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マイクが低い声で言った。そしてこの場にコウキ一人しかいないことに気付き、眉をひそめる。
「他の者はどこに行った?」
「ダッチさんならトイレに。ルアンさんは――」
「トイレ? あいつ、どうせ覗きにでも行ったんだろ」
マイクはそう言うと、息を大きく吸い込んだ。
「ダッチ! ステラ! エマ! 急いで集合してくれ! 緊急事態だ!」
マイクが木霊するほどの大声で叫ぶ。それに答えるように繁みがガサガサと音を立て、慌てた様子のダッチが姿を現した。
「手前、セットで呼ぶんじゃねえよ。怪しまれんだろうが」
ダッチの様子にマイクは呆れたように息を吐く。それから少し間を置いて、ステラとエマも姿を現した。二人共髪がまだ濡れていた。
「それでルアンは?」
マイクがコウキに尋ねてくる。コウキはルアンが歩いていった方向を指差した。
「ジュンさんが呼んでる声が聞こえたので、そっちのほうに歩いていきました」
「ジュンが?」
マイクがジュンを振り返る。ジュンは首を横に振った。
「僕が一人殺されたこの状況で呼ぶわけがないよ。僕なら急いでここまで戻ってくるはずだ」
ジュンの言葉通り、それぞれの方向からジュンが駆け足で戻ってきた。皆、青ざめた顔で息を切らしている。
「殺されたのはどっちに行ったジュンだ?」
マイクが尋ねる。ジュン達は互いに顔を見合わせて頷き合うと、一斉に一つの方向を指差した。それはルアンが歩いていった方向だった。
「…………」
マイクは無言で森の奥を睨む。そしておもむろに川の水が入った空き缶を手に取ると、それで焚火の火を消した。
「……急いでルアンを探そう。寄り道は無しだ」
マイクの言葉に、その場にいた全員が無言で頷いた。
マイクを先頭に、一列になって歩いていく。ルアンの名を何度も呼ぶが、森は相変わらず静かだった。
「ジュン。殺された状況を教えてくれるか?」
マイクが前を向いたまま尋ねる。
「……一瞬だったから何に襲われたのかよく分からないんだ」
ジュンがたどたどしい口調で答えた。
「でも死ぬ直前に、何か動物の鳴き声が聞こえてきたんだ。低く唸るような――あれは多分猪かな? そしてそっちに近付いていったら、ふっと意識が無くなったんだ」
「猪? それに襲われたのか?」
「いや、動物に襲われたって感じじゃなかったけど」
「ともかく何かがいるということだな」
マイクは恐怖を吐き出すように大きく息を吐いた。
「ルアンの奴は鼻が利く。そう簡単にくたばる男じゃない。変異体が数匹いたところで、あいつなら軽々と突破できるだろう」
自分に言い聞かせるようにマイクは呟いた。しかしいくら呼び掛けても何も返事が返ってこないこの状況は、嫌な考えを過剰に想起させた。
「おーい」
その時、森の奥から声が聞こえてきた。
「静かに!」
マイクが足を止めて言った。息を潜めて耳を澄ます。
「おーい」
再び声が聞こえてくる。今度ははっきりと聞こえた。それは確かにルアンの声だった。
コウキの背中に冷たい物が走った。この抑揚のない、規則的な呼びかけを先程も耳にしたからだ。
「ルアン、無事か!」
そう言って、マイクが声の方向へと駆け出した。周りの者も慌ててその後を追う。
「マイクさん! 待ってください!」
コウキが必死にマイクの背中に呼びかける。しかしマイクは止まる気配を見せず、どんどん先へと進んでいく。
やがてマイクの脚が止まった。マイクに追いついたコウキは、荒い呼吸を繰り返しながらマイクの腕をそっとつかむ。
「マイクさん、落ち着いてください。これは罠です。僕はさっきもこんな声を聞いて――」
そこまで言いかけて、コウキはマイクが呆然と立ち尽くしているのに気付いた。見上げるとその顔は恐怖に彩られていた。
「マイク……さん?」
コウキはマイクの視線を追うように前方に顔を向ける。そしてそこにある物を見て、思わず叫びそうになった。
そこにはルアンの生首があった。血まみれで瞳孔の開いた目がこちらに向けられている。強い力で引きちぎられたのか、首の断面はボロボロで、そこから伸びた脊椎が尻尾のようにぶら下がっている。
ルアンの首は宙に浮いていた。よくよく見ると脊椎に植物のツルのようなものが絡みついており、それがルアンの首を持ち上げていたのだ。
「おい、お前らどうした? ルアンは見つかったのか?」
「大丈夫かい? 何かいたのかい?」
背後からダッチ達の声が聞こえてくる。そして彼らもルアンの首に気付き、小さな悲鳴を上げた。
「お、おい、何だよあれ……さっきまであいつの声してたよな?」
