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私のいとしい最弱の魔法救皇  作者: 猪谷かなめ
第六章:二人の願い
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64_大砲の撃ち方②



 大きな揺れがあった。

 前方の森からは、広範囲に土埃が上がっている。


 そして、ひどくゆっくりと、山が――いや、顔のない土人形のような巨大な何かが、起き上がっていくのが見えた。


「あれは、魔神……?」


 どうして、とエリスは愕然とする。

 横に立っている魔杖が答えた。


「二体目か……土の魔神だな」

「土の魔神?」

「そう、封印されてる魔神の一体だ。そういや封印場所はここだっけか。だからこの城は孤立してるんだったな」


 魔杖の説明を、うまくエリスは呑み込めなかった。


「どうして二体目が今復活したの……?」

「復活の周期が近かったんじゃねえか? 封じられてる魔神は一体だけじゃない。……しかし、重なるのは珍しいな。水の魔神を放置してるから、世界の魔力の流れが乱れたのかもしれん」


(どうしたらいいの……?)


 立ち尽くしていると、ぶわりと風が吹いて、アシュレイが転移してきた。

 異変を感じたのか、魔法で戻ってきてくれたらしい。


「エリス、大丈夫!?」

「アシュレイ……!」


 思わず駆け寄れば、包み込むように抱きしめられる。


「怪我は無いね?」

「ええ、距離があるから……」


 アシュレイは安堵の息を吐く。

 エリスとしても、彼がすぐ来てくれてほっとした。


「アシュレイ、土の魔神が……」

「うん、まさか時期が重なるなんて……」


 森の様子に目を向けて――エリスはふと、魔神の手前で、大量の恐怖の感情が見えることに気が付いた。

 人間の、感情だ。

 悲鳴が聞こえそうなほど、悲痛な恐怖に溢れていた。


「森に、たくさん人がいるわ……」


 エリスの言葉に、「え!? あ……兵士たちだ」とアシュレイが苦虫を噛むような顔になる。


「兵士? 兵士たちがどうして……?」

「……兄さんが、エリスを心配して、軍を派遣したんじゃないかな」


 アシュレイの気まずそうな表情に、エリスまでなんだか居たたまれなくなる。


「……そうだとしたら、私というより、アシュレイを心配しているのよ、あの人は」


 エリスとアシュレイが勝手にいなくなったので第一皇子はこの城に迎えを寄越そうとしたのだろう。二人で古城に閉じこもっていれば、アシュレイが危険になるからだ。


 兵士たちはこの古城に向かって急いで進んできてはいるが、後ろには土の魔神がゆっくりと起き上がっていく様子が見える。

 魔神の大きさを考えれば、いざ動き出せば一歩で踏みつぶせるだろう。


「アシュレイ、あの人たちをこの城に転移させられない?」

「できるけど……それよりも王城の方に返してあげた方がいいと思う」


 アシュレイは自嘲するような顔をしていた。その表情が気になった。先程の気まずさとは別物のように見えたからだ。


「どうしてそんな顔をしているの?」

「……」


 彼は目を逸らす。


「みんな、僕のそばにはいたくないでしょう」

「え……?」


 エリスが彼を凝視すると、アシュレイは「やっぱり気づいてなかったか」と自嘲するような顔をする。


「僕が一人で倒せばいいだけだよ。ここに兵士なんかいらない。関わりたくない」

「どうしてそんなことを――つらそうな顔で言うの?」


 アシュレイは傷ついたような顔をする。


「……王城にいた時、エリスは社交界のみんなと僕を関わらせようとしてたよね」

「? ええ、そうね」


 アシュレイが第三の皇子として人前に出たので、もう素顔を隠さずに彼がみんなに受け入れられていくのが見たいと思った。お茶会に出席するアシュレイを応援した。そして彼はエリスについてきてほしがっていた。


