守りたいのは
よろしくお願いします。
その後、義母は疲れて眠ってしまったと、義父が私たちの部屋に来たので、コンラートは二人がちゃんと話し合えたか義父に聞いた。
義父は始め、肩を落としていた。それというのも、義母にいきなり離縁して欲しいと言われたそうだ。精神的に弱い自分はもう子爵夫人として相応しくない、離縁した後は実家にも戻れないから、修道院に入りたいと。
もちろん義父はそんなことはしない、自分は後のことをコンラートに任せて隠居するつもりだから、もう責任を果たさなくてもいいと答えた。それでも義母はもう疲れたからと聞いてくれなかったそうだ。そんなやりとりをしていて、義母は疲れて眠ってしまった。
コンラートは呆れたように言う。
「父上……日頃の行いがものを言うんですよ」
「わかってはいるが、どうすればいいのか……」
義父は頭を抱えている。本当に女心のわからない人だと、私も思わず溜息を吐いた。
「お義父様、ちゃんとやり直したいとか、向き合いたいと伝えましたか?」
「いや、それは言わなくてもわかるかと……」
「父上、それで失敗してきたのではないですか。言わなくてもわかるだろうでは伝わりません。何のために言葉があるのですか?」
コンラートの言葉には力がこもっていた。コンラートもそのことを痛感しているからだろう。義父もしばらく口ごもっていたけど頷いた。
「アイリーンが目覚めたらまた話をするよ。お互い腹を割って話したことがなかったからな……」
「ええ。頑張ってください。ようやく向き合おうという時に、当の本人がいないと意味がありませんから」
だけど、私には一つ気がかりなことがあった。それは義母が義父を愛していたということだ。報われない思いもあって心のバランスを崩したのに、まだ夫婦でいることに耐えられないのもあるのではないかと。
私は思い切って義父に尋ねてみた。
「……あの、お義父様はお義母様をどう思っているのですか? お義母様はお義父様を愛していたから辛かったんです。愛されていないのに、まだ夫婦でいるのが辛いから離縁したいのかもしれないと私は思うのですが……」
義父は逡巡して言葉を選びながら答えてくれた。
「……アイリーンのことは放って置けない。愛かどうかははっきりとはわからないが、そういうものは時間をかけて育んでいくこともあると思う……この答えではダメだろうか?」
「どうでしょう……私はお義母様ではないのでわかりませんが、その正直な気持ちをお義母様に伝えてみればいいと思います」
「僕もそう思うよ。母上も素直じゃないから父上が本心を言わないと、話さないだろうし」
「ああ」
そうして、義父は義母と対話を試みた。
最初、義母は聞く耳も持たず、義父を避けていたようだったけど、私やコンラートの説得に折れて、話をするようになった。
やがて──。
◇
「父上、母上。社交シーズンに入るので王都に出かけてきます。お二人はどうしますか?」
夕食の席で目の前の義両親にコンラートは尋ねる。私はコンラートの隣で、もうじき二歳になるウィルフリードに離乳食を食べさせながら、話を聞いていた。
「私はもう隠居したから、行く必要はないんだが……アイリーンはどう思う?」
義父が義母に問う。
あれから義父はコンラートに当主の座を譲り、義母と向き合う時間を作った。だけど、当主の仕事だけでなく商会の仕事も取り仕切らなくてはいけない重責でコンラートがいっぱいいっぱいになりそうだったので、義父も手伝ってくれている。そして義母はそんな義父や私の補佐をしてくれている。
ただ、変化はそれだけではなかった。以前は仕事でしか繋がっていなかった義両親は、それ以外でも一緒に過ごすようになったようだ。たまに二人で外出したり、庭を散歩する姿を見かける。
二人の問題にあまり首を突っ込むのもよくないと思って、あちらから相談がない限りはそっと見守りたいと思っている。ただ、義父は義母がまた思い詰めないか心配しているようで、私やコンラートにちょくちょく義母の様子を尋ねてくるのだ。これなら義母が不安になることもないだろうと私は安心している。
義母は眉を顰めてつっけんどんに義父に答える。
「あなたの好きにすればいいでしょう」
「ああ、そうだな」
義父は頷く。これで本当にうまくいっているのかと思いそうだけど、義母は素直じゃないのだ。コンラートが溜息を吐いて突っ込む。
