65_大砲の撃ち方③
「アシュレイ、どうしたの?」
彼からは緊張の感情が出続けている。
そして紫の雷がばちばちと彼の周囲で明滅し始めた。アシュレイが混乱状態にある時によく見る光だ。
兵士たちがどよめいている。
アシュレイはエリスだけを見つめていた。
「お願い。僕を怖がらないで」
悲痛な、すがるような声だった。
「大丈夫よ、アシュレイ……?」
彼が今一番気にするのは『怖がられること』なのか、と驚いた。
――思えば、彼は初めて会った時から他人の視線を気にして、前髪で顔を隠しているような人だった。
今は、二百人近い兵士たちの視線を浴びている。そのせいで不調が起きているのだろうか。
仮面で魔法救皇として活動していた時に、彼が魔法を使えなかったことなどないだろう。
(水の魔神の時も大丈夫だったのに)
一時は投げやりに素顔を晒して、好き勝手に魔神をペットにするだのと世界の覇者になりそうなことを言っていたが――この城で二人で過ごすうちに落ち着き、また今は元の性格に戻っているのだろうか。
つまり、彼が恐れているものは、まだ克服できていない。
「……アシュレイ、私は怖がってなんかいないわ。私は強いアシュレイのことを、怖いなんて思わないわ。かっこいいと思うもの」
エリスの言葉に、「ありがとう」とアシュレイはちいさく頷く。
「だけど……」
根底にあるものは変わっていない。
強大な力を持つ。だからこそ、人の輪から外れるのが怖いのだろう。――彼の父親が危惧している『孤独』そのものだ。
「エリスがかっこいいって言ってくれてるのにごめん、でも」
「いいのよ、むしろ私だけがいればいいって言っていた時よりも健康的よ」
他人から無造作に視線を向けられ、受け止めるその恐ろしさ。
感情が見えるエリスには痛いほどわかった。アシュレイの緊張が、どれほどの恐怖か。
「少し休みましょう、アシュレイ」
「え? でも……」
戸惑う彼の手を握り、それからエリスは兵士たちに向き直った。
魔法救皇が動かないことに焦っている彼らに向かって、声を張り上げることにする。
「アシュレイはね、今日は具合が悪いのよ! なぜなら私の手料理を食べたから!」
――辺りはしんと静かになる。
それから、
「可哀想に……」
と、誰かがぽつりと言った。
それを皮切りに、他の兵士たちもちいさく囁き合い始めた。
「……先代の運命の乙女もひどかったらしいが、当代も悪妻だったのか」
「俺も新婚当時、よく腹を壊したものだ」
と、困惑の中にも、憐憫と親しみの感情がぽつぽつと湧いてくる。
いいぞ、とエリスは思った。
「いや、エリス、エリスさん……? 僕は決してお腹が痛いわけでは……」
アシュレイが小声で訂正してくるが、「しぃ」と指で示して止めておく。
悪妻のせいにしておく方が都合がいいのだ。
だが、もちろん、エリスの発言で納得してくれない者もいる。
「万能なんだろう? 自分の体調くらいどうにかならないのか」
誰かのぼやきに、アシュレイが身を強張らせるのがわかった。エリスは口を開こうとしたが、それより早く、別の兵士が庇っていた。
「馬鹿、お前、俺達の万倍以上の魔力がある人だぞ。あの人が土砂崩れを一瞬で片づけたのに、家を建てようとして木材を吹っ飛ばしたのを見たことがないのか? 自然災害と魔神向けの人だぞ。天体用の望遠鏡で手元の刺繍ができるかよ」
それはエリスがアシュレイと会う少し前にあった災害のことだろう。
兵士の実感のある言葉に、先ほど文句を言っていた兵士が消沈する。
「……そういうことか。繊細な調節は、たしかにできなさそうだな」
別の兵士が今度はエリスを盗み見ながら、小声で言った。
「というか運命の乙女の手作りだからこそ負けてるんじゃないか?」
「ああ、そうか唯一の弱点か……可哀想に。最強の存在でも妻にだけは勝てないとは……ままならねぇな」
まるでエリスの料理にも超人的な効果があるかのようになっている。
しかし『妻にだけは勝てない男』への親近感がしっかりと周囲に漂っているのは良い傾向だ。仲間意識が芽生え始めた。
「そういうわけでアシュレイを助けてほしいんです! ちょっとでいいから時間を稼いで!」
エリスの訴えに、「助けるったってどうやって……」と兵士たちは困惑する。
まだ魔神は起きたばかりで動いてはいないが、山ほど巨大な土人形を、二百人の兵士たちでどうにかできるとは思えないのだろう。
「あんなの倒せねぇよ!」
不満と焦り、悲痛な感情が湧いて出てくる。
彼らの態度を見て、アシュレイもつらそうに目を伏せる。
だが――
「倒せなんて言ってないわよ」
エリスはそう言って、兵士たちの前へ立った。
「大砲の準備をして」
宣言すれば、兵士たちから疑問が上がる。
