34_デート後反省会
あの後、馬車で屋敷まで送ってくれた。
夜の部までいればみんな仮面をつけるから紛れ込めたんじゃないだろうかと思ったが、護衛の兵士たち――屋敷に迎えに来た時から同行している挨拶済みの兵士たちに、「今日はもう……」と言われてしまって、帰ることになったのだ。「目立つような真似はおやめください」と言われて、アシュレイは非常に落ち込んでいた。
(ちょっぴり残念だけど、仕方ないわ)
アシュレイの身の安全が第一だ。
……彼は自分が狙われているなどとは知らないだろうし、エリスとしては、彼の安全のためなら、さっさと祭りから帰ることに異論は無かった。
せめて、祭りの雰囲気を持ち帰ろうと、目立つアシュレイは路地裏で待たせて、エリスだけでいくつかの屋台の食べ物を買ってきて、馬車の中で二人で食べた。持ち歩きに適したような串焼きやら、薄焼きの生地にくるまれた果物のお菓子――クレープというらしい――など、普段の食事とは違うものばかりでまた楽しかった。
「今日は、本当に、ごめんなさい、僕が目立ったばっかりに……」
馬車の中で、エリスが食べ終わると彼が言った。
「いいえ、あなたは間違ってないわ。あの子のために一番良い方法を選んだだけだもの」
アシュレイは俯いている。一人称も『僕』になっていて、もう完全にアシュレイだ。仮面の魔法救皇らしい口調はどこかへ行った。馬車で二人きりなので、誰も聞いていないから今は問題ないが。
「お祭りは、また来年でいいんじゃないかしら」
エリスはさらりと言ってから、「あ、来年も当然一緒にいるって思ってるのは傲慢かしら?」と思って、少し後悔したが、
「来年……」
と、アシュレイはその言葉に顔を上げ、ふわっふわっと喜ぶ感情を次々に浮かべた。それを見ているとエリスも嬉しくて胸が弾む。
「そうよ、一回で全部を味わう必要はないわ。これから何度だって行きましょう」
「……いいの?」
彼がじっとエリスを見つめる。
「これからも、ずっと一緒にいてくれますか?」
その、願うような言葉に、エリスは頷いた。嬉しかった。ずっと一緒にいたいと思った。
(ただ――)
彼との未来を望む前に、一つ気になることがある。
敵のこともそうだが――そもそも、エリスが本当に『運命の乙女』かどうかだ。
(私はただ魔法の鏡で占われただけだし……)
彼が魔法救皇なのは、もう疑いようがない。先程も見事な魔法を見たし、第一皇子から今日のデートを手配されて彼が来たので、彼が強い魔力を持ち、皇室と関係があることは間違いないが――。
エリスは運命の乙女としての証拠を何も持っていない。まだ何も証明できていない。
そして、もしエリスが違うのなら、魔法救皇である彼の『運命の相手』は他にいるということになる。
運命で結ばれた相手ならば、いずれそちらに行ってしまうのだろう。
――それを想像すると、ちくりと胸が痛む。
(ずっと一緒にいたいわ)
彼のことが好きだと自覚したからか、急に不安になってしまった。
安心するためには、エリスはどうしたらいいのだろう。
『運命の乙女』には魔法救皇の暴走を止めるために、言葉に強制力があるというだけだ。
強制力の証明は難しい。
彼が望まないことをさせてみなくてはならない。
(でも、そんなことできないわ)
アシュレイをちらりと盗み見る。
彼や第一皇子も、エリスが運命の乙女かどうか見極めたいはずだ。このデートはその意味もあっただろう。
「どうしたの、エリス?」
彼は心配そうに、心から案じるような声で訊いてくれる。
いつもどおりの、森で会うようなアシュレイの態度だった。
「あの……」
この不安をどう伝えたらいいのだろう。躊躇っていると、「言ってみて」と彼が優しく促してくれる。
「……また会いにきてくれる?」
「? うん、もちろんだよ」
彼からは嬉しそうな感情が見えた。「そんなことを気にしていたの?」と照れるような感情も出ている。
だが、今は彼がそのつもりでも、別の人が運命の相手だったら、彼の気持ちは変わっていくだろう。
それに、「また会いにきてくれる?」というお願いには――強制力は働いているのだろうか。もし、エリスが運命の乙女だとしても、強制力を無意識に行使していれば、彼の意思を封じてしまっているのではないだろうか。
「あの……証明してくれない? 私が運命の乙女かどうか。……それに、無理に従わせているんじゃないかって心配で……」
「え?」
「だから、ええと、私の思いもよらない形で、証明してほしいの」
「!?」
とんでもない無茶を言ってしまった、と後悔した。
