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68_エピローグ①



「ロズじいちゃん、マルスじいちゃん、ただいま」


 エリスはアシュレイと共に、老爺たちの家に帰った。


「おお、エリス、久しぶりに見た気がするのぅ」

「アシュレイもよく来てくれたな」


 老爺二人に出迎えられてアシュレイは嬉しそうにする。


「あのね、話があるんだけど……じいちゃんたちが返してほしがっていた『死者の鏡』について」


 エリスが申し訳なさそうに切り出すと、老爺たちは優しい顔で苦笑した。

 魔導士の方のロズじいさんが言う。


「いいんじゃよ。無かったんじゃろう?」

「え?」

「わしらも五十年前きちんと見たわけではないからのぅ。見つからなくとも仕方がない。――それよりも儂らはな、エリス、お前さんに幸せになってほしかったんじゃ」


 思わぬことを言われて、エリスは面食らう。

 老爺たちはアシュレイに視線をやり、それからエリスを愛おしそうに見つめる。


「お前さんが、こうして大切な相手を自分で見つけられてよかった。もう何も心配いらないのぅ」

「おじいちゃんたち……」


 エリスが涙ぐむと、「おいで」と両腕を差し出される。エリスは素直に老爺二人の腕の中に迎えてもらい、しっかりと抱きしめてもらった。


「あのね、それで、死者の鏡なんだけど……」

「いいんじゃよ、お前さんを城に行かせる口実だったんじゃ。もう探さなくてもいいんじゃよ」

「……いえ、あったの」

「あったのか!?」


 老爺たちは驚愕していた。


「それで、返してもらったんだけど……」


 ちらりとアシュレイの方を見て合図すれば、彼が転移魔法で『死者の鏡』を瞬間移動させてくれる。

 そこに現れたのは、金色に縁取られ、文様も丁寧に掘られた楕円形の大きな鏡だ。人間が横に三人並んでも余裕で映るほどの大きな姿見である。鏡面は傷も曇りもない。


「おお」と老爺たちは目を輝かせて、その鏡に近寄っていった。


「返してもらったんだけど……壊れてるの」

「壊れてるじゃと!?」


 アシュレイが気まずい顔で「老朽化です」と小声で囁くと、老爺たちは消沈し、「まあ、古代魔道具だからのぅ……」と呟いた。


「それにね、死者と話せるって言っても、私たちの記憶を使って、姿を映すだけなんですって。だから、その人本人に会えるわけじゃないの。……本物の死者とは会えないんですって」


「……」


 老爺二人は黙り込んでしまった。しかし普段から無口なマルスじいさんの方が先に立ち直り、「確かに、そういう話を聞いたことがあるような気がする。本物には会えない、と」と呟いた。


「なんじゃと、なぜそれを早く言わない」


 ロズじいさんが食ってかかるが、

「俺はそれでも、顔が見たいと思っていた」

 と、マルスじいさんが言えば、ロズじいさんは耳に痛いことを言われたような顔になり、「そうじゃのぅ……顔だけでも……見たいのぅ」と泣きそうな顔になる。


 アシュレイが二人にそっと声を掛けた。


「本物の死者じゃなくても――記憶の中から読み取って姿を作り出す魔道具だとわかっていても、それでもよろしければ、僕がいずれ修理します。魔道具についてはまだ勉強中で……不器用で、時間はかかるかもしれませんが、それでもきっと直せるようになってみせます」


