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私のいとしい最弱の魔法救皇  作者: 猪谷かなめ
第三章:呪いと黒猫とデート
35/69

35_困惑の男子会



「兄さん、エリスさんは兄さんとのデートだと勘違いしていましたよ!」


 翌日、三人の皇子――正式には一人は皇子ではないが――第一皇子と第二皇子、そしてアシュレイが城のとある貴賓室に集まっていた。

 アシュレイが盗聴防止魔法をかけた部屋で、扉は固く閉じられ、三人以外は誰もいない。


 第一皇子は「まぁ座れ」と正面のソファーにアシュレイを促した。


 いつでも姿勢の良い長兄と違い、気だるげな第二皇子は離れた別のソファーでうつ伏せで寝そべり、二人の会話を聞いている。


 アシュレイが正面に座ると、第一皇子は言った。


「昨日はなかなか騒がしいデートになったようだな。昼間から花火とは……短時間で楽しめたのか?」

「うっ、それは申し訳なく思っております……問題を起こすなと言われていたのに……」

「別に責めてはいない。お前の安全上、目立つのは良くないが――……で、エリス嬢と俺がどうした?」


 威圧感のある第一皇子から問われて、アシュレイは目を逸らしながら、「エリスさんが……兄さんとのデートだと勘違いしてましたよ……」と、もう一度小声で文句を言った。


「ああ、魔法救皇は俺だという主張は崩していないからな。だが、そもそも彼女は、魔法救皇がお前だと見抜いているぞ。なぜそんなに不安そうな顔をする?」

「そ、それはなんとなく俺も、舞踏会の後からバレたかなって思ってました。でも『本物』がデートに来るかは彼女にはわからないんですよ! 表向きには兄さんが魔法救皇として振る舞ってるなら兄さんのほうが来ると思っちゃうんですよ!」

「そうか?」


 怪訝そうな顔を返されて、そうですよ、とアシュレイは神妙な顔を作って頷いてみせた。

 ――デート中、彼女が照れたり嬉しそうにするたび、これが第一皇子に向けられたものだと思うと、もやもやと心に黒いものが渦巻いていた。


 途中からは彼女とのデートに夢中になりすぎて嫉妬の炎を黒く燃やすことすら忘れたが――。


「彼女の誤解を()きたいんです。俺が魔法救皇だって名乗ったら駄目ですか?」

「魔法救皇の正体については、彼女はわかっていると今言っただろう。名乗ることには意味がない」

「あ、そっか。いや、でも、兄さんが魔法救皇だって主張し続けている間は、仮面をつけた男が、俺か兄さんなのかはエリスさんにはわからないし、今回みたいに事前に兄さんが『デートをするぞ』って誘ったら当然兄さんが相手だと思うだろうし……!」

「……いや、実際に接していれば、仮面で顔を隠していても中身には気づくだろう。俺とお前はあきらかに違う。俺とデートしているなどとエリス嬢が勘違いした可能性は万に一つもない」

「え、そうかな……いやでもエリスさんは人の言葉を疑わなさそうだし、会って一秒で仮面の中身に気づくはずもないから最初の方のきらきらした照れ顔は絶対に兄さんに向けたもので――うああ」

「……」


 (らち)のあかない問答を放置して、「そもそも」と第一皇子は言った。


「お前の敵がどこに潜んでいるかわからない以上、お前が名乗ることには慎重になるべきだ。どこから漏れるかわからないからな。たとえエリス嬢と二人きりの時でも、まだ自分が魔法救皇だとは名乗るな。陛下の願いでもある」

