45「ぉ兄様とも、これでぉ別れ」
「ぁたしが優しぃ? 本気で言ってるの? ぉ兄様」
僕の言葉を聞いて、ことりの反応がこうだった。
まあ、そうだろうな。
僕自身、自分でたどり着いた結論には驚きを隠せなかった。
「ああ、そうだ」
僕は、呆れたように聞き返すことりに答えた。
「最初にあれっと思ったのは、君が出てくるタイミングだ。考えてみれば単純だったんだけど、ことりはいつも、あすかが泣きそうな時に出てくるんだ。そのことを思い出して気づいたんだ。ひょっとしてことりはあすかを傷つけるためじゃなくて、守るために出てきたんじゃないかってね。それと、君は殺そうと思えば、いつでも僕を殺せた。なのにそれをしなかったのは、本当は僕を殺す気がなかったってことだ」
「……」
ことりは何の返事もしなかった。
しかし無機質に思われた瞳の奥には、わずかだが感情の揺らぎがあるように見えた。
「…………」
そのまま無言は続く。
雲が流れ、月を覆い隠そうかという時。
やっとことりは、口を開いた。
「……ぁたしは、あすかのクラスメートをトイレに連れ込んで暴行したんだよ? それに、立花綾にも。それなのに、ぁたしが優しぃって言うの?」
「そのことなんだけどさ」
僕は顔を引き締め、真剣な表情でことりに目を向けた。
「嘘をつくなよ。ことり……あすかは、クラスメート達をトイレに連れ込んだんじゃない。連れ込まれたんだ。つまり、あすかは特定の人たちから苛めにあっていた。クラスメート達が、揃って君を訴えようとしなかったのは当然なんだ。何しろ、これは正当防衛なんだから。そして、その苛めを働いた集団を影で操ってる存在がいた。それが……」
「そう、立花綾。ぉ兄様、よく調べたじゃなぃ」
正解、とことりは表情を緩めながら言った。考えてみれば、純粋なことりの笑顔を見るのはこれが初めてか。今までは嘲笑ぐらいしか見たことなかったし。
「やるじゃなぃ。正直、ぉ兄様を見直したわ」
「ありがとう。といっても、調べたのは探偵さんで、アリサとクリスティーナさんが協力してくれたから分かったことなんだけど」
「そぉ」
そう言うと。ことりはスーッと息を吸いながら、体を伸ばして。
フーッと息を吐きながら、僕を見た。
「ぉ兄様の言うとぉりよ。ぁの時、あすかはぁぃつらにトイレに呼び出されたの。その時点でぁたしはあすかと交代していた。ぁぃつらは、日ごろから優等生なあすかのことが気に入らなかったみたぃ。あすかをトイレに連れ込むと、やつらは土下座するように命令してきたわ。断れば服を剥ぎ取るって……。だからぁたしは、ぁぃつらに制裁を加えてやったの。腕を脱臼したやつは、綾から直接指令を受けてた、いわば表のリーダーってわけ」
「……そういうことか」
そこまでは、アリサがくれた情報にはなかった。
僕が頷いていると、ことりは問いかけてきた。
「ぉ兄様。ぁたしにも教えて? どぉしてぉ兄様は、ぁたしがあすかを守ろうとしてるって思ったの? ぁたしが出てきたタイミングなんて、全部偶然かもしれなぃじゃなぃ?」
「ああ、それか」
僕は答える前に、ポケットに手を突っ込み、中から封筒を取り出して、
「つばめさんから聞いたよ。ことりが生前あすかを苛めてた理由。それは病気を移さないためと、自分の死後あすかに悲しい思いをさせないためだって」
「中、見せなぃでよ」
「何でさ。一緒に見ようよ。君が死ぬ直前まで――いや、正確に言うと今に至るまで、ずっと大事にしてきたものだ。君に返すのが筋ってもんだ」
……僕は封筒の中に手を入れると。
中から二枚の紙を取り出した。
一枚目は、B5サイズのノート用紙だ。そこには震える字でこう書かれてあった。「お母様。あすかをよろしくお願いいたします」と。そしてもう一枚は写真だった。幼い頃の、ことりとあすか。二人仲良く並んで家の庭でピースをしている。ことりが死ぬ寸前まで大切に持っていたものだった。
「……ぉ母様ったら。誰にも見せないでって、ぁれほど言ったのに……」
少し苦しそうに、体を震わせながら、ことりは言った。
「もぉ、時間がなぃみたぃ」
「時間がない?」
「ぉ兄様とも、これでぉ別れ」
「ことり?」
「でもね、これでぃぃの。ぁたしは既に死んでるんだから。ぃぃ節目。あすかにとっても、このほうがぃぃの」
「おい、何を言ってるんだ?」
「ぁたし、もぉあすかの体から消ぇるの」
少しどころじゃなかった。
顔も、肩も、体全体が。
まるで落雷に打たれた後のように、ピクピクと痙攣している。
「ぉ兄様の言うとぉりよ。ぁたしは、あすかを守るためだけの存在。もしかしたら、ぁたしはことりではなぃのかもしれなぃ。あすかが恐怖やストレスから身を守るために、自ら作り出した人格なのかもしれなぃ。でも、そんなことはどうでもぃぃ。あすかはもう、ぁたしなんか必要なぃから。ぁたしはもぉ、あすかにとって邪魔者」
「そんな……」
「聞ぃて。最近のあすかは、本当に明るくなった。ぉ兄様と会う前は、毎日がつらそぅに、つまらなそぅにしてぃた。ぁたしがぃなぃと、感情のコントロールも出来なかったけど、今ではもぉ、一人でも十分やってぃける。それにあすかの周りには、たくさんぃぃ人がいる。優しくしてくれる人が。ぁたしみたいな亡霊がぃなくたって、あすかは大丈夫なの。だ、だ、だからっ――」
「ことり! しっかりしろ!」
「だから、ね――」
僕がことりに駆け寄ると。
ことりは震える手で短刀を持ち直し。
「こ、ことり……?」
「ぉ兄様。神奈月の家を捨てて、雪ノ宮の家に戻って。あすかのそばにぃてあげて。じゃなぃと、ぉ兄様を殺すわ」
そう言うと、ことりは僕の左胸に短刀を押し当てた。




