第33話:豆腐の道は一日にしてならず
口の中で滑らかな食感を残しながら広がっていくのは凝縮された大豆のうまみ。主張しすぎないながらもゆるやかに広がっていくそれは無限の可能性を感じさせた。豆特有の青臭さなど全く感じられなかったが若干の苦みを含んでいた。とは言えその苦みもわかる人にしかわからない程度のものではあるしそれを好む人もいるかもしれない程度の物だが。
豆腐を咀嚼し飲み込んだ修と舞は目を見合わせコクリとうなずくとそのまま席を立った。ダイズ23号製の豆腐のおいしさに目を丸くしていた皆の視線が2人に集まる。
「舞、在庫は?」
「十分あるよ」
「時間は?」
「たぶん3時間。でもずっと見ていたわけじゃないからもう少し短いかも」
「わかった」
「ノーフ、収穫したダイズ23号を出して。一袋でいいから」
「あ、ああ」
いつもとは違う舞の気迫に少し気後れしつつもノーフがどこかから大豆の入った袋を取り出す。軽々とノーフは持っているが100キロほどのダイズ23号が入っているものだ。舞は魔法の手でそれを受け取ると修の後を追ってぴょんぴょんと跳ねながら調理場へと向かって行った。
ノーフとホタルそして絵麻が箸を止めてそれを見送る中、司はそのまま食事を続けていた。
「どうしたんだ、あいつらは?」
「多分豆腐を作りに行ったんだと思う。新しい大豆だし研究するんじゃない?」
「ということはあちらに行けば美味しい豆腐が食べられると言う訳ですね」
司の答えを聞いたホタルがふらふらとそちらへと飛んでいこうとするのを絵麻が掴んで止める。
「待ってホタルちゃん。最初は水に漬ける時間があるはずだからあと3時間以上はあるはず。私も食事を食べて報告書を書いたらすぐに戻ってくるからそれまで我慢しましょう」
「そうですね、絵麻」
「お前ら、仲がいいな。というかお前ら食うだけだろ」
ノーフの突っ込みに絵麻がずーんと落ち込む。そんな絵麻を励ますようにホタルがポンポンと肩を叩き、そしてノーフを見つめた。
「だめですよ、ノーフ。たとえ絵麻が料理が下手でものぐさで家庭的なところが全く見えないのに食欲だけ旺盛だなんて。なんて酷いことを言うんですか」
「うわぁぁん!」
「俺はそこまで言ってないだろうが!」
ホタルに止めを刺された絵麻が声を上げて泣き始める。ぽたぽたと涙が机の上に落ちるいわゆるマジ泣きというやつである。ホタルの視線がノーフを非難するように細くなる。
「いや、俺のせいじゃ……」
「言い訳は男らしくないですよ、ノーフ」
「どちらかと言えばおまえのせいだろうが!」
「うわぁぁん!」
ノーフの怒鳴り声に反応したのか絵麻の泣き声が大きくなる。それ見たことかと見つめてくるホタルに怒りを覚えながらもそれをすれば事態がさらに悪化するであろうことを理解しているためノーフはぐっとそれを抑える。そして涙を流し続けている絵麻を見下ろした。
「おいっ、泣き止め。料理が出来ない程度問題はない」
「ぐすっ、ぐすっ。本当に?」
涙目で見上げる絵麻へとノーフが力強くうなずく。その態度は料理が出来ないなどみじんも気にしていないことがわかるほどだった。ノーフのそんな姿を見た絵麻の表情が少し明るくなる。
「料理などメイドや専属の料理人にさせればよいのだ」
「うわぁぁん、やっぱり悪魔と人間の価値観は違うんだー!」
再び泣き始めた絵麻の姿をに、ホタルがノーフを見ながら手を広げて首をゆっくり横へと振る。
「ノーフ、わかってないですね。司、行きなさい」
「えっ、俺?」
「そうです。今ここにいる中で人間の男性は司しかいません。このダメ悪魔に違いを見せてやりなさい」
関わると面倒になると考えて黙々と食事を済ませていた司へとホタルが無茶ぶりをする。視線をさまよわせ、誰も助けてくれそうにもないと悟った司がちらちらと自分の方を見ている絵麻へと向き直った。そして一度深呼吸をして話し始める。
「絵麻さん。大丈夫ですよ。今の世の中女性も働く時代じゃないですか。絵麻さんはちゃんとしたお仕事についてますし女性だから料理が出来ないといけないってことはないですよ」