だが彼は真面目な顔で悩んだ後に――
大輪の花束を、ぽんと出した。
「!」
エリスが目を丸くしていると、彼は悪戯が成功した子どものような顔をする。
「どう? 予想できた?」
「ううん……」
「じゃあ、僕の意思は証明できたかな? 君にあげたくて、僕自身が望んだから、今ここに花束があるんだよ」
「……ありがとう」
花束を渡されて、ぎゅっと抱きしめる。
嬉しい。けれで、これでは証明としては半分だ。
今、アシュレイが自分の意思でそう願っていたとしても、エリスが彼の運命の相手かどうかはわからない。
――今まで『運命の乙女』なんてものに、興味は無かった。
けれど、彼と恋をするには必要なのだとしたら。
(私、運命の乙女だって確信したい)
「あの、ごめんなさい、まだ納得できなくて――何か命令をしてみてもいいかしら?」
「うん、いいよ」
「……」
だが、いざ命令をしようとしても、何も良い案が浮かばない。
「どうしましょう……なんというか、絶対に、強制されてなきゃ実行しないようなことがいいのよね……?」
「そうだね……あれ……? 僕はちょっと、なにかの覚悟をした方がいいのかな……?」
若干の不安がアシュレイから出ていた。とんでもないことをやらされるのかな、と苦笑している。
「いえ、そんなひどいことはさせないわ。そうね……強制力が無ければ絶対にやらなさそうなこと――私の頬をつねってみるとか――私の髪を――」
「あ、ちょっと待って!? エリスさんが痛いやつはだめだよ!?」
彼の慌てようにエリスは神妙に頷いてみせる。
「ほら、そういうことを言ってくれるってわかっているからこそ、もし命令して実行できたら効果があるんじゃない?」
「待って、待とうか、一旦冷静になろうね!? もっと自分を大切にしてね!?」
頬をつねられるくらい別にいいのに、アシュレイは急に真面目な顔になって、エリスの思考を止めにかかった。
「だめかしら?」
「だめだと思う……そういうのは良くないと思う……」
「ごめんなさい。でも早く確信したくて」
「……どうして?」
静かに問われて、エリスは彼を見つめる。
「――あなたが運命の相手じゃなきゃ、嫌だから」
時が止まったように、彼が息を呑んで――そして、次の瞬間には、ぶわっと喜びの感情が、花束のように溢れ出ていた。
「可愛……ああ、可愛い……もうだめです……幸せです……」
アシュレイが、両手で顔を覆って、ものすごく呻いていた。
もはや魔法救皇らしさも、ましてや第一皇子のふりも無理だろう。
(誰も見ていなくて良かったわ……)
エリスがちょっと呆然としていると、アシュレイが「僕も」と顔を上げた。
「エリスじゃなきゃ嫌だよ。……あなたが僕の運命の相手です」
そう言って、エリスを安心させるように微笑んでくれた。
「……でも、やっぱり不安だわ。そういう態度を、私が無意識に望んでて、それをあなたが叶えてくれているだけだったら……」
まだ悩んでいるエリスに「大丈夫だよ」と彼が笑う。
「口に出してないことまで強制できたらすごいことだよ。……ああ、あとね、逆に、言葉ではっきり命令してても、本当には望んでいないことは――心にもないことは、言葉で命じても、強制力は働かないんだよ」
「そうなの?」
初めて聞く話に、エリスは目を瞬かせる。
「うん、だから、僕たちの間の強制力は、君の願いを叶えるためだけにあるんだよ」
そう言って、彼はなによりもエリスが宝物なのだという顔をした。――それはさすがに、エリスに肩入れしすぎた発言だが――もし魔法救皇が暴走して世界征服をした時も、「元に戻って!」と運命の乙女が叫んでいても、本当は「いいぞ、もっと世界を壊せ」と内心で思っていたら、結局止められないということだろうか。
(それは結構まずい気もするけれど……)
一応、アシュレイもエリスも世界征服を望んだりしないから大丈夫だろう。
それにしても、強制力も無制限ではないことは、今日初めて知る話だった。
「でも、ある意味安心できるわね……本当には望んではいないことは、あなたに強制させなくて済むって……将来、喧嘩した時に心無いことを言ってしまっても――『もう顔も見たくない!』とか『もう二度と触らないで!』とか言っても、本当は顔を見たいし触ってほしいと思っていたら、あなたは私に会えるし触ることができる、ってことね?」
「そ、そうだね」
エリスの例えに、彼は気まずそうに頷いた。「さ、さわってほしいだなんて……いや例え話だってわかってるけど……」と照れの感情を出ている。
(それってものすごく恥ずかしいことじゃない……?)
