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私のいとしい最弱の魔法救皇  作者: 猪谷かなめ
第五章:真っ黒な世界
47/69

47_素顔


 エリスは敵の男と共に、魔物の出没している場所に向かった。

 そこで見たのは――仮面をしていない、素顔のアシュレイだった。


(え……?)


 どうして素顔を晒してしまっているのだろう。そしてどうしてこんなにも不安になるほど、空は暗く、雷が落ち続けているのだろう。民衆は誰もが畏怖を抱いて、空に浮かぶ魔法救皇を見上げている。


 ――その姿はあまりにも神々しく、そして恐ろしかった。

 仮面をつけていない顔は、二人の皇子のどちらとも違う。それでも彼が皇族だと誰もが感じることだろう。纏う高貴さ、ひれ伏しそうになるほどの、逸脱した存在感。

 彼が魔法救皇かどうか、疑う者はいないだろう。


 呆然としているエリスの横で、男が「ああ、やはりあの子だ」と呟いた。


「予知で見た顔と同じだ……顔は姫に似た……そう、あの子が孤独に苦しむ姿を、私は見た」


(孤独に苦しむ姿……)


 立ち止まっていると、ふいにエリスの体が浮いた。


「!?」


 アシュレイがこちらに手をかざしているのだ。


 ふわり、とエリスだけアシュレイのもとに飛んでいき、そして、空高く舞い上がったまま、彼のすぐ隣でぴたりと止まった。


「!」


 彼の魔法で浮いているのだと思っても、その高さに身体が強張る。


「ああ、そっか、あんまり高いの怖いんだっけ、ごめんね」

「いえ……」


 あの男から引き離してもらえたのは助かった。


(今、事情を話したら、あの男を気絶させてもらえる? ……ううん、それよりも)


 アシュレイの、いつもと違う様子が気になった。

 彼の感情は静かに凪いでいる。なのに空は暗雲に包まれて不安定で、底知れない闇を感じさせた。


「あの、アシュレイ、どうしたの? どうして仮面を取っているの?」


 そっと訊ねてみると、

「ああ、これかぁ」

 と、彼は自分の頬に手を添える。


「皇子様になろうかなって」

「!?」


 思わぬ言葉に、エリスは目を見開く。

 アシュレイはその顔を見て、悪戯が成功した子どものような顔で「ふふ」と微笑んだ。


「最初から間違ってたんだって気づいたんだ。もう全部いいや。母様の名誉を傷つけるかもしれないことだけは、申し訳なく思うけど、でも、もうどちらの皇子でもない、別の『三人目』がいるってバレてしまった方が楽だなって思ったんだ。誰が僕をどう見ようとも、もういいや。だって僕が欲しいのはエリスさんとの人生だけだから。だから他のことは、もういいんだ」

「アシュレイ……」


 それはどこか投げやりで、でも彼の心からの望みだと思えた。

 彼がちらりと地上に視線を向けると、目が合ったであろう民衆たちはびくりと震えて、大声を上げる。


「魔法救皇様、万歳!」


 そう腹の底から叫んで両手を挙げている。

 ――畏怖だ。

 雷は落ち続け、黒い暗雲に覆われている。出現し続ける魔物を、時折彼が無情に処理している。それを誰も安堵するどころか、恐怖の感情を抱いて、固唾を呑んで見守っている。エリスには民衆の感情がはっきりと見える。

 誰もが、彼に怯えを抱いている。


 それをアシュレイもわかっているのだろう。民衆に言葉だけの喝采を叫ばれても嬉しそうではない。


 彼は自嘲するように笑った。


「怖いだろうね。仮面を取ったらどちらの皇子でもない、知らない顔の人間が、膨大な魔力を扱っているんだもの。誰だこいつ、って思うよね。第一皇子様がよかったよね。……僕、まだ何も怖いことしてないのにな」


(――ああ、これが)


 アシュレイの、魔法救皇としての孤独と苦しみだ。


 あの敵の男が言っていたことのひとつだろう。何をしていなくとも恐れられる、彼が背負わねばならない孤独。


「でもみんな、今までのアシュレイの活動に、感謝しているはずよ」


 十年以上前から、仮面をつけた魔法救皇は、各地で人々を助けてきたはずだ。魔物を討伐し、土砂崩れから人を救い、干ばつに苦しむ村に雨を降らせ、雪山で行方不明になった遭難者を捜し出した。

 彼は、大勢の人を助けてきた。


「……仮面をしてた時はいつもお礼を言われていたよ」

「でしょう?」

「でも、今こうして素顔を晒しても、誰も寄ってこないでしょう? みんな仮面の下の僕になんて興味がないから。むしろ怖がってる」

「それは――ただあなたを知らないからよ。知らない存在は怖いものよ」


 そう告げるエリスに、彼は「そうだよね」と目を細める。


「でも、知ってもらったからって受け入れてもらえるとは限らないよ。よくも幻想を壊したなって、皇子じゃないなんて、って怒る人すらいそうだもの。誰も僕を知ろうとしてくれない。近寄らずに怯えてる。仕方ないよね。みんな自分と家族が一番大切で、その身を守りたいはずだから」


(アシュレイ……)


