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私のいとしい最弱の魔法救皇  作者: 猪谷かなめ
第二章:舞踏会
18/69

18_敵意②



 今すぐ逃げ帰った方が良い、と自分の勘が言っていた。

 そのために、エリスは――自分が取るべき行動を決めた。

 まっすぐに皇子を見つめ、そしてやわらかく微笑んでみせる。


「殿下、少し申し上げたいことがあるのですが、よろしいですか?」

「なんだ?」

「お耳を貸してくださいませ」

「…………」


 エリスはさらに微笑みを深め、ただ待った。

 皇子はすぐそばまで寄ってくる。拒否されないことはわかっていた。――この皇子は、周囲に対して演技をしたい限り、エリスの要求に必ず従う。

 それを利用して、逃げ切らせてもらおうではないか。


 彼がすぐ近くまで来た時、エリスはその耳元で囁いた。


「わたくし、皇家の秘密に気がついてしまいました」


 彼の呼吸が一瞬止まる。


「……何の話だ」


 顔を上げ、見下ろしてくる皇子の肩に手を添えて、なるべくエリスは自信たっぷりに聞こえるように囁いた。


「あなた様も、第二皇子様も、魔法救皇ではありません。わたくしはわかってしまいました。だって、運命の相手だから」


 そして蠱惑的に微笑んでみせた。侮られたら、このまま負ける。

 赤い瞳が、まっすぐにエリスに向けられた。エリスの奥底の真意を探ろうとするかのように、強い決意が込められているのを感じる。


「気のせいだろう。俺が、運命の相手だ」

「ご冗談を。先ほど『本物』にお会いしましたのに。もう騙されませんわ」


 彼から怒りが漏れ出てくる。先ほどまでは感情はどうしてか見えなかったが――おそらく魔法で隠していたのだろう。それが隠しきれなくなっている。

 それほどの怒りと、わずかにまだ見えにくいそれは――誰かを案じる気持ちだろうか。


(一体誰を案じているの?)


 この人が持っている感情は、エリス自身への嫌悪ではない。おそらく、未来の何かにずっと備えている。


「……魔法救皇の素性を隠しているのは、何のためですか?」

「俺が魔法救皇だ」


 なかなか頑固な人のようだ。エリスにだけ聞こえる声量ではあるが、匿名のはずの魔法救皇をはっきりと名乗るほど、本物の正体を隠したいらしい。


 まあいいか、とエリスは彼から離れ、内緒話を終わりにした。

 本当は「秘密をバラされたくなかったら今夜はとりあえず帰らせてくれますよね?」と交渉したかったのだが――無理そうならば深追いはしない。

 重要なのは、『第三の存在』を隠し続ける理由を知ることではなく、ここから無事に逃げ出す方法だ。いっそ今後の安全のために、『エリスは運命の乙女ではない』とまで、今夜の貴族たちに向けて皇子の口から言ってもらいたいのだが――。


(皇子と交渉で勝たなきゃいけないなんて……ほぼ無理だわ)


 来るんじゃなかった。いや、きちんと自分の目で確かめたのは良いことだ。挑戦したことに意義がある。老爺たちも褒めてくれるだろう。


(……本当は、わかってるのよ)


 エリスが鏡を持って帰れなくたって、きっと老爺たちは責めたりしない。

 鏡を取り戻せれば彼らは喜ぶだろうが、乗り気でないエリスを無理にでも送り出したのは、きっとエリスに幸せになってほしいと思っているからだ。運命の相手である魔法救皇に会わせたかったのだ。


(ごめんね、駄目だったわ、って言って、元の生活に戻りたいわ。……運命の相手なんかいなくても、幸せだからって、言いたいわ)


 少ししか話せなかったが、魔法救皇は優しそうな雰囲気だった。

 多分、頼んだら国宝の一つくらい、普通にくれるかもしれない。わりと話が通じそうな人ではあったけれど――。


(……その周辺が私の手には負えそうにないというか……)


 今まさにピンチである。

 逃げ帰れなかったら『次に魔法救皇に会った時に相談してみようかしら』なんて望みも(いだ)けない。


 苦悩の顔をしているエリスをじっと見ながら、第一皇子が言った。


「俺も質問があるのだが――そもそも、お前はなぜ、最初から運命の乙女の自覚がある?」

「…………」


 予想外の質問にエリスは一瞬黙り、「自覚なんて、ありません」と答えた。


「いや、お前は他の令嬢と違った。お前はどの皇子が魔法救皇か探ろうとしていただろう。……何が目的だ?」


 それだけはバレるわけにはいかない。

 エリスは無邪気な令嬢らしく見えるよう、はにかんでみせた。


「あら、自分が運命の乙女かもしれない、と思って運命の相手を探しに行く年頃の乙女の行動に、一体何の問題がありますでしょうか。誰だって、自分と縁の深い殿方がいるかも、と思ったら、確かめたくなるものでしょう?」

