3「……ぉ兄様ぁ。ぉ久しぶりぃ」
「うで、ずもー?」
きょとんと、ほみかは聞き返した。
そりゃそうだろう。直前まで茶道だの華道だのと言っていたのに、急に腕相撲だもんな。しかしあすかは、そんなほみかを見るとくすりと笑って、
「あらまあ。何ですの? そのお顔は。まさか、腕相撲を知らないと仰るのではないでしょうね?」
「いや、そうじゃなくて……。てか、何で? さっきまでやたら伝統芸能を押してきたのに。アンタ何か企んでんじゃないの?」
「うふふ。そのような……。ほみかお姉さまがそれらを拒否なさるから、分かりやすく力比べをしようと言うのではありませんか」
「う、うん。確かに分かりやすくていいんだけど……」
「それともなんですか? わたくしのようにか細く、ましてお姉さまより二つも年下の中学生にさえ、勝てる自信がないと仰るのですか?」
「ムキー! 何よ! そんなに言うんだったら、やってやろうじゃん!」
「うふふ。その意気ですわ。さすがは、ほみかお姉さまです」
威勢よく勝負を受け入れるほみかに対し、あすかは優雅な微笑を浮かべた。
いやまあ、僕としては別にどっちでもいいんだけど。
むしろ勝負内容の話し合いを何時間もされるよりは、すんなりと決めてくれた方が楽だ。勝負内容としてもシンプルだし、ほみかにも勝ち筋はあると思うけど……。
「さあ。それじゃ早速やるわよ? バカ兄貴が審判でいいわよね? アンタも確か右利きだったから、右腕一本勝負で――」
「ほみかお姉さま」
ノリノリで勝負を進めようとしていたほみかを、あすかが遮る。
「申し訳ありませんが。少々お待ちいただけませんか?」
「え? まあいいけど……何すんのよ?」
「別になにも。あと、出来ればお静かにしていただけると、嬉しゅうございます」
「し、静かにしろって……。アンタねえ」
「……申し訳ありません。言葉が足りませんでした。勝負の前に精神統一をしたいと存じます。五分もかからないと思いますので、しばしお待ちいただけますか?」
「まあ、五分ぐらいなら。てゆーか精神統一だなんて、アンタこそよっぽど余裕なさそうじゃん。いいわよ。いくらでも待ってあげる。その代わり、負けたあとの言い訳は聞かないからね!」
「……ありがたき幸せ」
あすかは薄く微笑むと、俯き下を見た。
そのままぶつぶつと、何事かぼやき始めた。目の焦点も定まっていなかったが、意識を失ってるという風ではなく、集中してる感じでもなかった。そう。まるで誰かに話しかけているというな。
(まさか……あすかのやつ、ことりと入れ替わるつもりじゃ?)
僕がそう思ったのは、あすかは精神統一というには上の空で、そしてピクリとも動かなかったからだ。視点は地面に固定されたまま。かといって床を眺めてるわけでもない。
約束の五分が過ぎても、あすかはしばらく顔を上げなかった。
「お、おい。あすか……?」
僕が声をかけると、やっとあすかは顔を上げた。
しかし、すぐに僕を見ることはしなかった。
まるで、ここがどこであるか確認するように。ぼーっとあちこちに視線をめぐらせると、ようやく僕に顔を向けたのだった。
「……ぉ兄様ぁ。ぉ久しぶりぃ」
あすか――いやことりは、満面の笑みでそう言った。
「さて、と。ほみかぉ姉ちゃん。ぉ待たせしてごめんねぇ。さっそくやろぉか」
「い、いいけど……アンタ、大丈夫? 何か、喋り方も変わってるわよ?」
ほみかの指摘はもっともだろう。なにせ今話している相手はあすかではなく、危険な第二の人格――ことりなのだから。
まあこの家に来るようになってからは、前みたいに暴力を振るうことはなくなったんだけど……それでもあすかの為とあれば、何をしでかすか分からない。
「ぁたしは大丈夫だよぉ。ぉ姉ちゃんこそ、自分の心配でもしてたら? まぁ、どっちにしても負けるんだけどねぇ。きゃはは」
ことりは嘲るような笑い声をあげながら、テーブルの上に肘をついた。すると、
「な、なによ! 急に変なキャラになったりして! アンタなんかに負けないんだからね!」
と叫んで、ことりの差し出す右手を、ほみかは握り締めてから、
「みてなさいよ。今日こそアンタをぎゃふんと言わせてやるんだから」
「ぎゃふん」
「べ、別に今言わなくてもいいのよ! てか何よ! いやにノリいいわね! アンタ!」
「……うーん」
僕は唸った。
何かこうしてみると、あすかよりことりの方が、ほみかと上手くやっていけそうな気がしてくるな。しかしそんなことりでも、そのパワーは人並み外れているのだ。
「さあ、そろそろやるわよ? ほら、バカ兄貴もさっさと準備しなさいよ! こっちはさっきからスタンバッてるんだから!」
「ぉ兄様ぁ。ぁたし待つのきらぁぃ。腕痺れちゃうし、早くしてぇ」
と、僕に審判の催促をする二人だけど。
「……その前にちょっといい? この勝負は中止だ!」
僕がそう叫ぶと、ほみかとことりは二人して驚きの声をあげた。
「えー!? なんでよ! ここまで来て、なんで止めんのよバカ兄貴!」
「ぉ兄様ぁ。どうして邪魔するの? せっかくぁたし勝てるのに」
と、ほみか、ことりからクレームの声があがる。
まあ、当然だろうな。女同士の真剣勝負に、水を差されたのだ。ほみかが怒るのは無理もない。しかしことりに関しては……。ここはひとつ、彼女の真意を聞きだすしかないか。
「ちょっと! バカ兄貴! 聞いてんの!?」
「ぉ兄様ぁ。立ったままぉ昼寝?」
……おっと。
どうやら、まごまごしてる暇はないようだ。
「こと――いや、あすか。君にちょっと話がある」
ことりの返事も聞かず、僕は彼女の手を引いて歩き出した。
「バカ兄貴! どこ行くのよ!」
後ろから浴びせられるほみかの叫び声も無視して。
僕はことりを自室まで連れ去ったのだった。