「なぜ大砲を……?」
「剣を持って向かっていたってあんな巨大なもの、踏みつぶされて終わりでしょう?」
「それはそうだが……」
それからエリスは、アシュレイの方を振り返って頼んだ。
「アシュレイ、砲弾が欲しいの」
彼はきょとんとしたあとに、「それくらいなら……」と手を軽く振って転移魔法を使った。
目の前には、大砲用の砲弾が積まれた箱が現れる。
「王城から借りてきたよ。火薬も多めに。砲弾が足りなければ魔法ですぐ作れるよ。……魔道具と違ってシンプルな鉄塊だから」
「ありがとう! どんどん作ってもらえる? あと、この屋上にある全部の大砲の筒と砲弾に、アシュレイの魔力を込めて威力を上げられる?」
エリスが言うと、アシュレイも兵士と同じく困惑の表情を浮かべる。
「込められるけど……砲弾が耐えられる程度の魔力だと、魔神を倒すほどの威力にはならないよ……?」
「倒せないのはわかっているわ。……あ、王城の宝物庫には魔神用に開発された大砲もあったわよね? あれならもっと威力が出る?」
王城の宝物庫を見学した時に、『魔法救皇がいなくても魔神を倒せるように』と開発されたものがあったはずだ。
「ええと、あれはこの辺一帯を更地にはするほどの破壊力だけど、魔神を倒すほどにはならないっていうか……魔神を倒すほどの威力を出そうとしたら僕が相当な魔力を込めるから、僕が直接魔神を攻撃した方が早いっていうか……今はちょっと攻撃できそうにないけど」
アシュレイがすまなそうに言う。
「じゃあ、この屋上にある普通の大砲の方でいいわ。できそうだったら少しだけ魔力を込めてみてくれる?」
「……うん」
彼はあまり納得がいっていないようだったが、エリスの望むとおりにしてくれた。彼にとってはかなり弱い魔力なら込められるようだ。
兵士たちも、格納していた大砲を運び出し、筒の先を魔神に向け、アシュレイが魔力を込めた砲弾を充填してくれる。
――エリスだって、こんなもので倒せないことはわかっている。魔神は魔法救皇にしか倒せない。だが、必要なことだと思った。
(とりあえず、私が率先しないと)
エリスは用意された大砲の一つに近づき、先ほど魔杖と書庫で読んだ砲術の本を思い出しながら、照準を合わせようとする。
「ええと、これくらいでいいかしら……それで着火は……」
明らかに慣れていないエリスの操作に、周囲の兵から不安の感情が次々に生まれる。「大丈夫なのか……?」と囁き声が聞こえる。
「まあ、とりあえず、練習のつもりで――それっ!」
エリスの初弾が発射された。
爆圧で風が巻き起こり、エリスは一瞬、目をつぶる。
腕で目を庇いながらその砲弾の行く先を見据えると――かなり低い弧を描いて、動いてもいない魔神の肩に、かすりもせずに落ちていった。
「……あら、低すぎたかしら」
呟いてみても、呆れているのか、誰も何も言ってくれない。
大砲の筒の向きを変えようとすれば、「あ、危なっかしい」と兵がぼやき、アシュレイも慌てて手伝ってくれる。
「ありがとう、アシュレイ。……二発目ってこのまま砲弾を込めていいんだったかしら?」
「ご、ごめん、僕も大砲はよくわからない」
二人でわちゃわちゃと作業をしていれば――中年の兵士たちが身を震わせた。
「ええい、娘と息子と同じ年頃のガキどもだけに任せてられるか! へたくそ! 貸せ!」
「あら……」
指揮官らしき者が、若い兵士たちに指示を出していく。
数十門すべての大砲が魔神に向けられ、兵士たちが発射の準備をする。
「総員、魔神の首に照準を合わせろ!」
その大きな声で空気が変わり、張り詰めて――
「――撃て」
一斉に砲弾が発射された。土の魔神の首を目指して、砲弾たちが弧を描き――そして集中砲火を受けた魔神の首は、ごとりと綺麗に落ちていった。
おおお、と兵士たちから歓声が湧く。
すべての砲弾が集まったことで、魔神の首を落とすほどの威力が出たようだ。
「すごいわ……兵士のみなさんは、当てるのがうまいのね」
「当たり前だ! 本職だぞ!?」
エリスのつぶやきに、中年の指揮官が食って掛かる。
魔神はすぐに回復し、また巨大な肩から頭が出てきたが、それでも時間稼ぎにはなるとわかったことで、兵士たちの士気が上がる。
(というか、みんなやっぱり魔神を自分たちで倒したいんじゃないかしら)
国を守る兵士たちだ。いざという時に何もできないのは歯痒いものだろう。
みんな生き生きとした顔をしている。高揚と自信に満ちた感情に溢れている。
(……さっきよりずっといいわ)
ゆっくりと動く魔神に次々と砲弾が撃ち込められ、魔神の侵攻を抑えている。
砲弾はアシュレイが用意してくれるので、残りの弾数を気にしなくていい。
