12_舞踏会②
ふいに、入口付近が騒ぎ始めた。そして、しん、と静かになる。
空気が変わった。
「――第一皇子、ベネディクト殿下のご入場です」
その人物はまさに、この歴史ある帝国の『皇子』にふさわしい風格だった。
黄金色の髪に、血のように赤い瞳。
恵まれた体躯に、二十歳とは思えない為政者の威厳。
どこか厳格そうな印象を受けるが、端整な顔立ちで――令嬢の誰もが恋焦がれるに違いないと思わせる、まさに高貴な皇族の長子だった。
(恐ろしいほどに、雰囲気のある人だわ……)
この国は代々魔法救皇を輩出していることもあってか、皇族は魔力も桁違いだという。
たとえ救皇でなくとも、優秀な魔導士であろうし、纏う空気からして、剣術の心得もある――実力を伴う自負がある人だろうと思えた。
きっとすべてにおいて優秀なのだろう。
自然と周りが頭を下げるような畏怖を抱かせる人だった。
彼はまっすぐに歩いていき、最も奥の、数段高い壇にのぼると、皆を見渡して、よく通る声で言った。
「皆の者、よく集まってくれた。今夜は無礼講だ。ゆるりと楽しんでくれ」
簡潔すぎる開会の挨拶が終わると――ものすごい勢いで令嬢たちが皇子の前に一列に並んだ。
そして――
「わたくしと踊ってください!」
「次」
「わたくしと踊るのです!」
「次」
「わ、わたくしと踊ってくださいますか?」
「違う。言い直せ」
「わ、わたくしと一曲踊りなさい!」
「――次」
ものすごい勢いで、皇子が令嬢たちからのダンスのお誘いを断り続けている。
「な、なにあれ!?」
エリスは思わず声を上げてしまった。
なにより驚くべきことに、わりと令嬢側が高飛車というか――上から目線でお誘いの言葉を言っているのだ。
ぽかんとしていると、アシュレイが苦い顔をしながら説明をしてくれた。
「ああ、あれはね、命令口調で皇子に要求して――皇子が従うかどうか、っていう……『運命の乙女』の強制力が効くかどうかを判定しているんだ」
「判定……」
つまり、『次々に令嬢たちに命令をさせ、その命令を断れない相手が現れたら、その人こそが運命の乙女』というシンプルな実験なのだろう。
「なるほど、だから皇子相手に命令口調が許されるのね。まさに無礼講……みんな慣れてるの? お城では日常茶飯事?」
「う、うーん……」
アシュレイが遠い目になった。
「十年くらい前からかな……魔法救皇が仮面をつけて活躍し始めた頃、いよいよ運命の乙女は誰かって話になってね……それで第一皇子に恋する令嬢が、自分こそが運命の乙女だと信じて、『わたくしと踊りなさい』って命令をしたんだ。……本来なら皇子に命令なんて不敬罪だけど、恋する気持ちもわかるし、皇族側も運命の乙女は見つけたいから、お咎め無しっていうことになって――それから舞踏会でだけ『わたくしと踊りなさい』って命令口調で話しかけてもいいことになったんだよ」
「面白い慣例ね」
それはそれとして、命令が効かなかったら公開失恋になるがいいのだろうか、と少し心配になった。
「いま並んでいるご令嬢たちは……今夜が初めて?」
「ううん、なんだかんだ二回目、三回目とかの人もいると思うよ」
「結果が変わることってあるの?」
「……無いとは思うけど」
彼は一列に並んでいる令嬢たちを見る。
「でも、たしかに今日は初めて見るような令嬢も多いかも。わりと珍しい、分家のご令嬢とかも呼ばれてるみたいだね」
「ああ……私みたいなのも呼ばれる日だし、徐々に下げて――範囲を広げてるんでしょうね。あまりにも運命の乙女が見つからないから」
「……そうかもしれないね」
彼はなんだか気まずそうな顔になった。
「まあ、やっぱりなるべく高貴な人がいいんでしょうね。平民なんか探してもいないもの」
「あ、いや、運命の乙女は皇后になることもあるから、貴族のほうが色々とスムーズにいくけど――ぼ、僕はそう思わないよ!? 令嬢である必要はないからね!?」
急にアシュレイが力説した。まるでエリスを気遣っているような感じがした。平民出身であることを察しているのだろうか。
しかし、エリスは別のことが気になった。
「ねえ、『皇后になることもある』って……もしかして、ならない場合もあるの?」