ダッチが震える声で言った。まるでそれに答えるかのように、ルアンの首がフラフラと揺れた。
「おーい」
再び声がした。それはルアンのぽっかりと開いた口から、確かに聞こえてきた。
次の瞬間、繁みの中から何かが飛んできた。コウキは咄嗟に近くにいたマイクを巻き込む形で倒れこむ。発射された何かはコウキの頭をかすめて木に突き刺さった。
「毒針だ!」
確信はなかったがコウキは思わずそう叫んだ。ジュンの言っていた動物の鳴き声と、一瞬で意識を失ったという言葉がそれを連想させたのだ。
「皆、急いでこの場から離れて――」
コウキが言いかけた瞬間、マイクがコウキの体を突き飛ばした。地面に転ばされたコウキがマイクに怪訝な顔を向けると、マイクは恐怖にひきつった顔でコウキを見返した。
そしてそのまま何も言わず、マイクは一目散に逃げだした。
「え?」
遠ざかっていくマイクの背中をコウキは呆然と眺める。背中が見えなくなるまで、マイクは振り向くことすらしなかった。
「コウキ、何やってんの!? 私らも逃げるよ!」
ステラの言葉でコウキは我に返った。いつの間にか傍にステラとエマが立っており、コウキの腕をつかんでいた。
「畜生、あの野郎! 一人で先に逃げやがったな!」
ダッチが悪態をつきながらマイクの後を追う。ジュンはその場に立って、毒針が飛んできた繁みを睨んでいる。
「僕達が盾になるから急いで逃げて!」
ジュンの一人が言った。コウキは驚いた顔をジュンに向ける。
「ジュンさん!」
「大丈夫。二人は逃がす予定だよ。一人でも残っていれば、僕はいくらでも復活できるから」
ジュンの言葉通り、ジュン達の内の二人がグループから離れて駆け出した。残りの三人が繁みとコウキの間を遮るように立って、それぞれ武器を構えている。
その時、視界の隅で、小さな悲鳴と共にエマが倒れた。コウキが慌ててエマを抱き抱えると、首に先程見た毒針が刺さっていた。
「針!? 一体どこから!?」
コウキは周囲を見渡す。犯人はすぐに見つかった。すぐそばの地面から、太さが五センチはあるミミズのような生き物が顔を覗かせていたのだ。その先端には小さな穴が開いており、そこから針を発射したようだった。
コウキは咄嗟にアミィを抜き取ると刀を形成し、ミミズを切断した。ミミズは緑色の汁をまき散らしながら地面へと引っ込んでいった。
「エマ、しっかりしろ!」
首に刺さった針を抜きながらコウキが叫ぶ。エマはぐったりとしていて完全に意識を失っていた。
「コウキ、走って! ここにいたら私達もまずいよ!」
ステラの叫びにコウキは頷き、エマを抱えて走り出した。背後でジュンの悲鳴と倒れる音が聞こえてくる。
走りながらコウキは後ろを振り返る。三人いたジュンは全員地面に倒れていた。さらに繁みの方から植物のツルのようなものが伸び、ジュンの体に巻き付いているのが見えた。
「植物……? 一体何なんだよあれ……」
コウキは顔を前に向け、ジュン達から視線を逸らす。ルアンの様子から、おそらくあの植物がジュン達をこれから解体するのだろう。
「……き、興味深い……進化ね」
その時、胸元から小さな声が聞こえてくる。抱き抱えていたエマがうっすらと目を開けて、口を動かしていたのだ。
「エマ、無事だったのか!?」
「……当然よ。私の能力が即死レベルの毒にも効くかは未知数だったけどね。まだ気持ち悪さは残ってるけど、だんだん戻ってきてるわ」
エマは首元をさすりながら小さくため息を吐いた。
「それにしても面白いわね。あの植物とミミズ。あれらは別の生き物よ。共生関係にあるんだわ。あの植物は捕らえた獲物の声帯を利用してその仲間をおびき寄せていた。そして誘われてきた獲物をミミズが仕留める。植物が獲物を解体し、地面にばらまかれた有機物がミミズの報酬って訳ね」
ぶつぶつと早口で呟くエマの顔を、コウキはチラリと見る。一見冷静に見えるが、目はうつろで声は震えていた。おそらく思考に集中することで、平常心を保とうとしているのだろう。
コウキは無言でエマを強く抱きしめる。怯えた息遣いと体の震えをより一層感じた。
「大丈夫、安心して。僕が君を守るから」
エマの震えが止まった。コウキの胸元をぎゅっと強く握りしめてくる。
コウキはエマを抱えて走り続けた。
勾配の加わった地面は、注意しないとすぐに足を取られてしまいそうだった。コウキは一歩一歩踏みしめるようにして走っていく。絶対に転んではいけないという緊張と意識が必要以上に体力を奪っているのを感じる。
自分の呼吸と血管の音がやかましく耳の奥で響き、頭痛と吐き気が襲ってくる。しかし胸に抱えるエマの温もりを感じると、不思議といつまでも走っていられるような気分になった。
やがて森の出口が見えてきた。




