43_誤解再発
アシュレイは近くの部屋に運ばれて、国家魔導士たちがやってきた。
最高位の老齢な魔導士たちだ。
エリスは廊下で待っていた。
数十分が永遠にも感じるような、長い間。
ようやく扉が開かれて、安心させるように、老魔導士たちがエリスに頷く。
「強めに掛けておきましたぞ。滅多なことでは思い出さないでしょう」
「ありがとうございます……」
魔導士たちが帰っていくと、第一皇子に呼ばれて、エリスはその部屋に入った。
ベッドにはアシュレイが眠っている。
(……ごめんねアシュレイ)
無断で彼に魔法をかけることを、薬を飲ませたことを、エリスは決して正当化してはいけない。これはエリスの罪だ。それでも、どうしてもアシュレイに死んでほしくないから――父親に呪歌を歌われ、死を願われていると気付いてほしくないから、エリスはこの罪悪感と共に生きねばならないのだ。
第一皇子も同じことを考えているのだろう。物憂げにアシュレイの寝顔を見下ろしていた。
それから数十分は経った頃だろうか、どたばたと廊下が騒がしくなり、第一皇子が廊下へ出て報告を聞いた。
「どうした?」
「魔物が王都に出没しました。それも、移動してきたとは思えない発生の仕方で」
「……魔神復活の前触れか?」
「わかりません……」
報告を聞き終えると、「すぐに行く」と皇子は返事をし、エリスのもとに戻ってきた。
「俺は少し出てくる」
「……大丈夫ですか?」
「魔物だけならどうにかなるが……魔神は魔法救皇でなければ倒せないな」
アシュレイはまだ眠っている。エリスが睡眠薬を盛ったせいだ。
(どうしよう……)
自分も何かできることはないだろうか、そう慌てて身動きをしたせいで――あるいは、ずっとアシュレイを案じて気を張っていたせいで、ふらりとエリスは転びそうになった。
「あ……!」
アシュレイの上に倒れこみそうになって、まずい、と悲鳴を上げかける。
だが、とっさに第一皇子が腕を掴んでくれたおかげで、エリスはぎりぎり倒れずに済んだ。
「ご、ごめんなさい」
「いや、怪我がないならいい」
それから第一皇子はエリスの肩を抱いたまま、「こちらに」と椅子に座るように促す。
「いえ、大丈夫です」
「だが……」
至近距離でみつめあっていると――
「……やっぱりそうだったんだ」
アシュレイの声がした。
眠っていたはずの彼が上体を起こしたところだった。
「アシュレイ……?」
起きてくれたのね、と言いかけて、エリスは息をのむ。
あまりにも、彼がどす黒い感情を身に纏っていたからだ。
「どうしたの、アシュレイ……?」
エリスの問いに、彼は答えない。
うつむいて、低い声で呟いていた。
「……形だけの結婚って言って進めようとしてるけど、本当は裏で想いあっているんでしょう?」
「?」
何の話だろう、とエリスは目を瞬かせた。
第一皇子は「何か勘違いをしていないか?」と怪訝そうにする。
「今は、転びそうになったエリス嬢を支えていただけだ」
(あ、そういうこと!?)
また嫉妬というやつだろうか、と思い、慌ててエリスも「浮気じゃないわよ!?」と言っておく。
先ほどエリスとアシュレイがキスをしたことも――初心者のエリスがだいぶ食べられそうだと思うほどに結構なキスをしたことさえ、アシュレイはすっかり忘れているようだ。忘却魔法が効いている証拠だろう。
「……やきもちを焼いているの? アシュレイ。私はあなただけが好きなのに」
そう言って顔を近づけると、照れと焦りの感情が飛び出た。「え、近……え!? 好きって!?」と慌てているが――しかし、もやもやとした感情も変わらずに出ている。気がつけばどんどんと暗雲は増している。
(あれ? やきもちじゃなかったのかしら……)
嫉妬なら、きちんと誤解を解けば大丈夫だと思ったのに、アシュレイはまだ感情を燻ぶらせている。
「……ところで僕はどうして寝ていたの?」
「え?」
ふいに訊かれてエリスがうまく言えずにいると、「体調不良だ」と第一皇子が平然と嘘を言った。
「起きたばかりで悪いが、アシュレイ、魔物が出た。魔神の前触れかもしれない規模だ」
「……わかりました」
アシュレイは暗い顔になり、寝台から足を下ろして、靴を履く。
そして、
「…………行ってくるね」
と、エリスを一度だけ見て、仮面をどこからともなく取り出して顔に着けると、一瞬で消えた。
残されたエリスは、思わず第一皇子の顔を見る。
「あの、なんだか……なんだか、ちょっと思い詰めているというか、どんよりと暗いというか……」
「そうだな」
好きとまで言ったのに誤解が解けなかったとは思えないのだが――もしや、エリスが第一皇子の近くにいるというだけで、あれほど嫉妬をしてしまうのだろうか。
それとも寝起きはいつもああなのだろうか。森で泊まっていった時も、あれほど声の低い感じにはなっていなかったのだが。
「……体調が悪いのかしら……睡眠薬や忘却魔法のせい?」