「つまり、母上は父上の行くところについて行くということですね。素直にあなたに任せると言えばいいのに」
「まあまあ。こればかりは時間がかかるだろう。それに、二人の時は素直なんだぞ」
義父は苦笑いだ。息子夫婦の手前、義母は素直になれないのかもしれない。確かに身内の前で甘いやりとりを見せるのはいたたまれないだろう。
だけど、それを暴露されることもいたたまれなかったようで、義母が顔を赤くして慌てて否定する。
「そんなことないわ! 恥ずかしいことを言わないで!」
「ほら、素直だろう?」
義父は面白そうに笑う。義母は赤い顔で悔しそうに黙り込む。笑ってはいけないと思いつつも、私とコンラートもついつい笑ってしまった。
「それならお二人も一緒に王都に行くので決定ですね。ウィルフリードは初めて行くし、せっかくなので、旅行がてら途中でどこかに行きませんか?」
「それはいいな。アイリーン、遅くなったけど、新婚旅行のやり直しをしようか」
「……わたくしは別に」
まだ赤い顔で義母は呟く。だけど、少し口角が上がっているのは、きっと嬉しいからだろう。義父も気づいたようで、義母に笑顔で言う。
「後でどこがいいか決めようか。コンラートたちとは別れて、二人で楽しめる場所がいいだろうから」
「ええ、そうね……」
今度こそ義母は笑った。
まだまだ始まったばかりでぎこちないけれど、前に進んでいると思う。
そんな義両親をよそに、コンラートが私に話しかける。
「ユーリ、僕らもちゃんとした新婚旅行ができなかったから、今度こそ仕事から離れて楽しもう」
「私はあの新婚旅行楽しかったわよ。草笛吹いたり、土手の滑り台も。ウィルフリードにも自然で遊ばせてあげたいのだけど」
「そうだね。また伯爵領に遊びに行こうか。もうじき義兄上の結婚式もあるんだろう?」
「そうなの。工房もうまくいくようになって、本調子とはいかないまでも安定してきたからそろそろいいだろうって。相手がいたとは知らなかったんだけど。水臭いわよね。言ってくれればよかったのに」
そうなのだ。兄には結婚を決めていた人がいたらしい。当主になったものの、再建がまだうまくいってなかったから相手の方には待っていてもらっていたと聞いたのが二ヶ月前だった。貴族には珍しい恋愛結婚だ。
そうなったのもロクスフォードに政略的なメリットがなかったから、兄はそれでもいいと思ってくれる女性を探していたようだ。それに、私や私の義両親を見ていて思うところがあったのだと言っていた。
政略で結ばれて一度は家庭が壊れてしまった義両親、表面上は政略だけど実際は恋愛結婚だった私。大切なのは家ではなく、人だと改めて思ったそうだ。
「僕らも大変だったから心配かけないようにしたんだろう。君と義兄上はそういうところが似ているよ」
「……嬉しくない」
「褒めているんだけどね。それに、君のそういうところが好きだよ」
「ちょっ……コンラート」
今度は私が赤くなる番だ。
コンラートが初めて愛していると言ってくれてから、コンラートは言葉で伝えてくれるようになった。
もうすれ違いたくないからだとわかっているけど、義両親の前でも言うので、私もいたたまれない。案の定、その言葉を聞いた義両親が私を生温い目で見ている。恥ずかしくもあるけど、嬉しくて私は誤魔化すようにウィルフリードに笑いかけた。
◇
私が吐いた悲しい嘘が、コンラートの心を傷つけ、家族の歪んだ形を浮き彫りにして、形まで変えてしまった。
私はあの嘘を吐いた時、愛というものをわかっていなかった。ただ、コンラートの上辺に恋をしていただけなのだ。
あの時私は別の女性を思っている彼の負担にならないように思いやるようで、本当は自分の心を守りたかったのかもしれない。結局は独りよがりの思いでしかなかった。
私は彼を愛して、自分の過ちに気づいた。本当に相手を思いやるとはどういうことなのか、愛することとはどういうことなのか、そういったことを知った。
だから、もう自分を守るためだけの悲しい嘘なんて必要ない。私には守りたい、大切な人たちがいるのだから──。
これで本編は完結になります。
あとは番外編でコンラート視点で彼の本心や彼の動向、ニーナ視点で彼女の本心や男爵家の内情などを書くつもりです。
読んでいただき、ありがとうございました。




