39_死者の鏡
アシュレイは目を丸くしていた。
「……両親の顔を見たいの?」
「それもあるけれど……」
完全な嘘ではない。死者の鏡について聞いた時には思い付いていた。エリスも両親と話せるのではないか、と。
「死者と話せる魔道具か……」
アシュレイは悩んでいた。
やがて――静かに言った。
「無いよ」
「無い!?」
予想外の言葉に、ぎょっとする。
エリスの驚いた声に、アシュレイもまたびっくりしたように目を瞬かせた。
「う、うん、ショックだと思うけど、死者と話すことはできないよ……幽霊は別だけど」
なぜか気まずそうにアシュレイが言った。
「幽霊はいるの……?」
「あ、正確には、残滓かな……死ぬ前にこの世に残した魔力の欠片があれば、僕たちに見える場合もあるんだけど……完全に死者の国に行ってしまった人とは、もう話せないよ」
悲しそうに、そしてエリスを慰めようと、痛ましげに目を細めて彼が言う。
両親に会えないエリスを傷つけまいとしてくれているのだろうが――感傷に浸るよりも、エリスは別の理由で動揺していた。
「で、でも、あの、無いなんてはずはないんだけれど……おじいちゃんたちが言っていたもの……」
あの二人は嘘はついていない。感情が視えるエリスにはそれがわかる。
「『おじいちゃんたち』……?」
「そうなの、あの森の、ロズじいちゃんとマルスじいちゃんが言っていたのよ。村に伝わる『死者の鏡』があって、それを使えば、死者と話せるって」
アシュレイは思案するような顔になる。
「……ああ、あれってミラルス村の話だったんだ――たしか、記録で読んだような気がするよ。民間から『死者と話せる鏡』とされるものを、五十年前くらいに買い取ったって。今は北支部に置いてるんだったかな……」
(……“買い取って”……)
残念ながら、老爺たちの証言によれば、買い取ったのではなく村から貸したまま返してもらえていないのだが、国としてそう記録したのだから、当時生まれてもないアシュレイが、記録を読んだまま疑ってもいないのは仕方のないことだ。
(というか、『死者と話せる鏡とされるもの』って言った?)
その言い方ではまるで、事実とは異なるようではないか。
アシュレイは、記録を思い出すかのように、ゆっくりと教えてくれる。
「たしか、裁判で使いたくて買い取ったんだったかな」
「裁判……?」
「うん。殺されちゃった人に話を聞ければ、誰が犯人か、どんな理由で揉めたのかってわかるでしょう?」
「そうね……」
それならば殺された人も浮かばれるだろう。
そう思ったのだが――
「でもね、その鏡が必要とする魔力は膨大で、しかも五十年前だとちょうど『不在期間』だから、実際使うには相当時間がかかって……」
「……不在期間?」
「ああ、先代の魔法救皇は若くして亡くなったから、五十年前には、もういなかったんだ」
「……」
先代の魔法救皇が若くして亡くなっている――その事実に身が凍った。アシュレイは大丈夫なのだろうか、と怖くなると、「あ、魔神退治とは全然関係ないから、僕は大丈夫だよ!」と慌てて教えてくれた。
「で、そんなわけだから、魔力を込められる人がいなくて……それでも国家魔導士たちが総動員で毎日魔力を込めて、ようやく一年に一回くらいなら使えるかなってなったんだけど……」
アシュレイがそっと目を逸らす。
「……今は使われていないの?」
「うん……」
「……もしかして、もう壊れてるの?」
「それもあるけれど……老朽化で……作られたのは大昔だろうから……」
「……そうなのね……」
でも、とアシュレイが言う。
「たとえ壊れてなくても駄目なんだ。さっき言ったように、死者とは本当には話せないからね……この世に残っているのは残滓か、生きている人の思考。……つまり、その場に残ったものを読み取るか、その鏡の前に立った人の『理想』を読み取って描かれるんだ」
「……」
「だから、本物じゃないんだ」
悲しそうに、アシュレイが言った。
「だから誰も会ったことのない死者を呼び出すことはできないし、本物じゃないから、裁判でもその主張は証拠として扱えない」
「そうなのね……」
本物には会えない。
その言葉は重苦しくのしかかった。
