10_正体(※後半は彼視点)
後半はアシュレイ視点になります。
翌朝、彼の作った朝食は、香草のスープも、オムレツも、こんがり焼いたベーコンも、全部とてもおいしかった。
みんなに褒められて、彼は顔を真っ赤にしながら、ふわっ、ふわっ、と幸せそうな感情を溢れさせていた。
そして――
「送ってくるわね。また迷子になるといけないから」
小屋の前で老爺二人にそう言ってから、アシュレイと共にエリスは森の入口へと向かって歩き出した。
「ご、ごめんね……感知がうまくできなくて……やっぱり結界があるんじゃないかな……魔道具の魔力の残滓を追ってきたけど、森に入ったらよくわからなくなって……この小屋にも、エリスに案内してもらわなかったら辿り着かなかった気がするよ」
「ふうん?」
古い森だから、何かしらの大昔の加護が残っていたりするのだろうか。
「魔力の残滓って、普段はそんなにあてになるの?」
「……ええと、僕はかなり感知能力があって……森に入るまでは、大体の距離と方角はわかっていたんだ」
「じゃあ一旦森の外に出て、地図でおおよその印をつけてから、進んでみたら良かったんじゃない?」
そう提案すると、彼はとても言いにくそうにした。
「……地図を見ても、今、自分が地図上のどこにいるか……現在位置が、よくわからなくて……」
「…………」
彼はどうやら方向音痴らしい。
ちゃんと入口まで送ってあげよう、とますますエリスは思った。
「箒で飛ぶのも……また落ちたりしたら心配だけど……」
歩きながら、彼はちらりと自分で手に持っている箒に視線を向けた。
「あまり歩かせるのも申し訳ないから……低空飛行を試してみる?」
「え? 低空飛行?」
「うん、もし落ちても怪我しないくらいの低さで、ゆっくり飛んでみようか」
彼はそう言って箒にまたがる。
そして彼に促されて、エリスも彼のすぐ後ろ、箒の後方におそるおそるまたがってみた。
(も、もしかして、私も飛行を体験できるの?)
わくわくと緊張していると、
「あ、エリス、落ちないようにもう少し僕にくっついて――い、いや、あの、変な意味じゃなくて」
彼が見事に狼狽え出す。
「くっついていいの?」
では遠慮なく、と彼の背中にぴとりとくっつくと、途端に彼から謎の感情が飛び出した。悲鳴でも上がりそうな勢いだった。しかし彼はしばらく震えていただけで、それについては何も言わなかった。
「……じゃ、じゃあ飛ぶよ」
「うん、お願い」
ふわりと低めに箒が浮き、それから、すうっと滑らかに進みだした。
(すごい……!)
あっという間に速度を上げていき、森の景色がぐんぐんと後ろに流れる。朝の光を浴びて、新緑の木々も青空も美しい。まるで自分が風になったようだった。
「すごい! すごいわ、アシュレイ! すごく楽しい!」
「ふふ……良かった」
彼も、とても嬉しそうだった。
◇◇◇
「それじゃあ、またね」
「うん、また……また来るよ。色々とありがとう」
二人は森の入口で別れた。
アシュレイはいつまでも手を振ってくれる彼女を何度も振り返り――そして道を曲がり、彼女の姿が見えなくなったところで、
彼は――古城に転移した。
直後、自分のベッドに寝転がり、アシュレイは呻く。
「し、心臓がもたない……!」
ごろんごろん、とアシュレイはベッドの上を転がりながら反省する。
初めて彼女を見た時から、雷が落ちたような衝撃があった。実際、動揺して雷を起こしてしまったくらいだ。
彼女――エリスを見ているだけで、「あ、可愛い。すごく可愛い」などと口走りそうになる。
(ど、どうしよう、絶対、変な人だって思われた……)
