番外編1 僕の嘘17(コンラート視点)
よろしくお願いします。
そして新婚旅行当日。
オスカーやサラを置いて僕とユーリは出発した。馬車の中では二人きりでお互いの話をしていた。僕はユーリの気持ちを知りたくて色々なことを聞いた。
ユーリに好きだと言われてから、僕は幸せ過ぎて怖いということを知った。ユーリが僕に向けてくれる気持ちがいつ冷めてしまうのか、毎日不安なのだ。
我ながら情けないと思う。信じたくても信じきれないのは、しょっちゅう愛人を変える両親を見ているからだ。僕もああやって飽きたら切り捨てられるのだろうか、だがユーリはそんな人じゃないと思考が行ったり来たりする。
この旅行をきっかけに、よりユーリに近づきたい、ユーリを信じたい、そう思ってサラには遠慮してもらった。
ユーリは僕よりもサラを信じている。サラは女性で比べる対象ではないとわかってはいるのだが……
そんな姑息なことを考えていると知られたらユーリに嫌われそうで怖い。結局僕は適当な理由をつけてサラを遠ざけてしまった。
本心を語らないというのは、嘘を吐くことと違いはあるのだろうか。僕はユーリにそうして誤魔化す度に嘘を吐いているようなやましい気分になる。そんな僕が信じて欲しいということ自体が間違っているのかもしれない。
休憩を挟みながら馬車が伯爵領の領主邸に着いたのは夜遅くだった。移動だけでも体が辛く、僕とユーリは義兄上に用意してもらった部屋ですぐに休ませてもらった。
◇
翌日、僕とユーリは義兄上の好意に甘えて二人で伯爵領を散歩することにした。到着した時は周囲が暗くて気づかなかったが、長閑な風景が続いている。
牛の間延びした鳴き声を聞きながら、ユーリと二人で田舎道を歩く。こんなにゆっくりするのは久しぶりだ。ここでは色々と考えなくてもいいからほっとする。
「だけど、退屈じゃないの?」
歩きながらもユーリは僕が退屈してないか、様子をうかがっていたようだ。心配そうに僕に尋ねる。
「そんなことはないよ。他の領地を見せてもらうのも勉強になるからね」
「……それって結局休んでないじゃない」
ユーリに突っ込まれて、そう言われれば確かにと笑ってしまった。こうして伯爵領を見ていると、あそこは開拓すればいいのにとか、この自然を活かして何かできないかとつい考えてしまう。
だが、それはユーリも同じだ。朝から染物の話をして急かしていたのだから。
「本当だね。仕事のことは忘れようって思ってたのに。だけど君だって仕事をする気満々だっただろう?」
「……そう言えばそうね」
「立場というのは厄介だね。その立場に相応しい振る舞いをしなければならないと、自分で縛りを作るんだから」
僕は元々、後継であることしか求められなかった。僕が選択を間違えると、領民や商会で働く多くの人たちが路頭に迷うことになりかねない。だから、お前は失敗してはいけないと言われてきた。
そのため、叱られることはあっても、褒められたことはない。できることが当たり前だからだ。だが、どんなに頑張っても認められないことはすごく虚しい。認められるために頑張っているわけでなくても、少しだけでも認めて欲しかった。僕という人間を。
「……そうね。私もそれが辛かった」
ユーリも何か思い出したのか、溜息を吐いている。
僕が知っているユーリはいつでも毅然として眩しかった。彼女もその役割に相応しくあれと、頑張ってきたのかもしれない。
僕はユーリと初めて会った時の話をした。年齢よりも大人びていたユーリが、そうならなければならなかった状況を考えると、どれだけ大変だったかわかる気がしたのだ。名門ロクスフォードの娘という肩書きは嫌でもついてまわる。
だが、ユーリは僕の心配をしてくれた。
「それはお互い様でしょう? 私よりもあなたの方が責任は重いから、あなたの方が無理している気はするけれど」
「……どうだろう。ずっとそれが当たり前だと思っていたから、どこまでが無理じゃないのかもわからなくなってる気がするよ」
それに大変だろうと気遣ってくれる人なんていなかったのだ。僕は笑うしかなかった。
「……そうやって自分に嘘を吐き続けるといつか自分を見失ってしまう」
「ユーリ?」
急にユーリが立ち止まって呟く。いきなりどうしたのだろうかと、僕も立ち止まってユーリの顔を覗き込む。
「結婚式の時に父が言ったの。私は平気、私は大丈夫、そうやって私は自分に暗示をかけてきた。結局は自分に嘘を吐いていただけなの。そうするうちに私は自分の本当の気持ちを見失うところだった。父にはわかっていたのね。