エリスは頬が熱くなるのを感じた。
ムキになって吐いた嘘がバレるなんて、一番恥ずかしいことだ。
(……でも、まあ)
アシュレイとならそれでもいいか、と、すぐに思った。
そういう嘘が筒抜けの夫婦でもいい。エリスだって彼の感情を勝手に見てしまっているのだから、お互い様だろう。
お互いにバレバレなら――お似合いの夫婦になる。
(……私が本当に運命の乙女なら、だけど)
結局、この心の不安は残っている。
エリスが「私の頬をつねって」という命令をしようとすれば、言い終わる前にすかさずアシュレイが「そういうのはだめ!」と中断させるので、結局エリスは自分の強制力を確かめることはできなかったのだった。
そして屋敷に着くと、彼はエリスの手を引いて、馬車から降りる手伝いをしてくれる。
「ありがとう。……今日は楽しかったわ」
「僕も――俺も、です」
お互いに向かい合い、別れの挨拶をしようとした時――彼が急に、何かに思い至ったように緊迫した顔になった。そして改まった口調に戻って――周囲の兵には聞こえないよう、小さな声で質問をしてきた。
「あの、今日誰とデートをしたか、わかっていますか?」
「……?」
(え、これって何かの試験?)
あまりにも彼が緊張した様子なので、エリスまで身体が強張った。
このまま「え、アシュレイでしょ?」とは言ってはいけない気がする。見張りの兵たちには聞こえない小声とはいえ、なにか特別な質問なのだろうか。
(どう考えたってあきらかにアシュレイなのに……わざわざ訊いてくるってことは何か意味がある質問なのよね……?)
アシュレイはエリスに対して一度も『僕が魔法救皇だよ』とは名乗っていない。アシュレイが魔法救皇であることは、エリスは知っていてはだめなのだろうか。あるいは、気づいていても、それをちゃんと黙っているべきことだと心得ているか、という確認だろうか。
「……ええと、今日のデートの相手は……魔法救皇様、でしょう?」
そう答えると、彼は目を丸くした後、「……はい」と悲しそうな、複雑なもやもやとした感情を生み出していた。
(あ、この答えじゃだめなのね……!?)
エリスはすぐに「ごめんなさい。なんて答えればよかったの?」と訊ねるが、彼は静かに首を横に振る。
「いえ、合っています。正解です。質問をした僕の方がよくない……まだ一線を越えてはならないと――魔法救皇が誰なのか名乗ってはいけないと、皇帝陛下に禁じられているので……今のは僕がいけなかった」
「あ、そうなの……でも、第一皇子様は――」
あの人、かなり自称してたけど良いんだろうか、と言いかけた途端、「うっ」とアシュレイがつらそうに呻き声を上げた。
「どうしたの!?」
「第一皇子……うん……ああ、やっぱり……」
彼は絶望、とばかりに俯いている。
「あの、大丈夫……?」
「はい。どうか忘れてください……」
もうはっきり言ってよアシュレイ、と肩を掴んで揺さぶりたいところだが、『言って』と口にすれば強制力が働いてしまって彼の意思を無視するかもしれないし、見張りの兵もいるから大きい声で名前を呼んではいけないし、皇帝陛下が魔法救皇の正体を特定させないよう命じているなら、余計にエリスから踏み込んではだめだろう。
結局、さっきの質問に対する正解が、エリスにはわからないのだった。