彼女の前で、相当挙動不審になっていた自覚がある。「いま何を考えているの?」と訊かれても、「君が可愛い」以外に感想が無い。「可愛い、あ、可愛い。まばたきしてるだけで可愛い。ずっと見ていたい」などと思っていたが、それは彼女の求めている答えではないだろうし、実際この感情は何なんだろうと自分でも思っていたので、「わからない」と答えたが。
今ならわかる――これは確実に、恋だろう。
(――エリスさん、優しくて聡明な人だな)
朝食一つを作るだけでも、「失望させたらどうしよう」と不安になってしまうアシュレイに、優しく言葉をかけ、なによりもアシュレイ自身が大切なんだと告げてくれた。人間同士の関わり合い方は、正解を出さなくてもいいんだよと、当たり前のことだが、世の中では建前になってしまったような、どこかで忘れていた大切な気持ちを、彼女はそのまま手渡してくれた。
穏やかに心を通わせるためだけに時間を使うなんて、なんて贅沢で幸福なことだろうと、彼女と過ごしながら感じていた。自分を生きた人間に戻してくれるような――強張っていた身体をほぐしてくれる、それこそ温かいスープのような。まさに自分の心を思い出させてくれるような人だ。
(それなのに、多分、自覚がないんだろうなぁ……)
彼女は自分が相手に何かを与えたことにちっとも気づいていない。いつも堂々と自然体で――それでいて、彼女は『家族』について話す時だけ、どこか寂しそうな顔をする。過去に何かあったのだろう。自分と願いが近いかもしれない。――温かな家庭。穏やかに、静かに寄り添い、微笑みあうだけで幸せな暮らし。ちいさな一つ一つを大切にできるような――それこそがアシュレイの望みだ。
(彼女は、どう思ってるのかな)
望みを知りたい。もっと話をしたい、近づきたいと思った。
ゆっくり歩み寄るくらいで間に合うだろうか。――他に狙っている男はいないだろうか。
「ああ、エリス、エリスさん、どうか俺の運命の相手でいてください。他の男なんて近づくだけでも世界を滅ぼしかねない。好きです。好きなんです。どこぞの誰かがあなたに無遠慮に触れる前に、どうか俺に独り占めにさせてください。絶対に大切にします。どんなことでも叶えます。だからずっとそばにいてください。あなたのためなら靴でも舐めます……」
「……とうとう頭が沸いたのか、小僧」
突然、男性の声がして、アシュレイは「ひっ!」と飛び上がった。
ばっと上体を起こし、自分しかいないはずの寝室を見回し――そして、壁に立てかけたままの箒を見る。
「い、今の聞いてらしたんですか、おじいさま! ……何年ぶりですか? 四年? 五年?」
「どうでもいいが、おじいさまと呼ぶんじゃねえ」
箒はみるみるうちに変貌し、皇帝や司祭が儀式で使うような荘厳な魔杖になった。人の背丈よりも高いその魔杖は、魂を持ったようにゆらりと動き、緊張しているアシュレイに不遜な声で喋りかける。
「聞くに堪えねえ言葉ばかり吐きやがって。相変わらず軟弱だな」
「……いえ、まさか聞こえていらっしゃるとは……ずっと眠ってらしたのに、よくお目覚めになりましたね」
「お前が落っことしたからだろうが。勝手に宿ってる俺が言うのもあれだが、国宝だぞ、これ」
そう言って自分の身体――立派な魔杖を揺らしてみせる。
「ああ、なるほど、衝撃で起きて……え、まさか昨日からずっと俺とエリスさんの会話を聞いてらして……? ど、どうして言ってくださらないんですか、おじいさま!? 恥ずかしいじゃないですか!」
「おじいさまじゃねえって言ってるだろ。……お前は弟の曾々孫なんだから」
「じゃあなんて呼べばいいんですか。……先代魔法救皇様?」
「それはもっとやめろ」
魔杖は露骨に嫌そうに言った後、「それよりも」とすぐに話題を切り替えた。
