19_耳飾り
会場から出て逃げるように廊下を急ぎ足で進む――止まったら崩れそうになるから、とにかく急いで離れたかった。
「エリス!!」
呼ばれて振り向けば、すぐ後ろにアシュレイが来ていた。
「アシュレイ……」
力が抜けて、エリスはへたりこむ。
それを抱き留めるようにアシュレイも共に座り込み、エリスの泣きそうな顔を覗き込んで、痛切に叫んだ。
「どうしてあんなに危ないことを……! 人を殺させるような命令なんかしたら、まずいってわかってたでしょう!?」
紫の瞳がまっすぐにエリスを射抜く。
彼の心配はもっともだと思った。エリスは震える声で、なんとか自分の考えを言う。
「だ、だって死にたくなくて……逃げ出すためには、運命の相手同士じゃないって証明しようと思って……そうしたら無茶な命令をしてみせることしか……」
「いざとなれば僕がさらって逃げたよ!」
「そ、それはさすがに、事前に言ってくれないとわからないわ……」
アシュレイが魔法に優れた国家魔導士であることは知っていた。だが皇子に逆らってまで助けてほしいとは思っていない。仮に「いざという時は僕を頼って」と言われていたとしても、今宵アシュレイを巻き込もうとは思わなかっただろう。
泣きそうなエリスを、彼が苦しそうに見る。
「ごめん……ごめんね、事前に言わなかった僕が悪い。今度からは絶対に僕を頼って。必ず助けるから」
「いえ、わかっていても、やっぱり頼らないわ」
「頼ってよ!」
彼が必死にエリスを見つめる。
だが、エリスはゆっくりと首を横に振った。
(……皇子に敵視されるなんて、私一人で十分よ)
今後もアシュレイに「助けて」とは言わないだろう。
自分のことは自分で助けるしかない。
(自分でも、さすがにさっきのは最低だったとは思うけど……)
罪もない貴族を殺してみせろと皇子に命じた。
だがエリスだって本気で他人を犠牲にする気は無かった。誰も死なせない自信もあった。
絶対に第一皇子はあの仮面の魔法救皇ではないと確信していたし、万が一の場合も、もしエリスが本当に皇子に強制力を持っているなら、「止まれ!」と叫べばいいだけだ。身を挺して、間に割って入るつもりもあった。
(私って、命懸けでしか、自分の命を守れないのね)
なんとなく無力さを感じて――アシュレイが守ってくれなければ、あの側近の騎士に殺されていたのだと思うと、震えと寒気が溢れてくる。
「アシュレイ、さっきは守ってくれてありがとう……言うのが遅くなって……あの場では言えなくてごめんなさい」
エリスの消え入りそうな声に、アシュレイがはっとして、温めるようにエリスの背に触れて抱きしめる。
「怖かったよね……本当にごめん。ちゃんと事前に言わなかった僕が悪い。裏でエリスを助けるつもりだったけど、言わなかったんだから僕が悪い。――今度は絶対に助けるから、もう無茶をしないで。エリスが死んでしまったらと思うと、僕は息もできないよ」
彼の身体の熱が、凍えかけたエリスを溶かしてくれる。
縋るように、エリスはぎゅっと服を掴んで身を寄せた。
「アシュレイが謝ることなんて、何もないわ」
涙が熱をもって頬を流れていく。めそめそと泣きながら、「アシュレイのせいで泣いてるわけじゃないわ」と改めて主張した。
「こんなことに巻き込んで、ごめんなさい。あなたが勝手に魔法を使ったことで、責任を取らされたり、今後の立場が悪くならないといいんだけど」
皇子の側近と争ってしまった。皇子にも怒られていた。大丈夫なんだろうか、とそっと彼を見上げると、「そんなこと気にしなくていいのに!」とアシュレイが驚いている。
「エリス……はっきり言っておくね。誰が相手でも、僕は絶対にエリスの味方をするよ。皇子相手でも、どの貴族が相手でも絶対に。だから、僕の立場とか、相手の立場なんて気にしないで」
「……本当に、今後も、皇子相手でも逆らうの?」
「うん」
彼はあっさりと頷いた。そこに嘘の感情はまったく見えない。
「……もっと偉い、皇帝陛下とかでも?」
「もちろん」
「……じゃあもっと……魔法の強い……魔法救皇様は?」
エリスの言葉に、彼は笑った。
「もちろん――いざとなれば魔法救皇だって、殺してみせるよ」
そのまっすぐな、青空のように晴れやかに言われた決意に、ぽかんとエリスは口を開けてしまった。
「……いえ、あの、殺さなくてもいいのよ?」
「あ、うん。……でも、それくらいの覚悟はあるってことだよ?」