「何故そんな相手がいると思ったんだ。お前はそれほど夢見がちな令嬢でもないだろう」

「いいえ、わたくしだって、夢見がちな乙女ですわ。皇子様と出会う妄想を幼少から何百回としてきたような、純然たる乙女ですわ、うふふ」

「……」


 深い溜息を吐かれてしまった。(らち)が明かない、と思ったのだろう。


「その似合わない口調をやめろ。先ほど俺と踊っていた時のように戻せ」


 しかも口調の文句まで言われた。お嬢様っぽく喋っていたのに、似合わなかったらしい。


「……私は、平穏に生きたいだけです」

「ならばなぜ、城に来た」

「……」


 皇子が側近の騎士に何か目配せをした。

 ――このままだと、やはり捕縛されるんじゃないだろうか。そして監禁されるんじゃないだろうか。

 貴族たちも、それを期待している感情が見える。


 エリスなど、伯爵家の養女に過ぎない。

 皇子だって、エリスが今夜の魔物騒ぎの共犯者だとは思っていなくとも、「とりあえずどこかの部屋に入れておこう」くらいには考えているだろう。

 ――ここでも、エリスはどうでもいい物扱いだ。

 叔母の村に居た時と同じ。誰にとっても、身を挺して庇うほどの存在ではない。


 ――けれど、


(絶対に、帰るのよ)


 老爺たちに大切にしてもらったから。

 帰りたい場所ができたから。

 だから、もう、エリスを粗末にする人達の、望み通りになるわけにはいかないのだ。


 最後の足掻きとして、エリスは真正直に頼むことにする。


「殿下、どうかわたくしを無事に帰らせてください。……運命の乙女のお願いなら、断れませんわよね?」

「ああ、もちろん帰らせよう。ただし、時期の指定はしない」


 皇子の目配せで、すぐさま騎士たちがエリスに飛び掛かるような勢いで近づいてきた。

 エリスがこれ以上何も言わないよう――皇子が、エリスの命令に逆らえない演技をしなくて済むよう、皇子が捕縛を命じたのだ。


(この男……!)


 覚悟を決めねばならない。

 ここにいるすべての人に、もっと嫌われる覚悟を。


 口を布で覆われる寸前、エリスは叫んだ。


「命令をします、殿下。近くにいる貴族を、三秒以内に殺してください」


 全ての者が、息を呑んだ。

 皇子の赤い瞳が驚愕に見開かれる。


 しんと時が止まり――エリスは勝利を確信して、息を吐いた。


「――あら、もう三秒、経ちましたわよ? おかしいですわね。一秒では実行できなくて可哀想だからと多めに三秒にしてあげましたのに……命令、効きませんでしたわね?」


 直後、真横で焼けるような熱風が炸裂し、エリスのすぐ耳元で掻き消えた。


 飛んできた方向を見れば、凄まじい炎球の魔法が今まさにもう一度エリスにぶつかろうとしているところだった。その炎球にエリスが焼かれずに済んでいるのは――もう一人が、防いでくれているからだ。


 二人の人物がエリスに手をかざして、魔法を向け続けていた。


 第一皇子の側近騎士と――アシュレイだ。

 騎士がエリスに魔法を放ち、それを寸前でアシュレイが防いでいるのだろう。


 アシュレイからは、仄暗い怒気が溢れていた。

 そこだけに闇が訪れたように、紫電の閃光が彼の周りで明滅している。


(アシュレイ……!)


 ただ愕然と彼を見つめることしかできない。彼はエリスを見ず、目の前の騎士を一切の瞬きもせずに見据えていた。


 互いに一切魔法を緩めないまま――側近の騎士が、焦りと怒気に満ちた顔で皇子に叫ぶ。


「殿下、どうかこの者を止めてください! あの女は今すぐ殺さねばなりません!! 聞きましたか、先ほどの言葉を!!」


 強烈な憤怒と正義感。感情を見る能力が無くとも、その表情だけで『危険人物の死』を本気で望んでいるとわかっただろう。


(――私は……)


 アシュレイが守ってくれなければ、先ほど一瞬で死んでいた。

 その事実にへたりこみそうになったが、まだ駄目だ、と自分を叱咤する。ここで弱さを見せるわけにはいかない。


 騎士は憤りながら、今もまさにエリスを殺そうと魔法を向け続け、アシュレイは一言も喋らずに、いっそすべての感情が凪いだように、それを静かに防いでいた。表情はすでに抜け落ちており――けれど、彼の荒れた感情を示すように、紫の雷が凄まじい勢いで幾つも明滅を続けている。