 アシュレイのまっすぐな瞳を受け止め、老爺たち二人は顔を見合わせてから微笑むと、

「長生きするかぁ」

 と、呟いた。



 古城に戻るアシュレイを見送るために、エリスは彼と二人で森を歩いた。


 彼は転移魔法ですぐに帰れるので、森を歩く必要などないが、お互いになんとなく離れがたくて、二人きりで話したい気分だったのだ。


 手を繋いで、ゆらゆらと揺らしながら森を歩く。


 古城でも王城でも、魔神騒ぎの後処理に追われて、二人で過ごす時間も中々取れなかった。


 ふいに何かを決意したように、「あのね」とアシュレイが言う。


「エリスがいてくれて良かった」


 まっすぐに見つめられて、「あら、急にどうしたの」とエリスは微笑んでみせる。


「僕が魔神を倒すための魔法が上手く使えそうにないって弱音を吐いた時、エリスは『休みましょう』って言って、率先して兵士たちと大砲を撃ってくれたね」

「……私は下手だったけどね」


 照れくさくて誤魔化そうとすれば、「エリスのおかげだよ」と彼はまっすぐに言い、それから少し俯いた。


「これからもエリスが一緒に来てくれるって思っちゃったら、僕はますます弱くなるかもしれない」

「……? それは悪いことなの?」


 エリスの問いに、彼は苦しそうにする。


「自覚してから、自分の甘えっぷりが嫌になるよ。……一人で戦いに行くの、かなり嫌だったみたい。エリスとみんなが一緒にいてくれるのが嬉しくて……駄目だよね。歴代の魔法救皇たちは、みんな颯爽と自分一人で戦ってたのに。エリスや兵士たちがいてくれなきゃ戦えないなんて、至上最低の、一番情けない魔法救皇だ」


 アシュレイの自嘲に、エリスは静かに首を横に振った。


「情けないなんてことないでしょう。本当に一人だけで行って帰ってきた魔法救皇はそんなにいないとは思うわよ。歴史書に魔法救皇のことばかり書くから、一人の印象しか残らないのよきっと」

「そうかなぁ」

「べつに、魔法が使えようが使えまいが、いつでも一緒に行くし、味方だって何百人でも何千人でも連れていきましょうよ。兵士のみなさんは国の有事のために鍛えてるのよ」


 エリスの慰めに、アシュレイは弱々しく微笑んだ。


「でも本当は、怪我をさせる危険があるから、兵を連れていくべきじゃないんだ。いや、守るつもりだし、絶対怪我はさせないつもりだけど……実際、今回、誰も怪我してないよね? なんだか不安になってきちゃった」

「うん、負傷者はいないわ」


 よかった、と彼は安堵の息を吐く。


「でも、やっぱり僕一人で行かないと駄目だよ」

「……」


 あまりにアシュレイが意固地なので、エリスは彼の頬をつまんでみた。


「エ、エリスさん……?」

「しなきゃ駄目とか、決まってないわよ。嫌なら嫌でいいのよ。魔法救皇は我慢しなきゃいけないなんて決まりはないのよ。……それにね」


 エリスはアシュレイを悪戯っぽい顔で見上げてみせる。


「みなさん、楽しかったみたいよ。大砲撃つの。大好評よ」

「え、そうなの?」


 アシュレイは不思議そうな顔をしている。


「だって豪快に撃てるし、(まと)も大きいし……だから今後また別の魔神が起きたら、大砲をぶっ放す祭りにしましょう。あ、いずれ、アシュレイが魔道具を直せるようになったら、古代魔道具も使えるわね」


 楽しそう、とエリスが目を輝かせると、「ぶ、物騒だ……」とアシュレイが怯えていた。


「魔道具も必要だと思うの。何事にも備えとして第二案は絶対用意しておくべきでしょう? それで、『魔法救皇が不安定なので』とか『今日はさぼりたい気分なので』とか言うのも野暮だから、最初からぶっ放す祭りとして魔道具を用意させておけばいいのよ。そうしたら後世の魔法救皇だって気が楽でしょ?」

「う、うん……でも、ぶっ放す祭り……?」

「不謹慎かしら? でも負傷者はきっと出ないでしょう?」

「うん、怪我する人が出ないようには気を付けてるから……」


 エリスは彼に微笑んでみせる。


「いつもアシュレイは頑張っていてえらいわ。寝ている最中だろうと、火山が噴火したり土砂崩れが起きたり隕石が落ちたら飛び起きて――非常時にはいつでもアシュレイだけ万全に魔法を使えるように、なんていうのも厳しいもの。世界を救うために心を一定にしろ、なんて前提、嫌でしょう? アシュレイが出遅れても『しばらく俺達の番だな』ってみんなに思われる方が楽よ」