「……」
第一皇子は、何かを悩むような顔をしていた。
◇◇◇
一方、その頃、第二皇子は『魔法救皇』の出番だろうと予想して、一人で空き部屋に隠れていた。魔法救皇の素性を隠す計画はまだ継続中なので、『魔法救皇の活動中は、皇子がどちらも見当たらない』を守るためには、誰かと一緒にいてはいけないのだ。
(とはいえ、あいつ、まだ寝てるんだっけ)
いつ頃になるだろうか、と思っていると、ふいに音もなく仮面のアシュレイが現れた。「わっ」と声が出そうになるのを必死に抑える。
「ちょ、うわ、連絡してよ。……起きたんだ?」
「……」
第二皇子は、自分の耳飾りを指差しながら「ほら、これで言ってから現れてよ」と苦笑した。第一皇子、第二皇子、アシュレイが緊急時に連絡を取り合うための魔道具だ。
「ここなら誰も来ませんね」
「うん、だからもう行っていいよ。隠れておくから」
「でも、まあ、一応……僕の城で待っていてください」
舞踏会の時のように両皇子の居場所に困る場合は、一旦アシュレイが持つ古城に皇子たちを転移魔法で移動させていた。
本来ならば、先ほど第一皇子も移動させるべきだったが――
アシュレイの心はそれどころではなかった。それに、第一皇子はまだ兵に指示などを出しておきたいだろう。回収はぎりぎりでいい。
第二皇子を古城に移動させた。ここはかつて亡き母とアシュレイが隠されていた場所で、数少ない事情を知る老齢の使用人たちはもう引退したので誰もいない。
「じゃあ、終わったらまた連絡して迎えに来るので……」
「うん。……いや、待て、お前、顔色見せろ」
第二皇子なアシュレイの仮面を少しだけずらして覗き込んだ。
「なんか青白いけど、大丈夫か?」
「……起きたばかりなので」
すぐに行こうとするアシュレイを、「いや、大丈夫じゃないでしょ」と第二皇子は止めた。
「なんか今にも倒れそうじゃん……具合悪いか?」
顔を覗きこまれて、アシュレイは目を逸らす。
そして、ひとりごとのようにつぶやいた。
「ねえ、エリスさんが幸せそうな顔を兄さんに向けていて……兄さんとの結婚の話をしたときに、すごくうれしそうな顔をしていて……あれって夢じゃなくて現実ですか……?」
「ん?」
「頭がぼんやりしてて、記憶が曖昧で……」
記憶が曖昧で、と言われて、第二皇子はどきりとした。
アシュレイの記憶は、昨日の途中から封じられているのだ。
「あー、ええと、あれか。形だけの結婚をどう思うかって訊かれてたやつ?」
「うん」
彼女は最初不安そうにしていたが、「あなたと俺の結婚」と言われた時、それはもう幸せそうな顔をしていたのだ。
「いやー、俺もびっくりしたね。エリス嬢、わかりやすく喜んでいたからね」
「……やっぱり夢じゃないんだ」
彼女は幸せそうだった。
心からの歓喜だと誰からもわかるくらいに、笑みを浮かべていた。
――第二皇子は、「あれはおそらくアシュレイが他人と結婚するのではなく、自分がする、と知ったことへの安堵だろう」と言おうとして――
「エリスさん、やっぱり兄さんのことが好きなのかな」
「え!?」
予想外の発言に、言いかけていた内容が引っ込んだ。
そのあとお前とハグしてたじゃん、と言いかけて、いや、まずいのか、と口を閉じる。
何かを忘れていると自覚させてはいけない。
誤解しているアシュレイに、あの後しっかり抱擁し、お互いの気持ちを確かめあってたぞ、と言ってやりたいが――
(絶対、そんなこと聞いたら、芋づる式で思い出しちゃうよなぁ)
だから言わないでおくことにした。
たとえ、想定よりも多めに記憶を削られたせいで、可哀想なことになっていたとしても。
「……でも、ほら、本当に好きなのはお前だよ。そこはちゃんとわかってるだろ? そもそも運命の相手なんだから、何も心配いらないじゃん?」
「でも……でも」
アシュレイは納得がいっていないようだったが、やがて暗い顔で、
「運命の相手……うん、最後にはきっと一緒にいられる……たとえ、エリスさんの気持ちが他にも向いていたって、最後には取り戻せればいいよね……?」
と呟いていた。
「ん? ああ、うん、何も心配いらないって」
ハグが無かったことになるのは可哀想だが、支障などないだろうと第二皇子も思っていた。
なにせ運命の相手同士なのだから、と。
だから、思い至らなかった。
アシュレイの記憶は抱擁したところまで残す予定だったが、大魔導士たちが本気で「念のために」と強めに忘却魔法を掛けたせいで――そしてエリスが飲ませた導入剤が効きすぎていたせいで――予定よりも削られすぎていたことを。抱擁の記憶が消えていることを。
彼女が心から嬉しそうに、第一皇子との結婚の話に微笑んでいた記憶までで止まっていることの重大さを。
この時点では、誰も気づいていなかった。
アシュレイはそのまま『仮面の魔法救皇』として魔物討伐に向かった。




