69_エピローグ②おまけのキス
エリスたちは正式に『魔法救皇』と『運命の乙女』として公表された。
アシュレイと兵士たちとの仲は良好で、少しだけ暴走していた時に第一皇子を守るためにアシュレイを警戒していた兵士たちも、もう彼を恐れる顔で見ることは無くなった。
なによりアシュレイ自身が、第一皇子との仲を取り戻したおかげだろう。
もう『兄さんと僕、どっちが好き?』なんてことも言わない。
……なにせ、エリスとアシュレイの結婚式の話が進んでいるとあって、アシュレイは毎日幸せそうに王城で暮らしているのだ。
そしてエリスも王城で暮らしている。当代の運命の乙女として、大臣や歴史学者と毎日のように会ったり、結婚式で行う儀式の内容を覚えたりと大変なので、王城に滞在することになったのだ。
アシュレイは瞬間移動できるのだから、エリスとアシュレイ、あるいはアシュレイだけでも自分の古城で眠ればいいのでは、と思ったのだが、「エリスを王城に滞在させるのだから、自分も王城の別の部屋がいい」と言われた。
「私をアシュレイの古城に泊めてはくれないの?」
てっきり古城でまた二人で過ごせるのだと思っていたエリスは、王城に泊まるように言われたことで、少しばかり線引きをされているような心配と寂しさを抱きつつ訊ねたのだが――
「婚前だから! 結婚したら一緒にあの古城で暮らそうね!」
と、焦りと照れの感情を出しながらアシュレイが言っていた。
感情が見える能力のおかげで、いつもどおりの好意を感じられたので、エリスはひそかに安堵したのだった。
そして、そのやりとりを見ていた第一皇子と第二皇子からも、「今のうちに、一人の穏やかな眠りを謳歌しておけ」と言われたので、結婚直前はそういうものなのだろう。
(そうよね、夫婦になったら、これから先ずっと一緒なのよね)
彼とずっと一緒にいたいと願ってはいるが、正式に夫婦になることの変化がどんなものなのか、あまりピンと来ていない。
両親との生活をほとんど見ていないので手本が思い浮かばないというのもある。
人生を共にしようと誓い合い、病める時も健やかなる時も、アシュレイと生きる覚悟はできている。
それはいいのだが――
(そういえば、夫婦って隠し事はしない方がいいのよね……?)
エリスは最近悩んでいた。
アシュレイのためにと第一皇子と共謀してアシュレイの記憶を封じたのは、明らかな隠し事だった。
無事にすべてを思い出したアシュレイは、「一人で背負わないで、今後は僕に相談してね」と決して怒りはしなかったが、随分と寂しそうな顔をしていたので、エリスは罪悪感を抱いている。
(うん、もう、隠し事はしないわ)
エリスは一つ、自分の秘密を彼に打ち明けることにした。
◇◇◇
今日もアシュレイと離れたり一緒になったりしながら、運命の乙女としての政務をこなし、その忙しいスケジュールの合間に、休憩という名目でアシュレイを中庭に呼び出した。
二人きりなのを確認してから、エリスは意を決して、彼に話を切り出す。
「あのね、言わないといけないことがあるの」
どきり、とアシュレイから不安の感情が一気に吹き上がるのが見えた。
「わ、別れ話とか……!?」
「え!? 違うわよ!?」
危うく暗雲が立ち込めそうなほどの動揺っぷりだった。彼の雷がちらっと素早く空中を走っていた。
エリスは慌てて本題を話す。
「あのね、私、感情が見えるの」
「?」
アシュレイは不思議そうな顔をした。エリスは詳しく自分の能力について説明する。ふわふわした雲だったり、感情らしきものがいつも形と色で見えていることを。それは運命の乙女の力というよりも、叔母もそうだったので、母方の遺伝だろう、ということも。
すべて話し終えると、「ああ、なるほど」とアシュレイは思案げな顔をした。
「うん、そういう魔法を授かっている人もいるんだろうね。何かの文献で見た気がする」
彼はエリスの言葉をすんなり信じてくれたようだった。