「あの小娘が『運命の乙女』なのか?」
「………………」
アシュレイは思わず黙った。この人に恋心がバレるのはまずいのだ。しかし無言のままもあやしいだろうと思い、「い、いやぁ、まさか、違いますよ」と目を逸らしつつ否定すると――魔杖が飛んできて頬をぶっ叩いた。
「痛っ! なんで飛び蹴りするんですか!」
「嘘ついてんじゃねえぞ。俺に殺されたくねえからって庇ってねえか?」
「庇ってません! 庇ってませんって!」
必死なアシュレイに、魔杖は深々と溜息を吐く。
「いいか、運命の乙女なんて、見つけたらすぐに始末しろ。お前は当代の魔法救皇なんだぞ。運命の乙女に願われれば、うっかり世界を滅ぼしかねない」
「……彼女がそんなことを願うわけがありません」
「わからねえぞ。俺の妻なんか、そりゃあひどい『運命の乙女』だった。俺は妻に動くなと言われれば動けねぇ。それをわかっていて容赦なく俺の背中を踏みやがる。世間の歴史書じゃあ骨抜きだのめろめろだのと軟弱な言葉で書かれてるようだが……地獄だぞ。服従の魔法ですら、もっと優しいぞ」
「……ま、まあ、夫婦の形は、色々とありますから」
そっと目を逸らしたアシュレイに、「おい、待て、惚気じゃねぇぞこれは」と男は言う。
「いや、でも、おじいさまって確か、そういう我儘な美女がお好きで――痛っ」
また魔杖の飛び蹴りが掠めかけた。
事実を言っただけなのに、ひどい対応だ。半泣きで「暴力はだめですよ、おじいさま!」と主張しても、男は平然と無かったことにして話を続ける。
「それにお前、箒から落ちてただろ。運命の乙女ってのはお前の魔法すらどうにかできちまうんだぞ。危ねぇから早く始末しろ」
「いや……あの場でも治癒魔法とか使えてましたし、雷も出ちゃってたし……そもそも飛行魔法の妨害をエリスさんが望んだとも思えないから、エリスさんが俺の運命の相手かどうかはまだちょっとわからないかなって……痛っ! なんで頬ばかり狙うんですか!」
また魔杖に飛び蹴りされかけた。……ぎりぎり避けたが。
「少し前まで幽霊を怖がってた小僧が、一丁前に口答えしやがって。そんなに庇うほどエリスとやらが気に入ったのか? ……そういえばお前、あの小娘の前では『僕』とか言ってたな? 何を可愛い子ぶってるんだ」
「……だ、だって、怖がられたくないので……! 俺はただでさえ魔力が強いんですから!」
「逃げられたくなきゃ、その前髪をどうにかしろよ……」
うんざりとしたように指摘されて、アシュレイはそっと自分の長い前髪に手で触れる。
……幼い頃、この辺境の古城で、大人だけに囲まれて暮らしていた。たまに街に行くと、あまりにも女の子たちに注目されて怖かったので、『目立ってはいけない』自分は前髪で顔を隠したが――そろそろ、どうにかするべきだろうか。
「――とにかく、ずっと昔から言ってきただろうが。運命の乙女なんてもんは見つけたらすぐに殺せ。それが嫌なら幽閉でもいい。相手がその権力に気づく前に始末しろ。それでお前は一生誰にも操られることはない。……とりあえず、あのエリスっていう小娘は、最有力候補としてどうにかしておけよ。本人が『運命の乙女』だと自覚する前にな」
「…………」
せめてもの反抗心で、「……嫌です」と、アシュレイは顔を背けた。
「口答えするんじゃねえ。……いいか、絶対に自覚させるんじゃねえぞ。お前が魔法救皇だと名乗って告白なんかしたら、一瞬で『お前を操れる』って気づかれるんだからな? 絶対に言うんじゃねえぞ」
「…………」
「おい、こら、返事をしろ!」
アシュレイは意地でも返事をしなかった。
次話から第二章・舞踏会編に入ります。




