49_どちらが魔法救皇か
アシュレイは語り終わると、ちいさく微笑んだ。
「それでね、兄さんは言うんだ。『お前にもいいところがある』って。どこかって訊いたら優しいところだって言うんだよ」
「……そうよ、優しいわ」
エリスは肯定したが、アシュレイは寂しそうに首をすくめるだけだ。エリスの言葉を信じていないようだった。
「それから兄さん、『俺が魔法救皇でなくて良かった』って本気で言うんだ。『お前は優しいから、魔法救皇に向いてる』って言うんだよ。ひどいよね、大嫌いだって思った」
あまりにも彼がはっきりと『大嫌いだ』と言うので、エリスは驚いた。
そこに嘘は見えなかったが、純粋な嫌悪でもなく、複雑に深い色が混ざり合って見えた。
「アシュレイ……『俺が選ばれなくて良かった』っていうのは、あなたにこそ魔法救皇でいてほしいからであって……自分がやりたくないから選ばれなくて安心したっていう意味ではないわ」
「うん、それはわかってるよ。でも、僕が優しいから人を救うのに向いてるって? 僕程度の優しさなんてみんな持ってるのに。むしろ僕はみんなより性格が悪いよ。みんなが助けに来てほしいのは兄さんみたいな人なのに」
彼はどうしても、第一皇子こそが素晴らしいのだと思い込んでいるようだった。
「それでね、喧嘩していたら、教師の一人が言ったんだ。『第一皇子様のやる気がもし無くなったらこの国の損失です。あなたはあまり関わるべきではない』って」
「なにそれ……」
あまりにもひどい、とエリスは思った。
怒気が表情にこもっていたのだろう、「エリスさんが怒ることじゃないのに」とアシュレイが驚いた顔をする。
「でもね、仕方ないんだ。生まれつき万能な、ずるい僕より、本当に努力で成長する人の方こそ大切にするべきだよ」
「アシュレイだって頑張っているのに? 魔道具のことは自分で勉強しているでしょう? それは授かった能力じゃなくて、自力で頑張っていることでしょう?」
「でも不器用なんだ。応援し甲斐がないと思う。兄さんは見てて本当に気持ちがいいほど、勤勉に成長していくし、少し教わったらすぐ吸収して――みんな、ああいう人が好きなんだ」
「……」
何を言っても、アシュレイの心には響かないようだった。
「ともかく、人間の中では兄さんが一番好かれやすいんだと思う――もちろん、絶対に誰からも好かれるってわけじゃなくて、怖がられたり煙たがられることもあるけど、でもやっぱり立派な人だし、少なくとも皇子とか魔法救皇としてって視点で見たら、あの人こそ向いてるんだ。……エリスさんともお似合いだと思う。僕は身を引かないといけないね」
「アシュレイ……」
「でもね、身を引くの、やめるから」
「え?」
急に弾むような声で言われて、エリスは目を丸くした。
彼は甘ったるく微笑んでみせた。
「どうしても、抑えられそうにないんだ。だから証明してみせて。僕が一番好きだっていうなら、証明して。そうじゃないなら僕は皇子様になる」
「どうやって!?」
そもそも何がどう繋がって『皇子様になる』と結論を得たのかわからないが、ともかく彼は仮面を外してしまったし、民衆に第三の青年の存在はもう隠しきれない。
(まずいんじゃないかしら……)
どうにも、アシュレイにメリットがあるようには思えない。
焦っていると、ふいに民衆がざわめき始めた。
人々の注目している先を見てみれば――追加の兵を引き連れて、第一皇子が来たようだった。
(ああ、そっか……)
もうアシュレイが顔を晒してしまったので、『魔法救皇が活動中は、どちらの皇子も見当たらない』という設定を守らなくていいからだろう。魔法救皇と第一皇子が同時に存在してもいいのだ。
「ね、これで、もう兄さんと結婚する意味は無くなったよね?」
「え?」
思わぬことを急に言われて、一瞬エリスは驚いたが、考えてみれば確かにそうだった。
第一皇子を『魔法救皇』としての囮にするために、『運命の乙女』のエリスと結婚する話が出ていたのだから――
(でも、それってあくまでも可能性というか、案の一つだったし……しかも完全に潰しちゃったら、この先困るんじゃない……?)
「……どうして、困ったような顔をするの?」
エリスの悩む表情を見て、アシュレイが目を見開く。
「やっぱり兄さんが好きなんだ……」
「ち、違う! それは違うけど! この先困るのよ!」
「どうして? ……恋人は僕がいいけど、結婚相手はやっぱり兄さんがいい? ああ、そうだよね、僕よりも兄さんを夫にするほうが何かと安心できそうだもんね……」
「……私そこまで最低に見えるかしら?」
だんだん腹が立ってきた。エリスが睨むと、「そ、そうは思ってないけど……」とアシュレイが気弱な声を出して目を逸らす。
「だって、エリスさんは素晴らしい人だし……僕一人だけじゃもったいないかなって」
「二股が許される素晴らしい人なんていないわよ」
「でも、うちの皇家は、昔は一夫多妻制だったし……」
「ああ……平民とは感覚が違うのね……?」
「いや、僕はそうでもないけど……」
めまいがしそうだったが、アシュレイは本気でエリスには好きな男性が二人いても仕方ないと思っているらしい。
「――アシュレイ」
第一皇子が、こちらを見上げて、まっすぐに彼の名前を呼んだ。
「何をやっている。民を戸惑わせるな」
「……」
アシュレイが返事をしないとわかると、第一皇子は声を張って、民に言った。
「――魔法救皇は俺だ」
(え!?)
エリスは驚愕したし、アシュレイも予想外だったようで、息を呑む音が聞こえた。
(もしかして『魔法救皇は俺だ』作戦をまだやるつもりなの!?)
もう敵には素顔を晒したアシュレイが魔法救皇だとバレているのだが――第一皇子は知るよしもないので、自分が囮になることを続投することに決めたらしい。
(ああ、伝えておければよかったわね……そんな時間もなかったけど……これは一体どうしたらいいの……?)
民衆も彼の言葉に困惑していた。なにせ明らかに優れた魔法を使う青年が――魔法救皇らしきアシュレイが空に浮かんでいるのに、第一皇子まで魔法救皇だと名乗ったのだ。どちらが魔法救皇なのか、民にはわからない。
だがそう長くない沈黙の後に、人々は不安と期待を混ぜ込んだ表情で「ああ、やっぱり第一皇子様が魔法救皇なんだ! よかった!」と叫び出した。波が広がるように、みんなが「そうだよね、やっぱり第一皇子様だよね」と次々に自分たちの心を納得させるように、あえて大きな声で言葉にしているようだった。
――まずい。
思わずアシュレイの横顔を見た。
悲痛なまでに、暗雲が生み出され続けている。
火に油を注ぐようなものだった。
しかも、あの敵も地上からこちらを見上げ、何やらエリスに合図を送ってくる。
“――『落ちろ』と命じろ。今なら落下死でいける。”
頭の中に男の声が響き、ふざけるな、とエリスは思った。