「私も一発くらい当ててみたいわ……」
エリスが物欲しい顔で、近くの大砲を見つめていると、「素人がそんな簡単に当てられるか」とぼやかれた。
しかし、ふと思うことがあって、
「あと一回だけやらせて」
と頼んでみる。
中年の指揮官たちは「危ないから引っ込んでいろ」と渋い顔だ。
「お願い! あと一回だけ!」
エリスの懇願に、彼らは首を横に振らない。
ならば、とアシュレイに「王城の宝物庫の大砲をここに運んでくれる?」と頼む。
「あの魔道具のやつ……?」
「うん、威力がすごいやつ」
「……危ない気がするなぁ」
彼はそう遠い目をしつつも、転移魔法で目の前に出してくれた。
それを見て兵士たちもエリスが諦めていないとわかったのか、充填の準備を手伝ってくれる。
エリスは込められている砲弾を熱心に見つめた。
(どうかお願いね)
そして手順通りに発射したあと、エリスは強く命じた。
「――当たれ」
低く、そして強い声で呟く。
その砲弾は大きく弧を描きながら進路を変え――魔神の胸のド真ん中を貫いた。
「!?」
兵士たちからどよめきが上がる。
あまりにも正確に、左右均等なド真ん中に穴が開いたのだ。
「何をした!?」
(……やっぱり、こうなるのね)
エリスは予想が当たってほっとした。
砲弾にはアシュレイの魔力が込められている。だからエリスの命令を聞いてくれるのではないかと思ったのだ。
そしてこれだけは王城の宝物庫の魔道具なので威力も桁違いだ。一発だけでも穴を開けられる。
(魔力は魂の一部みたいなものだっていうし……私の足輪に魂が残っているから、敵に命じられると逆らえないのと同じね)
つまりこれも『運命の乙女』の強制力だ。
アシュレイ本人にも何か命令が伝わったのか、エリスの方を見て、何故かときめきと照れの感情をふわっふわっと生み出し続けている。
……そういえば命令されたいとか言っていたような、とエリスはぼんやり思い出した。
(……ちょっとよろしくないわね。不健康だわ)
兵士たちに「もう一回やってみてくれ!」と言われたが断った。
何度も命令するのはよくないだろう。それにこれは実力ではない。何度もせがまれて今度は砲弾に命じずに普通に撃てば、やはり初弾と同じく外れてしまった。
「なんで照準を動かしてないのに外れるんだ!? やっぱりだめだ! 代われ!」
結局エリスは大砲チームから外された。
「私、下手みたい」
軽口を言いながらアシュレイに微笑みかければ、アシュレイは目を瞬かせる。
「エリス……」
先ほどからエリスがやっていることを、アシュレイはまだ上手く受け止められていないらしい。
しかし満足だ。
兵下たちが、魔神のために必死になっている。
世界の危機に自分たちで向き合っている。
これが見たかったのだ。これをアシュレイに見せたかったのだ。
「アシュレイ。あなたは一人じゃないわよ。……ほら、みんなで戦っているでしょう」
孤独がつらいのならば、自分は弱くて、周りに誰かが必要なのだと――「あなたたちが必要なのだ」と示せばいい。
「アシュレイが一人で戦わなくても、時間稼ぎくらいはなんとかなるものでしょう? ……まあ、アシュレイの魔力を込めてるからってのもあるし、さすがに仕留めるのは無理だけど」
魔神は攻撃される端から回復している。魔法救皇なしでは、現状を保つのが精一杯だ。
「僕は……」
アシュレイが何かを言おうとしたその時、空が大きく明滅し、王都の方の空がさらに暗くなっていくのが見えた。
「最初の、黒い水の魔神の方……?」
「……そうだね。こっちの気にあてられて、本格的にまた動き出したんだ……そろそろまずいかな」
アシュレイは王都の水の魔神と、こちらの土の魔神を見比べる。
「土の魔神を倒して、すぐに水の魔神の方へ行こう」
「でもアシュレイ、まだ……」
彼からは不安の感情が消えていない。まだ戦えないのではないだろうか。
「もう大丈夫。怖くないよ」
その言葉には嘘があった。彼は本当はまだ怖がっている。
だけど、彼は微笑んでみせた。
「僕は嘘つきだ。弱いふりをして、人の輪の中に入れてもらおうとしている。絵本の中の、悪い狼と同じ」
「アシュレイ……」
「……でも、これが欲しかったんだと思う。僕はたぶん、この光景が欲しかったんだ」
兵士たちを見て、彼は言った。
「ありがとう、エリス、僕を見ていてくれて。……自分でも気づかなかった、僕の望みに気づいてくれて」
彼はエリスを抱きしめた。
その温かさに、エリスは目をつぶる。
「……うん。いってらっしゃい、アシュレイ。後ろから、大砲で応援してる」
アシュレイは耳元で「ふふ」と笑った。
「頼もしいよ。……いってきます」
彼は土の魔神に向かって飛んで行った。




