24_捜査と黒猫
エリスはまず屋敷中を歩き回ることに決めた。後ろめたい感情を持つ人物――毒を盛るような敵の仲間がいないかどうかを確認するためだ。
伯爵に会ってみれば、二週間も毒で寝込んでいたというエリスに対し、本気で申し訳なさそうにしており、エリスの体調を強く案じているようだった。
(まあ流石に、伯爵様が仕向けたことではないわよね……)
今回の責任を追及されて投獄されている料理長について訊いてみれば、「運命の乙女かどうかは別として、第一皇子の妃候補になりかねない者を潰したい他家から頼まれて毒を盛ったのでは」と疑われているようだった。料理長本人は否定しているようなので、「処罰は一旦待ってください」と強く伯爵に頼んでおいた。近々会わせてもらう約束もした。
(料理長に会って感情を見れば、少なくとも私にだけは「犯人かどうか」はわかるもの)
無実の証明はできないものの、被害者本人で伯爵令嬢のエリスが頼めば、料理長を屋敷に呼び戻すくらいはできるだろう。……ろくに話したこともない相手ではあるが、料理に関しては誇りの感情が溢れている人物だったので、そんな人が料理に毒を盛るだろうか、とエリスは思っている。
そして屋敷内を歩いて回ったが、すれ違う使用人たちは皆、元気に歩くエリスを見て、心から安堵の感情を浮かべていた。
――どちらかというと、エリスへの愛情ではなく、「主人が運命の乙女として迎えた少女を屋敷内で死なせてしまったら、我々使用人全員の首を飛ばしても償いきれない! そうならなくて本当に良かった!」という安堵が大半だったが、それはそれで人間らしい感情なので、彼らの無実をすんなり信じられた。
(養子に来て一週間、部屋に籠もってダンスと作法の猛特訓しかしてなかったし……ろくに接してない人からも泣いて惜しまれるほどの人物じゃないものね、私)
しかし意外なことに、平民出のエリスに対して厳しい感情を抱いていたはずの一部の侍女たちが、「毒を盛るなんて、一体どこの家がやったのよ」と身内を守ろうとするかのような憤慨に変わっているのも見えたのだ。
「お嬢様、私どもは味方ですからね」
そうはっきりと、本気の感情を伴って言われた時には驚いた。
「ええと……?」
エリスはきょとんと瞬きをして、侍女たちを見つめてしまった。これはあれだろうか、「うちの伯爵家から運命の乙女を出せそうだって時に、よその家に邪魔されてたまるか」というライバル心だろうか。
そう戸惑っていると、侍女たちは高揚と共に言った。
「舞踏会で、第一皇子様と踊ることができたのはお嬢様唯一人。我々は鼻が高うございます」
「あ、ありがとう……でも、私、逃げ帰ってきちゃったし……」
エリスが気まずい思いで言えば、
「ええ、城に留めおこうとなさる第一皇子様を袖にして帰っていらしたのですよね」
と、侍女たちが熱が籠もった顔で「うん、うん」と頷きを返す。
(袖に!? それは語弊が……!)
誇らしげにしている侍女たちには申し訳ないが、それではまるで皇子に求婚されたのに振ったみたいだ。間違った情報を放置するのは良くないことだろうと思って、エリスはすぐに訂正する。
「いえ、危険人物として確保されそうになったのを、結構心象の悪い方法で逃げて帰ってきたのよ……かなり言いづらい方法で……すべての貴族に嫌われる方法で……」
正直に話せば、「すべて存じておりますよ」と平然と言われる。
「悪名高かろうが、あくどい手を使おうが、最後までその権力を維持し続けた者こそ、勝者です」
(そうなの……!?)
