21_朝食
「で、魔法救皇はどうじゃった? 会えたのか?」
翌朝、朝食のテーブルに全員が座るなり、ロズじいさんが言った。
わくわくとした視線を向けられて、エリスは思う。
(これはあれね……年頃の女の子たちが「誰が好き? 私はね……」みたいな、恋の話をするときの目だわ)
叔母の村で、遠目に見かけたことがある。
「昨日は疲れてるだろうからと訊かなかったが、朝ならいいじゃろう! 聞かせてもらうぞ!」
正面に座るロズじいさんとマルスじいさんがスープに手を付けずにエリスとアシュレイを見比べる。
……そう、なぜか四人で朝食の席に座っている。アシュレイも隣にいるのだ。
昨晩、アシュレイはエリスをこの小屋まで送ってすぐ帰ろうとしたが、エリスが「アシュレイに送ってもらった」と言えば、まだすぐそばにいたアシュレイに「こんな夜遅くに帰るのか!? 危ないから泊まっていきなさい!」と老爺たちが言ったのだ。
彼はおそらく万能な魔法救皇なので、転移魔法で一瞬で帰れるだろうとはエリスも思ったが、さすがに言えず、しかもアシュレイも老爺たちに心配されるのはちょっと嬉しいらしく、満更でもない感情がふわふわと出ていたので、「引き止めちゃダメでしょ」と割って入ることはしなかった。
(でも、まあ、どうりで綺麗な格好で森にいたわけよね……)
思い返せば、初めて森で会った時、二日前から森に調査に来ているとアシュレイは言ったのに――しかも野宿だと言っていたのに、身綺麗なのはおかしいとは思っていたのだ。
服は一切汚れなく、寝袋どころか携帯食も持っていない軽装っぷりだった。
なにせ彼は転移魔法を使えるのだから、帰りたい時に一瞬で帰っていたのだろう。ちょっと採取しすぎて荷物が増えたから一旦置いてこようとか、小腹が空いたからおやつを食べに帰ろうとか、いくらでも望むままだっただろう。
それに老爺たちの魔道具のことを誤魔化しておくよ、と言ったのも、「もし悪事に使われたらすぐに僕が止めればいいし」とか思っていたのだろう。心配性であろう彼が、そんな大胆なことをしたのも頷ける。
「で、昨日はどうじゃったんじゃ? 魔法救皇っぽい皇子には会えたのか?」
老爺二人の期待はエリスに注がれ――それから隣のアシュレイにも向けられ、「会えたのか?」と再度訊かれる。ちなみに昨晩貴族の令息らしき格好で現れたアシュレイに対しても老爺たちは動揺もせず、「おお、似合っておるなぁ」としか言わなかった。貴族ということに驚きを見せなかった。年の功だろうか。
ロズじいさん、そしてその隣に座る無口なマルスじいさんも、エリスたちの答えを期待して朝食に手を付けずに待っている。
魔法救皇と皇子は分けて考えるべきだが――
「……まあ、そうね、魔法救皇には会えたわ」
「おお、それで!?」
「魔法救皇は、いい人だと思うわ」
すぐ横でアシュレイが照れと喜びの感情をふわふわと浮かせているのが視界の端に見えた。
(褒められて、喜んでいるわ……)
――アシュレイが多分、魔法救皇なのだ。
それなのに魔法救皇の印象を話さなければいけないなんて、かなり気恥ずかしい。
彼も、かなりそわそわとしているようだ。目が合えば、ぶわっとさらなる大量の照れと、いつもの謎のふわふわ――舞踏会では「可愛い」と呻くたびに放出していた――が増す。
……この人はやっぱりわかりやすいな、と思った。
「ねえ、この話はやめておかない? その……お客様もいるわけだし」
「アシュレイはもううちの子みたいなものじゃろ。……アシュレイ、実はな、エリスは運命の乙女なんじゃよ、すごいじゃろ!」
「ちょっと!? 孫自慢みたいな感じでさらっと言うのやめて!?」
特大の爆弾みたいなものだ。「私、『運命の乙女』だったせいで昨日貴族たちから処刑か監禁を願われたんだけど」とは言えない。
しかもエリスが「どうやって運命の乙女をあの老爺二人が探し当てたのか、内緒にした方がいいわよね」とか悩んでいたことをまったくわかってない。
エリスが魔法救皇に会えたとわかってもう安心したのか、それこそ警戒心ゼロでアシュレイに言ってしまった。
まあ老爺たちもアシュレイには魔道具のことを庇ってくれた心優しい青年だという認識だろうし、運命の乙女だとわかってもその情報を悪用しないだろうという信頼があるのだろう。
