28「僕のことなら、気にしないで。何も問題ないから」
その後、僕はふらふらと力ない足取りで家に向かって歩いていた。
肩の血は手で抑えてたら、いつの間にか止まっていた。感覚的にはドバドバ出ていたが、実は大した怪我ではなかったらしい。皮を少し切った程度だった。
家に帰ると、すぐさまリビングに駆け込んだ。母さんはソファに寝転がりながらテレビを見ていた。
「母さん、ただいま」
「おかえりなさい、透……って。その怪我、どうしたの!?」
母さんは肩の傷を見ると、驚きの声を上げた。無理もない。血こそほとんど止まっているが、僕の肩は血で真っ赤になっているのだ。
僕は、努めて明るい声で答えた。
「あー、ごめん。ちょっと転んじゃってさ……」
「嘘おっしゃい!」
母さんは僕を怒鳴りつけると、ソファに座らせた。そして、棚に閉まってある救急箱を取り出す。
そして僕の服を脱がせると、消毒液を含んだ綿棒で患部の消毒を始めた。当たり前のことながら、傷が染みて痛い。
痛みを紛らわせるために、ことりのことを考える。つばめさんはことりのことを「優しい子」と言っていたが、全然優しくなかった。それどころか、僕のことを殺そうとしたのだ。今回助かったのは運が良かったからに過ぎない。でも、この次はきっとないだろう。
明日にもまた殺しにくるかもしれない。またいつ、あの大人しいあすかが凶暴なことりに変わるか分からないのだ。そう考えると身震いが起きる。この肩の傷だって、少し軌道がズレていたら、心臓に刺さっていたかもしれないのだ。
もし、そうなっていたら……。
「はい、終わり」
「ん?」
「応急処置よ。幸い大した怪我じゃないみたいだけど。明日ちゃんと病院に行くのよ?」
「ああ、うん」
見ると、僕の肩には包帯が巻かれていた。軽く肩を動かしてみる。少し鈍い痛みが走るが、十分動かすことが出来た。
母さんは、僕の様子を見守りながら話しかけた。
「透。一体何があったの?」
「言ったじゃない。転んだって」
「だからそんな訳……。って、そういえば。あなた今日、雪ノ宮のお宅に行ったそうね?」
「うん」
「じゃあ、もしかして……」
母さんはそこで言葉を止めた。僕には分かった。恐らく母はこう言いたかったのだろう。「もしかして、雪ノ宮の家で事件に巻き込まれたんじゃないの?」と。でも、母さんは踏みとどまった。僕の本当の母さんを悪く言うことになるからだ。
「……いえ、何でもないわ。傷、痛む?」
「ううん。平気だよ」
そこで会話が途切れてしまった。話すことは沢山あるはずなのに。
室内は重苦しい静寂で満ちていた。あるのは、テレビのBGMくらいか。
ふいに、母さんが口を開いた。
「ほみかちゃん、もう部屋で眠ってると思うけど。見てくる?」
「いや、いいよ。そのまま休ませてあげて」
ほみかにこの傷を見せたら失神してしまうだろう。今日雪ノ宮家に行くことは、ほみかにも伝えてある。最悪、ほみかとあすかの間で戦争が起こりかねない。
「僕のことなら、気にしないで。何も問題ないから」
「透……本当に?」
「うん、本当だよ」
僕が力強くそう言うと、母さんもそれで納得したようだった。
自室に戻ると、僕はベッドの上にダイブした。そしてそのまま天井を見上げる。勉強する気も、テレビを見る気も、スマホを弄る気にもなれない。そのままぐっすり眠ってしまいたい衝動にかられたが、むくっと起き上がると、つばめさんからもらった封筒をポケットから取り出した。
その白い封筒を眺めながら、僕はことりのことを考えた。僕はことりのことを、これっぽっちも知らない。生前会った事もない。ただ周りの人から聞いた情報で、漠然としたイメージを持っているだけだ。ことりは好戦的な性格で、いつも僕は命を狙われていた。しかし、話が全く通じないわけでもない。口調も無邪気で、本当に子供と話してるような気になる。
つばめさんは言った。ことりは優しい子だと。それはことりの本性を見抜いてのことなのか、それともただの親の欲目なのか。どちらにしろ、これでことりの謎が解ける。僕は意を決して封筒を開けた。
はらり。
中から落ちてきたのは二枚の紙だった。
うち一枚は写真のようだった。僕はそれを拾い上げる。
「これは……」
僕はその写真を見て、全てを悟った。
ことりの想い、ことりの決意。そして、ことりの覚悟も。




