47「分かってる。僕が負けたら、アリサは君にくれてやろう」
その言葉は、僕の耳に重く響いた。
この男は、もうアリサさんとは会うなと言っているのだ。
「君ももう分かったと思うが、財閥と庶民の背景は大きく違う」
青木ヶ原の態度は、白輝家での実直なものではなくなっていた。
「君がいることで、アリサさんは大きく心を痛めている。明日の結婚式を平常心であげられないくらいね。君も男なら、こうなった以上は潔く身を引くべきではないかね。つまり、アリサさんとの関係を全て絶ちたまえ」
(……ね)
どうやら、青木ヶ原は僕とアリサさんの仲を勘違いしているようだ。しかし、どうして大人はこう金金言うもんかね。僕は出来るだけ忌々しい気持ちを抑えながら口を開いた。
「……それは、アリサさんが決めることであって、あなたが決めることじゃありません」
抑えたつもりではあったが、結果的には刺々しい言い方になってしまった。それほど青木ヶ原の言い分は横暴だったからだ。それに先ほど、青木ヶ原の心の声が聞こえた気がした。愛情ではなく憎悪の方の。それも、激しく僕を嫌っているようだった。
(素直に首を縦に振れよ……庶民が)
(手間を取らせやがって。いくらか金を握らせて追い払おうか)
今も、青木ヶ原の心の声は聞こえている。
「わかった。確かに、君の言うとおりかもしれんな」
青木ヶ原は、少し語気を緩めて言った。
「しかしよく考えてほしい。アリサさんの気持ちも大事だが。アリサさんの病気は知っているだろう? 彼女はアルビノで、一般人と同じような生活は送れないんだ。だからこそ、僕のような資産家と暮らすのが、彼女にとって一番幸せなんだ」
「アリサさんは、病気じゃありませんよ」
「ああ。いや、これは僕の言い方が悪かったな。コンプレックス、と言い変えよう」
(揚げ足を取るなよ庶民が。薄気味悪い色をしてるんだから病気と似たようなもんじゃねーか)
表面上の態度と本音には、凄まじいまでの落差があった。どうやら彼は、僕のような庶民や、アリサさんのような特別な個性を持って生まれた人間に対して、酷く差別的でまた偏見を持っているらしい。僕は怒鳴り返してやろうかと思ったが、やめておいた。今は、青木ヶ原の本心を聞き出すのが先だ。
「では、あなたは……それも含めて。アリサさんのことが好きなんですか?」
「…………」
目を閉じて沈思黙考した後。
彼は顔を上げて言った。
「もちろんじゃないか。私は彼女を……愛しているよ」
(ケッ。こんな女、好きでもなんでもねーよ。こんな色白で無愛想な女なんかな。俺はお前ら庶民とは違って、女には不自由してないんだ。春香に麗子に沙織に……。大体、アルビノってなんだよ。陽射しを浴びれないとか、視力が弱いとか、結婚したらめんどくせーことにしかならねーじゃねーか。俺がこの女と結婚する理由は一つ。それは、会社を大きくしたいからだ。白輝家の令嬢じゃなけりゃ、こんな女となんか、頼まれたって結婚しねーっつーの。
まあ、せいぜい利用させてもらうさ。この女はな。
結婚したら家に閉じ込めて、外に出さなければいい。
夫としての責任を果たすつもりなんて、毛頭ない。こんな女は無視して、妾を囲んで遊びまくるつもりさ。だから、お前は邪魔なんだよ。庶民は庶民らしく、貧乏人同士で乳繰り合ってりゃいいのさ)
青木ヶ原は、真摯な眼差しで僕を見つめながら言った。しかし心の中は、ドス黒い悪意で満ちていた。その醜さ、邪気は、思わず吐き気をもよおすほどだった。今まで何人もの心をのぞいてきたが、ここまで邪悪な心の声を聞いたのは、初めてだった。
「アリサさんのこと、愛してないんですね」
僕がそう言うと、青木ヶ原の眉毛がピクリと動いた。
「他に何人もの愛人を囲っている……そうですね? 春香さん、麗子さん、沙織さん……ですか?」
「プッ……ハハハハハハハハハ!!」
さっき聞いた本音を暴くと、彼は大声で笑った。
「知っていたのか……。なら、話は早い。英雄色を好むというが、僕ぐらいのバイタリティを持った人間では、一人の女性などでは到底満足できないんだよ。だから、仕方ないじゃないか」
「それでもアリサさんと結婚しようとするのは、事業拡大の為ですね?」
「おいおい。よく知ってるじゃないか。何も分からないふりして、とんだタヌキだな。そうさ、元々愛のない政略結婚なんだ。最大限利用させてもらって何が悪い」
「……が」
「何? 今何と言った?」
「この……クズが」
僕が憎しみを込めた目で睨みつけながら言うと、彼は拳を固めてファイティング・ポーズを取った。
「面白い……ならば、やるか? 貧乏人」
「いいですよ。その代わり……」
「分かってる。僕が負けたら、アリサは君にくれてやろう」
青木ヶ原は息を一つつくと、軽やかにステップを踏んだ。
「さあ、やろうか」