「あ、うん、魔法救皇自体が、皇帝に即位したがらないこともあるから――百年前の先代とかも嫌がって、『政治は弟に任せる』って各地を飛び回ってたみたいだよ」
「へぇ、いいわね」
「……まあ先代は結局、嫌々ながら周りに頼まれて三年くらいは玉座にいたらしいけど――でも必ずしも魔法救皇が皇帝にならなきゃいけないってわけじゃないんだ。……魔法救皇に政治が向いてるとは限らないからね」
「ふうん。まぁそうよね。魔法に関して万能っていう存在だし、そっちに専念したいかもしれないし」
「そう、そうなんだよ!」
なぜか力のこもった肯定をした。国家魔導士として何か思うところでもあるのだろうか。
(私としても、魔法救皇が皇帝にならない方が気が楽でいいわ……)
そういう人であれば、エリスが万が一、魔法救皇と結婚したとしても、城で高貴な皇后様ごっこをしなくてもいいわけだ。
(そういう未来になったらいいのに)
令嬢たちの並んでいる列を眺める。
第一皇子は、あまりにも為政者の風格を持っている。彼が魔法救皇ならば、当然、次期皇帝になるだろう。
列は徐々に減っていった。
「あんな方法でいいのかしら……いつでも嘘をつけるのに」
「え?」
アシュレイが驚いたように訊き返した。
「だって、たとえばあの皇子様にとって結婚したい令嬢がいたら、『はい、踊りましょう』って命令に従うふりをすれば、運命の乙女ってことにできるもの」
「……よく気づいたね」
それが一番の欠点だよ、とアシュレイが苦笑する。
演技でどうにか見せかけることができてしまう以上、『運命の乙女の強制力』の真の証明にはならないだろう。そしてエリスより前に、誰かが運命の乙女に仕立てられた場合、エリスは皇子に近づくことすらできなくなってしまうだろう。
「権力を欲しがる人がお金を積んだら、そういうことになったりしないかしら? 自分の娘を運命の乙女に――皇后にしたい貴族って、山程いるでしょう?」
「まあ、そういうことを狙ってる貴族もたくさんいるって昔から聞くけれど……皇帝陛下も第一皇子殿下も、公平な人だから心配いらないよ」
「そう。それはよかった」
アシュレイは貴族社会に慣れているようだし、彼が言うなら大丈夫なのだろう。
「あ、そもそも第一皇子とは限らないのよね? 第二皇子は……今夜はいらっしゃらないのかしら」
第一皇子が来ているのに現れないということは、今夜は欠席なのだろうか。そう思って問えば、アシュレイは上を指差した。
「第二皇子はもう来てるよ。二階のソファー席にいると思う」
「二階?」
見上げれば、吹き抜けの天井の周囲にはぐるりとそれなりのスペースがあり、落下防止用の柵もある。一階のこちらを見下ろせるようになっているのだ。ここからはよく見えないが、奥まったところにはソファーなどもあるのだろう。
「この大広間は二階があって、ソファーとか軽食とかが用意されているんだ。今夜は特に、令嬢が多い舞踏会だからね、休憩しやすいようになってるんだよ。……行ってみる?」
「ええ、気になるわ」
もはや第二皇子への興味というより、未知の空間への好奇心があった。
アシュレイがそばにいる安心感からか、冒険気分が湧いているのだ。億劫だった煌びやかな舞踏会も、なんだか楽しそうだと思ってしまう。
(慣れない場所に知人がいてくれるって、こんなにありがたいことだったのね)
二階へ続く階段へと向かい、その一段目が近づくと、アシュレイが先に進んで振り返った。
「エリス、手を――」
あまりに自然に手を差し伸べられて、エリスはきょとんと彼を見つめてしまう。
「……紳士なのね」
思わず言えば、彼が急に慌て出す。
「あ、その、ごめん、エリスは今日は踵の高い靴だから転んだら危ないと思って! ご、ごめんね、勝手にエスコートするような真似をして」
「え、どうして謝るの? ……私こそ、驚いてごめんなさい。嬉しいわ」
むしろマナーとかではなく、今日のエリスの服装を見てエリスのために行動を選んでくれたのだとわかってさらに嬉しくなった。
「ありがとう、アシュレイ」
はにかみながらお礼を言うと、
「可愛……!」
と、ぶわりとまた彼から感情が溢れ出ていた。