「……『俺の敵』?」


 アシュレイが「そんなものいますか?」と聞き返すと、珍しく第一皇子がはっとしたような顔になり、わずかに沈黙する。


「…………いや、言い間違えた。皇族の敵だ。隙あらば魔法救皇を利用したい者、この国ごと失墜させたい者はいくらでもいるからな」

「ああ……なるほど? でも――」


 さらに食い下がろうとしたアシュレイの言葉を邪魔するように、離れたソファーに寝そべる第二皇子が顔を上げて、やる気がなさそうにアシュレイに訊ねた。


「で、結局、その子が運命の乙女だって確信はできたわけ? そのためのデートでもあったんでしょ?」


 その質問にはアシュレイはぱっと嬉しそうな顔をする。


「はい、エリスさんは俺の運命の人です! 絶対! 間違いありません!」


 その眩しいほどの無邪気な笑顔を直視して、第二皇子は思わず目を眇めてしまった。


「いや、証拠というか、お前の主観じゃないやつで、確かめたりはしたのかってこと……ほら、強制力とかいうのがあるんでしょ?」

「ああ、それ、エリスさんにも昨日言われたので、考えてはみたんですけど……強制力、あるにはあると思います」

「え、あるんだ……」


 第二皇子が少し怖がるような顔でアシュレイを見つめる。


「はい、今思い返すと、初めて会った時から、少し引力みたいなものを感じています」

「……へぇ?」

「でもエリスさんが俺に強く何かをさせようと思ってないから――俺が嫌がるようなことを本気では命じられない人だから、何か無意識に頼み事をしている時でも、俺が(あらが)える余地を残してくれている人だから――だから、俺に本気で絶対に何かを完遂させたいと彼女が望まない限り、俺は抗えてしまうんです。だから強制力を証明するのは、現時点では無理だと思います」

「ええー……?」


 第二皇子は不満げな声を出した。


「でも感覚は本当にありますよ。いつでもエリスさんの言いなりになれそうっていうか……むしろ、言いなりになってみたいっていうか……」

「……怖……」


 第二皇子は身震いをして自分の両肩を抱きしめた。とろけそうな顔のアシュレイからそっと目を逸らして、「俺は何も見てないし聞いてない……」と呟いている。 


「だから、兄さん……舞踏会でエリスさんにやたら突っかかってましたけど……もう彼女が本物かどうか、確かめる必要はありません」


 アシュレイはそう言って第一皇子の方を見た。第一皇子は、舞踏会でエリスに対して審問をするような、随分と威圧的な態度を取っていた。


「……そうだな。俺も、今は疑っていない。あれが当代の運命の乙女なら……望ましい人物だ。少なくとも、警戒していたような先代の過激さとは違う。……俺への命令には恐ろしいものがあったが、想定よりも常識的で望ましい人物だ。安心している」

「望ましい……」


 彼女が褒められるのは嬉しいことのはずだが、彼が言うと、アシュレイの心はなんだかもやもやとした。


「あの……彼女が魔法救皇や国に害を為すような人物ではないとわかっていただけたなら、もう守っていただかなくても結構です」

「うん?」

「今まで、兄さんに(おとり)のような真似をしてもらっていましたが、もう舞踏会なども不要ですし……つまり、もう兄さんに魔法救皇のふりをしていただく必要はないかと」


 アシュレイの言葉に、「ふむ」と第一皇子は思案するような顔になる。


「舞踏会はともかく、魔法救皇はまだお前だと特定させるわけにはいなかい。すべての者の注目を俺に集め、敵を討つ」

「…………でも、敵なんていないというか、多少どこかの貴族が利権目当てに動いたとしても、俺の魔力や皇室の権力でどうにかなるというか」


 アシュレイの言葉に、皇子二人の視線が一瞬だけ交わる。――言うなよ、という第一皇子からの念押しに、第二皇子は気まずそうな顔をした。


 黙り込む第一皇子と、戸惑うアシュレイの雰囲気に耐えかねて、第二皇子が「あのさぁ」と口を開く。


「お前、魔法救皇なんて目立つ存在は嫌だとか、母親のことがなくても一生名乗りたくないし仮面を外さずに活動し続けたい、とかずっと言ってたじゃん。もし兄さんが(おとり)にならないなら、魔法救皇はお前だってことを公表することになるし、そしたらお前が皇族だってこともバラさないといけなくなるよ? ほら、魔法救皇は市井の一般家庭には生まれないんだからさ」