あなたもそう。まだ大丈夫、頑張れるって自分で暗示をかけているだけなのかもしれない。弱音を吐いてもいいの。情けないなんて思わないから。自分を見失わないで」
自分を見失う、か。言い得て妙だと思う。だが、僕は僕という人格を役割に当てはめて作ってきた。僕はその役割のおかげで自分を保っているのだ。その役割がなくなれば僕でいられなくなるのではないかという怖さがあった。そして、その役割を果たすためには僕個人のそんな感情が邪魔になるのでは、と。
「……だけど僕には多くの人に対して責任があるんだ。僕個人の感情なんて必要ないんじゃないか? 皆が求めているのは次期子爵家当主としての僕でしかないんだ」
──両親と同じように。
俯いた僕の手を取って、ユーリは否定してくれる。
「あなたがそう思うのも無理もないのかもしれない。だけど、私にはコンラートという人が必要なの。あなたの感情がなくなったら寂しい」
ユーリはこんな僕でも必要としてくれていると思うと、僕の胸が温かい気持ちで満たされる。ユーリがこうして伝えてくれるものが愛なのだろうか。
僕はどうやってユーリにこの感謝の気持ちや、胸に溢れるユーリへの言葉にならない思いを伝えればいいのだろうか。
わからないことばかりだが、それは不安ではなく期待に繋がった。それはきっと、これから二人で作り上げていくものなのだと。
「ユーリ……ありがとう」
これが今の僕に言える精一杯の言葉だけど、考えていつかきっと伝えよう、そう思ったのだった。
◇
しばらく歩いたら、川に着いた。先に僕が土手を降りて、下からユーリを支えようとしてバランスを崩したユーリは尻餅をついた。
もう一度手を伸ばそうとしたら、ユーリが滑り降りていいかと聞いた。戸惑いながらも頷くと、ユーリは楽しそうにスカートが汚れるのも構わずお尻で滑り降りてきた。
最初は驚いたが、楽しそうなユーリの顔を見て、好奇心がムクムクと湧き上がってきた。僕も同じように滑り降りてみると、楽しい。自然にこんな遊び方があるとは知らなかった。それに、ユーリの子ども時代を垣間見たようで嬉しくもあった。
ユーリは懐かしそうに子どもの頃の話をしてくれた。義兄上だけでなく、領民の子どもたちとも遊んでいたらしい。だからユーリは今でも誰にでも分け隔てなく接することができるのだと納得した。
僕もその輪の中に入りたかった。考えても仕方ないが、その領民の子どもたちが羨ましい。僕はつい愚痴を言ってしまった。
「……僕は子どもの頃から勉強と、父上の仕事の手伝いばかりで、同世代の子どもと遊ぶことがなかったんだ。父上も母上も、僕個人には関心がなかった。父上にはいつも後継として相応しくあれとか、色々な人の人生を背負う重みを滔々と説かれるくらいだったよ。僕の好きな物や興味のあることなんか、聞かれたこともない。友人も伴侶も利益がある人間を選べとも言われた。母上に至っては後継としての僕にも興味がないみたいだ。あの人たちにとって僕という存在は何なのだろうと思うよ」
きっと後継だとしか言われないのだろうと思うと虚しい。子どもは親を選べない。どんな親であれ、子どもにとっては絶対なのだ。
「……私たちに子どもが産まれたら、色々な遊びを教えてあげましょう?」
「ユーリ?」
急にどうしたのだろうかと、僕はユーリを見た。ユーリは小さく笑う。
「まだ遅くないわ。これからだって遊べばいいじゃない」
「……そうだね。だけど、そのためには子どもがいないとね」
ユーリは僕との子どもを望んでくれているのだ。一度は手に入らないと諦めかけた家族を手に入れられる。僕は嬉しかった。
ユーリはその言葉の意味に気づいて赤くなる。
「君が言ったんだよ。それなら僕も頑張らないといけないな」
「コンラート!」
真っ赤な顔で止めるユーリが嫌がっているのではなく、ただ恥ずかしいだけだとわかり、僕は笑った。
「……こんな穏やかな気持ちで家族の話ができるとは思わなかった。政略結婚に求めすぎてもいけないってわかっていたんだけど、伯爵領に来て気分的に解放されたこともあるかもしれない。王都に帰ったら、また気を抜けない日々に戻るだろうから」
まだニーナのことは終わっていない。彼女に利用価値があるとわかれば、また関わり合いになりたくない連中が彼女に近づいてくるだろう。僕は男爵家の人々のためにもそれを阻止しなければならない。
ユーリはユーリで思い当たることがあるのか頷いた。
「そうね。やらないといけないことがたくさんあるわね」
だが、今だけはそんな柵を忘れてここでしかできないことを楽しもう。
僕はユーリに色々教えてもらって、汚れることも厭わず遊びに没頭したのだった。
読んでいただき、ありがとうございました。