「……みんな、いつも、そばにエリスがいるか確認してたんだよ」

「?」


 言われている意味がわからなくて、エリスはきょとんと首を傾げる。


「それは私が運命の乙女らしいから、物珍しくて?」

「ちがうよ。いざという時、僕が魔法を悪用し始めた時に止められるかどうか、みんな怖がっていたんだよ」

「……それは……」


 魔法救皇の暴走を唯一止められるのが運命の乙女ではあるが――


「アシュレイは暴走なんかしないのに。そんなこと……みんな日常生活でも気にしているの? ただのお茶会とかでも?」

「そうだよ。僕しかいない時、みんなの緊張の度合いが全然違うんだ。エリスはその場にいないから知らなかっただろうけれど」

「……」


 つい「気のせいじゃない?」と言ってしまいそうになるが、でも彼が言うからには本当のことなのだろう。彼がそう感じているのなら、きっと正しい。


 エリスも少なからず、貴族の感情に恐れが混じっていることはわかっていた。

 けれど高貴で新しく現れた魔法救皇相手なら、誰もがお茶会程度でも畏怖するのは仕方のないことだと思っていた。


 彼がそれを敏感に感じ取って、孤独を感じていることを理解できていなかった。

 なんだ上手く振る舞えているじゃないか、と。彼が笑顔でそつなく社交をこなしながらも、不安でいっぱいなのは、感情が見えるエリスにはわかっていたのに――


 彼は臆病だから、多少は仕方のないことだ、と。いずれはみんなと楽しく過ごせるようになれば、彼も気にしなくなるだろう、と。


 彼自身の望みを、ちゃんと訊いていなかった。


「……アシュレイは、人と関わりたくないの?」


 エリスの問いに、彼は寂しげな笑みを浮かべ、しかし即答した。


「うん」


 その瞳には、迷いがないように見えた。


「僕は、エリスしかいらない。ずっと世界で二人きりならいいのに」

「……」


 エリスが何も言えずにいると、彼は前方の森に視線を戻した。

 彼からは不安の感情が出ていた。


 ――アシュレイは、魔神と戦うのを怖いとは思ってない。実際に本人が前にそう言っていた。

 彼は万能の魔力を持っている。

 すべてを救う力を持っている。


 それなのにいつも不安そうなのは――


「ごめんなさい」


 エリスは謝った。

 彼が「え?」とエリスを振り返る。


「……アシュレイ、あなたの苦しみに気付かなくてごめんなさい。……でも、私だけがいれば良いなんてことはないわ。人を避けるのは、やめましょう」


 エリスの言葉に、アシュレイはただ諦観の笑みを返す。


「でも、僕は欲しくないよ」

「そうかしら」


 エリスは静かに言った。


「ねえ、聞いて。……私、アシュレイに会えて嬉しかったの。おじいちゃんたちに引き取られたばかりの時に、森でアシュレイと出会って……こんなに一緒にいて過ごしやすい人がいるんだって、嬉しかったの」


 アシュレイは目を見開いた。


「おじいちゃんたちに言われて、城に行くのも、正直あまり乗り気じゃなかったし、頼まれた用件を果たそうとは思っていたけれど、自分自身のことについては……誰かと出会うことについては、『こんなこと、意味ないのに』って思っていたわ。……でも、アシュレイと初めて踊れた時、本当に胸が弾んで、どきどきして、私、きっと人生で一番嬉しかったの」


 まっすぐに見つめれば、「エリス……」と彼は泣きそうな顔になった。


「だから私、また生き直すことが自然とできたんだと思う。怖くなかったの。森でおじいちゃんたちを看取って、墓守をして、ただ静かにずっと変わらない生活ができればいいと思っていたけれど……なんだかんだで、動き回っているのも、悪くない人生だわ」


 そう笑ってみせて、エリスはそっと、アシュレイの手を握った。


「意外と、悪くないものよ。……だから、アシュレイにも、もう少しだけいろんなものを持っていてほしいの。アシュレイが言わなくても、私は勝手にそうしようって決めたの。……私が何に困ってるか言えなくても、アシュレイは敵を探そうとしてくれたように。私も、アシュレイのためにどう動こうかって考えたのよ」


 そこで言葉を切り、エリスは前方の森を見た。


「兵士たちを、ここへ集めてくれる? 王城に避難させるんじゃなくて、ここでアシュレイと、話をしてほしいの」


 アシュレイは少しだけ悩んでいたようだったが、


「……わかった」


 と頷いて、森へ手をかざした。

 一瞬で、屋上には二百人以上の兵士たちが転移してきた。


「うわっ!」


 突然動かされた兵士たちは混乱の声を上げる。

 そしてエリスたちに気付くと「あ、魔法救皇!」と叫び、自分たちが瞬間移動させられたのだと理解したようだ。


「ま、魔法救皇様、森に第二の魔神が出現しております」

「……うん、わかっているよ」


 アシュレイは静かに頷いた。


 兵士たちは動揺しながらも、各隊の人員が欠けていないかどうかを確認していたが――


「王都の空を見ろ!」


 誰かが叫んで、全員の視線がそちらに向く。

 王都の方向の空が、おぞましいほどに真っ黒に渦巻いていた。


「……ああ、水の魔神もまた暴れ出したみたいだね。……動かないようにしておいたのに。こっちの魔神に誘発されたかな」


 アシュレイが苦しそうな顔で言った。


「……アシュレイが城で飼うって言ってたやつ?」

「うん。やっぱり魔神とは相容れないみたいだね。封印するしかない」


 二体同時かぁ、とアシュレイがぼやく。


 兵士たちの視線は、すべて彼に向けられていた。


「魔法救皇様、どうか世界をお救いください……!!」


 彼らの悲痛な叫びは、本心からの嘆願だった。

 アシュレイ以外に、魔神を倒せる者などいない。しかも二体同時だ。次の瞬間には世界が滅びかねない。一刻を争う状態だ。


 強烈なほどに、アシュレイに視線が突き刺される。


 しかし――


(アシュレイ……?)


 彼は冷や汗をかいていた。感情がみえるエリスには、アシュレイから急に焦りの感情が出始めているのが見えていた。


「どうしたの、アシュレイ……?」

「いや、ええと……」


 彼は俯く。

 エリスが身を寄せて、すぐ触れるほどの距離で彼の顔を見上げると、彼はエリスにだけは聞こえるように、小さな声で弱音を言った。


「魔法って……どうやって使うんだったっけ……?」

「え?」


 彼は苦痛の表情を浮かべる。


「どうしよう……なんだか急に、強い魔法が出せそうになくなって……いや、魔力はあるんだけど、なにかが入口に突っかかるような……」

「……」


 どうやら、世界の危機らしい。


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