エリス自身も、昨晩、夜に送ってきてもらうという信頼っぷりを老爺たちに示してしまったし。
「ええと、あの、エリスさんから聞きました。……その、魔道具で占ったとか」
アシュレイは小声で言った。
「なんじゃ、エリスも話しておったのじゃな! 儂のことを責められんじゃろう!」
「……」
エリスがそっぽを向けば、ロズじいさんは明るく笑って、無口なマルスじいさんも嬉しそうに「仲良くなったんだな」と微笑ましそうにエリスに信頼できる相手ができたことを喜んでいる。
「で、魔法救皇はどっちの皇子じゃ?」
「それは……まあ、そこは重要じゃないっていうか」
なぜかふわふわと喜びの感情が隣のアシュレイから追加されたのが見える。
「じゃが、第一皇子と結婚するのと、第二皇子と結婚するのでは色々と心構えが違うじゃろう? それに第二皇子は遊び人だと聞くから心配でなぁ」
「ああ、別に結婚はしないわ」
「えっ」
老爺どころか、アシュレイまでびっくりした顔になった。
「えっと、あの、それは、魔法救皇とは結婚したくない、ってこと?」
アシュレイが何やら不安そうに訊ねてくる。
「いえ、あの、二人の皇子とは――」
どっちも魔法救皇じゃないから結婚しない、とは言えずに、別の本音を言う。
「なんというか、『運命の相手なんだから結婚するに決まってる』とか決めつけるのってあまり良くないんじゃないかなって。お互いの気持ちを確かめ合って、結婚したいなってなったら、そのとき考えるものじゃないかしら」
「あ、そ、そうだよね」
アシュレイはほっとしたような顔になった。
そして食べ終わり、エリスはアシュレイを見送りに行く。
――彼は多分、本当は一瞬でどこへでもいけるが、昨晩は「街一つ分くらい短縮」とエリスに言っていた。万能だと知られたくないだろうから、エリスの前で消えたりはしないだろう。
森の入口まで彼と箒で飛んでいき、さてお別れだ、と正面に立った時に彼は訊いてきた。
「あのさ、エリスさんは――エリスは、皇子と結婚したい?」
「え、いえ、別に……」
彼がなぜか不安そうにしているので、エリスは言葉を足す。
「本当に、皇子と結婚したいわけじゃないのよ。ええと、昨日舞踏会でも言ったけど……その、皇子と親しくなる目的があったのは本当だけど、結婚したいわけじゃないの」
そのあとで「結婚するならアシュレイみたいな人がいい」とまで言ってしまったのだが、忘れてしまったのだろうか。
「……なんと言えばいいのかしら……国宝をくれるような仲になりたくて」
「国宝?」
「ええ、それくらい特別扱いされてみたいなって……なんだかミーハーな感じなの。特別な、みんなが憧れるような人が、大勢の中から私を選んで特別扱いしてくれたら――本来あげちゃいけないようなものまでプレゼントしてくれたら嬉しいなって。おとぎばなしみたいでしょう? そんな感じで、あまり深く考えた目標じゃなくて」
エリスが目を逸らしながら嘘の理由を言うと、アシュレイは思案するような顔になる。
「ああ、絵本みたいな……白馬の王子様が見つけてくれる、みたいな感じかな」
「そう、そんな感じ! 本当にかなり雑な子どもっぽい憧れみたいなやつ! だからそんなに深刻に――」
深刻に考えないで、と言おうとしたが、彼に何かを願ってしまったら『運命の乙女の命令』になるのだろうかと慌てて口をつぐむ。
(ええと、『考えないで』とは言わずに、ええと……)
エリスが言葉選びに悩んでいるうちに、「そっか……」とアシュレイは眉間に皺を寄せている。まさに深刻そうな顔だ。
(まさか叶えようとしてくれてる!?)
アシュレイがエリスに親切なことはわかっていたが、まさかこんな「白馬の王子様にお姫様扱いされたい」みたいな話まで真剣に取り扱ってくれるとは思わなかった。
「あの、アシュレイ」
「なあに?」
深刻に考えないで、とは言えずに、迷った末に――思いついた言葉は、きっと本心で、核心をついていた。
「アシュレイが、そばにいてくれるだけで嬉しいわ」
彼の目が丸くなり――ぶわっと羞恥と喜びが溢れ出る。
「え、あの、あ、ありがとう……?」
なぜか彼の方がお礼を言ってくる。
もう好きと言わないと昨晩心に決めたはずだが――早速破りそうになっている。
(いえ、これは恋愛としての好意とは受け止められないから! アシュレイが思い詰めて親切をしすぎないためだから、セーフ!)
