66_願い
アシュレイは土の魔神に向かいながら思い出していた。
いつも、十年前から、仮面の魔法救皇として振る舞うたびに、考えていたことを。
古城には転移魔法で帰ることができる。
だからいつも、用事が済めば一人で帰った。
いつも一人で済んでいた。
だから――
(僕は、一人で帰りたくなかったんだ)
魔神を倒して、世界の危機を救って、それでも一人で帰るのが怖かった。
今まで何度も、大災害を、魔神に備えて想像した。一人で立ち向かって、帰ってきた時、自分はどうなるのだろうかと。迎えてくれる人はいるのだろうかと。
あるいは強大すぎる力に怯えたり、何かを期待してこちらを見るのではないかと――人々の顔を見るのが怖かった。
化け物だと思われはしないかと。
褒められて、拍手をされても、一人で行って一人で帰ってくる。
本当はきっと、それが嫌だった。
(でも……)
今日は一人じゃない。
仮面の、顔も名前も知られていない魔法救皇じゃない。
振り返れば、エリスたちがいる。
兵士たちが真剣にこちらを見つめている。もしもアシュレイがまた弱れば、いつでも大砲で援護してくれるだろうとわかる。
だからもう、一人で帰らなくて済む。
ここにみんないる。
(エリスは叶えてくれた。自分でも気づいていなかった願いを、エリスが叶えてくれた)
今はもう、欲しいものがはっきりとわかっている。
「僕は一人で帰りたくなかったんだ。……僕たちはみんなで帰る」
魔法が使えなくても、それでも、みんなで敵に立ち向かってくれた。
もう、このあと一人ぼっちになることなんて想像しなくていい。
――ああ、今ならきっと、大丈夫だ。
「雷を」
紫の雷が、天から魔神を貫いた。
◇◇◇
アシュレイは土の魔神を倒した後、水の魔神も倒し、すぐに両方を大地に封じ直した。
百年後か、あるいは二百年、三百年後か、魔神ごとに周期は違うらしいが、また魔神の魔力が溜まりすぎた頃に復活し、それをその代の魔法救皇が倒して消耗させ、また封じ直し――そうやって繰り返していくのだろう。魔神をその土地に眠らせておくことで得られる恩恵を保つために。
そして王城に兵士を帰らせる前に、古城の屋上で、宴会を開いた。
エリスの手料理はやたら警戒されていたが、アシュレイや補給班の料理は好評だった。
アシュレイを兵士の輪の中に放り込み、少し離れて賑やかな光景を見つめていると、魔杖が寄ってきてエリスに言った。
「満足だ。……俺はもう消えてもいいな」
まるでもうこの世に未練がないかのようだった。
「先代様……」
「途中で消えるかと思ったが、ここまで見られて満足だ。……あいつがみんなの輪に混ざっている光景を見られるなんて思わなかったな」
魔杖は楽しそうな声を出した後に、またしんみりと言った。
「魔法救皇ってのは最前線に一人で立って、その背中をみんなが見る――そういうもんだと思っていた。実際、俺は魔神を倒してさっさと帰るような人間だったから、アシュレイが気にするような、兵士たちの視線なんて考えたこともなかった。あいつが叶えるべきことが、俺にはわからなかった。……ありがとうな」
エリスはゆっくりと首を横に振った。「私は何もしていませんよ」と。
「しかし欲しいものってのは、その時にならねぇとわからねぇものだな。……俺もそうだな。俺が欲しかったのは、こういう未来だ。ありがとな」
アシュレイが兵たちに囲まれている姿を魔杖とエリスは眺める。魔杖からは、きらきらと白い光がこぼれ始めた。
「……もしかして消えそうですか?」
「ああ、もう限界なんだよ。幽霊はいつまでもこの世にいられるわけじゃない。……そもそも、ただの魔力の残滓だからな」
自嘲するように言ったあと、「エリス」と強い口調で言った。
「お前は自分がアシュレイにとって邪魔な存在だって言ったよな」
問われてエリスは一瞬戸惑ったが、「はい」と確かに頷いた。
アシュレイを振り回し、アシュレイの唯一の敵になりかねない自分を邪魔だと思って、この魔杖に弱音をこぼしたのは確かだった。
「こんな力、無ければいいと思います」
「……そうか」
魔杖は相槌を打ち、「でもな」と言葉を続ける。
「魔法救皇は万能で、普通の人間とは生まれながらに違うものを背負っている。だから、その孤独に絶望しないように、『運命の相手がいるならば、必ず早く巡り会えるように』って祝福を受けている。……お前は特別な力を持つもう一人だ。魔法救皇も、運命の相手の命令だけには、どんな内容でも逆らえない。万能の魔力も型無しだ。……つまり、何もないただの人間にしてくれる唯一の人だ」
しっかりとした声でそう告げて、エリスをしっかりと見つめてから、柔らかな感情をこぼす。
「そして運命の乙女もまた、魔法救皇がいなければ何の特別な力も持たないように見えるただの人間だ。……お互いに、お互いがいなければ意味がないんだよ」
魔杖はゆっくりと、砂がこぼれるように白い光を失っていった。
――このまま消えてしまうのだろう。
アシュレイを呼べば、異変に気づいて駆け寄ってくる。
「おじいさま!?」
アシュレイは動揺していた。魔杖の残り時間が少ないとはわかっていても、今すぐ消えるなんて、心の準備ができていなかっただろう。
「じゃあな、俺はもう行く」
「待ってください、そんな、まだ――」
「結構楽しかったぞ。お前らが大丈夫そうで、俺は安心した。何の心残りもない。……二人とも、達者で暮らせよ」
そして、力を失った魔杖は、ぱたりと倒れた。




