41_罠にかける②
「何があった?」
アシュレイによって連絡を受けた第一皇子は、すぐにエリスの部屋を訪ねてきた。
皇子が直接訪ねてくる事態に、廊下にいた侍女や使用人たちは、「朝から皇子が会いに来た」だの「ご寵愛だの」と騒いでいるが、エリスたちはそれどころではなかった。
きっと伝達の往復の時間が惜しいから、エリスを呼び出すのではなく、そのまま自分から来たのだろう。
エリスが緊急で話したいことなど、アシュレイのこと以外に無いと、この人なら当然わかっただろうから。
皇子はアシュレイを隣室で待機させ、エリスの部屋に入ると、二人きりになるなり問いかけてきた。
「呪歌のことだな?」
「はい。申し訳ございません……」
エリスは先ほどのアシュレイが言っていた内容をすべて話した。
みるみるうちに、皇子の顔色が悪くなっていく。
「そう来たか……」
「私のせいです。私が軽率に、死者についてアシュレイが考えるようなことを話してしまったから」
「いや、起きたことを悔いても仕方がない。『万能』な者相手に、過去をごまかしきること自体、困難だった。すぐ知らせてくれて助かった。俺をすぐに呼んだのは適切な判断だ」
扉越しに廊下が騒がしくなる音が聞こえて、「弟だな。俺が呼んだ」と第一皇子が扉に向かう。
彼が扉を開けて招き入れると、第二皇子が「何があったの!?」と部屋に入ってきた。
髪の毛には寝ぐせがあり、いかにも大慌てで来た、という様子だった。
扉を閉めて、第一皇子が言う。
「記憶を封じ直さなければならない」
「ああー……」
簡潔な説明に、第二皇子がちいさく嘆く。
「ええと、どこからの記憶を封じるの?」
第二皇子に視線を向けられて、「宝物庫です」とエリスは答えた。
「宝物庫で、私が両親の話をしたのがきっかけですから。……お二人が退室した後からを消せばいいかと」
エリスの言葉に、第二皇子は「あー……」と悩ましげになる。
「宝物庫の途中から記憶を消したら、アシュレイにとっては違和感があるんじゃない?」
「え?」
「俺達がいなくなった後に何を話したんだっけ、とか、エリス嬢が何を願ったのかとか、ちょっと思い出そうとするだけで忘却魔法は解けちゃうよ。魔法救皇からすれば国家魔導士のトップの魔法だって全員格下の魔法なんだから。無意識に跳ね返すよ」
「あ……」
「わかっている」
第二皇子の指摘に、第一皇子は重苦しい声で言った。
「……じゃあ、ええと、宝物庫に行っていないことにする、とかですか」
「そうだな。『エリス嬢に宝物庫を見せる』という件は後日済ませたことにしよう」
それなら安心だ、と三人で頷きあった。
「じゃあさ、宝物庫の直前っていうと……形だけの結婚の話をして、で、そのあと二人が抱きしめあってたところまで?」
第二皇子の言葉に、エリスは、かあっと頬が熱くなった。アシュレイと抱き合っていたのだ。しかも皇子たちの前で。
(いま考えると、恥ずかしいことだわ……!)
だが皇子たちは気にしていないようで、むしろ第一皇子は、「目印として、わかりやすくていい」と神妙な顔で頷いている。
「まあ、あんな幸せそうなハグの記憶、削ったら可哀想だもんね」
と第二皇子も苦笑している。
「では、そのあたりにするか。宝物庫に移動する話が出る直前、抱擁までを区切りとして、それ以降すべての記憶に忘却魔法をかける。――今朝、あなたがアシュレイと話していたことさえ無かったことになる。それで構わないか?」
エリスはすぐに「はい」と頷いた。
「永遠に失われるわけではない。敵の呪歌の危険性さえなくなれば、あとで本人に思い出させればいい」
「……なるほど、そうですね」
宝物庫での会話も――そのあとに黒猫と寝ようと我儘で困らせた記憶も――すべてが片付いたあとならば、取り戻せるのだ。
(ごめんね、アシュレイ)
心の中で謝った。
そして方針が決まると、第二皇子は「最高位魔導士たちに声をかけてくる」と準備のために部屋を出て行った。
エリスは第一皇子とまた二人きりになる。
「忘却魔法のために、あなたにも協力してもらいたいことがある。……あなたでなければ、できないことだ」
その深刻そうな言葉にどきりとする。
エリスが魔法で力になれることなどあるのだろうか。
そう気になったが、「何でもします。言ってください」とすぐに頷いた。
第一皇子は、まっすぐにエリスを見据える。
