出来なくて当たり前レベルだよ。
それでも事故があっては困るし、何度かキッチンに様子を見に行き扉越しに話しかけたりもしたけど、そのたびにほみかは「入ってくんな!」と僕を遠ざけるのであった。そしてまた食器の割れる音。その繰り返しだった。
そして数時間後。
「待たせたわね、バカ兄貴」
お腹を空かせてることなどすっかり忘れていたが、ほみかは無事に料理を作り終え僕の寝室まで運んできた。
「まあ、アンタみたいな朴念仁に食べさせるのはもったいないんだけどね。でもまあこのあたしが作ってあげたんから、ありがたく食べなさい」
「うん……ありがとう。でもほみか、大丈夫だったの? 何かすごい音してたけど」
「大丈夫に決まってるでしょ。このとおり、あたしは怪我なんか一つもしてないんだから。ほら、それよりさっさと食べなさい。冷めちゃうでしょうが」
「ああ、うん」
何を隠そう、この時ほみかが作ってくれた料理が、ツナマヨねぎご飯であって。ショウガが入ってるから体も温まるし、ネギは栄養豊富だからね。それに加えて何時間も待たされたということもあってか、この時食べた味は本当に美味しかった。
「ありがとう、ほみか。これ、おいしいよ」
スプーンを動かす手を止めないままそう言うと、ほみかはくすぐったそうに鼻の下を指でさわりながら、
「あったりまえじゃん。なんてったって、このあたしが作ってんのよ? まあ本気出せばもっと手の込んだもの作れるけど。アンタ風邪引いてるから食欲も落ちてるだろうし。ってどーよ? この配慮。さすがあたしでしょ?」
「うん……って、あれ?」
僕は頷くが、その時に衝撃的なものを見てしまった。ほみかの指には、バンソーコーが貼られていたのだ。それも、全ての指に。第一関節から第二関節までびっしりと。そこからうっすらと血がにじみ出ている。
「おい、ほみか! その指、どうしたんだよ! まさか、切ったのか? 消毒はしたの? いや、それよりもまず病院に――」
「うっさいうっさい! 大丈夫に決まってるでしょ! ほんのちょこっと切っただけよ! ただのかすり傷よ! こんなんで病院行ってたら笑われるわよ!」
「で、でも血が……」
「あー、分かったって。後でお父さん達が帰ってきたら見てもらうから。ぜんっぜん痛くないけどね」
……とまあ、本当はものすごく痛いんだろうけど、ほみかは何でもないという風に手をブラブラさせて強がるのだった。
この時から既にほみかはツンデレ病という病気にかかっていたので、僕の前ではほとんどツンケンした態度を取っていて。そして僕も共感性症候群という能力をまだ持っていなかったので。今からすれば信じられないことだけど、当時は本気でほみかに嫌われていたのではないかと悩んでいたものだ。
「はいはい。そんなことより、さっさとそれ食べちゃいなさいよ。食べないなら捨てるわよ?」
「う、うん」
僕は再びスプーンを持とうとしたが、急に頭がぼーっとした為落としてしまった。
「あ」
「な~~にやってんのよ。いいわ。貸して? あたしが食べさせてあげるから」
「え……でも。その手じゃ」
僕はほみかの言葉に絶句した。
何てったってほみかは、両手中ケガしているのだ。なんなら、僕よりも休んでいなきゃいけないほど。
「か、勘違いしないでよね。食べるたんびにポロポロ床に落とされたら、後で掃除が面倒ってだけなんだからね? ほら――そうと決まったら、とっとと口開ける!」
「……あ、あ~ん」
こうなれば、ほみかはもう何を言っても聞かないから、僕は大人しく口を開けて料理を食べさせてもらうことにした。
「ねえ、ほみか。その指、本当に痛くないの?」
「ん? べっつに~? こんなの、ツバでもつけときゃ治るんじゃないの?」
「いや、そんなことじゃ治らないと思うけど……。ちゃんと消毒してガーゼもつけないと、傷口が悪化するんじゃ……」
「まあ、大丈夫っしょ。てかバカ兄貴、男のくせにほんと細かいわね! 将来ハゲるわよ?」
この頃はまだ父さんもいたから、後で仕事から帰ってきてすぐ、ほみかは病院に連れていかれたのだった。幸いにも大きなケガではなく、傷跡も残らなかった。十日もすれば元通りになってたっけ。まあ、処置をされる際病院で大泣きしてたらしいけど。
「ごめん、ほみか。でもありがとう。僕のためにご飯作ってくれて。ほんとに美味しいよ」
「なによ急に。褒めたって何もでないわよ?」
「僕、今日のことは絶対忘れないから」
「大げさね~。こんなんでよけりゃ、これから毎日だって作ってあげるわよ?」
「え?」
「え?」
二人して「え?」と言い合ってしまう僕ら。
少ししてから、ほみかはカーッと頬を赤らめ、
「ち、違うわよ! 毎日っていうのは別に、あんたと結婚してとかそういう意味じゃなくって! そ、そう! 家族としてって意味よ! 勘違いしないでよね!」
と、ものすごい勢いで弁解を始めた。まあ僕も、『そういう意味』で聞き返したわけじゃなかった。ただほみかのケガが心配だから、しばらく料理をさせることには反対ってだけで。
それと同時に安心もしていた。
よかった、ほみかに嫌われていたわけじゃないんだって。