だからエリスは改めて謝罪する。
「その……心の中を盗み見ているようで……今までごめんなさい。アシュレイが苦しんでいることも、誰よりもわかっていたのに、守れなくて本当にごめんなさい」
「え!?」
アシュレイは目を丸くした。
「あ、謝らないで! 『盗み見る』なんていう風に言わなくていいよ! 僕はそうでなくとも表情とか狼狽えてる態度とか、色々とわかりやすいと思うし! まったく気にする必要ないよ!」
彼は慌てた感情をぶわっ、ぶわっ、と出しながらエリスを気遣ってくれる。その思いやりに、エリスの心は温かくなった。
「ありがとう、アシュレイ」
「本当に全然気にしなくていいからね? ……エリスの悩みって、それだけ?」
問われて、「あ、それでね」とエリスは言葉を続ける。
「思ったんだけど、アシュレイって万能なんでしょう? 私にできることはアシュレイもできるわよね? というか、もっとはっきり心を覗いたりできるわよね?」
「え? ……ええと、うん、多分できるとは思うけど……?」
意図が分からないようで、怪訝そうな顔をされる。
「だからね、私の気持ちを覗けば『兄さんの方が好きなんじゃないか』なんて不安になったり誤解もしなかったのに、って思ったの。私よりももっとはっきり心を覗いたりできるんじゃない?」
「しないよ!?」
食い気味に否定された。
「え、どうして?」
「そんな……勝手に覗くなんて、人として一線を超えるようなこと、覗き魔の変態みたいで良くないよ! 僕はそんなことをエリスさんにできないよ!」
「の、覗き魔の変態……」
なにやらエリスの提案がよほど衝撃的だったらしく、「僕はエリスさんに嫌われたくない……」と嘆かれてしまった。
アシュレイはやたらエリスに対して、紳士かどうかを気にしている節がある。
口調まで「エリスさん」呼びに戻っている。……彼はエリスがいないところでは、わりと「俺はエリスさんに命令されたい」などと妙な口振りをしているらしいというのを最近第二皇子から聞いた。
「というか、私は常に見えてるけど……そうよね、覗き魔っぽいわよね」
「あ、エリスさんはいいの! 生まれつきだし見ようとしてるわけじゃないから! でも俺が、いや僕が、わざと見ようとして覗いたらそれはもう犯罪だよ!」
「犯罪とまでは思わないけど……」
彼が本気で慌てているので、なんだかおかしくなってエリスは笑った。
「真面目で誠実なのって、アシュレイのいいところね」
「え、そうかな、普通だよ」
急に真剣な顔になって、「これくらい最低限じゃない……? エリスさんってやっぱり危なっかしいな……?」と悩まれてしまった。
「でも私、いつもアシュレイの感情を見ちゃってるから、その分くらいは、アシュレイも私のだけは見ていいんじゃない?」
提案してみれば、難題を前にしたような顔になる。
「それはやっぱり……その……勝手に覗くのは、罪悪感が……」
「じゃあ私が『見ていいよ』って時はどう?」
「それもちょっと……」
アシュレイはまったく乗り気ではないらしい。
「まあ無理にとは言わないけれど……またアシュレイが不安になった時のために、どうかなって思ったの」
エリスが言えば、自分のためにエリスが思案したのが嬉しいようで、アシュレイの表情はふんわりと和らいだ。
「大丈夫だよ。エリスはいつもちゃんと好きって言ってくれるから……前は兄さんとのことで疑心暗鬼になっててごめん。でも今は信じられる。だから、あんまり覗いても覗かなくても変わらないかな」
「そう?」
「そうだよ」
それならいいか、とエリスは思った。
「たしかに私、出会って最初の頃はよく好きとか軽率に言ってたわよね。アシュレイが第一皇子様とのことを誤解してるって気づいてからは、もっとちゃんと伝えたはずだし……いつもバレバレよね。……それなのに不安になってたの?」
彼は困ったように笑う。