 それはかつてエリスが叔母の村で思っていたことと同じだった。

 何故、誰もエリスを助けてくれないのか。

 どうして見て見ぬふりをして、誰も手を差し伸べてくれないのか。


 その理由は明確だ。

 みんな、我が身が可愛いから。

 面倒ごとに巻き込まれて、自分と家族が被害を受けるのが怖いからだ。

 ……エリスが、誰にとっても一番じゃないから、誰も近寄ってこないのだ。


「でも私は、アシュレイを一番に選ぶわ」


 まっすぐに彼を見つめる。澄んだ紫色の瞳に、エリスの緊迫した顔が映っていた。


 アシュレイは記憶を失う前、エリスが気持ちを伝えても、「兄さんよりも?」と気にしていた。

 だから、きちんと伝えようと思った。


「みんな、確かにあなたを怖がっているかもしれない。まだあなたのことを知らないし、避けてしまうのも仕方がないわ。でも私は、あなたを一番大切に想っているの。……今は、私だけでは駄目?」


 彼にどうか伝わりますよにと、祈りを込めて、彼に告げた。


「……それは、運命の乙女だから?」

「関係ないわ」


 即答するエリスに、アシュレイは「でも」と自嘲する。


「兄さんの方が好きなんでしょう?」

「……いえ、本当にそれは違うのよ……」


 だが証明できない、と彼は思うのだろう。記憶を失う直前もそのようなことを言っていた。

 実際、今も彼はそう思っているようで、もやもやとまた焦げ付きそうな感情の暗雲を出していた。


「私の心を疑っているなら――そうね、魔法で見てくれる? ほら、感情とか心の中が見えるような魔法もあるんじゃない?」


 エリスに見えるのだから、万能な彼なら余裕で出来るだろう。そう思ったのだが――彼は怯えたような顔になる。


「そんな怖いことできないよ。エリスさんに魔法を掛けて、何かあったら困るもの」

「え、大丈夫なのに」


 エリスは普段から見ているのに、アシュレイからすれば、他人を魔法でいじくるような感覚で怖いのだろうか。

 臆病で不器用で、他人を案じられるアシュレイらしいが、今はそんな配慮は要らなかった。


「あ、それなら、嘘を言ってないって証明する魔道具があったんじゃない? 水晶みたいなやつで、嘘をつくと赤く濁るの」


 第一皇子とエリスが馬車で話した時、アシュレイの敵ではないと証明するのに使った品があったはずだ。


「ああ、最近使ったら老朽化で耐えかねて壊れたって」

「え!」


 エリスたちが使ったせいで壊れたらしい。あれで寿命が来たのだろうか。


(やっぱり二回目の質問、無駄遣いだったじゃないの!)


 エリスが敵かどうか、を確かめるまでは良かったが、何が欲しくて城に来たか、まで追加で訊いたせいで壊れたかもしれない。


「それにね、エリスが嘘を言ってないって証明したって意味がないんだ」

「え?」

「だって、僕のことが好きで、兄さんのことは好きじゃないって思っていたとしても、実際は自覚していないだけで、本当は違う場合もあるでしょう? これは矛盾しないんだ。無自覚の問題だから、嘘をついていることにはならないんだ」

「そ、それは、そうだけど」


 感情が見えるエリスでも、本人に自覚がなければ悪事をしていても罪悪感を抱かない、という問題は身に染みてよくわかっている。自覚がなければ、嘘をついていてもそれは目に見ることができない。


「エリスは、兄さんといて幸せそうな顔をするよ」

「……絶対に気のせいよ」


 エリスはかなり低い声で言っておいた。


「とにかく……ええと、落ち着きましょう? 顔を見せてしまったのは仕方ないけれど……」


 なんとか事態を戻さねば、と思っていると、彼は蠱惑的に微笑んでみせた。


「僕は、もう、今までどおりに生きる気はないよ」

「え?」


 聞き返したエリスに、「もう、やめたんだ」と彼は言う。


「僕は孤独だって気づきたくなかった。だから素性を隠して、人に関わらずに生きてきた。だけどそうやって生きてみても、結局僕は一人になる。だったらもう、隠さないほうがいいよね」


 そして儚げに微笑んだ。


「僕は魔法救皇だよ。兄さんのような人望もなく、敵からも狙われて、誰も僕の名前を知らない。みんなが僕を怖がって、僕は結局一人ぼっちだ。でも、もうそれでいいよ。我慢してたって欲しいものは手に入らないってわかったから」

「アシュレイ……」


 思わず彼の名前を呼んだ。彼は眩しそうに目を細める。


「うん、名前を呼んでくれるのは、エリスさんだけ……エリスだけだよ」

「違うわ。皇子様たちだって、アシュレイのことを大切に思っているもの。……孤独じゃないわ」


 まだ付き合いの短いエリスでも、あの皇子たちがアシュレイのことを案じているのはよくわかった。


「兄さんたちか……そうだね。僕は周りの人に恵まれているのかもしれない。……でも……うん……僕の子どもの時の話を、一つだけしようか。僕が兄さんを、大好きで、大嫌いになった理由。僕が初めて、絶望した時の話」


 強い言葉に、エリスは目を見開いた。

 内緒だよ、と微笑んで、彼は話し始めた。


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