 第一皇子は片手をあげて、彼らを制した。


「二人とも――俺の許可無く、強い魔法を使うな。厳罰を受けたいのか」


 皇子の言葉を聞いて、二人は、ゆっくりと――互いを出し抜かないように――慎重に魔法を鎮める。

 そして「申し訳ございません」と皇子に詫びた。


 皇子は溜息を吐き――まずアシュレイの方を向いて、目を細めた。


「……アシュレイ、ここの結界を最後に調節したのはお前だったな。先ほども他の魔導士たちが魔物に魔法を打ち続けていたが――本来、安全上、この会場では一定以上の魔法は使えないはずだ。なぜ誰にも制限が掛かっていない? 調整を誤ったな? お前の不器用はいつ直る」

「……申し開きもございません、殿下」


 アシュレイは静かに(こうべ)を垂れてみせる。

 皇子は次に、側近の騎士に「俺が命じる以上のことはするな」と話しかけた。


 その様子を呆然と見守っていると、アシュレイがエリスの方を振り向いた。目が合うと、彼はすぐに泣きそうな顔になる。


(アシュレイ……)


 彼に駆けつけたかった。だが、今は話しかけては駄目だ。彼を巻き込んでしまう。

 演技をあと少し、続けなければならない。


「殿下、これで明らかになりましたわね」


 エリスが声を張ると、皇子が警戒するような目で、こちらに向き直った。


「わたくしの命令に、殿下は従わないことができましたわね」

「……ああ、そうだな」


 表情を抑えながらも、わずかに悔いるような顔をする。

 それをまっすぐに見つめながら、エリスは言った。


「――つまり、わたくしは、あなたの運命の乙女ではありませんわ」


 その言葉に、皇子の目が見開かれた。


「何……?」


 かなり戸惑うように「今、何と言った?」と訊き返す。


(――ああ、やっぱり、別のことを恐れていたのね)


 きっとこの場で「あなたは魔法救皇ではありません」と証明されることを、この皇子は一番避けたかったのだろう。

 だから、まさかエリスが「運命の乙女ではありません」と舞台から降りるとは思っていなかったらしい。エリスが何かしらの目的を持って近づいてきたと思っているから、その権力を手放すとは思っていなかったのだ。何度も瞬きをしてエリスを見ている。


(死ぬよりはマシよ)


 この城から逃げ帰って、二度と近寄れなくたって、もういいと思った。


 だから、エリスは会場の令嬢たちに向かって両腕を広げて、微笑んでみせる。


「皆様、ごらんのとおり、わたくしは本物の運命の乙女ではありませんわ。だから殿下はわたくしの命令を無視することができた。……今宵のことは、すべて、殿下と共謀した演技ですわ。運命の乙女を排除しようとする者を、誘き出すための演技です」


 エリスの言葉に、貴族たちは戸惑っていた。「でも、あんなに親しげに……」「ダンスだってあんなに堂々と誘って……求婚まで命じて……」と呟いている。


「あら、そんなにおかしなことでしょうか? いずれ皆様の中から大切な生涯の伴侶をお迎えするのですから――ただでさえ、陰謀に巻き込まれやすい『運命の乙女』を万全に迎えようと思えば、一芝居打つくらい、この立派な殿下は当然なさいますでしょう。事実、先ほど一人、不届き者が見つかったでしょう? ですから、今宵のことはただ単に、事前にわたくしを運命の乙女として扱うよう、示し合わせていただけですのよ」


 令嬢たちは、色めき立つ。まだ諦めなくていいのだ、と興奮がじわじわと湧き始めていた。――たとえエリスの言葉があやしくとも、見定めずに飛びつきたいほど、この『嘘』には価値がある。

 そしてエリスに心無い言葉を吐いていた者たちは、「試されていたのか?」と羞恥と焦りが見え始めた。


「次に演技を任されるのは――いえ、次こそ本物が、皆様の中から見つけ出されるかもしれませんわね。それに、今宵のわたくしのように演技の相手に選ばれたなら、大抵のお願いは聞いてくださいますわ。もしかしたら――求婚にも応じてくださるかも」


 令嬢たちの目に光が宿る。いっせいに皇子に視線が突き刺さった。

 普段から「わたくしと踊りなさい」と命じ慣れている令嬢たちは、きっと今後、遠慮なく皇子に「次はわたくしと演技を!」とアピールしていくだろう。今にも飛びかかりそうなほどの熱意だった。


「では、わたくしはそろそろおいとまさせていただきますわ。……駄目とはおっしゃいませんわよね、殿下? 今宵の運命の乙女は、まだわたくしですもの。最後のお願いくらいは聞いてくださいますわよね?」

「…………ああ、いいだろう」


 皇子は、まだ状況を飲み込めていないようだったが、許可はもらった。

 エリスはこれが最後の一回になるであろう淑女の礼を丁寧に()って退場する。

 ――二度と令嬢ごっこなんかするものか、と思った。



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