「はっきりと好意だって示してくれていたけど、でも好意にも種類があるから……ただ人として好きなのか、恋愛的な好きなのかってわかりづらいっていうか。兄さんとの差がわからなかったっていうか……それだと結局僕は不安なままだっただろうなって」
つまり、心を覗いてもらって「アシュレイが好き」と思っていることを証明できたとしても、「あなたに恋をしています」という証明にはならないらしい。
「……じゃあ私がちゃんと恋愛だってわかるようなことを考えてる時に覗かないと駄目なのね。たとえば――『アシュレイとキスしたい』って思ってる時に心を覗かないと意味がないってことね」
「!」
アシュレイの顔が真っ赤になる。
エリスも特に何も考えずに言ってしまった後で、結構とんでもないことを言ってしまったと気付き――恥ずかしくなって頬を手で押さえる。
「た、たとえばだからね!」と目を逸らした。
それを見て、アシュレイは恐る恐るというように訊いてくる。
「今、キスしたいって思ってる?」
何かを期待するような感情がそわそわと出てきている。なんとなく意地悪をしてみたい気になって――照れ隠しでもあるが、エリスはわざと勝気に微笑んでみせた。
「さあ、どうかしら? 覗いてみる? ……それとも実際に試してみる? 私が嫌な時はキスできないのよ。だって運命の乙女が望んでいないことは、魔法救皇はできないんだから」
嫌なら拒んでね、と最近時々言うアシュレイへの意趣返しで、からかってみれば、
「それは心臓に悪いよ……」
と、アシュレイは胸を両手で押さえている。
――確かに、拒まれるかもとドキドキしながらキスを試すなんて、アシュレイに心の負担が掛かるだろう。それはよろしくない。
「からかってごめんなさい。正直に言うわ。どちらかというと、今はキスよりも、ぎゅってしてたい気分」
「可愛……可愛い……!」
ぶわっと見慣れた感情がアシュレイから湧き上がるのが見えた。
それから両腕を広げて、エリスを優しく包み込んでくれる。
「こんな感じ?」
「うん。ありがとう、ぎゅってしてくれて」
アシュレイの腕の中から微笑んで見上げると、とろけるように笑みを返した後に――彼がそっと小声で訊いてくる。
「……キスは?」
「キスは――最近アシュレイ、一回始めると長いから、今は遠慮しておくわ」
「長いと嫌なの……!?」
ショック、と言いたげに感情が飛び出した。そして若干、高揚も――キスをするときによく見る感情もじわじわと出ている。
「どうして喜んでいるの?」
「ご、ごめん……キ、キスしてる時のことを思い出して」
「……」
彼もエリスが本気で長いキスが嫌なわけではないとわかっているので、喜ぶ余地があるのだろう。
エリスとしても彼をなるべく喜ばせたいが、長いキスにはまだ不慣れなので、いつもだいぶ加減してもらっている。
「ごめんなさい。今日は駄目。まだ受け止めきれないし、切り替えもうまくいかないっていうか……他のことを考えられなくなるから、今日は困るの。まだこの後も予定がいっぱいあるから……」
正直に謝ると、
「ああ、可愛い……本当にいつも可愛い……」
と、何が琴線に触れたのか、ぎゅっぎゅと抱きしめられ、存在を確かめるように何度もエリスのつむじやこめかみに、愛おしむようなキスを落としてくる。
それはもう、熱心な可愛がりようだった。
念のため、エリスはもう一度言う。
「……しないからね?」
「うん、うん、僕がこうしたいだけ。長いキスは我慢できるよ」
繰り返しエリスの前髪や耳の端にキスを落としては、しげしげと幸せそうにエリスを見つめている。
……そこまで喜ばれると、なんとなくエリスからも一回くらいキスをしたい気分になって――あくまでも一回だけ、唇に触れるだけのキスのつもりが――結局、五回くらい長いキスを返されることになって、エリスは呼吸困難になるのだった。
【完】
これにて完結です。ご愛読ありがとうございました。
6~7月はムーンライトの方で活動予定です。ご縁がありましたらよろしくお願いいたします。