「それは――」


 アシュレイは躊躇した。

 その思い詰めたような顔を、じっと第一皇子が見つめる。


「急にどうした。何を焦っている?」


 すべてを見透かすような赤い瞳に威圧感を勝手に感じながら――アシュレイは、そっと目を逸らして言った。


「……エリスさんが、『皇子様』に憧れがあるみたいで……それも、たぶん、兄さんみたいにみんなから尊敬されているような、本物の皇子様に」


「…………」


 思わぬ言葉に、皇子二人は黙り込んだ。やがて、「……意外だな」と、ようやく第一皇子が言葉をこぼした。


「……まさか俺に取られると思ってるのか? 彼女は俺のことが嫌いだぞ。それでいて利害関係をあちらもわかっていて俺に協力してくれている。お前のためだ。俺とデートがしたかったわけじゃない」


 第一皇子は特に「お前のためだ」を強調したつもりだったが、従弟には伝わらなかった。

 むしろ、なぜかアシュレイの焦りは加速する。


「え、どうして舞踏会で一回会っただけなのにお互いのことをわかりあって……あ、違う、馬車でも密会してたからもう二回も会ってることに……しかも舞踏会ではエリスさんと踊るのは俺だけで良かったのに兄さんもあっさりエリスさんと踊っててしかもエリスさんの方から『踊って』って誘われててその上『ひざまずいて求婚して』って命令されてて……う、羨ましい……なんでそれを言われるのが俺じゃなかったんだろう。俺も求婚してって命令されたい。ぜひされたい。俺が兄さんだったら良かったのに」


「………」


 ううっ、と落ち込む従弟に、見てはいけないものを見てしまったかのように第二皇子は目を逸らし、第一皇子は嘆息した。


「……理由はともかくとして、お前が皇子になりたいのなら、第三の皇子として迎える準備はいつでもできている。お前を亡き叔母上が未婚で産んだ子だとは公表できないが――重病だと嘘を言って反故にした隣国との縁談があるからな――皇帝陛下の隠し子だと偽るのなら今からでも可能だ」

「いえ……」


 その申し出には、アシュレイは冷静になって、ゆっくりと首を横に振る。


「ご迷惑をかけるわけにはいきません。皇帝陛下が皇后様以外を愛したなんてこと、嘘でも言いたくありません。俺のせいで皇后様を僻む貴族たちに嘲笑の餌を与えてしまいます」


 静かに微笑むアシュレイの表情に、「そう距離を取ろうとするな」と第一皇子は言う。


「皇后陛下は――母上は、平気だとおっしゃっていた。それくらい構わない、と」

「皇后様は強くて優しいお方です。だけど、他人からの感情を浴びて、何も思わないわけじゃない。……それに、そんな周囲の変化を見ることになる皇女様もおつらいと思います」

「……」


 それは彼らの妹であり、アシュレイの従妹のことだ。聡明だが、まだ六歳だ。


「誰だって、自分の両親が相思相愛なんだって信じたいです。浮気だとか、飽きられたとか、それを周りに嘲笑される母親の姿なんて、誰だって見たくないと思います」

「…………そうか」


 第一皇子は重苦しく頷いた。


「だが、俺はまだ立太子の儀を受けていない。お前が皇帝になりたくなった時のために」

「えっ、それこそやめてください!」


 アシュレイはぎょっとした。


「俺には皇帝など務まりません! 母の子としても嘘の第三皇子になったとしても、継承権は俺のほうが低いのに!?」

「魔法救皇が皇位を望んだ場合は、無条件で即位できるぞ」

「無茶を言わないでください! 兄さんこそふさわしいです! 俺なんて魔法救皇すら、まともにこなせてないのに!」

「……まぁ、俺も、お前に皇帝は難しいとは思っているが」

「ほらぁ!」


 落ち込むアシュレイに、横から眺めている第二皇子は楽しげに笑う。


「まあ、先代の魔法救皇も玉座は弟に任せてたっていうし、政治の才能は『万能』とは別問題でしょ」


 そう言って笑い飛ばした。


「というかさ、そのエリス嬢が皇子様に憧れがあるからって、本気で魔法救皇だの皇子だのを頑張りたくなったわけ? 恋ってすごいな、あんなに目立つのは嫌だって言ってたアシュレイが」


 そのからかうような笑みに、アシュレイは照れながら頷いた。


「はい。夢を叶えてあげたいんです。彼女は『白馬の王子様』から、特別な宝物をもらうのが憧れだそうで」

「…………ん……?」


 急に妙な流れになった気がして、第二皇子は首を傾げた。それなりに女性と浮名を流してきた第二皇子としては、初恋であろう従弟が女性の言葉を鵜呑みにすれば、空回りをする可能性が高いと思ったからだ。


