52_舞踏会ふたたび②
(まさかアシュレイに命令するの!?)
エリスが目を丸くしていると、アシュレイは頷き、「同じように言われたいなぁ」と呟いている。
(同じようにって……)
『わたくしと踊ってください。そして踊り終わったら、わたくしにひざまずいて求婚なさってください』
確かに以前、第一皇子に向かって言った覚えがあるが――
エリスが躊躇っていると、
「もちろん、俺にまた同じことを言っても構わない」
と、第一皇子まで期待を込めてエリスを見つめてきた。
(結局、私に選べってことよね!?)
「運命の乙女の奪い合い……?」と小声で令嬢たちが囁きあっている。エリスがどちらに命令をするのか、みんな待っているのだ。
(ええと、これはどうすべきなのかしら……)
敵のことが解決するまで、アシュレイの意識を第一皇子に向けさせ続けるのが作戦だ。そのためにはエリスの言動で第一皇子を切り離してはいけない。
アシュレイが魔法救皇であることはもう敵にもバレていたのだから、運命の乙女としての行動は考えなくてもいいとして、だが別の方法でアシュレイの思考の邪魔をしなければならない。
魔法救皇がどちらか確定させない、という方法でアシュレイを邪魔できないなら、第一皇子はエリスとの恋路に立ち塞がってアシュレイの視線を自分に向けさせねばならない、と考えたのだろう。
(……だけど)
もしエリスが第一皇子の方を選んだら、アシュレイは傷つくだろう。
これ以上、彼を苦しめたくない。
だからアシュレイだけをそっと見つめた。
「私と、踊っていただけますか?」
紫色の瞳が見開かれ、輝いた。
「……はい」
彼は嬉しそうにエリスの手を取る。
そして他の人々もつられたようにダンスの相手を見つけ始め――ついにダンスが始まった。
エリスは緊張で胸がいっぱいだった。彼と踊るのは二度目だが、最初の時は甘酸っぱい楽しさでいっぱいだった。だが今日は荘厳な大人の空気と、大衆の視線が気になってしまう。
「緊張しないで。大丈夫だよ」
彼は以前と変わらず優しい声をかけてくれる。
そしてエリスがダンスに馴染んでくると、楽しそうに微笑んだ。
「さっきの言い方、ちょっと違ったね」
「え?」
「命令してほしかったのに、『踊っていただけますか』ってエリスが言うんだもの。あれじゃあ強制力は働かないよ。『踊りなさい』って言わなくちゃ」
「……言いたくなかったんだもの」
エリスが口を尖らせると、「可愛いなぁ」とアシュレイが目元を緩める。
「兄さんには初対面で『踊ってください。そして踊り終わったらひざまずいて求婚なさってください』まで言ったのに……」
「そ、それは――!」
もう忘れて、と言いかけたが、『忘れて』なんて言ったらこれも命令文になってしまう。まずい、とぎりぎりで口を噤んだ。
「……僕も命令されたいなぁ……」
アシュレイはわりと本気で言っているようだ。
「どうしてそんなことまでうらやましがるの……」
「エリスがなりふり構わず僕に命令する姿が見たい……」
「……」
それはちょっと特殊な趣味なんじゃないだろうか、と思った。
(いえ、むしろ『なりふり構わず』だと私の方が追い詰められてる想定じゃない……?)
彼の中でエリスに何を望んでいるんだろう、と若干不安になりながら見つめていると、アシュレイは幸せそうな感情を、ふわ、ふわ、と浮かべていた。
まるで、こんなに近くで顔が見られるのが嬉しくて仕方がない、とばかりにエリスをしげしげと見つめているのだ。
「……っ」
そこまで熱心に見つめられると、さすがに照れる。
つい俯きそうになると、彼が微笑んだ。
「照れてる? 可愛いなぁ」
「……ちょっと今日はひとこと多いわよ」
「僕は遠慮しないことに決めたんだ」
彼からは「可愛い。可愛い」といういつもの感情が垂れ流されており、視線も甘いので受け止めきれない。
エリスが目を逸らしていると、アシュレイもふいにどこか遠くを見ながらぽつりとこう言った。
「さっき、ちょっと迷ってたでしょう?」
「え?」
「兄さんと僕、どちらにするべきか、すぐには決められてなかったね」
「……」
エリスは思わず彼の顔を見る。
「それでも僕を選んでくれてありがとう」
寂しげな自嘲の感情が見えていた。
悩んでいたのは別にどちらの方が好きだとか、恋愛的な理由ではないのだが、アシュレイに話すことはできない。
「迷ってたのに、きっと僕を傷付けないよう、僕を選んでくれた。エリスさんは優しいね」
「……優しいからあなたと踊っているわけじゃないわよ」
「優しさに付けこんで、もう一つわがままを言ってもいい?」
エリスは首を傾げる。
「? なあに?」
「今日から僕と暮らそう?」
「!?」
驚きすぎて、彼の足を踏みかけた。彼はさらりとさほど動かずに避けていた。
こういう時、なにげなく彼がダメージを負わないのが、貴族らしさというか、魔法救皇としての加護というべき運を感じる。
きらきらと豪奢な天井のシャンデリアに照らされていると、彼が持つ神秘的な加護が、彼の周囲に満ちているのがよくわかる。
そして、戸惑っているエリスに、彼はその光をたっぷりと込めて蠱惑的に微笑む。
「僕の城で、一緒に暮らそう?」
「……それはちょっと……」
「だめ?」
寂しそうな顔をされると心が痛む。アシュレイを一人にしない方がいいのも事実である。
舞踏会の準備中も、彼が敵に狙われないよう、なるべく離れないようにした。
彼は事情を知らないので、「姿が見えるところにいてね」と袖を引けば、幸せそうな感情をふわっふわっと浮かべておとなしくエリスの隣にいたが――
(今の私がアシュレイと二人きりで暮らすのは……まずくないかしら?)