「ぐすっ、そうかな」
「そうですって。自信を持ってください」
「ぐすっ、うん。ありがとう司君。みっともないところを見せちゃってごめんね」
絵麻が涙でぐしゃぐしゃになった顔をハンカチで拭き、少しぎこちない笑みを浮かべる。司もそんな絵麻の姿にほっとしながら笑い返していた。そんな2人の様子をノーフと頭を掴まれているホタルが見ていた。
「見なさい、ノーフ。司はしっかりと絵麻を泣き止ませましたよ」
「何でお前が得意げなんだよ」
「うううう!頭が……割れる」
じたばたとホタルが逃げようとするが、ノーフの手から逃れられるはずもなく次第にうめき声も小さくなっていった。ぐったりとし始めたホタルの姿に手の力を緩めながらノーフがちょっと良い雰囲気になっている司と絵麻を見てフンっと鼻を鳴らした。
「おい、料理の出来る女と料理の出来ない女。お前がもし結婚するとしたらどちらと結婚するのだ?」
「えっ、そりゃあ料理の出来る方がうれ……あっ」
「うわぁぁん、やっぱり男なんてみんな一緒だー!!」
「ああ、絵麻さん。違いますって!」
再び泣き崩れる絵麻とそれを慌ててフォローする司を見ながらノーフはひっそりと笑うのだった。
ところ変わって東風豆腐店の調理場では修と舞が顔を突き合わせて考え込んでいた。
「舞のダンジョンのため池の水を使ったものだけが浸透が早かったんだな」
「うん。もしかしてダンジョンで育てた大豆だからそうなのかも?」
「しかし可能性としてはその水を使えば今使っている大豆の味も変わるかもしれないという事か。試すことが多いな」
「そうだね」
2人が何をしているかというと他の人の食事の邪魔にならないように場所を移して舞が作った時の状況や条件について修に説明しているのだ。2人で話し合っていると課題や試さないといけないことが山のように増えていった。しかし2人の顔には笑みが浮かんでいた。まあ舞は豆腐なのでわからないのだが全体の雰囲気として楽しそうだった。
修がさらさらとノートに舞との話し合いの結果を書いていく。そのノートの表紙には研究ノートと記載されており、今まで修が豆腐について研究し続けた結果のまとめられている宝ともいえるノートである。少し古びているが大切に扱われていることがわかるようなそんなノートだった。
「ではまずはダンジョンのため池の水の確保だ」
「そうだね。そろそろ皆も食事も終わっているだろうしノーフに手伝ってもらうよ」
そう結論付けて意気揚々と食卓に戻った2人は絵麻が泣き、司がそれを宥め、そんな2人をだらーんと力なくうなだれているホタルの頭を掴んだノーフが笑みを浮かべながら見ているというカオスな状況に直面するのだった。
その夜、東風豆腐店の調理場は戦場の様だった。誰一人眠ることなく、修と舞を中心に司も手伝って様々な条件で豆腐を作り続け、それをみんなで食べて意見を出し合い、最も適切な条件を絞っていく。
午前3時ごろに食べ過ぎた絵麻とホタルが脱落する中、それでも豆腐の研究は続けられ、いつもの仕込みの始まる午前4時過ぎにはある程度納得のいく物が出来ていた。
しかしまだまだこの豆腐の可能性は無限にある。修と舞はそう考えていた。
「やっぱり水は重要だね。ダイズ23号を水道水と地下水で浸透させたものは美味しいんだけど味が落ちていたし」
「そうするとにがりがもったいないな」
「そうだね。あっ、そういえばダンジョンの地形で確か海があったよ。それならにがりが採れるかも」
「にがりの精製か。専門家にお願いしたいところだが……」
「確か山岸のおじいちゃんって手作り塩のお店をやっていたんだよね。今は息子さんが引き継いでいるはずだけど。協力してもらえないかな?」
「そうだな。頼んでみるか」
皆がぐったりとする中、修と舞だけはつやつやとした笑顔で今後の計画について語り合っていた。輝ける未来を示すように辺りが白み始めていた。
これが後世に言われる奇跡の豆腐の夜明けだった。
豆腐親子(娘は豆腐)