「ええと、あのさ、別にそのふわっとした夢を叶えてくれた人と結婚したいって言ってたわけじゃないでしょ? というか、子どもの夢みたいなものでしょ、本気じゃないと思うなぁ……」

「……エリスさんも本気じゃないって言ってました」

「うん、じゃあ、別にいいじゃん」

「良くないですよ! どんなことだって叶えてあげたいんです!」

「いや絶対、深く考えて言ってないからね、それ」


 呆れかえった第二皇子と、ムキになるような顔をしているアシュレイを眺めながら、「宝物か」と第一皇子が呟く。


「確かに彼女は言っていたな。宝物庫の国宝級の魔道具が一つ欲しい、と」

「え、わりと本気のやつ……?」


 第二皇子は目を丸くしていたが、アシュレイが気になったのはそこではなかった。


「な、なんで、俺が最近ようやく聞いたような内容を、兄さんもすでに話してもらってるんですか!? むしろ俺より詳しくありませんか!?」


 悲鳴のような小声だったが、第一皇子は無視した。かわりに第二皇子がにやにやと笑う。


「へぇ、じゃあ兄さんが宝をあげて、お前は普通に結婚すればいいじゃん」

「え、それはなんか違う気がします……」

「別に一生『皇子様』から貢がれ続けて贅沢に暮らしたいってわけじゃないんでしょ? わりと現実的そうな子だったし……そもそもなんで宝物を贈られたいのか、俺にはよくわからないけど。金貨とか高給取りの役職とかじゃ駄目なの?」


 第二皇子の言葉に、「彼女の生い立ちについて調べた」と第一皇子が言う。そしてアシュレイの方を見ながら言葉を続けた。


「お前が言っていた北西の村、周囲から隔てられた山間の村を調べた。彼女は五歳で両親を亡くし、母親の故郷の村、その村長である叔母夫婦に引き取られ――現地民の証言によれば、家畜用の足輪をつけられていたそうだな」


 その言葉に、アシュレイと第二皇子は痛みに耐えるような顔をした。


「――つまり、家財を持っていた経験がない。自己の尊厳に対しても、執着するか希薄になるかのどちらかだ。大金を手渡されるよりも、売れば大金になり、なおかつ誰もが価値を認める逸品を一つ持っておきたいという思考だとすれば――特に問題はないだろう。……ここまで深く考えずとも、単に、優れた魔道具で商売を(おこ)し、気ままに暮らしたいだけかもしれないしな」


 第一皇子は、言いにくいことを言い切ると、静かに目を伏せて口をつぐんだ。


 怒りをこらえるように床を見つめているアシュレイに、「……その村長一家、ちゃんと捕まえたんだっけ?」と第二皇子が控えめな声で訊くと、「もちろんです」とアシュレイが低い声で答えた。


「エリスさんが叔母の家でひどい扱いをされていたってちらっとこぼしたのを聞いた後、慌てて追加調査に行ったら、エリスさんの後釜を――わざわざ引き取った孤児に足輪をつけて『二人目』を作っているのを見てしまいましてね」

「うわぁ」

「だから魔道具の違法使用で、きっちり現行犯で捕まえられましたよ。今までで一番、魔道具部門の特殊審問官としての仕事をしたような気がします。……大体、人間の束縛に転用できないように、人間なら誰でも外せるようにして流通してる家畜用の逃亡防止魔道具なのに、誰もが彼女を助けなかったなんて、閉鎖的な村だから起きた独裁ですよ。見て見ぬふりをした村の全員を連帯責任にしたいくらい……ああいっそ全員引っ掴んで今すぐエリスさんに謝らせたいけどエリスさんはもう思い出すのも嫌かもしれないから伝えたくないし本当にもう俺としては腹が煮えくり返るくらい怒っててなんでそんなことができたんだろうって信じられないっていうかなんで俺がもっと早く気付けなかったんだろうって悔しくて悔しくて――」