勝手に自分でゆるめのルールにしておく。
「でも、その、エリスが言う絵本みたいな皇子って……みんなが憧れるような白馬の王子様って、やっぱり第一皇子みたいな人なのかな?」
「ああ、あの人ちょっと怖すぎるけど……まあ、たくさんのご令嬢に好かれてるみたいね」
昨日、舞踏会での令嬢たちからの人気はすごかった。「うん、憧れている人は多いみたいだよ」とアシュレイも言う。
そして彼は、自分の言葉で落ち込んだように俯いてしまった。
「ああ、そうだよね。ただ皇子になるだけじゃ駄目だよね」
「? アシュレイ……?」
彼の声は暗かった。
「みんなの憧れで、誰もが振り返ってほしいって願うような人で――その大勢の中から特別扱いされた女の子が誰からも羨ましがられような……そういう絵本みたいなキラキラした話のことだよね。本物の正統な皇子様じゃなきゃだめだよね」
「いえ、あの……」
アシュレイから黒い靄のような、苦悩の淀みが溢れてきていた。
「あの本当に、私のこれは、てきとうに言ってるだけなの! 本気じゃないの!」
気にしないで、と言いたい。もういっそ言ってもいいだろうか、と思いそうになったが――なんなら「もう忘れて」くらい言いたいが――言ってしまったらどうなるのかと思うと怖い。
うろたえているエリスを、静かな目で、アシュレイが見る。
「でもエリスさんは、特別なものが欲しいんだよね? 特別な人から、『あなただけに特別だよ』って国宝級のプレゼントを贈られるような、他の人には許されないような特別扱いをされてみたいんだよね?」
「……」
アシュレイは、エリスがそれっぽく見せかけた嘘を綺麗に解釈してくれている。意図した方向性には見事に合っているが、そもそもエリスのこの夢なんてものが嘘なのだ。ただ国宝を――老爺二人のために取り返せたらそれでいいだけだ。
(妙にそれっぽいことを言ったのが良くなかったのね)
アシュレイは真面目だから、エリスの力になってくれようとしてしまうのだろう。
「あの、本当に、ごめんなさい、軽率に言い過ぎたわ。本気じゃないの。まったく本気じゃないの」
彼が魔法救皇で、エリスが彼に強制力を持つ運命の乙女でなければ、「もうこの話は忘れて」と五回くらい言いたいところだ。
「ううん、否定しないで。夢があるのはいいことだよ」
彼は儚げに微笑んだ。
「ごめんね、僕は、たくさんの人に憧れてもらえるような正統派の皇子様には、きっとなれないな」
「なれなくていいのよ!? というか皇子様になんてなれないのが普通なのよ!?」
言ってから、でもアシュレイは、本当に「なることができる」人なのだろうか、と思い至って、エリスはただ、目の前の彼を見つめてしまう。
魔法救皇ならば『王族』のはずなのだ。一般市民がいきなり最強の子を授かっても混乱するので、大昔の十聖は「その時代で最も慈悲と権力のある大国の王族の元に生まれるように」と定めていた。だからこの国の者であるなら皇子であるはずだ。
(でも実際の皇子二人はどちらも違って……あれ? アシュレイって兄妹がいるって言ってたわよね……)
正確には従兄二人と幼い従妹と言っていた。――この国の皇子二人と六歳の皇女に一致する。
(じゃあアシュレイは……皇帝陛下の甥ってこと、よね……?)
それは皇子なのだろうか。そもそも、王甥は皇族の範囲に含まれるのだろうか。本来なら分家で公爵のはずだ。魔法救皇はてっきり直系に生まれると思っていた。
今までは直系から生まれていたはずで――妙な違和感がある。
アシュレイのような存在は、仮面をつけた魔法救皇の正体候補にも挙がったことはない。なぜなら王甥自体、公式では存在しないはずだからだ。
(この人は、誰なんだろう)
この国において、彼はどこに居場所をもらったのだろう。
「アシュレイ、あの……私、皇子になんか、興味はないわ」
彼は寂しそうに微笑んだ。
「いいんだよ。第一皇子みたいな厳粛な人から特別扱いされたら、それこそ本物の愛だと思うし……それが欲しいって気持ちもわかる気がする。……あの人が魔法救皇なら良かったのにね」
「え?」
なんでそう思うんだろう、とエリスは戸惑った。
彼は答える。
「だって、あの人は完璧だから。みんなが憧れて、みんなが期待して――誰もが安心して世界を任せられるよ」
「……そうかしら。そこまで立派な人には見えなかったわ」
エリスが心底嫌そうな顔をすると、アシュレイは少し驚いた後、「エリスさんはすごいなぁ」とちいさく力が抜けたように苦笑した。