 最後のとどめや封印はアシュレイにしかできないが、魔神退治に最初から最後までアシュレイしか関わらないのと、みんなで関わるのでは、やはりアシュレイや兵士たちの感情が変わってくるだろう。


「でも、弱そうに見えて、みんなが不安にならないかな? 『本当に世界を守れるのか?』って――いや、実際弱いんだけどさ」


 エリスはゆっくりと首を横に振る。


「不安になんてならないわ。二体同時に出た魔神も封じられたし、仮面の魔法救皇として十年も活動していたし、なにより怒ってる時のアシュレイって結構迫力あるのよ?」

「え」


 アシュレイは嬉しいやら困るやらで、複雑そうな感情を浮かべていた。


 エリスは「ねぇ、アシュレイ」と重ねて念を押す。


「大砲は楽しいし、いずれ魔道具を直せたら知性を感じてとても素敵よ。それに古代魔道具を惜しげもなく使うのって、この世で魔法救皇だけが叶えられる贅沢って感じで、わくわくするわ。どうせ他の魔神も今後起きたり、次代もその次の人もやらなきゃいけないことなんだから、楽しくできるなら、楽しくやっていきましょうよ」


 エリスが意気揚々と主張すれば、彼は微笑んで、

「……エリスが僕のそばにいてくれてよかった」

 と、幸せそうな顔をした。


「最近思うんだ。間違いなく、僕が生涯で一番出会いたかったのはエリスだ、って。……僕の一番の幸運は、エリスに出会えたことだよ」


 まっすぐに見つめられて、エリスは照れて、目を逸らす。


「大袈裟じゃない?」

「大袈裟でも何でもいいよ。僕はエリスに出会えた。……だから、あとはもう、離さないだけ」


 ぎゅっと繋いだままの手に力が込められる。


「ずっと一緒にいてくれる?」


 その綺麗な紫の瞳を、エリスは緊張しながら見つめ返した。


「当たり前でしょう? ……アシュレイこそ、本当に私でいいの?」

「エリスじゃなきゃ嫌だよ」


 そうはっきりと告げられて、それから彼は、エリスをまっすぐに見つめる。


「……キスしてもいい?」

「!」


 つい肩が跳ねてしまった。

 繋いだままの手が、お互いに妙に熱っぽい気がしてくる。

 どきどきと騒がしくなった鼓動は彼に聞こえているだろうか。


「そ、そういえば、私とアシュレイの初めてのキスの記憶、封じたままなのよね」

「!? そ、それは早く思い出さないと! え、思い出せるよね!? 大丈夫だよね!?」


 アシュレイは急に不安そうな顔になる。


「……キスをすれば、多分? きっかけになって、思い出せるんじゃないかしら」


 エリスが首を傾げながら肯定すれば、アシュレイは真剣な顔に戻り、

「キスしてもいい?」

 と、再度訊いてきた。


「……言葉で訊かれると照れるんだけど」

「わかった。……嫌なら拒んで。エリスの嫌がることは僕は絶対にできないから」


 運命の乙女の願いには、魔法救皇は絶対に逆らえない。たとえ言葉にしていなくとも、触れられたくないと思っていれば彼はエリスに触れられない。


「……でも、それもちょっとずるいと思わない? 私の心だけバレバレなんだもの」


 エリスが拗ねたように言えば、アシュレイは楽しそうに笑っていた。


「大丈夫、僕の方がバレバレだよ。君のことがずっと好きで……どうしようもないくらい好きだってこと、ちゃんと覚えておいて」

「……それなら、まあ、いいかな」


 エリスは目をつぶった。


 アシュレイは、その後、記憶を取り戻した。



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