「うわ、雷! アシュレイ、雷出てるから!」


 第二皇子が悲鳴を上げる。

 アシュレイの周囲では、紫色の閃光がいくつも激しく降り注いでいた。


 第二皇子はクッションで頭を庇うようにしてソファーの背に隠れる。部屋は事前にアシュレイが保護と盗聴防止のための魔法結界を掛けているから無事だが、それがなければ床も調度品も焼け焦げていたことだろう。


「アシュレイ、抑えろ」


 第一皇子の言葉で、はっと我に返ってアシュレイは謝る。


「ご、ごめんなさい」


 すぐに雷も消えたので、皇子二人は安堵の息を吐いた。


「ともかく、彼女の望みは叶えよう。どの宝物がいいか、一度宝物庫の中を見せてみてもいいだろう。近いうちに正式に魔法契約を結びたい。我々に協力する礼に、宝を渡す約束をしよう」


 第一皇子のはっきりとした未来の提示に、アシュレイは気後れするような声を出した。


「本格的に彼女を城に関わらせるんですか……」

「ああ。いつまでも放ってはおけない。運命の乙女が現れてしまったのだから――とりあえずは俺の客とする」

「え、でも、そうしたら、周りは……兄さんの后候補だと思ってしまいます」

「その方が扱いやすい」

「でも……」


 抵抗感を隠さないアシュレイに対して、「俺は賛成だな〜」と第二皇子が気楽に言った。


「そろそろ『魔法救皇がどっちの皇子か特定させない』ってのも限界だったじゃん? 舞踏会のことがあったから注目されてるし、俺はそもそも兄さんと違って魔法救皇の可能性があるなんて言えないほど魔力も平均的だし。絶対みんな兄さんが魔法救皇だと思ってたし、今さらじゃん? だから兄さんが正式に魔法救皇としてエリス嬢を迎えて(おとり)になるっていうなら、もうそれで進めようよ。ごめんねー、アシュレイ、俺はずっと役立たずで」

「え!? いやそんな」


 慌てふためく従弟をからかうように第二皇子が笑ってみせる。


「まぁ俺もそろそろ、いきなり瞬間移動させられるのから解放されるなら嬉しいなって。女の子たちと遊んでてもさ、『魔法救皇がどこかで目撃されてる時は、両皇子はどちらも見つからない』って設定を守るために、お前の活動中は隠れてなきゃいけないし、『どこ行ってたの? 本当に魔法救皇なの? 絶対に違うでしょ』とか女の子たちに言われても説明できないし……いや俺たち、ほんと、今までよく頑張ったよ、十年も」


 けらけらと笑う第二皇子に、「その、申し訳なく……」とアシュレイは萎縮し、「いや、冗談だよ」と返されている。  


「お前の背負ってるものの方が相当重いから、俺はいいけどさ。――兄さんはそろそろ結婚とか即位とかを考える頃でしょ?」


 気遣うような言葉に、アシュレイははっとして第一皇子を見る。


 弟と従弟に視線を向けられて、「……俺はいつまででも構わないが」と第一皇子が言う。


「いやぁ、いつも突然いなくなるとか、魔法救皇か否かはっきりさせないとか、維持するのは限界だったでしょ? 二十歳で長男で皇帝を継ぐ気でしょ? 妃候補を考える頃じゃん。魔法救皇かどうかを曖昧にしたままで結婚生活って、相当難しいでしょ?」


 第二皇子の言葉にアシュレイが申し訳無さで俯くと、第一皇子は「気にするな」と言ったあとに、「何が言いたい?」と弟を睨む。


「うん、だからさ、俺、思ったんだけどさ、もうエリス嬢を兄さんの皇后にしたら?」


「は!?」


 ガラスが割れるような雷の音がして、第二皇子が「うぎゃっ」とソファーに伏せる。


「今なんて!? 今、何かとんでもない提案をしましたよね!?」

「え、だって、それが一番楽じゃん!?」


 お互いに悲鳴を上げるように、アシュレイと第二皇子が叫び合う。


「もうわかりやすく『この二人が魔法救皇と運命の乙女です! 結婚します! 次代の皇帝夫妻です!』って言っておいて兄さんとエリス嬢を表舞台に出してさ、裏ではお前が魔法救皇しながらエリス嬢とこっそり幸せに暮らせばいいじゃん! もちろん兄さんとは形だけの結婚だよ。どうせお前は瞬間移動できるんだし、普段は好きなところで二人で暮らして、公務のときだけエリス嬢の送り迎えをしてよ」