アシュレイ自身の心が不安定であるし、そもそもエリスが敵に操られて何かを口走ったときに――アシュレイに強制力を働かせてしまったり、呪歌を教えてしまった時に、その異常事態に気付いて、間に割って入れる者がいない。
エリスがアシュレイに命令してしまわないか、見張っていてくれる者が必要だ。
エリスが長考しているので、どんどんアシュレイの感情は不安に満ちていく。
「……だめ?」
ほとんど諦めの感情をにじませながら彼が訊いてくる。
「……黒猫としてなら飼ってくれる?」
「……いえ、黒猫としても駄目よ」
エリスが彼に命じてしまえるのが問題なのだから、むしろエリスの方を口がきけない動物にでも変えてほしいところだ。
(黒猫として飼ってだなんてなりふり構わなくなってきたわね……)
そう考えた後に、はっとしてエリスは彼を見る。アシュレイは不思議そうにした。
(何かおかしくないかしら……? どうして覚えているの……?)
エリスが『黒猫はアシュレイの変身だと気づいている』と彼にバラしたのは、薬を飲ませる直前だ。
(一体どこまで記憶があるの――?)
思い出してしまったのか、それとも封じきれなかったのか。エリスが緊迫していると、アシュレイも「あれ?」と首を傾げた。
「つい黒猫ならって言っちゃったけど……バレてたんだっけ? まだだっけ? いつ黒猫のことがエリスさんに――ええと――」
「待って!」
ついとっさに強い語調で言ってしまった。ぴたっとアシュレイのすべての動きが止まり、ダンスの途中だったので、つんのめる。
「あ、ごめんなさい、つい焦ってしまって命令みたいに――え、息してる?」
あまりにもアシュレイがぴたりと止まったままなので、エリスはぎょっとした。
エリスが強く本気で望んだせいで、完全に彼を止めてしまったかもしれない。
「アシュレイ、息をして!」
「し、してるよ……?」
アシュレイは少し困惑気味に首を傾げたあとに、「なにか……何の話をしてたんだっけ」と呟いた。
「……一緒には住めないって話よ」
黒猫の話にはいかないようにと祈りながらエリスは答える。
「……どうして駄目なの? 兄さんの方が好きだから?」
「そういうことじゃないわ」
「城が嫌? 森で一緒に暮らすのは? おじいさんたちも一緒に」
老爺たちもいるなら、エリスに異変があれば気づいてはくれるだろうが――果たして彼らに止められるだろうか。アシュレイの安全を考えたらやはり王城に滞在し、第一皇子の兵をいつでも頼れる方が安心だ。
「将来的には、あなたのお城でも、森でも、どこでもいいわ。でも今は駄目。この王城に滞在した方がいいと思うの」
「……そっか」
ダンスが終わり、エリスたちが端によると、
「お、踊っていただけますか!?」
と令嬢たちが寄ってきた。
「いや、僕の『運命の乙女』はもう決まっているから――」
「知っています」
アシュレイが断ろうとすれば、予想していたように令嬢たちが食い下がる。
上気した頬、そして感情から察するに――好奇心が多そうだ。
エリスはそっと彼に耳打ちした。
「アシュレイ、多分これは運命の乙女がどうとかじゃなくて、普通のダンスの申し込みよ」
「え?」
第一皇子が、令嬢たちの列を捌いていた時とは違う。
「ただの社交よ」
「そうだとしても、僕はエリスさん以外は――」
彼は戸惑っているようだった。
だが、今後の彼のためにも友好関係を広めておくのは望ましいことだろうとエリスは思う。
「踊ってきたら? たくさん令嬢とお知り合いになるべきだわ」
「え!?」
悲しみの感情がぶわりとアシュレイから溢れる。
「やきもちを焼いてくれないの……!?」
「いえ。やきもち以前に、アシュレイのお仕事だと思ってるけれど……本当にダンスが嫌なら無理にとは言わないけれど……」
「お仕事……そうだ、僕は皇子様になるんだった……」
アシュレイはかなり苦しげにそう呟いた後、申し込んできた令嬢一人一人と談笑し、ダンスを始めた。
先程まで不安げだったとは思えないほど完璧なエスコートだ。
令嬢たちも幸せそうにしている。
(さすが……やっぱり教育を受けた皇族なのよね)
令嬢たちにキラキラした視線を向けられて、彼も綺麗に微笑みを返している。
(お似合いね……)
前回の舞踏会のエリスたちも、あんなふうに楽しそうに見えたのだろうか。
――今のエリスでは、あれにはなれない。
複雑なしがらみができてしまった。彼にも不安そうな顔ばかりさせている。
エリスが彼に苦しみしかあげられないのだとしたら。
いっそ『もう彼に会わない』という安全策もあることに気付いて、少しだけ胸がちくりと痛んだ。