彼はちいさく苦笑してみせる。
世界最強の相手すら敵に回してエリスを助けてくれるとは――彼はかなり親身になりすぎる人だ。
しかも心に曇りは無く、嘘の感情一つさえ見えなかったということは、本気でいざとなれば殺せると思っているのだ。
「……アシュレイって実はかなりすごい魔導士だったりする?」
そっと下から顔を覗き込むように彼を見れば、「え、僕は下っ端だよ」と驚かれる。
「魔道具部門の特殊審問官なんて言っても、僕は移動が得意だと思われてるから――ええと、箒で飛べるから、あちこちに使い走りにされてるよ。それはもう下っ端だよ」
そう言って平然と笑っているが、エリスはそれを信じてはいけない気がした。
「いえ、役職とか待遇とかではなくて、魔法の実力的に……いざとなれば魔法救皇も倒せるって本気で思ってるわよね?」
「……バレた? エリスさんには――エリスには隠し事はできないね」
ふふ、と笑って、「冗談だよ」とアシュレイは首をすくめる。
今は少しだけ嘘の感情が見えていた。
「ああ、そうだ、何かあった時に呼べるように、僕の物を身に着けていてほしいな……どうしよう、どれがいいかな」
いつの間にか彼の手の中には、装飾品が溢れていた。
首飾りや耳飾り、指輪や腕輪など、多種多様の品々だった。
「え、今どこから出したの?」
「まあ、ちょっとだけ魔法が得意だから」
「魔導士ってすごいのね……」
エリスには魔法のことはわからないが、優秀な国家魔導士ならきっとこれくらいできるのだろう。
彼は、一対の耳飾りを手に取って「これにする?」と訊いてくる。
今日の彼がしているのとは違う耳飾りだ。
彼は自分の耳への視線に気づくと、「あ、これは業務連絡用で……仕事用だからあげられなくて……」と気まずそうにする。
「いえ、別にそっちが良いって言いたいわけじゃなくて……あの、これってなんだか、随分豪華な……」
彼が手にしている一対の耳飾りは、真っ赤な宝石と金、そして細やかなダイヤがふんだんに使われている、まさに皇族にでも贈られそうな最上級の品だろうと思えた。
「ああ、これ、本来は婚儀用のやつだったかな、僕の城にあったやつで……」
「婚儀? ……僕の城?」
「あ」
彼は慌てて弁明を始める。
「こ、この城じゃないよ! この城の物を持ってきちゃったわけじゃないよ! ……辺境の……領地、みたいな……」
なにやら高貴なご令息のようだ。城付きの領地があるらしい。
そしてそんな城の大層なものを、まさかエリスに貸そうとしているのだろうか。
エリスが固まっていると、「これじゃ嫌……?」と心配そうに訊いてくる。
「いえ、その、こんな素敵な物、触るのも怖いんだけど」
「あ、気にしないで。紛失しても魔法で戻ってくるから。……嫌じゃなければ、身に着けてくれる? そうしたらエリスが呼んだ時に、僕が駆け付けられるようになるから。お揃いで片耳ずつ着けよう」
「そこまでしてくれなくていいわ」
「いや、僕が、そうしたいから!」
彼が珍しく強く言うので、「じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて」とエリスは頷く。まだしばらく危険な目に遭うかもしれないし――多分アシュレイを巻き込まないために、実際に頼ることはないとは思うが――いつでも呼べるという事実があれば、勇気にもなるだろう。
「……その……少しだけ大事に使わせてもらうわね。代わりの物を用意できたら返すから……」
「あ、貸したと思ってる? 返さなくていいんだよ」
アシュレイは、一対の片方をエリスに渡してくれた。お揃いで着けようと言っていたので片耳分だ。利き手が右なので、右耳につけようと試してみるが、耳飾りに慣れていないので、苦戦する。
彼がそっと手を伸ばして着けてくれた。
それから、彼も自分の耳に手を遣り、仕事用だと言っていた透明な石の耳飾りを左耳側だけ外すと、エリスと同じ耳飾りをそこに着けた。
真っ赤な宝石が、揺れている。
(……お揃いの耳飾り)
なんだか、こんな関係になってしまって良いんだろうか、と思ってしまった。
会ったばかりで友人と呼ぶのもまだ早いようなくらいなのに、彼が優しすぎるせいで、エリスの安全のためにここまでしてくれている。
独り占めしてしまっているようで……彼の未来の妻に、申し訳ない。
そう考えた時、ちくり、と胸が痛んだ。
いつかこの人は、エリス以外の誰かを、もっと大切にするのだろうか。