きっと、老爺たちも詳しくは知らなかったのだろう。なにせ五十年前なら彼らも若者だ。
家族と話せると信じてきたのだろう。
(でも、顔を見るだけなら……)
流行り病で、息子夫婦と孫を亡くしたロズじいさん。
妻を亡くしたマルスじいさん。
最愛の人を、もう一度見ることができたのなら。記憶の再現だとしても、微笑み合って、昔を懐かしんで、「助けてやれなくてすまなかった」と、ずっと言いたかったことを伝えて、涙を流せるなら――
それさえ、叶えられるのなら。
ぎゅっと熱くなった胸を手で押さえる。
「エリスさん?」
歯を食いしばっているエリスを、泣いていると思ったのか、アシュレイが慌て出した。
「な、泣かないで」
「……ごめんなさい、大丈夫、泣いてないわ」
「ご両親に会いたい……?」
「……いえ」
自分のことは、あまり気にならなかった。
五歳で両親を流行り病で亡くした。顔も声もほとんど覚えていない。
子どもの頃は、忘れないようと何度も思い返してきたけれど――この頭の中の曖昧な記憶が、本当にその顔が、声が、合っているかはわからない。
(私みたいに、ぼんやりとした記憶しかなくて、遺品も叔母に捨てられちゃったような人間が、その鏡の前に立ったらどうなるのかしら)
それでも、描き出された両親は、エリスに微笑みかけてくれるのだろうか。
どこかで期待してしまう。
愛していたよ、と言ってもらえることを。
老爺たちの願いのついででもいいから、『本物』だと信じて、その愛を受けられたならきっと幸せだっただろう。
(……でも、やっぱり)
自分ことよりも、老爺たちが幸せになる顔が見たかった。
今、生きている、大切な人。
エリスを助けて、愛をくれた人たち。
「……本物の死者に会えなくてもいいの」
「え……?」
「おじいちゃんたちに、使わせてあげたいの。家族の顔が、一目でも見られたら喜ぶだろうから――私、それが欲しいわ」
アシュレイをまっすぐに見つめると、彼は息をのみ、エリスの決意を受け取ったように、
「わかった」
と頷いた。
「そっか、あの二人のためだったんだね。……頑張って直すね。なるべく早く。五年以内……いや、三年以内には、なんとか魔術回路を解明して……回路さえ理解できれば、なんとか……」
「あ、そっか……老朽化で壊れたってさっき言ってたっけ……」
「うん、壊れてて、北支部で保管されてる」
失念していた。
(こ、壊れているんじゃ、意味ないわ……)
呆然としてしまったエリスを見ながら、アシュレイが「な、なるべく早く直せるように頑張るから……!」と言ってくれる。
「ありがとう……おじいちゃんたちに、一目会わせてあげれたら、うれしいわ」
「うん、頑張るよ。……鏡魔法なら、おじいさんたちや、ミラルス村の人たちに話を聞けるかな? 書物とか残ってるかな?」
「聞いてみるわ」
また近いうちに会いに行かないと、とアシュレイは意気込んでいた。
その後、宝物庫をあてどなく眺めて、アシュレイに解説してもらいながら、観光のような気分を味わい、夕食前には宝物庫を施錠した。
エリスは城に部屋が用意されているらしい。
アシュレイが侍女を手配してくれて――彼の魔法のおかげで、アシュレイは城の使用人に見えているらしい――エリスはその侍女と一緒に歩いていけばいいらしい。
「じゃあ、僕はここで」
「……今日はありがとう」
何から何まで感謝している。老爺二人の念願に、ようやく手が届きそうだ。
(それはそれとして――)
「私、もう屋敷に帰ってはだめ?」
「え? あ……うーん……」
もう宝物庫を何日もかけて物色する必要もないので、エリスは城に用事はないのだが。
「兄さんが、たぶん、エリスさんに用があると思う……」
アシュレイがあまりうれしくなさそうに言った。
「ああ、今後について?」
「うん……でも、エリスさん、もう帰ってもいいと思うよ。なんか、ほら、このままいると、よからぬことになりそうだし……」
よからぬこと、というのは結婚のことだろうか。
(私は別にいいんだけど……)
全ての国民からエリスと第一皇子が結婚したと思われようが、実際はエリスとアシュレイは相思相愛なのだから、それで別にいいじゃないか、とそう考えたところで――
(あれ? 相思相愛でいいのよね!?)