貴族社会に慣れた彼女らの基準はよくわからないが、エリスの舞踏会での振る舞いは、この屋敷の侍女たちから嫌われる原因にはならなかったらしい。エリスが二週間寝込んでいる間に彼女らの中でエリスの評価は定まったらしく、「うちのお嬢様は、第一皇子より強い」と誇らしげだ。
「あの、でも、運命の乙女ではありませんと言って帰ってきたのだけれど……」
「それはお嬢様が本物であるからこそ選べる振る舞いです。偽物なら一回のチャンスに醜くしがみつきますが、お嬢様は本物ですから」
喋れば喋るほど、何故か彼女たちの感情は鮮やかで好意的なものへと変わっていく。
……いまいちピンとこないが、味方が増えたのは少し嬉しかったので、今はこのままにしておこうと思った。
(貴族社会からはもう逃げたいけれど……いきなり行方を眩ませたら、ロズじいちゃんたちが伯爵様に顔向けできないものね……)
その間の味方は多いに越したことはない。
彼女たちとの会話を切り上げて、エリスはてくてくと屋敷内の見回りを再開した。
(感情が見えると、誰が味方で敵かわかりやすくていいわね)
かつてないほどに、この能力に感謝していた。叔母の村にいたときは、あからさまな侮蔑や憐憫が見えるのがストレスだったが――少なくとも、今は安心に繋がっている。
そうして屋敷中の使用人たちの感情を確認し終えて、毒を盛った犯人やその仲間はいなさそうだな、と判断した。使用人たちの入れ替わりなども無かったので全員きっちり確かめられた。当日の給仕に関わった侍女たちの無実も証明されているというし、エリスから見ても不審な点はない。
むしろ、どこにもあやしい点がないからこそ、料理長が責任を取らされたのだろう。
(敵が外から来たなら……やっぱり、あの怪しい男が毒を盛ったの……? でもあれが夢なのか現実だったのかわからないし……そっちが現実ならその後のアシュレイも現実……? ええと、アシュレイと普通に会うには……まずはお手紙を出すべき?)
考えても、わからないことが多すぎる。
とりあえず外の空気でも吸おうかと、中庭に面する外廊下を歩いていた時――じっと観察するような視線を感じた。
(…………?)
中庭の方向を見ても、誰もいない。気配を探ろうと、エリスは立ち止まる。低木の茂みから視線を感じる気がした。その位置はずいぶんと低い。
(誰かがしゃがんでる? それとも、動物でもいるのかしら)
少し思案してから、エリスは確かめることに決めた。
一直線にすたすたと早足で近づいていって覗き込むと――そこには目を真ん丸にした黒猫がいた。
「あら、猫」
真っ黒な毛並みで、すらりとした美しい黒猫だった。
目が真ん丸なまま――よほど驚いたようで、ぴんと尻尾を立てて――まさに硬直という言葉がふさわしい状態だ。何秒か見つめても、微動だにしなかった。
(だ、大丈夫かしら……)
エリスがまっすぐに早足で向かってきたのが怖かったのだろうか。ぶわっ、ぶわっと、遅れて感情が出始めたが、かなり焦っている状態だった。
「お、驚かせてごめんね……? ……こんにちは」
そっと話しかけてみれば、ぴくっと黒色の耳が動く。
そして、
「にゃ、にゃあ……」
と、かなり気弱そうに、おそるおそるというように小さく鳴いてくれた。
(怖いのかしら?)
黒猫からは不安と動揺が溢れ続けている。
お互いに目を離せずに見つめ合っていたが――
やがて、黒猫は、ばっと逃げ出した。
「あっ」
目にも止まらぬ速さで視界から消え、もう完全に見失った。
(は、はやい……)
猫の俊敏性に驚き、エリスはぽかんと庭に突っ立っているしかない。
(もし迷い込んだのなら……無事に帰れるのかしら?)
屋敷の中庭にいるということは、誰かが連れ込んだか、塀を乗り越えたかのどちらかだろう。
無事に帰れるかしら、ときょろきょろと庭を歩き回っていると、
「お嬢様!? こんなところにいらしたのですね! ……どうなさったのですか?」
と侍女たちが慌ただしく駆け寄ってきた。
「猫がいたの。迷い猫なら出してあげないと」
「左様でございましたか……あとは我々にお任せください。それよりもお客様が――使者の方がお見えです」
「使者?」
「第一皇子様から、城へのお迎えです」
嫌な言葉を聞いた。