「え!?」


 思わぬ提案にアシュレイは目を丸くする。


「で、兄さんは側室を三人くらい迎えて、世継ぎを産んでもらえればいいよね。うちの皇室、ここ数代はなんか自然に一夫一妻になってるけど、側室持つの自体は禁じられてないし、兄さんと結婚できるなら側室でもいいって令嬢はたくさんいるだろうし、運命の乙女に対して側室が一人だとその子が心細いだろうから三人は迎えておいて……兄さんも唯一の正后にしたい令嬢とかいないでしょ?」

「ああ、いないが……」

「じゃあこれでいいじゃん!?」

「良くないですよ!?」


 三人はそれぞれに困惑した顔をした。


「兄さんとエリスさんが結婚するなんて駄目ですよ!」

「なんで?」

「俺のために望んでない結婚なんて、二人にさせられません!」


 その言葉には第一皇子が反応した。


「……その点については、俺は構わない。エリス嬢もおそらく形だけの結婚に躊躇するような人物ではない。アシュレイを守るためなら平気で俺と結婚するだろう」

「え、なんで兄さんがエリスさんの気持ちをわかってるふうに喋るんですか!?」


 気にするところはそこでいいのか、と第一皇子は怪訝そうに片眉をひそめる。


「お前はそう思わないのか? 俺は、彼女はそういう性格だろうと思ったぞ」

「まだ二回しか話してないのに!?」


 妙なところに突っかかるんだな、と第一皇子は嘆息した。


「……二度も話せばわかる。特に二回目は腹を割って、互いの心の奥底を打ち明けたからな」

「そ、そんな深い仲に!? 俺の知らないうちに心が通じ合って!? ああやっぱり馬車の中での会話を盗聴しておけばよかった!」

「アシュレイ……」


 若干呆れながら皇子二人は、恋とはここまで人を乱すものかと呆れ返っていた。


 そして、なんとか話を戻そうと、「あのさ」と第二皇子は言う。


「この案の問題点ってさ、お前の気持ちだけなんだよね。好きな子が他の男と形だけでも結婚するのが嫌っていうお前の嫉妬と独占欲だけでしょ?」

「え、そ、それは……もちろん嫉妬はありますけど、俺のためだけに二人が結婚なんて……二人の大事な人生を手段にするみたいで嫌です……これ以上迷惑をかけたくないし、絶対、ここまでする必要ないですよね!?」

「…………」


 必要あるよ、とは第二皇子は言えなかった。――アシュレイ本人にだけは絶対に自覚させてはいけない呪歌のことがあるからだ。アシュレイを表舞台に出さず、所在も顔も名前も未知のままにし、術者が二度と会えないようにしておくのが一番良い。


「……まあ、兄さんも平気そうだし、エリス嬢も、たぶんこれ呑むよね? 兄さんは正后にしたい相手がいるわけでもないし、エリス嬢もお前のためなら形だけの結婚なんて気にしないでしょ。……有名になっちゃったエリス嬢をお前と正式に結婚させて、魔法救皇の正体を隠し続けてあと何十年も生きる方が相当大変だよ。魔法救皇のことも運命の乙女のことも、兄さんに全部集約しといた方が楽じゃん。だから、あとはお前の気持ちの問題」

「…………」


 アシュレイは納得できずに黙り込む。

 第一皇子は静かに言った。


「とりあえず、エリス嬢を城に呼んで、宝物庫の中を見せる。契約書を作成する際に、今の案を――形式上の結婚を、今後ありうる対策のひとつとして、どう考えるか彼女にも訊ねてみよう。彼女が拒否したらこの案は無しだ。……将来に備えて、方針の希望を聞いておくくらいはいいだろう、アシュレイ?」

「……はい」


 アシュレイは頷きながらも、彼女が拒まないであろうことがわかっていて、心が落ち着かなかった。絶対に阻止しようと考えながら――ひとまず、エリスを城に招くことが決定した。


次話から第四章・暴走編に入ります。

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