両想いかどうか、まだ確かめていない。
しかし、今は侍女を待たせている。ここで生涯の思い出になりそうな話し合いをしている場合ではないし、なにより城の中は落ち着かない。
「あの、アシュレイ。……心細いから部屋までついてきてくれない?」
「え」
アシュレイから羞恥が飛び出した。
「寝室までついていくのはまずいような……ああでもいざというときに備えてもう一回室内の安全もこの目で確認しておきたいような……」
すでに一回見てきているらしい。
アシュレイはしばらく悩んでいたが、エリスが本当に心細そうにしているのがわかって、ついてきてくれた。認識阻害の魔法を強めて、侍女にはエリス一人に見えるようになっているらしい。便利だなと感激した。
「これならアシュレイが私の部屋に泊まっても他の人にバレないってことよね」
「!?」
侍女の案内が終わり、部屋に二人きりになってから呟くと、アシュレイが飛び上がりかねないほど動揺していた。
「エ、エリスさん!? エリスさん!? それは駄目だよ!?」
「駄目かしら」
伯爵令嬢が魔導士を泊めていたらまずいことだが、誰にもバレないなら問題ない。エリスはそう思ったのだが――
「駄目です! 僕はもう帰ります!」
慌てて部屋を出ていこうとしてしまった。
「あ、待って」
びたりと彼が止まる。急に止まりすぎて、つんのめりそうになっていた。
(あ……!)
その不自然な動きに、しまった、と慌てて気づく。
今、命令にも聞こえる言い方をしてしまった。
これは強制力を使ってしまったのだろうか。
「ご、ごめんなさい。無理に止まらなくていいわ」
「あ、いや、僕もごめん……このくらい大丈夫……ええと、じゃあまだ部屋を出ないけど、距離を取るね……寝室は……寝室はだめだと思うから……」
彼は扉にぴたりと背中を張り付けている。
早く彼を帰らせてあげるべきだろうか。
(あんまり話はできそうにないわね……)
残念だが、彼もエリスが城にいると落ち着かないのだろう。ゆっくり話すなら、また森にでも遊びに行った時にするべきだろう。
エリスはそっと、今日自分が泊まる部屋を振り返る。伯爵邸よりもさらに広い。しかも城で一人きりとなると、やはり心細い。
なんとなく、やわらかいものでも抱きしめていたい気分だ。
「……黒猫とか、来てくれないかしら」
ぽつりと呟くと、ぎくっという音が似合いそうなほど、アシュレイから気まずそうな感情が飛び出した。
「ね、猫は来ないと思うなぁ」
そう言って、首をぎりぎりまでエリスから逸らしている。
「来ないかしら……屋敷の中庭に来ていてね、可愛かったのよ」
エリスもついつい、探るように言ってしまう。先ほどの呟きはわざとではなかったのだが――ちょっと、どこまで彼がとぼけるか見てみたくなった。
「う、うーん……お城の寝室にはちょっと来ないんじゃないかな……庭とかならわかるけど……あっ、でも夜に庭に出たらだめだよ。危ないからね」
「寝室には……?」
「寝室は、ちょっと、来ないんじゃないかな……」
少しねばってみたが、駄目らしい。
アシュレイから羞恥と罪悪感がぶわっ、ぶわっ、と溢れ続けている。
どうやら寝室というのがだめらしい。もしも黒猫の姿で現れたら、エリスが夜通し、その『黒猫』を抱いて寝ることまで彼も想像できたのだろう。それがどうにも駄目らしい。
(アシュレイが嫌だっていうなら無理には言わないけれど……)
でも、見ている限り、なんとなく満更でもなさそうだ。断る理由はエリスへの紳士的な配慮だろう。
「だめ?」
「だ、だめです……」
アシュレイはエリスが黒猫の正体に気づいているとは知らないだろうに、「夜に庭に出るのは危ないからね!?」と同じように、「寝室には誰も入れちゃだめだからね!? 猫でもだよ!?」と真面目な顔で言ってくる。
「寂しいわ……」
「うっ……」
エリスが屋敷にいて敵に狙われた以上、屋敷で黒猫を可愛がっている姿を見られたらアシュレイだとバレかねないと思って、もう屋敷に来ないでと黒猫に言ってしまったが――城の部屋の中なら誰にも見られない。そう思って、つい欲が出た。
寂しそうに落ち込んでいるエリスの顔に焦ったのか、「なにか、ぬいぐるみとか差し入れしようか!?」と言ってくる。
「生きてる黒猫は……?」
「ど、どうしても必要なら探してこようか……寂しくないように二匹か三匹くらい……猫でも兎でも」
「ううん。お屋敷に来ていた子がいいの。他の猫じゃだめなの」
「そ、それはちょっと無理かな……ごめんね」
もう一回ねばってみたが、やはり紳士すぎて駄目だった。