「薬をアシュレイに飲ませてほしい」
「……薬?」
何の薬だろう、と首を傾げるエリスに、第一皇子は感情を押し殺したような声で説明する。
「五歳の時は説得して魔法を受けさせたが、今回はどう出るかわからない。……ゆえに、睡眠薬と忘却魔法の導入に必要な補助薬を飲み物に混ぜるから、気づかれないように飲ませてくれ」
「……! それは……」
薬を、アシュレイに盛ると言っているのだ。
「それって……アシュレイに説明をしないってことですか?」
呪歌のことをアシュレイに言えないのはわかっていたが、睡眠薬すら本人に無断で飲ませようと言っているのだ。
動揺するエリスに、「その方が確実だ」と皇子はいう。
「万が一、アシュレイが眠気で異変に気付き、魔法で抵抗しようとした場合、あなたが『何も心配せずに眠って』と言うんだ。……運命の乙女の言葉なら、必ず従う」
「…………」
抵抗を封じろ、と言っているのだ。
「そんなこと――」
「できないか?」
赤い瞳が、まっすぐにエリスを射抜く。
「……アシュレイの意思は?」
見つめ返したエリスの言葉は、静かな部屋にぽつりと居心地悪く残る。
だが、皇子は目を逸らさなかった。
「俺は、家族の命が懸かった場面で、失敗する可能性を一つたりとも残したくない。目的さえ果たせるのなら、本人の意思すら無視して進める。アシュレイの自覚がない方が望ましい。もしも『これから記憶を消す』と言われて無意識にでも抵抗してしまえば――わずかにでも抗えば、格下の魔導士たちの魔法は弾かれてしまう。一度失敗すれば、ますます魔法にかかりにくくなるだろう。だが眠らせておけば、その間に終わらせることができる。薬の効きが悪くとも、『何も心配せずに眠って』とあなたが言えば、本当に何ひとつ心配せずに眠るはずだ。俺はそれが欲しい。その道筋でなければ駄目なんだ」
「……」
エリスは反論できなかった。
「罠にかけるような真似だと思っているだろう」
「……はい」
エリスの浮かない顔から、皇子は読み取る。
「アシュレイ本人に同意を取り、協力してもらうべきだと?」
「はい……ちゃんと説明をして、わかってもらってから――」
「その同意のやりとりすら、アシュレイは忘れるのに?」
「!」
どうしてそんなひどいことを言うんだ、と目を見開いて――だが、彼も、苦しげな表情をしていた。
この人だって本当なら罠にかけるような真似をしたいわけではない。
それに、事前に話してしまうことで、アシュレイが無意識に防御魔法に抵抗感を持ってしまうリスクは、エリスにだってわかっている。
実際、エリスが両親の話をしてしまったことで、彼は亡き母の遺した日記から両親の記憶を読み取って、不吉な呪歌に辿り着いてしまった。本当に『万能』だ。何が綻びになるかわからない。
「……ここで言い争っている時間もない。これは命令とする。俺からの命令だ。アシュレイに薬を飲ませ、必ず眠らせろ」
そうしてエリスは、アシュレイに盛るための薬瓶を渡された。
隣室にいたアシュレイを呼び戻し、「待たせてごめんね、アシュレイ」とエリスは謝る。
アシュレイはどこかふてくされた顔だった。部屋に二人きりだったエリスと第一皇子を見比べると、エリスと一緒にソファーに座った。
感情の視えるエリスには、彼からしきりに、もやっ、もやっ、と溢れ続ける暗雲が、放っておかれたことへの悪感情だというのがわかった。
(そ、そうよね、朝から会いに来てくれたのに、理由も言わずにほったらかしで待たせていたら怒るわよね……)
さすがのアシュレイでも、「どういうこと!?」と思っているだろう。
「ご、ごめんね、アシュレイ。……紅茶よ、よかったら飲んで」
アシュレイがこの部屋に入る前に侍女に淹れてもらった紅茶には、睡眠薬を仕込んである。声が震えそうになるのを抑えて、エリスは彼に、その紅茶を勧めた。
(毒じゃないから……これは毒じゃないから)
罪悪感で押しつぶされそうになりながら、アシュレイの反応を待っていると――彼はじっと紅茶の赤い水面を見た後に、ふいっと顔を逸らしてこう言った。
「ううん、喉は乾いてないから、いらないよ」
「……え?」
「それよりも、中庭に行かない? 城の前庭でもいいよ。綺麗な花が咲いているんだ。二人で遊びに行こう?」
彼からは、子どものような無邪気さと――黒く焼け付くような感情が見えていた。




